山田峠・雪崩の危険性についての一考察

2016シーズン、

バックカントリーブームで にわかに脚光を浴びそうな中之条町のチベット、

山田峠ですが、

何も知らずに積雪期の山田峠を志賀草津道路沿いに通過するスキーヤーやボーダー、

さらにスノーシューのバックパッカーがたくさんいらっしゃるかもなので、

かなり昔の僕の雪崩研究のレポートを公開です。

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今は雪崩ネットワークが雪崩教育を盛んに啓蒙してくれていますので、

マニュアル的にはたくさんのバックカントリースキーヤーやボーダーが、

雪崩の恐ろしさについて理解されていると思います。

そんなことで雪崩ネットワークが立ち上げられるよりもずっと以前の、

とっても古い考察なのでちょっとおかしいところもあるかもですが、

ざっくりと雪崩について、

自分自身の経験と照らし合わせて考察する一つの材料になればと思い全文掲載です。

野反湖うらやまガイドIMG_7566

山田峠・雪崩の危険性についての一考察

 ~角田吉夫氏の雪崩事故の報告と自己の経験から~

 はじめに断っておくが、角田吉夫氏の雪崩事故報告は、今西錦司著「日本山岳研究」の「風成雪とその雪崩」を参考にさせてもらった。

今西氏の今後このような事故を繰り返さないためという意図から、引用させていただいた。

 春、志賀草津道路開通のための除雪作業でもっとも大変なのは山田峠だと思う。私は、何回か開通前の除雪作業中に、スキーツアーでその現場に通りかかってそう実感した。峠は、東側斜面の中腹に道がつけられている箇所が数十メートルあるのだが、そういう地形的な影響からかその斜面全体に想像以上の雪が吹き溜まるようなのだ。私が遭遇した除雪作業は、それはもう凄いものだった。まるで鉱石の露天掘りといった有様だった。片側斜面に降り積もった雪といえども、一回で除雪などとてもできないので、階段状に何回も何回も除雪しながら道路の部分まで掘っていくのである。

ところで、山田峠で雪崩の危険性があるのは、この箇所である。実際私自身が、その規模は予測できなかったが、雪崩の危険性を感じた経験がある。そして70年近く前のあまりにも古い記録になるが、山スキーヤーの角田吉夫氏がそこで雪崩に遭遇し、興味深い報告を行ってもいるからだ。そんな昔にはまだ自動車道路はなかったが、地形的にはほとんど変わっていないだろう。

以上のことから角田氏の報告と私自身の経験から、どういう危険性があるか私なりに少し述べてみたいと思う。あくまでもかなり昔の山スキーヤー角田氏の報告に基づいた私自身の浅はかな経験による一考察なので、信用度はかなり低い。しかし、スキーツアーはそれぞれの自己の責任に基づいて行われるべきものであり、そのいくらかなりの危険性への警鐘と、安全対策の参考になればと思い公開する。

 まず角田氏の事故の報告について、簡単にまとめてみた。

 山田峠において遭遇した雪崩の説明

位置及び発生地は、草津白根山の西北方、山田峠の直南方、2120メートル圏のドーム型の無名峰の東斜面である。同斜面の傾斜度は、約30度くらい。付近の状態は同峰の山頂付近は枯れ木の疎林があり、発生地の積雪状態はコンベックス状をなす。(コンベックス状とは?)夏は熊笹茂り、中腹に登山道あり。発生の日時は、1932年2月10日午前10時。当時の天候及び積雪状態であるが、近年にない珍しいほど積雪の少ない年であり、熊ノ湯の前山は笹が露出しているし、鉢山の往復には笹でかなり苦しんだほどであるようだ。熊ノ湯付近の積雪は、平均して3~4尺くらいだったようだ。2月7日は曇、8日も曇、西北風強く特に温度は下がった。9日晴れ後曇、10日すなわち雪崩発生の日は、夜半に小雪、朝曇、10時頃より快晴となる。

