シーカヤックで奥尻島1周

奥尻にあの悲劇の大津波が襲ったのは、忘れもしない1993年7月12日。その前年に知床半島を漕いだ勢いで、いよいよ奥尻島へシーカヤックを持ち込んで1周する計画を真剣に練っていたからだ。東日本海フェリーに連絡を取って、6メートルあまりのカヤックの航送運賃の問い合わせをしていたら、大津波のニュースが突然入った。そして、3年後の1996年の夏、北海道へ一人で旅立った。

奥尻島北側にある、通称恐竜海岸を行く。

奥尻島北側にある、通称恐竜海岸を行く。

 瀬棚から奥尻島へわたる小さなフェリーの乗客達の雰囲気は、何かしらいい感じだった。奥尻島に対する特別な想いをみんなもっているのかもしれない。船内は道内の家族連れや職場のグループなど地元の人たちが多く、心地よい夏の海風を浴びて和やかな会話があちらこちらから聞こえてきた。景色がよく見える後部デッキの一番後ろのいすに座って、缶ビールを飲みながらいい気持ちでいたら、床にござをひいて宴会をしているおじさん達にからまれた。職場の慰安旅行で小樽から来たんだそうだ。船の揺れはほとんどなく、風が何とも心地よかった。もちろん気分良くからまれることにした。ビールだ酒だとたくさんすすめられたが、この後のことも考えると缶ビール一本で我慢した。同じ職場の女の子達はおじさん達から離れたところに逃げていて、時々おじさん達が呼ぶのに全然相手にされてないのがおかしかった。彼らはもう20年以上も前からの奥尻ファンで、奥尻の良き思い出話を興味深く聞かせてもらった。そんなことがあって、フェリーはあっという間に奥尻港に着いてしまった。奥尻島に着いて、まず近くのスーパーへ食料の買い出しに出かけた。ラーメンとかモヤシとかビールとかを買って港に帰ってきたら、同じように奥尻島を一周しようと準備している人たちがいた。札幌から来たシーカヤッカーの四人組で、さすがに奥尻の海のことは良く知っているらしかった。こちらは不安がいっぱいだったので、いろいろ質問すると有益な情報を惜しみなく教えてくれた。彼らの計画は回る方向が逆だった。彼らは時計回りだ。風向きを考えると反時計回りが有利だと思うが、あくまで時計回りで行くらしかった。やっぱり一人旅かとちょっと寂しさを感じたが、島の反対側のどこかでの再会を楽しみにすることにした。やがて札幌グループも出発し、こちらも午後遅くなって出発した。 たった一人の静かな出発かと思いきや、いつの間に現れたのか島のおばさんが一人、「気を付けていっておいで。」と笑顔で見送ってくれた。なんて人情のある島なんだ・・・

島の西海岸をのんびり進む。(1997年夏家内と2人で)

島の西海岸をのんびり進む。(1997年夏家内と2人で)

 港を出ると今までののんびり気分が消し飛んだ。追い風なのはいいが、かなりうねりが高い。小さなカヤックが前後左右と波にもてあそばれる。白波があちこちでたち、海岸には大きな波がぶつかって砕け散っているのが見える。はじめからこんなきびしい状況なんてとくじけそうになるが、乗り切る自信を奮い立たせなければならない。 とにかく島の北端に当たる稲穂岬までがんばればいいのだ。そこをかわせば、向こう側は風に遮られているので、一変して凪の海が待っているはずだ。距離は約10キロ。途中強い追い風を受けて、サーフィンのように海を走った。あまりの揺れように、船酔いをして気持ち悪くなった。2時間後無事に岬をかわして、のんびりと静かな海に浮かんでいた。
鏡のように真っ平らな海だった。もう夕方だから、今夜のキャンプ地をどこかに決めなければならない。沖から陸地を眺め、地図と相談しながら考える。この先は道が全く通っていない断崖絶壁が続く。だが1箇所小さな川が流れているキャンプに適した浜があるらしいので、そこまでがんばろう。まだ1時間は漕がなければならない。
大津波の恐怖の記憶がまだ消え去ることの出来ないこの島で、たった独りぼっちでのキャンプは本当に寂しいけれど、それもまた旅の醍醐味のような気がした。陽がまもなく沈もうとしている。まわりには漁師の舟は一隻もなく、静かな海の時間がゆったりと流れている。少しずつ海の大きな優しさに包まれるような、平和な気持ちになった。いつしか海と一体となる自分を感じた。キャンプ地は大きな玉石の浜で、寝心地が悪そうだったが、たった一人のプライベートビーチだ。豪華なリゾートホテルでなく、小さな古い登山用テントを張る。給仕に料理を運んでもらうのではなく、自分で流木を拾ってきて焚き火を始める。乾いた流木はいくらでもあった。メニューはステーキでもバーベキューでもなく、煮て塩をふっただけのジャガイモとモヤシを入れたインスタントラーメンだけど、充分豪華な食事に感じた。良い旅の一日は、こんなにも心を豊かにしてくれるのだ。静かな夕暮れで、少しずつ夜の帳がおりていく。いか釣船がたくさん出て、夜の海を賑やかにしてほしいと思ったけど、灯りが二つ見えただけだった。陽が暮れて食事を終えたらもう寝るしかなかった。

