December 27, 2023

2004GW黒部源流BC 2日目

2004年5月2日(2日目) 太郎小屋~北ノ俣岳~黒部五郎岳~五郎沢~源流出合~鷲羽乗越~弥助沢~樅沢~双六山荘 朝食をしっかりとって、7時前に小屋を出発した。今日も絶好のツアー日和だ。弁当をたのんで早立ちしたパーティーがあるようで、すでに北ノ俣岳近くの稜線には、いくつもの登山者の点々が認められる。北ノ俣岳方面へ縦走する人は、おそらくほとんどが黒部五郎小屋や双六小屋を目指す人だろう。先になったり後になったりしながら、これからの長い稜線を行くことになるだろう。1時間ほどで北ノ俣岳山頂に着いた。さっそく空身になって、薬師沢源頭の大斜面を一本滑り、昨日滑れなかったうっぷんを晴らす。もっともっと滑り降りて、源流の出合まで行ってみたいが、そんなことを考えれば人間の欲望は際限がないので、いい加減にしておかなければならない。 北ノ俣岳を越え、黒部五郎岳へと続く稜線を斜滑降で進む。今日の稜線伝いもウロコ板は快調に歩を進めることができる。何といっても、ささやかな下りをテレマークターンで滑ることができるというのがうれしい。シールを貼ったままの板では、そうはいかない。黒部五郎岳直下の急斜面に取り付くまで、そのような場所がいくつあったろう。 陽射しはあるが、風は昨日より冷たく頬に気持ちいい。遙かな山並みの向こうに、白山が勇壮に聳えているのがはっきりと見える。日程の都合で参加できなかった仲間の一人が、今日はその白山に登っていることだろう。 赤木岳をトラバースして、中俣乗越を過ぎ、いよいよ黒部五郎岳直下の急斜面では、板を脱いでつぼ足にせざる負えなかった。雪は以外と堅く、途中からシールの板も難しそうで、全員がスキーを担いでつぼ足になった。左足下には、山頂から馬沢への大斜面が広がっていた。ここもいつか滑ってみたいなあと思う。 11時頃、黒部五郎岳山頂に着く。途中一度遊んだだけなのに、やはり意外と時間はかかるものだ。360度さえぎるものもない大パノラマ。北アルプスの盟主ともいえる槍ヶ岳がはっきり見える。大きくえぐり取られたかのような大カール側には巨大なセッピが発達していて休んでいる場所もあまり安心できない。風も冷たく、せっかくの山頂だが、記念写真を撮って早々に出発することにする。 山頂から北方稜線をやや下り、大カールの北端から滑り降りる。雪が腐っていて、急斜面なので滑り辛い。だんだんと斜度が緩み始めると、気持ちよくテレマークウエーデルンでスピードを上げる。カール下端の大岩で大休止とした。私たち以外のパーティーはカールを途中からトラバース気味に黒部五郎小舎へ向かっていた。 ここで、進路の大きな決断をする。この大岩から広がる五郎沢の大斜面を前にして、三俣蓮華岳へと進んでこのまま素通りすることができようか。黒部五郎乗越から三俣蓮華岳への登りを考えれば、この五郎沢を源流出合まで滑り降りて、源流を遡って鷲羽乗越へ向かうのもそれほど遠回りではないのではないか。樅沢の標高差500mの登り返しはきついが、鷲羽乗越から弥助沢の標高差500mの滑降も楽しめる。双六小屋には日没までになんとか辿り着くことは出来るだろう。私たちは、ほとんどのパーティーが選ぶ三俣蓮華岳への稜線ルートを変更して、この五郎沢を滑ることを選んだ。 五郎沢の広大な斜面は、適度な斜度で本当に気持ちいい。やがて漏斗状になって、源流出合に降り立つまでは、今回の山行のハイライトな時間だったに違いない。 ここにやってくるまで1日半もかかったが、それだけに今までに味わったことのない山々の存在感を感じることができる。昨日神岡新道を歩き始めた時点で、そのような気分にはなっていたが、ここにきて私は確信した。野反の山々から黒部の山々へと、自分の山の世界観が新しく広がっていくようだ。永遠に続くかのような五郎沢の大斜面を滑り、雪渓の切れ目から清冽な水がほとばしる黒部源流を登り返し、周囲の名だたる山や谷を眺め回しながら、別天地のような黒部源流域の美しさにとにかく圧倒された。 源流出合から鷲羽乗越への登り返しは2時間ほどかかった。ここでもウロコ板は快適だった。流れはかなり上流まで行かないと雪渓の下にはならないが、広々とした谷なので困難な場所は全くない。雪渓上には、私たちと逆ルートのパーティーのシュプールが残されていた。三俣蓮華岳の北側にある沢筋の急斜面を滑り降りてきたらしい。またさらに進むと、源頭の二股にはテントがあって、彼等と挨拶を交わした。2泊して、この辺りを滑りまくると話していた。とてもうらやましい気もするが、明日から天気が崩れることがわかっているので、そのように思い通りにはいかないのではないか。しかし彼等も怪訝に思ったことだろう。こんなに遅い時間に我々の前を通り過ぎて、日が暮れるまでに双六小屋にたどり着けるのだろうかと。 岩苔乗越からの大斜面や祖父岳の急斜面にも、シュプールがつけられていた。祖父岳を登って雲ノ平へ足を伸ばしてみたら、もっともっと楽しいだろうなと思いながら、やっとのことで三俣山荘に辿り着く。時刻は3時半を回っていた。ゆっくりはしていられない。早々に弥助沢を滑り降りることにする。 弥助沢の本筋より一本西の小沢を滑る。弥助沢本筋には鷲羽岳からのシュプールがあった。標高差500mはあっという間だった。樅沢の出合午後4時。6時まで2時間あるので、この標高差500mの登りは何とかなるだろう。例年になく少雪で、樅沢を遡ってすぐ、小滝が雪渓から割れて出ていた。先行者の足跡に従って危なっかしいスノーブリッジを渡り、難なく越えることができた。 谷間は日も陰り、ただ黙々と登る。途中でウロコ板では歯が立たない斜度になったので、つぼ足に切り替える。予定の6時を数分過ぎて、双六小屋に無事到着した。小屋のある稜線には濃いガスが立ちこめ始め、雷鳥たちが盛んに活動していた。