次に具体的な雪崩発生の状況であるが、2月10日早朝に熊ノ湯を発し、渋峠、山田峠を経て万座温泉に遊び、その日のうちに引き返す予定であった。一行は6名。山田峠に達したときが午前10時頃、薄曇であった天候はこの時分より次第に雲が飛び、青空と太陽の輝きを見せ始めた。山田峠より次のピーク2120メートルの白いドームの東面中腹を、だいたい夏道と思われる地点(このドームを一つの山とみると約5合目。)をトラバースする予定で自分がトップで進行した。山田峠付近の大きな波状雪は山陰のためか次第に波が減少し、粉雪のキュッと緊まった雪面となり、スキーの角付によって浅い1本のシュプールが印される程度のものである。かかる状態はしばしば風当たりの強い斜面で経験するもので、角付もよく利くし、滑走にも快適な雪の緊り方であった。この時はまだ雪崩の発生については全く意識なく、自分はむしろ前方の斜面が太陽によってきらきら光っているのをみて、その場所は東南向きでもあれば、現在の場所よりもさらに雪は堅く、サンクラストをなして、角付がより困難になるであろうと考えていた。時に同行者の一名、会員の松室武夫氏が「雪崩が危うくはないか」と言われたが、まさかこの状態ででるとは考えられなかった。しかし前述のような、前方の堅いクラスト面のこともあるので、直ちに右へキックターンをしてドームの八合目付近をトラバースすることになったわけである。第二回目のキックターンをした付近は例の枯れ木があり、そのまま尾根伝いに枯れ木の中をドームの頂点に向かって進めば、事件は起こらなかったのである。

八合目を角付をしながらトラバースをしていると、やがて「ドーン」と底力のある、しかしあまり高くない音が聞こえた。白根か浅間の爆発ぐらいに考えていたところが、、音とともに自分の足元の前方に亀裂がスースーと走ってきた。その方向は右手山側上部より斜め下方に向かっていた。雪崩に対する意識よりむしろ、ただ反射的にその亀裂を飛び越えて前進し、数件先に露出している枯れ草のあるところまで逃げ出した。続く2番、3番のものもほとんど同時であった。そして振り返ってみると、同じく会員の荻島氏が大きな雪塊に乗っかったまま、あたかも氷山の崩れるが如く、大きな音とともに落ちていった。崩落の状態は板状といおうか、その板状も薄い板片ではない、厚い、十尺はあろうかと思われる雪塊である。そしてこの雪崩の走るスピードはもっとも遅い部類に属するものであった。そのうちに雪塊の山側に荻島氏は転倒し、姿は消え、一,二度スキーの先が見えたと思ったが、その後は全く消えてしまった。幸い、このドームの東面の下部がすり鉢の底の如く平坦であったために、距離にして百メートルくらいの崩落後、雪崩は停止した。そして荻島氏が雪塊に圧されることもなく、まもなく這い出してきたことは幸運であった。

この種の雪崩は自分としてはかつて全く経験したことのないものであり、発生を予期していなかっただけに、心の動揺は大きかった。発生後約一時間を経て、失われたスキーを探しに近寄ってみたが、発生地点の裂け目の厚さは目測ではあるが、十五尺以上二十尺はあった。中央部がもっとも厚く、その切断面は弧を描いて左右は下り、厚さも減少していた。そして雪は全然一尺も残さずに、その跡は草付きの斜面をあらわしているのをみれば、底雪崩でもある。さらにこの裂け目を注意してみるのに、この厚い積雪層が二段に、階段状に切れている。これは風成雪の発達に大きな二回の時期を物語るものであろうと思う。

次に、もう一つ留意すべき点は、雪崩発生の切れ目がスキーのシュプールより二,三尺上方であったことである。かつて教えられていたような、スキーから発生した板状雪崩ではない。また自分としてもクラストを破って、そこから崩落した板状雪崩の経験は持っている。また、雪面に残された亀裂の距離は5,60メートルに及び、その中央部の10メートルか、15メートルの間が崩落したのである。そして不運にも4番目にいた荻島氏が、この中心に乗ったわけである。

わずか一人の人間の重量が、これだけ厚い積雪層を踏み破るとは、考えても不思議な力である。結果論ではあるが、もし一行が最初の進路、すなわち5合目付近をトラバースしたならば、今回の雪崩を体験せずに終わったかとも考えてみた。