二度目の奥尻島一周の時は、 漁師さんが「好きなだけやる。」と、採ったばかりのウニをカヤックの私たちにどっさりくれた。

二度目の奥尻島一周の時は、
漁師さんが「好きなだけやる。」と、採ったばかりのウニをカヤックの私たちにどっさりくれた。

 翌朝は夜明け前の三時に目が覚めた。すぐにラジオをつけると、どこかで地震が起こったらしい。一瞬どきっとするが、東北の方で起こったらしい。津波の心配もないと報じているので安心する。そういえば、ゆうべはずっと夢の中で何となく津波の恐怖を感じていたような気がする。しかしそれとは関わりなく朝の三時に起きるのは、北の海でのシーカヤッキングの旅の習慣である。なぜなら、だいたい海が一番穏やかなのは朝だから、早起きは、安全な海の旅を続ける掟みたいなものなのだ。他のアウトドアの遊びもそうだが、シーカヤッキングの旅は特に「風と波」という厄介な自然条件に行動が制約されやすいから。夜が明けるまでラジオを聴きながらコーヒーを飲んでゆっくりと過ごす。やがて白々として夜が明けてくると、どうやら今日も海が穏やかそうだ。夜が完全に明け、簡単な朝食をとると、すぐに釣り竿をもって沢に出かけた。まさに海に流れ込もうとする流れの中を覗くと、稚鮎がたくさん泳いでいる。餌になるような虫を探しながら上流へ歩いていく。流れの中をパニック状態になった稚鮎が逃げまどう。地面に落ちている腐りかけた葉っぱの中にいるダンゴ虫を針につけて、小さな滝壺に竿を出す。ダンゴ虫なんて餌にしたのは初めてだが、すぐに重い感触。そして右に左にと竿が翻弄される。しばらく強い引きに耐えてから、慎重に浅瀬に引きずりあげた。太ったアメマスだった。

 この静かな浜の前の海も、ひととき賑やかになった。朝の五時からウニ採りの船がたくさんやって来て、漁をしていたのだ。しかし八時になると一斉に帰ってしまい、また静かな海に戻った。少しうねりが出てきたが、幌内へ向かって旅を進めることにした。しばらくは人気のない海岸を行く。やませの影響だろうか、沖を進むと強い出し風を受け、船のバランスが崩される。出し風というのは漁師にとってもくせ者で、沖へどんどん流されるので、この風が強く吹くところは難所として恐れられる。こんな時は陸伝いに漕ぐ。波は高くないが、前後左右から気ままに吹いてくる突風に十分弄ばれた。一時間半ほどで、幌内に着いた。キャンプしながら海水浴をしている人たちが数グループいたが、なぜか寂しい感じがした。ここには温泉旅館があったはずだが、主人のいなくなった建物は大津波でやられたそのままになっていた。今は廃墟と化してあのときの大惨事をそっくり残している旅館の前で、寂しさの理由を一人納得した。どんよりとした曇り空、来そうもないお客を待つバス、お葬式のお知らせをけたたましく響かせる防災無線、何だかここだけ時間が止まっているように感じた。カヤックに乗り込み海に戻ると、太陽の光が射してきて明るい気持ちになった。神威脇をめざす。 