2004GW黒部源流BC 1日目

黒部五郎岳の頂に立ったとき、別天地のような黒部源流域の美しさに息を飲んだ。永遠に続くかのように見える五郎沢は、山スキーヤーあこがれの地だと思った。そして雪渓の切れ目から清冽な水がほとばしる黒部源流を登り返し、周囲の名だたる山や谷を眺め回しながら、これまでとは桁外れの大きな山スキーの世界が広がっていくのを実感した。 2004年5月1日(1日目) 飛越トンネル~寺地山~稜線~太郎山~太郎平小屋 神岡新道の登山口は苦い思い出がある。というのも、以前避難小屋泊で北ノ俣岳スキー登山した際に、車上荒らしにあった経験があるからだ。下山後車を走らせて、「さあ温泉だ!飯だ!」って悠長な気分に浸っていたのもつかの間、一人が財布に入っていたお金から札だけがないと言い出したのだ。「ほんとか?」というわけで、車に財布を残していた全員が中身を調べたら、三台の車全部の財布から札だけが抜かれていたのである。車の様子はまったく変わりはなかった。車上荒らしの犯人は、その夜は帰ってこない登山者達だと知っていて、夜中に悠々と泥棒を働いていたに違いない。 2004年GW後半の初日は、素晴らしい五月晴れだった。飛越トンネル手前の車道は、入山者の車でひしめき合っていた。ザックは、できるだけ軽くしたつもりでも、肩にズシッとくる。これから北ノ俣岳直下の稜線まで、標高差1000m以上の登りが待っている。心なしかその重圧を感じながら、私たち夫婦と山仲間の総勢4人で車道をのたりのたりと歩き出す。 トンネル入口左側の登山口から登らず、小沢を挟んだ右側の斜面からつぼ足で取り付く。こちらの方が近道だが、神岡新道のある稜線に這い上がるだけで、大汗をかく。ほんとうに今日は日焼けが怖ろしいほどの上天気だ。ここからスキーをつける。緩い登りならシール要らずのウロコ付きテレマークスキー板は、強い陽射しでいい感じに融けたザラメ雪に良く喰い付いてぐんぐん登る。神岡新道は、寺地山の先の避難小屋までアップダウンがいくつも続くので、どうやらこのウロコ板を選んで正解だったようだ。 テレマークスキーというのは、昨今様々な種類のテレマーク板やブーツが売られていて、雪質やツアーコースなど用途によって、その性能をどのように引き出すかというところが面白いように思う。先週までは、短革靴にダブルキャンバーの細板で、尾瀬の至仏や野反の山々を軽快に滑り歩いた。しかし、北アルプス級の山となると、そのような道具ではやや頼りない気がして、シングルキャンバーでやや幅広のウロコ付きの板にプラブーツにした。プラブーツにしたのは、革靴だとどうしても靴の中が濡れてしまい、泊を伴う山行では不快だからだ。樹間を縫って登ったり滑り降りたり、面白いように先を進む。 ようやく辿り着いた稜線からは黒部源流の山々が一望できる。これから向かう太郎平小屋は、薬師岳のどっしりした山体の左下に、目を凝らさないとわからないほど小さな点である。振り返ると、明日の長い行程である黒部五郎岳や三俣蓮華岳への稜線が続く。時刻は4時を回っていた。歩き出しが9時半だったから、ここまで6時間半もかかってしまった。 午後5時過ぎ、太郎平小屋に到着した。小屋に入って、今夜の寝場所である蚕棚の下段に荷をほどき、すぐさま外に出て薬師岳を眺めながら、みんなで入山祝いの乾杯をした。5月ともなると陽も長くなる。日暮れまでまだ十分余裕もあり、ゆっくりやっていたので、小屋に戻るとすでに夕食が賑やかにはじまっていた。 2日目に続く