
最北端の町、稚内の先に位置する野寒布岬は、夏休みとあって朝からたくさんの観光客が訪れている。岬の水族館の裏はひっそりとしていて、私は牛乳を飲みながらぼんやり海を眺めていた。穏やかな海で、昆布採りかウニ採りの小舟が何隻かすぐ近くに浮かんでいた。天気は良かったがサハリンは霞んで見えなかった。今日の午後、羽田から飛んで来る家内と稚内の空港で落ち合い、礼文島に渡る。かつて知床を旅した仲間も一緒だ。
背後から突然、「サハリンに渡るのか?」という声に驚かされる。振り向くとネッカチーフを頭に巻いた散歩中らしいおばあさんだった。カートップしているダブルのシーカヤックを見て声をかけてくれたんだろうけれど、あまりにも素っ頓狂なことを言う。でも内地の私たちが感じているほどサハリンは遠くないのだろう。特におばあさんたちの世代は、直接関わりがあったかも知れない。午後、友人や家内と無事に空港で落ち合うことができ、そのまま礼文にフェリーで渡ってカモメという宿に泊まった。

昨夜から雨が降り始めた。夜半ときおり激しく降ったようだ。今朝はもうやんでいたが、ニュースでは、宗谷地方に大雨洪水警報が出たと報せた。シーカヤックを置かせてもらっているフェリーターミナルに行ってみると、荷室に入れてあった寝袋が大雨にうたれてびしょ濡れだった。北風が強く、港の防波堤の向こうに、白波のたった荒れた海がちらりと見える。とりあえず出航の準備に取りかかった。そのうち大雨洪水警報は解除されたが、何となく気の重い出航準備だ。何人かの漁師に海の状況を聞いたが、途中厳しいところがあって、そこはあんたたちの船では難しいと口をそろえて言われた。当然今朝は昆布採りの舟も出るはずがなかった。
体がなまってしまいそうで、昼近く出発してみた。しかし案の定、強い風と大波で港から外には出られなかった。午後気晴らしに、高山植物で有名な桃岩へハイキングに出かけた。その帰り、少し穏やかになった海岸では、大勢の老若男女が海岸で何かを採っていた。少し興奮気味な様子だ。どうやら昨夜の暴風雨で岸にうち寄せられた昆布を採っているらしかった。この日は港の隅っこにテントを張り、生乾きの寝袋にくるまって明日の天候が良くなることを祈りながら眠りについた。

翌日私たちは、三時起床の五時出航で、難なく島の南端をかわして桃岩を望む穏やかな海を北上していた。もちろん昆布採りの舟もたくさん出ていて、忙しく漁をしていた。昆布採りは今が最盛期だ。漁師にとって、漁ができる日は猫の手も借りたいくらいに忙しい。朝の五時から八時までが漁のできる時間と決まっていて、その三時間が漁師にとって真剣勝負の時だ。漁が終わると、浜でおかみさんが待っていて、採ってきた昆布を丁寧に干す。一家総出で、子供も手伝いをさせられる。雨が降ってきでもしたら、せっかく干した昆布が台無しだから、天候にも気を使わなければならない。のんびりと漁をしているわけではないのだ。
礼文滝を過ぎて、八時前に宇遠内に着いた。ここには何軒かの番屋があって、私たちは休憩をすることにした。素朴な船着き場がある小さな入り江には、ウニがびっしりついている。浜辺では今揚がったばかりの昆布干しの作業が、忙しく行われている。何軒かの番屋は、ハイキングコースの途中でもあるので、昆布漁だけでなく売店や民宿も営んでいる。自然条件があまりにも厳しいであろう、最果ての今にも朽ち果てそうな建物の売店には、人の気配がなかった。私たちの様子に気付いてくれたのか、昆布干しのおばさんがすぐに忙しい手を休めて後ろから愛想良く声をかけてくれた。缶飲料と菓子で簡単な朝食にする。計画ではここでテントを張ってのんびりしたかったが、どうも今日のような穏やかな天候が明日も続きそうにないようだったので、先を急ぐことにした。
お昼前に小さな漁港のある西上泊に着いた。途中、漁が終わって帰る途中らしい舟が私たちのところへ寄ってきて、眠り舵の舟に気を付けろと注意して去った。漁師は朝早いから、まれに居眠りをしながら舵をとって事故を起こすことがあるというのだ。そんなことを言われるとすれ違う舟全部が眠り舵なんではないかと、心配性になってしまう。案の定午後からどんどん南風が強くなって、とても出航できるような海ではなくなってしまった。昨日の朝のように強風が吹き、白波がたっている。穏やかな海は半日しかもたなかった。今日はここでテントを張ることにした。生乾きのままの寝袋を干すことにした。

