nakanojo(中之条)

群馬県境稜線トレイルCエリア野反湖~三坂峠縦走2025-7-7

まもなく関東地方の梅雨明けが宣言されるとの予報でしたが、台風の影響なのか先延ばしされました。台風による湿った風の影響で午後から雷雨予報ですが、そんな空模様を心配しつつ群馬県境稜線トレイルのCエリアを歩いてきました。 堂岩山から楽しみにしていた白砂山へと続く稜線は視界不良。いよいよ濡れ覚悟で高山植物の宝庫である貴重な植生の這松帯に入ります。朝露に濡れた葉の陰にひっそりと咲くクロマメノキの花に癒されます。 ミヤマシグレはまだかわいい蕾です。 コメツツジの花は見頃の時期が短いので出逢えない年もありますが、今年はなんとか間に合いました。 コバイケイソウが当たり年のようです。堂岩分岐からセバトノ頭の先の笹平まで、笹原の斜面にはずっと咲き誇っていました。 上の間山までずっとガスの中でしたが、赤沢山付近で急にガスが切れだして青空も見えだしました。忠次郎山へのきつい登りでは、汗が噴き出て喘ぎ喘ぎなんとか山頂へ。ここからもまだまだ上り下りはありますが、視界が開けると気分も上がります。 上の倉山から大黒の頭、ムジナ平避難小屋まで白砂川源流の大パノラマに感動しながらの稜線漫歩でした。 オガラバナの花もずっといろいろなところで目を楽しませてくれました。薄緑の透き通るような葉と塔花が初夏の風に吹かれている様子がなんとも美しい木です。 ムジナ平避難小屋で一休みして水場の点検。どちらも異常なしです。登山道上の笹薮の伸び具合ですが、笹平のように笹が特別早く伸び始める場所は例外として、まだそれほどでもなかったです。 クマの新しい痕跡や気配も今回はまったくなし。心配していた三坂峠から旧三国スキー場までの下山道も、最近草刈整備が行われていました。稲包山方面も綺麗に整備されていて歩きやすそうでした。

野反湖畔一周トレッキングガイド2025-6-30

6月最後の日は野反湖一周トレッキングガイドでした。晴天に恵まれ、ちょうどノゾリキスゲも咲き始めて、ゲストの皆さんにもゆっくりと楽しんでもらいました。 午前中は野反峠から野反湖キャンプ場のビジターセンターまで西岸遊歩道を歩きました。どじょう小屋沢辺りまでは岳樺のメルヘンチックな森を歩きます。森を抜けると湖の風景が広がります。そして押出しの岬を周りエビ平へ。ここにはベンチがあるので大休止。今年はコバイケイソウが当たり年のようで、エビ平では華やかな姿で私たちを迎えてくれました。 今日は少し乾き気味のさわやかな北風が吹いてくれるので、快適に歩けました。蛇帝ヶ原から白樺渕を過ぎてテンバのお花畑まで来れば野反湖キャンプ場のビジターセンターまでもう一息です。ここでゆっくりお弁当休憩としました。午後はここからロックフィルの野反ダム堰堤を歩いて白砂山登山口からバス移動で大空堀駐車場へ。野反湖は近年にない満水状態で、ダム湖ではない天然湖のような風景で楽しませてくれました。 大空堀の駐車場から東岸遊歩道を歩いて池平へ。先週のレンゲツツジが満開の見頃だったことがまるで夢だったように、すっかりノゾリキスゲと入れ替わっていることにびっくりでした。富士見下で湖畔に降りてみました。水辺の片隅にモウセンゴケの一群が見られました。 一周ゴール後、コマクサのガレ場にもプチガイド。ここからの野反湖の景色も素晴らしいです。

