シリ・エトクへ(大地の果てるところ)

知床半島は世界遺産になる前に2度シーカヤックで旅をした思い出があります。1度目は1992年夏に羅臼側の相泊から宇登呂まで、ノロゲンゲ同人の2人の仲間と家内の4人での1週間近くかかったキャンプツーリングでした。相泊を出発する日天気が悪くて1日停滞。2日目ようやく天気が回復して出航。ペキンの鼻付近の番屋の近くで野営。3日目知床岬。4日目アウンモイ番屋でお世話になりました。5日目は岩尾別河口まで。6日目、宇登呂に無事ゴールしました。
2度目は1998年夏です。1度目と逆コースで、宇登呂から羅臼側に回る予定でスタート。1日目は6年ぶりのアウンモイ番屋で野営。番屋の皆さんは私たちのことを憶えてくれていました。2日目は、同じくカヤック旅をしていた2人組と仲良くなって、知床岬で野営。3日目、羅臼側は天候悪化の影響で波が高そうということになり、宇登呂にまた戻ることにしました。またまたアウンモイ番屋で二晩もお世話になりました。さすがに5日目は波が高かったですが頑張って宇登呂まで無上陸で漕いで、無事ゴールしました。
Ⅰ 旅のはじまり

知床半島の西の玄関口であるウトロを朝早く出発した。プユニ岬からカムイワッカの滝まで厳しい自然に磨かれた荒々しい断崖の海岸が続く。海の色は一言では表現できないブルー。小笠原でも佐渡でも豊後海峡でもない、知床のブルーとしか言いようがない。とても冷たくて泳ぐ気なんて起こらないが、北の海流にのってやって来るこの青い海こそ、知床のすべての生き物の母だ。
カモメなどの海鳥のけたたましい鳴き声が、断崖に囲まれた入り江に響き渡る。そう、ここは海鳥の楽園。気をつけなければならない。頭上を飛び交うカモメからいつ爆弾(くそ)が落ちてくるかわからないのだ。私たちは、おそるおそる断崖に彫り込まれた洞窟にカヤックごと入り込む。入り口はカヤックがやっと通れるくらいだが、中は6メートルあまりのカヤックが方向転換できるくらい広い。ちょっとした探検気分に満足した。
Ⅱ 野生

カムイワッカの滝を過ぎると、背後に濃密な森を従えた玉石の海岸線に変わる。なんと野生の臭いがすることか。ヒグマが出た!なんと2度も。最初の親子連れは、子供を先に逃がせて悠然と母熊も森に消えた。次の熊は、はじめは音もなく近づくカヤックに気づかないで海岸の草を食べていた。やがて気が付くと、しばらく私たちの様子をうかがうようにしながら、やっぱり悠然と森に消えた。濃密な森に覆われたこの大地は、知床のすべての生き物の父だ。
Ⅲ 番屋

知床にはいくつもの番屋がある。夏から秋にかけてカラフトマスや鮭を捕ったり、ウニや昆布を採ったりするために、漁場の近くで漁師が生活するためにあるのだ。私たちは、6年前に世話になったアウンモイの番屋を訪ねた。船頭さんたちは、私たちのことを良く憶えていてくれて、また快く迎えてくれた。
アウンモイの番屋は他の番屋とちょっと違う。断崖絶壁にえぐられた小さな入り江にへばりつくようにあるのだが、正面に切り立った小島があり荒海から入り江を守っている。それはまさに天然の要塞である。ひょっとしたら気付かないで通り過ぎてしまうカヤッカーも多いだろう。
漁師は、7月になると漁場に網を張るために、ここへやって来る。8月のはじめの今頃は、マスが少しやってくる程度でまだのんびりしているが、鮭の捕れる頃になるともっとたくさんの漁師がここにやってきて、大忙しになる。11月頃になると海の荒れ方も今よりもっと凄いから、漁師の仕事は死と隣り合わせといっても言い過ぎではないと思う。
そういえば前回の時はマスが初めて捕れたお祝いの日で、チャンチャン焼きをごちそうになった。今回も漁師達の家族が遊びに来ていて、夜の豪華な宴会に交ぜてもらった。チャンチャン焼きはもちろん、たこ、うに、ヒラメ,鹿・・・
私たちはなんと図々しい旅人か。
Ⅳ 岬

