2023

利尻島自転車1周反時計回り

2011年4月8日 利尻島滞在5日目は、マウンテンバイクで反時計回りに1周。ほぼ海岸沿いに約60km。のんびり気ままに寄り道しながら走った。第1の目的はポンモシリ島でアザラシ君を発見すること。出発してさっそくに観察したけど、岩場で寝そべってたりすると保護色でわかりずらいらしい。一生懸命目を凝らして探しても結局見つからなかった。第2の目的は、利尻町立博物館の見学。この時期は閉館しているらしいが、Kさんが連絡してくれて私達のために開けて待っててくれるということだ。ちょうど島の反対側の仙法志まで飛ばす。 沓形と仙法志の間は、海岸線ギリギリに道が走っている。海岸に打ち寄せる大波に漁師が腰まで入ってコンブ拾いをしていた。素人の私達から見ると、かなり命がけの仕事である。江戸時代あたりの地図にはこの辺りだけ道が描かれていなかった。船を付けるような入り江に乏しく、利尻では一番自然条件が厳しくて最後まで人が住みにくいところだったのかも知れない。 11時頃、仙法志にある利尻町立博物館に到着。自転車漕いで体が汗ばんでいたので、汗が冷えて震えがくる。すると博物館の係の人が親切にも石油ストーブを持ってきてくれる。ストーブにかじりつきながら、書棚にあるおもしろそうな本をいろいろ閲覧させてもらった。 利尻島にはセイコマートが3軒ある。鴛泊、沓形、鬼脇とちょうどよい間隔にあって便利である。鬼脇のセイコマートでカップ麺とおにぎりのお昼にする。風が冷たいので建物の風裏の日向に逃げ込む。食べたらすぐ出発。ここから向かい風が強くなってきてペダルを漕ぐ足が辛くなってくる。 利尻山は利尻島だから、360度様々な角度から眺められる。登ったり滑ったりするのも楽しいけれど、眺めるのもまた楽しい。絵を描く人にとっては、尾根と谷が複雑に織りなして迫ってくる山のボリューム感がたまらないのでは。スキーで間近にダイナミックな雄姿を眺めるのも良かったけれども、自転車でチョッと遠目に眺めるのも、これまた全然飽きないのだ。 豊漁沢川源頭斜面は、3日前にスキーで遊んだ斜面。源頭斜面はちょうど風裏で穏やかだったが、今日は強い南風が稜線越えて吹き下ろしているようだ。快適だったザラメ斜面も、きっとカチカチのアイスバーンだろう。海岸沿いの道路でも、鴛泊に近づくにつれますます向かい風が強くなる。 鴛泊戻ってきたのは午後4時前。後半の向かい風のペダリングでヘトヘトになった。計画では、今日礼文島に渡って、明日以降、北端のスコトン岬から南端の知床までスキー縦走することになっていた。しかし、この時期ではもうスキーは使えなさそうである。せめてまだ白く輝いている礼文岳にスキー登山とも考えたが、あと1日利尻島にのんびり滞在することにして、礼文島のスキーはまたいつか次の機会にチャレンジすることにした。 明日は夕方のフェリーで利尻島を後にすることにした。宿に戻って残照に輝く利尻山を眺めながら冷えきった体をゆっくりあたためた。