芳ヶ平湿地群ガイド研修会2025-6-26

ここ数日は雨マークの日が続いたのと、昨夜半は大雨だったようで、渋峠からの登山道を歩くのに長靴が大活躍しました。大きな水溜りと沢下りの連続がダマシ平まで続くので、長靴なら水溜まりの深さも気にせずバシャバシャ歩けました。ただ滑りやすい岩もゴロゴロしているので、転倒注意です。ダマシ平手前に今も置かれている江戸時代の古い石碑は、当時の道普請の記念碑だと思われますが、この登山道がいかに長い年月をかけてたくさんの人が歩いて来たかということを伝えてくれているようです。 午後からの雷雨予報が気になりますが、午前中は穏やかな天気に恵まれました。ただ知らぬが仏で、この時間帯に草津白根山の火山性地震が活発になっていたとのことです。私たちは次々と咲き誇る高山植物の花々に心奪われながら歩いていました。 オオシラビソやコメツガ、トウヒの森の小道には、モミジカラマツやツマトリソウ、ミツバオウレン、マイズルソウ、イワカガミ、ゴゼンタチバナ、イワナシ、クロウスゴ、コヨウラクツツジ、ツガザクラなどたくさんの花々が見られました。いよいよ芳ヶ平湿原に降り立つと視界が一気に開けて心が躍ります。ワタスゲの白い穂が緑の湿原に点々と散りばめられた様子が鮮やかに目に映りました。今度中学生を連れてガイドする下見を兼ねての研修会だったのですが、このような景色が楽しめることが出来るような天気になってほしいと思います。 湿原ではヒオウギアヤメやツルコケモモの花が咲き始めていました。モウセンゴケも蕾が見られるものもありました。野営場でお昼ごはんをゆっくり食べてから大平湿原へとオムスビ山を下ります。 少し笹薮が伸び始めていましたが、大平湿原を眼下に眺めての雄大な景色が開けて気持ちいいです。コメツガの森の林床にはギンリョウソウが咲き始めていました。 大平湿原まで下りた頃に雨粒がぽつりぽつりと落ちてきました。何度か遠雷も響いてきました。四つ角から池巡りをせずまっすぐ穴地獄へ下る道を選びます。結局本降りにはならず、穴地獄ではモリアオガエルの卵塊やチャツボミゴケの群生をゆっくり観察する余裕もあり、充実した研修会の一日でした。