今度、今西錦司氏のご依頼により、風成雪による雪崩の研究の一例として発表することになったが、この報告が幾分でも参考になれば幸いである。

 以上が角田氏の報告である。角田氏の雪崩事故現場は、私の雪崩を予感した場所と同じであると考える。これから述べる考察は、同じであるという前提に立っている。

私の場合は万座方面からその現場にさしかかった。時期は2月初旬。天候は晴れ、時間は10時頃、そして少雪の年である。前夜15センチくらいの降雪があったようだ。しかし山田峠付近は風が強く、雪があまりつかなかったようで、角田氏とかなり似ている条件であった。私の場合、万座方面からトラバース気味に山田峠へ斜滑降しようとしたが、鈍い音で「ドスン」と響いた。すぐに雪崩の危険を感じ、向きを変えて白根山方面の斜面を芳ヶ平側に角田氏のいうすり鉢の底の如く平坦な場所へ斜滑降で滑り降りた。そして、山田峠と同じ高度から歩いてトラバースし、志賀高原方面に何事もなく抜けた。この時、私が想像するに角田氏と全く逆の進路をとろうとしたのではなかろうか。しかしそのままトラバース気味に斜滑降で下降せず、白根山方面の斜面に逃げたために雪崩も起こらず、事なきを得た。

私自身も角田氏のように、板状雪崩の恐怖を味わった経験を持つ。巻き込まれれば死んでいただろう。単独で3月初旬尾瀬の小至仏岳をトラバース気味に至仏岳へ向かおうとした時、やはり鈍い「ドスン」という音が響き、本能的に稜線歩きに切り替えてしばらく歩いた後、ものすごい大音響が地響きとともに私を驚かせた。瞬間ジェット機が背後に墜落したと思うくらいの大音響である。しかしすぐに何が起こったか悟った。私がトラバースしようとした小至仏の斜面が板状雪崩を起こしたのだ。ものすごいスピードと破壊力だと感じた。足が震えて止まらなかった。

そういう経験から、山田峠で私は、板状雪崩がでそうだなと感じて回避行動をとった。角田氏の報告では、いわゆる板状雪崩ではないようなという意見である。現在雪崩の研究は当時より進んでいて、いろんな説がでているが、私自身の知識と経験とを総合してみて、角田氏のような雪崩も板状雪崩と考えていいのではなかろうか。角田氏は5合目付近をそのままトラバースすれば今回の雪崩は体験せずに済んだというが、私は同じように雪崩が起こる可能性もあったのではないかと思う。板状雪崩は紙一重で均衡を保っている不安定な斜面に、何らかの外部からの力によって瞬時に均衡を崩し雪崩れると私は認識している。だから不安定な斜面のどこをトラバースしても危険に変わりはないのではないか。

一つ疑問点をあげると、角田氏は雪崩の状況を、「この雪崩の走るスピードはもっとも遅い部類に属する。」と述べていることである。春の底雪崩であれば遅い部類に属するというのは理解できるが、板状雪崩は斜面全体が一瞬のうちに破壊されるので、速い部類に属するのではなかろうか。角田氏が体験した雪崩は、少し例外的な条件があり全層で板状に雪崩れたと考えられる。少雪であることから、積雪と熊笹の地面がなじまず底雪崩になり、氷山のような雪塊になったのだろう。

以上のことから、山田峠を通過する際には、細心の注意が必要である。平坦斜面でもこの「ドスン」という地響きを感じる経験は、山スキーヤーなら必ず1,2度あるのではなかろうか。ある程度の斜度がある斜面であったなら、こんな所では絶対ないであろうと思っても、角田氏のように前進しないで、何らかの回避策をとれるようにする方が賢明ではなかろうか。起こってからでは遅い。できるだけリスクのない登山を試みるべきである。角田氏の雪崩事故は70年近く前のことであるが、同じ場所で昨年私は雪崩の危険を感じた。私は70年前であろうと、危険性はそれほど変わらないと思う。山田峠を通過する山スキーヤーは、少なくとも雪崩が発生する可能性があるという認識のもとに状況判断し、行動してほしいと願う。私見を述べると、山田峠を通過する際には、一般的にスキーを脱いで信州側の雪の付き悪いガレ場を歩くのがよいようだ。私自身は白根山側の支尾根を登下降する方を選んでいる。

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