二日目の昼、私たちは岬に上陸した。岬には私たち三人以外誰もいなかった。知床岬らしい強い風が、台地の草原をなびかせていた。シリ・エトクとはアイヌ語で、大地の果てるところと言う意味がある。とうとう、また、こんなところまでやって来てしまった。岬の沖には強い潮のぶつかり合いがあった。岬というところは、潮と風が渦巻き合ってあたかも全身に血液を送り出す心臓のように、海のパワーの源だ。いろんな岬をかわしたが、特に知床岬から生み出されるエネルギーは、並ではないだろう。三人はそれぞれの想いを抱いて、しばらく静かに、岬の時間を過ごした。
Ⅴ 文吉湾の愉快な仲間達

漁師はカモメのことをゴメと呼ぶ。断崖絶壁に無数の巣があるが、文吉湾では沖の防波堤に巣があった。陸から行けないので、狐にやられることはないけれど、気をつけないといたずら好きのカヤッカーにやられるよ。
2日目の夜は岬近くの文吉湾にキャンプだ。番屋のおじさんに断りを入れると、「ついこないだまで、よく熊が遊びに来てたべよ。」と、私たちをビビらせる。青ざめる私たち。「でも今は鹿がよく来てるから、熊はこの辺にはいねえべ。」と安心させてくれる。でも怖いなあ。食料は、テントから出しとこ!

私たちがのんびりしてると、ピーター達もやってきた。ピーターと辻ちゃんは、昨日カムイワッカの滝の近くの入り江で友達になったカヤッカーだ。焚き火の煙が沖から見えたので行ってみたら、朝漁師がくれたんだと言って、ウニやらマスやらの炭火焼きをごちそうしてくれた。昨晩は一緒にアウンモイの番屋に泊まり、昼間は別行動。彼らは少し戻って、カシュニの滝でカヤックごと滝の水を頭からかぶってきたそうだ。あの水量と落差の滝の水なんて、なかなか豪快だろうな。ピーターはジャズドラマー。港からがらくたのバケツを拾ってきて、スイングする。忘れちゃならない愉快な仲間、番屋の犬、チャッピー!
翌日の別れの日、寂しくなるから行かないでくれと、私たちを名残惜しく見送ってくれた。
Ⅵ オキッチウシ川

私たちは予定を変更して、ウトロに戻ることにした。またまた図々しくもアウンモイの番屋を訪ねよう。途中オキッチウシの沢が流れ込む入り江に上陸した。今までで一番天気も良く波も穏やかな一日となり、私たちは心ゆくまで知床の夏を楽しんだ。この素晴らしい大自然を、いつまでも壊さないようにしていきたい。
Ⅶ 漁師体験

一日おいて番屋を訪れたら、お客さんである漁師の家族達も帰ってしまい、何となく寂しい雰囲気だ。まだ網をあげる時期ではないので、朝と夕方網を見回るくらいで、のんびり気分だ。二晩お世話になって、最後の日の朝、船頭さんは私たちを船に乗っけてくれた。カラフトマスや鮭を捕る定置網の様子を見に行くのと、スロープの補修のための砂利を採りに行くためだ。海は少し時化ていて、私たちは必死に船縁にしがみつく。海の男は、どんなに船が揺れても、しぶきがかかっても、平然と煙草を吸っていてかっこいい。

Ⅷ またいつの日か・・・
5日目の最後の日、海は時化気味だったが、これ以上アウンモイの漁師さんに甘えるわけにもいかないので、ウトロに向けて旅立った。観光船は欠航のようだ。昨日とは違い、上陸できるところもなく、ひたすら漕いだ。夕方ウトロに着いたときは、くたくただった。相棒が無事着いたことを、心配してくれているアウンモイの漁師に連絡した。
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