野反湖から秋山郷へ1999年秋

「信州の秋山郷からこの地蔵峠を越えて上州の入山郷へ抜ける山道は俗にこれを牛道と称し、かつては越後から入山へ米を運搬するために牛を通したことのあるだけに、道幅も広く相当の往来もあったが、近年は碌々手入れもしないために熊笹の跳梁するところとなり、山慣れた人でなければ通過もなかなか容易ならぬ状態である。」(上信境の山々・中村謙著 地蔵峠越えより 昭和12年) おそらく昭和10年頃には、かつて盛んに使われていた道もかなり寂れていたようである。この道がもっとも繁栄を極めたのはいつ頃なんだろう。激動の明治維新の時代、幕臣小栗上野之介の夫人が政府から逃れるため、この道を通って越後へ逃げたという歴史がある。当時は、この道を「謙信越え」とか「越後新道」などと呼んだようである。「当時ようやく牛の通る程度(馬には通れぬ)に開かれたばかりで、・・・」とあるので、秋山への道が賑やかだったのは、それ以後の明治初めから昭和の初め頃までの期間だったに違いない。こんな山道を米を運ぶ牛が歩いたらしい。もっと時代をさかのぼって、鈴木牧之の秋山紀行では、「野反道」と出てくる。それからさらに、これより20年前、佐久間象山が鉱物探査のためにこの道を歩いている。1828年のことだ。どうやら昔からこの道は細々とあった。秋田マタギが狩猟をしたり、入山の木地師が木を探したりするために歩かれたんだろう。 野反湖を7時半に出発。日本海側は荒れ模様の天気ということで、風が強く寒い。こんな天気でも、白砂山へ登る人は結構いるもんだ。すでに登山口に二台、そして私たちと相前後して出発するペアが二組。しかし、秋山へは私たち4名だけのようだった。登山口からちょっと自転車を押し上げると、ハンノキ沢まで自転車に乗って下ることができる。しかし、体がまだ鈍っていて自転車のバランスがうまくとれない。冷や冷やしながら下る。ハンノキ沢から地蔵峠までは、担ぎである。フレームの三角に頭をつっこんでゆっくり坂道を登る。今年は紅葉が良くないようだが、野反湖の紅葉はそれでも今が盛りのようで、霧のベールから浮き上がるように樺の白い幹と黄色い葉が山肌を彩っている。強い風が吹くと、木々の露が雨のように散り、体を濡らす。いつもならこのつらい上りは汗で濡れるはずだが、今日は背中がほんの少し汗ばむくらいだった。8時半頃、地蔵峠に着く。 ここには小さな地蔵が安置されていて、言い伝えの記録がある。このお地蔵さんは、長野原の人が岩菅山へあげるためここまで背負いあげたのであるが、不思議なことにこの峠から先に進むと足が痛み出し、退くと即座に直るのでそのままここに置かれたという。背負いあげたとあるので、小さな地蔵といえども人力でここまで来たんだから大したもんである。穿った見方をすると背負ってきた人夫がもういやになってそんな話を作ったのかもしれないけれど、このお地蔵さんはこの場所がふさわしいと思う。かなり風化しているけど、赤い毛糸の上着や登山者のチョッキを着せてもらって、みんなから愛されているようだ。白砂に登るにしても秋山に抜けるにしても、なんだか御利益があるような気がするお地蔵さんだ。地蔵峠から北沢への道は、急な斜面を斜めに横切るように緩やかにつけられていて、つらい担ぎから解放される。この斜面は、残雪期の頃だと根曲がり竹も埋まりスキーでの滑降も結構楽しい。ただし帰りの登り返しはきつい。北沢は小さな沢。石伝いに渡って、ここで一休みする。最後に渡った家内は、石に足を滑らせ水の中にこける。この夏クワウンナイ川の沢登りでも滑床に足を滑らせてこけていたが、まったく危なっかしい。 さてここからつづら折りのつらい登りだ。身の丈以上ある根曲り竹が繁茂し、地形がさっぱりわからないほどだ。春、つづら折りを登りあげたこのあたりは雪原になっていてとても気持ちよいところなんだけど、春を知らない人には決して想像できないだろう。以前ベースキャンプを張って、存分にスキーを楽しんことがある。大倉山の南斜面はスキー向きのなかなかいい斜面だし、私たちは趣向を凝らして千沢へ滑り込んでみたり、大倉山の北西斜面をイタドリ沢めがけて滑ったりした。ほとんど水も涸れている荒戸沢を過ぎると、大倉山の西斜面をへつるように付けられた道になる。昔から左京横手と呼ばれているところだ。今日はガスで見えないが、晴れていれば時々野反湖を振り返ることができる。