海のコンディションをもっとも大きく左右するのは風だ。無風状態というのは滅多にない。だいたいどちらからか風はあるもので、少し強ければ波が立つ。島の場合、陸風が吹く海岸は島の影で波が穏やかだが、海風が吹く海岸は荒れる。ところによっては陸風でも、出し風といって強風が吹く難所もあるが。例えば、寿都とか知床のルシャとか・・・ だからシーカヤックで島を一周する場合、最初から最後まで穏やか海だけを漕げるなんてことはまずない。自然の優しさだけでなく、厳しさも味わわされる結構ハードな旅になることが多い。
翌朝よく晴れたいい日だったが、風が強くとても出航できるような海ではなかった。私は家内は五キロ離れた船泊の町まで歩いて遊びに行くことにした。スコトン岬に守られた船泊湾は、鏡のように穏やかな海だった。なんと恨めしいことか。小さな船泊の町は、大して見るものもなく、昼飯を食べて戻った。
午後少しずつ海が穏やかになってきているようだった。友人が漁師に聞いたところでは、だんだん良くなるという話だったので、出航することにした。穏やかにはなってきたが、海に出るとまだまだうねりは大きかった。澄海岬を越えて風下にまわるといったん海は穏やかになったが、ゴロタ岬に向かうとうねりはまた大きくなった。ゴロタ岬まで二キロ以上離れているが、岬にぶつかる白波がはっきり目視でき、その凄さがわかる。さらに厳しそうだ。礼文のある漁師が、「荒れた海は山より怖い」と私たちに忠告した。礼文の漁師は、いつも厳しい態度で私たちに話をした。
私たちは、このゴロタ岬を越えることでかなり鍛えられた。冬の厳しい北西風にさらされた海岸線は、礼文でも有数の美しさだったが、とても楽しむ余裕はなかった。しかし充実した海旅であると感じた。最も心配していたスコトン岬は、ゴロタ岬を越えてきた私たちにとっては大したことはなかった。さらにスコトン岬からは、うって変わって鏡のような海に変わり、穏やかな船泊湾を数え切れないほどあくびしながら、ひたすら漕いだ。ちょうど夕日が沈む頃、船泊のキャンプ場に着いた。

天気予報では、明日からまた天気が悪くなって来るというので、私たちはいつものように三時起床五時出航で、行動することにした。早朝の船泊湾は、静寂の海だった。金田岬を越えると、利尻が姿を見せた。ここからは島の東海岸を南下することになるが、向かい風に悩まされる。少しずつうねりも大きくなり、沖に流されないように漕ぎ進む。途中上陸した港で、老いた漁師が「どこから来た?」と話しかけられた。昨日ゴロタ岬を越えてきたと答えると、私たちを海の男の端くれとして扱うような、温かい口調で助言してくれた。「この風が吹く時は、ここらが一番荒れるんだ。こんな時は陸すれすれに行け。」と。
進むに従いさらに向かい風が強くなり、スピードが落ちていく。しかし漁師の助言と利尻島の雄姿に励まされ、お昼に礼文島一周の旅を終わらせた。
1996年8月17日~21日
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