1997年の夏、家内との2度目の奥尻1周も楽しい旅だった。 

1997年の夏、家内との2度目の奥尻1周も楽しい旅だった。

 神威脇の小さな港にはいると、すぐに札幌のシーカヤッカーの人たちが休んでいるのが見えた。めでたく再会できたのだ。お互いに昨日からの旅の様子を語り合った。今日はここでキャンプしようと決めていたので、出発する彼らをまた見送ることになった。彼らは昨夜の私のキャンプ地をめざした。ここは何軒かの民宿がある小さな集落だけど、公衆の温泉浴場があるのだ。近くの雑貨屋のおばさんに、海岸でキャンプすることを頼むと、浜の水道も自由に使っていいよととても親切だった。まだ昼間だけど、さっそく一風呂浴びてビールだ! 夕食は、朝釣ったアメマスのムニエルだ。もうこれだけでお腹いっぱいになってしまった。

 三日目の朝、近くの民宿に10日間も滞在している内地からの奥尻大好き旅行者に見送られて出発する。少し風があって波もあるが、ウニ採りの船が出ているので迷いはない。
今日は1番の難所である青苗岬を越えなければならない。札幌のシーカヤッカー達からも結構厳しいと言われていたので、自信がなければ旅を中断しよう。いつでも旅を終えることが出来るのが、ファルトカヤック(折り畳み式のカヤック)のいいところだ。無理をしなくても済むというのは、心の余裕をうみ、安全な旅につながると思う。途中ウニ採りの漁師に会釈したら、「この先に出し風が強いところがあるから、陸伝いに行きな。」と教えてくれた。やがて今まで海岸に沿ってあった道路がなくなり、無人の海岸が続く。穏やかな波が打ち寄せる海岸にカヤックを着けて、遅い朝食にした。食事を済ませ、海岸にすぐ迫ってきている草原状の丘に登ってみた。今までカヤックからの低い位置からしか海を見ていなかったので、陸の上からの海の景色は、とても解放感にあふれ新鮮な気がした。
いよいよ青苗岬を越える。岬の西側は、真新しい防波堤や小さな港が出来ていた。海草がびっしりの遠浅の海で、べた凪だったが、岬の東側に回り込んだ途端状況は一変した。向かい風と高い波がカヤックを襲う。全力で漕ぐ。いくつもの荒波をかわす。そんなこちらの苦闘なんて想像もできないであろう防波堤の釣り人を目印にして、力一杯パドリングをするが、いっこうに前進していないのがわかる。1時間近くパドリングの力を緩めず、漕いで漕いで漕ぎまくる。やっとのことで港に入り込み、1番奥にあるスロープにカヤックをつけたときは、くたくただった。青苗地区は見事に復興していた。知らないでここに来た人は、なんにも気付かずに通り過ぎてしまうだろう。旅を中断するどころか、岬を越えた勢いで今日中にスタート地点である奥尻港までがんばることにした。昼飯を食べて休憩した後、また出発した。長時間のパドリングで、背中がきりきりと痛んだが、無事夕方にゴールした。今晩はフェリーターミナルのある港でキャンプしようと思っていたら、島の観光協会の人がやってきて、「ここでキャンプするなら、隅っこの方で自由にしていいよ。」ととても親切にしてくれた。近くのおみやげ屋のおじさんも親切にも公衆浴場まで車で送ってくれる。そして、見ず知らずの旅行者に、「災害に見舞われたときは、全国のみなさんからの大きな支援ありがとうございました。」と車の中で感謝してくれた。全国からの支援活動が、奥尻の人たちにとって大きな力になったんだなと感じた。子供達と募金活動をしてささやかな義援金を奥尻町役場に送ったのを思い出した。 風呂から戻ると、札幌のシーカヤッカー達に再会した。お互い逆回りで一周したのだ。その夜楽しく札幌の人たちと、話し込んだ。

 四日目の朝、島を離れるフェリーに揺られながら、今度は家内を連れてきて時計回りで島を一周してみたいと、新しい旅への想いが膨らんでいた。

ということで、翌年も反時計回りで家内とタンデム艇で1周しました・・・

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