また、轟々と深い谷間を流れる千沢の滝を垣間見ることもできる。これもこんなに風がうるさい今日のような日では、滝の音も聞こえてこない。今日の私たちは、のんびりと話しなどしながら歩くだけだ。時々倒木が行く手を遮る。牛はどうやって通すだろう? イタドリ沢も何気なく通過してしまい、あとは西大倉山への登りだけだ。このあたりも春ならば雪原になっていて、テント張って2~3日のんびりしたいなと思うようなところである。しかし、今は根曲り竹が繁茂し、とてもそんなところだなんて想像もできない。西大倉山からは、待望の大倉坂のダウンヒルだ。大倉坂はダイグラと読む。曲折が多く、現在の地図では百八十曲りと書かれているが、古い文献寄れば百九十三曲りあると書かれている。タイトターンが好きなマウンテンバイカーにとっては、最高の道だ。おもしろいことにここからは、ブナを中心とした広葉樹の森になるが、あれだけ繁茂していた根曲り竹が少ない。ふかふかの落ち葉に敷き詰められたブナ林の中を、心まかせに自転車で下るこの楽しさは、なんと表現したらいいんだろう。九十九曲り目にツキガネ段という名所があるそうだ。撞鐘によく似た石があるというのだが、昔はここから渋沢へ下るルートがあったそうだ。 12時、奥州平と呼ばれる渋沢出合いに降りる。奥州平とはよく言ったもので、おそらくこのあたりで活躍した秋田マタギが由縁の名前だろう。鬱蒼としたブナなどの巨木の森で、森の臭いがぷんぷんする。昔入山の人が使っていた小屋が朽ちた姿でまだ残っている。屋根はしっかりしているので、泊ろうと思えば泊れるが、私にはその勇気はない。渋沢にかかる立派な吊り橋を渡ると、渋沢ダムがある。珍しくダムで何か作業をしている人が数人いた。風が強くあまりにも寒いので、避難小屋に入ることにする。 このバラックもかなり古くなっていて、隙間風がビュンビュン吹き、寒い。そんな小屋だが、シーズンにはかなりの釣り人が利用しているようだ。ノートには、釣り人の様々な想いが書き綴られていて、結構おもしろい。私もつまらないことを書き込んで、12時45分出発することにする。さてここからは、水平歩道を行く。渋沢ダムができる前はもちろん無かったので、右岸に道が付けられていた。しかし今はもう無いと思う。その痕跡を訪ねてみたいと思うが、ちょっとそれだけの気力はない。昔の文献からその様子を伺い知るしかないだろう。 「(奥州平の)営林署の小屋からは、ほとんど眺望のない、尾根がらみの道を、あるいは小尾根に登ったり、あるいは小沢に降りたりして四キロばかり進むと佐武流川のほとりに出る。これより約一キロ半登った三角点の1,631メートルの尾根上に1里地蔵とて高さ二尺ほどの石地蔵尊がある。ここまで達すると、まもなくして九十九曲りと呼ばるる急峻な坂道の下りにかかる。檜俣川を飛び石伝いに渡り、対岸に林道を求めてブナや川胡桃の林を穿行するうちに、いつしかエラ寝平とてエラの木の多い平に出て、まもなく佐武流山からの林道に合する。ここからドロ平を経て深沢の上流を渡れば和山はもう間近である。」 また、鈴木牧之の秋山紀行には、秋田マタギがこの奥州平から魚野川をさかのぼって、燕滝から小ゼン沢をさかのぼり草津へイワナや獣の肉、毛皮などを売りに行ったことが書いてある。まったく秋田マタギというのは凄い山の生活技術をもっていたんだなと感心する。またそのころ主に猟師や木地師を生業にしていたらしい入山の人の生活や方言なども紹介されているのが興味深い。 水平歩道は、昔の苦労などまったく感じさせないほどに、快適である。ただ魚野川の断崖の中腹に付けられているので、時々眼下に魚野川が切れ落ちていて、怖い。小さな沢を跨ぐとき、イワナが五~六匹走った。仲間と騒ぐ。どうやら今年の紅葉はここでも今ひとつだが、それでも見とれるほどのいい景色だ。二つ目のトンネルはやっぱり通行禁止だった。入り口に鍵がかかっていて、山越えの道がある。初めて来たときはまだ通れたのにな。どうも崩壊の危険があるようだ。ここを過ぎれば、また快適な道が続く。短いトンネルを二つくぐって少し進むと、ようやく水平歩道も終わり、魚野川に向かっての急斜面をつづら折りに下る。ここもなかなか手強いが、結構乗車できる。マウンテンバイカーにとっては、最後のハイライトだ。つづら折りを下りきり、高橋吊り橋を渡ると車も通れる林道に出る。切明までもうすぐだ。魚野川水平歩道はきわめて快適。

2025第1回ラムサール芳ヶ平湿地群お散歩ツアー5-24

4月23日が開通式だったのが、その数日前に大きな雪崩が起こって冬季閉鎖のままだった志賀草津道路。5月22日午前8時にようやく時間規制付きで解除されました。万座温泉周りでBCツアーをしたときに見た雪一色の景色も、1ヶ月でガラリと初夏の風景に変わっていました。→ シークレットkuniBC縦走ガイド2025-4-24 – 山雨海風のウラヤマな日々2 渋峠のスキー場はまだ営業していて、駐車場は満車になるほどにぎわっていました。気温は6度で、今日は真冬のような寒さ。お昼はいつもの風さんでゆっくりお蕎麦ランチです。窓から眺める風さんの広いお庭には、色とりどりな花が咲いていて目を楽しませてくれています。クリンソウが咲いていて、お客さんが喜ばれていました。 午後はチャツボミゴケ公園へ。新緑の中に咲き乱れるレンゲツツジと新緑にチャツボミゴケの蛍光グリーが映えて、とても綺麗でした。 ハート形のチャツボミゴケを見つけました。わかるかな・・・

2025白砂山登山道トレッキングガイド偵察5-23

白砂山でも今年は残雪が多い年であることを実感しました。5月下旬頃には雪渓が見られないような登山道にも雪が分厚く残っていたり、いつも遅くまで雪渓が見られるところは6月いっぱいは残りそうなところもありました。 稜線では雪解け一番に花開く高山植物が綺麗に咲き誇っていました。オオカメノキやアズマシャクナゲやナエバキスミレ、タカネザクラ、コヨウラクツツジ、シラネアオイ、ミツバオウレン、ヒメイチゲなどです。 群馬県側に雪庇が大きく張り出す白砂山頂上直下の稜線では、雪が土壌を侵食する力のすさまじさを感じさせる痕がいくつも見られました。 白砂川源流の雪渓がこんなに大きく残っているのも初めての光景でした。 山頂から周りの高い山々を眺めてみても、まだまだ雪山ばかりです。苗場山から神楽峰はスキーが楽しそうです。 帰りは八間山周りのルートで歩いてきました。途中でミツバオウレンの可愛い花の群落に出逢い、疲れが少し癒されました。

2025第2回ノゾリチャツお散歩ツアー5-19

1週間ぶりの野反湖ですが、かなり雪解けが進んでいる景色にびっくりです。今日は肌寒い天気でしたが、このところの雨や初夏の陽気のせいでしょうか。そしてシラネアオイも開花が始まっていました。これからたくさんの人に楽しんでもらえたらと思います。 シラネアオイを見た後、湖畔まで下りて散策も楽しみました。山にかかる霧のベールが幻想的です。湖を囲む岳樺の森の新緑はまだ始まっていませんが、いよいよこれから野反湖の風景は初夏へと移り変わっていきます。 チャツボミゴケ公園では、温泉沢沿いのレンゲツツジの花も1週間前よりもたくさん見られました。でもまだまだ見頃はこれからです。 雪崩で冬季閉鎖解除が遅れていた志賀草津道路も今日ようやく開通しました。でも当分の間は雪崩の監視をして危険が予想されるときは随時通行止めになるということです。こちらをガイドするラムお散歩ツアーが急遽開催不可になることがあり、そんな時はシラネアオイが楽しめるノゾリチャツツアーに変更させていただきます。

2025第1回ノゾリチャツお散歩ツアー5-12

第1回ノゾリチャツお散歩ツアーは、最高の大空に恵まれました。最初に訪れた野反湖畔にはまだけっこうな雪渓が残っていました。気持ち良い初夏の風を全身で感じながらのんびりお散歩するのは楽しいです。 お昼は野の屋さんでお蕎麦ランチです。今は山菜シーズンなので、舞天盛でも半分山菜の天ぷらにしてくれるサービスがありました。フキノトウとタラッペでしたが、きっと日によっていろいろ変わるかもです。 午後チャツボミゴケ公園へ移動する山道では、ヤマツツジが咲き始めていました。今週末頃見頃になる感じでした。そして穴地獄では温泉沢のほとりのレンゲツツジが、ちらほら咲き始めていました。 穴地獄の裏の池ではクロサンショウウオの産卵も終わっていました。モリアオガエルの鳴き声も時々聞かれました。

野反湖トレッキングガイド偵察2025-5-10

もう2週間以上前に、地蔵山付近で落としたカメラを拾ってくれた方がいてビジターセンターに届けておいてくれました。偶然見たSNS投稿に自分のカメラが写っていて、さっそく引き取るために野反湖へ出かけてきました。そのついでに野反湖畔を少し歩いてきましたが、春の兆しをあちこちで発見できて楽しい散策でした。 残雪は例年よりかなり遅くまで残りそうです。これから咲き始める春一番の花たちは、雪解けと同時に次々と咲き始めていくことでしょう。 野反峠の展望台から湖畔に降りていく途中で、タカネザクラの蕾が膨らみ始めていました。明後日のお散歩ツアーの時にはいくつか開花してくれそうです。落葉松の新緑も天気のいい日が続けば、来週末くらいに楽しめそうです。 あいにく霧が巻いて野反湖の景色は楽しめませんでした。霧のベールの向こうで釣り師が竿を振る音だけが湖の静寂を割って聴こえてきます。 今日の野反湖の気温は10度以下でしょう。歩き出した時はダウンと手袋がないと寒いくらいでした。丸山の急坂を登って正一小屋が見える山頂まで来たら、ようやく体があったまってきました。 野反湖を一周する湖畔道には5月いっぱいくらいまで残雪が見られることでしょう。特に西側は山陰になるので、雪渓が完全になくなるのは、今年は6月になるかもしれませんね。まして野反湖を囲む八間山や三壁山などは、6月になっても残雪で登山道がわからなくなって道迷いしやすい状態かもなので、初心者の方は注意が必要です。

中之条町・嵩山トレッキングガイド2025-5-5

山と高原地図浅間山の2025年度版から吾妻の山のコース紹介が新しく加わり、この嵩山ももちろん掲載されています。毎年5月5日の子供の日に嵩山祭りが盛大に開催されているということで、どんな様子か楽しみにしてやってきました。駐車場は大変混雑するということで、お隣の中之条ガーデンズからE-MTBでのどかな山里の新緑を楽しみながら正面に聳える嵩山へ。 嵩山登山口になる道の駅嵩山に近付くと、親都神社の祭典が始まっているようで、道の駅内にはいろいろなキッチンカーも立ち並び、これからいよいよたくさんの来場者で賑やかに盛り上がり始めた雰囲気が伝わってきました。観光協会の方も忙しく動かれていました。 今回は東登山道からスタート。チゴユリやジュウニヒトエの花が道脇にたくさん咲いていて和ませてくれます。途中から大天狗に行かず胎内岩コースに入りました。ここにも鎖場が待ち受けています。 そしてここを通過できるかどうか試されます。もし通過できない人は潔くあきらめて回り道コースを歩きましょう。ほどなく小天狗へと続く山頂部の稜線に上がると、あちらこちらでファミリーやグループ登山者の賑やかな話し声が聴こえてきます。まずは烏帽子岩と五郎岩コースへ。 新緑が始まったばかりの森の小道は、ヤマツツジやミツバツツジがちょうど見頃で目を楽しませてくれます。こちらのコースは登山者は誰も来なくて静かだったので、五郎岩でゆっくりとお昼休憩にしました。 昼食後、五郎岩から仰ぎ見た大天狗へ登りました。さすがにこちらは次から次へとたくさんの登山者が登るので、小さな山頂は順番待ちもあります。今日の子供の日は小さな子供たちもファミリー登山で登りに来ていて、キャッキャキャッキャと本当に賑やかで楽しそうでした。 大天狗の後、中天狗を周って小天狗へ。最後の見納めに小天狗から吾妻の景色を見渡します。まだ白い山並みの白砂山から上の倉山にかけての群馬県境稜線の山々は、上杉氏が支配する越後の国との境です。 左に目をやると吾妻谷の景色が広がります。さらに奥には浅間山があり、その向こう側は真田氏の居城、上田城のある信濃の国です。 道の駅嵩山には、無料で観覧できる忍者資料館がありました。吾妻には他にも忍者が活躍した山城のある里山がいくつもありますが、これらの山に登って戦国時代の忍者が見た山頂からの景色に思いを馳せてみるのも楽しいです。 トレッキングコース探査・嵩山2024-5-21 – 山雨海風のウラヤマな日々2