利尻山スキー1周時計回り2011春

2011年4月6日  ポン山のポンというアイヌ語の意味は小さい。利尻島は大きな利尻山そのものだが、2万5千の地形図を眺めると、広大な利尻山の裾野にポン山がなんと7つある。鴛泊にあるポン山(444m)、その隣の小ポン山(413m)、鬼脇ポン山(410m)、オタドマリポン山(164m)、メヌウショロポン山(155m)、仙法志ポン山(320m)、そして沓形にある神居ポン山(140m)だ。ポン山という名前でない針伏山(302m)も含めれば8つだ。  鴛泊を朝スタートして、このポン山をすべてつなぎ、1日で利尻山を1周して戻って来れないだろうか。これが当初の計画だった。純白の利尻の写真を眺めていると、ちょうど森林限界あたりをルートにとれば距離的に短くなるので、シールを貼ったり剥がしたりする手間のないウロコスキーならば出来そうである。しかしながら今回、それは果たせなかった。鬼脇側の標高の低いポン山では、この時期すでに雪が少なすぎた。また、すべてのポン山を回ると、陽のある時間帯での行程には距離が長すぎた。今回はポン山にこだわらず、森林限界付近を効率的にルートどりして1周してみることにした。  利尻富士温泉の駐車場を6時半頃スタート。昨夜の冷え込みで雪面が凍っていてウロコスキーでは歩きにくい。さて時計回りがいいか、反時計回りがいいか?ルートを詳細に検討したわけでなく、地図を眺めていて直感的に時計回りで行こうと決めていた。ポン山の麓に湧く甘露泉あたりからいよいよ1周ルートに舵を切り替える。標高300m前後にGPSと地図を頼りに進む。  1周ルートの困難さは、途中いくつもある小さな尾根や沢を越えなければならないこと。なるべく容易な場所を考えながら進むのだが、地図と実際は違っていたりもする。また、1周だから曲線的なルート取りというのも意外と難しい。常に時計回りを意識して右に右にと進まないと、距離が自然と長くなってしまうのである。実はこの2つのルートファイン的解決が1周ツーリングの醍醐味ともいえる。さてどんな素晴らしい景色が待ちうけているだろうか、北稜下部の樹林帯を進みながらワクワクしてくる。  小ポン山を越えるあたりにいくつも深い沢が待ち受けていた。この頃には雪も腐り始め、沢床からの登りもウロコスキーで快調にこなせる。ただ展望がなく深い森の中をひたすら進むという感じである。利尻に熊がいなくて良かった。熊の化石は発掘されているそうだが、いつの時代か絶滅してしまった。またキタキツネもいない。これはエキノコックスという風土病の原因になるが、いざとなれば利尻では生水が安心して飲める。砂防堰堤が目印になって、オチウシナイ川を確認する。時刻は午前9時56分。ということはいつの間にか豊漁沢川は過ぎていたようだ。しかしこのペースはちょっと遅いのではないか。休憩もそこそこに進み、アウトロマナイ川(午前11時8分)を快調に過ぎる。時々眼下の彼方に青い海が見える。  今頃の季節の利尻では、風が1日中穏やかな日というのは珍しい。たとえ今風がなくても、午後から急に風が吹き出したりするのは当たり前のようである。しかしながら今進んでいる樹林帯は、風の影になっているようで平和である。宝仙沢川を12時33分通過。宝仙沢川の上流が万年雪のヤムナイ沢である。宝仙沢川を過ぎ、深い滝ノ沢を越えて、南陵の裾野に広がる雪の大地に立ったあたりから、向かい風が強くなってきた。これはいよいよ風との戦いである。穏やかであれば景色を思い切り楽しめるはずだけど、まっすぐ立っていることも出来ないくらいの強い風では前に進むことしか考えられない。少しでも風のよけられるところで地図を広げてルートを確認する。ここから進路を90度右に舵を切る。円周を小さくして距離を短くする作戦だ。  南陵や仙法志稜の裾野に広がる利尻南面台地は、利尻スキー1周のハイライトだ。この辺りだけで遊ぶという手もある。ヤムナイ沢源頭の荒々しい景色を様々な角度から楽しみながら、自由にウロコスキーでルートをとって歩いたり滑ったりが楽しい。しかし今日は強風と時間との戦いである。  遅れる家内を励ましながらひたすら前を進む。そろそろ進退を決めなければならないだろう。なんとか日没までにゴールできそうだと思ったが、残念ながらGPSの電池が切れかかっていて、予備の電池も持っていなかったのが迂闊だった。 大空沢の先のシサントマリ字界沢を過ぎた辺りで残念ながら沓形へ下山することにした。しかし結果的には、下山ルートをとるにしても標高0mの沓形まで距離は長く、GPSの電池の予備があれば1日で1周は十分可能だったと思う。腐れ雪が日が暮れるとともに気温が下がって固くなるおかげで、進むにしたがいスキーが滑るようになり楽になった。  神居ポン山の近くまで来ると、スキーやワカンの跡が残っていて、これをたどると沓形の町の外れに難なく出ることが出来た。 急いでバスターミナルに駆けつけてみたが、鴛泊行きの最終バスは16時45分に出てしまっていた。Kさんの御親切に甘えて車で迎えに来てもらうこととなってしまった。バスターミナルの前の海はチョッと荒れていた。 2011年4月7日  今日もまたKさんに昨日のゴール地点まで車で送って頂いてしまった。おかげ様で楽に昨日の続きを再開することが出来た。今日は、昨日よりもさらに天候が悪化し、標高800m付近より上はガスで利尻山が見えない。曇り空で相変わらず風も強そうで、肌寒い感じがする。雪が凍っていてウロコスキーでは大変そうなので、シールを装着した。 午前8時30分、Kさんに見送られスタート。家内が元気に先を歩いていく。神居ポン山付近から昨日のシュプールを外れ、沓形稜の避難小屋を目指していく。途中藪っぽいところもあったが、標高が高くなるにつれて樹間も広くなり歩きやすくなった。森林限界を抜け出て沓形稜の避難小屋を目指す。森林限界を抜け出ると、眼下に沓形の町並みと海の景色が広がった。 今日は、避難小屋の先にある906mの小ピークあたりまで登り上げ、そこから滑降も楽しみながらゴールを目指そうと考えていた。しかし昨日よりもさらに強い風が森林限界より上では吹いていた。上部はガスで、まっすぐ立っていられないほどの強風が吹き荒れる。標高630m付近でシールを剥がして滑降することにする。広い尾根を水平に移動するとき、ストックで漕がなくても風でグングン進んでいくのには驚いた。風向きが逆でなくて良かった! いくつもの尾根と谷を越えていくと、やがて見覚えのある消えかかったシュプールに出逢った。  一昨日の長官山からの私達のものだ。あとはこれに沿ってのんびり行けばゴールである。風のよけられるところで昼飯にした。そして、午後1時半スタート地点の利尻富士温泉駐車場にゴールした。 今回の利尻スキー1周、会長さんやHさん、Kさんなど利尻の人は、今まで聞いたことないから初めてではないかと言われたが、実はそうではない。富山の岳人、佐伯邦夫氏が著作「スキーツーリングに乾杯!」で発表している。1周したのは1981年3月下旬だから、30年も前の記録である。

2024シーズンチャツボミゴケ公園スノーシューハイキング開催!

ちょっぴりモルゲンロート色に輝く芳ヶ平湿地群。昨夜は大風が吹いていたので、高い山では小雪が舞ったようです。ところで、2024シーズンも中之条町観光協会主催チャツボミゴケ公園スノーシューハイキングが開催されます。新しい開催要項がホームページで公開されているので紹介します。 開催要項はこちらです。→ ラムサール条約登録地を歩く!チャツボミゴケ公園スノーシュー ハイキング | 旅なかのじょう|中之条町観光協会|群馬県のツアー (tabinakanojo.com) 生き生きとした春〜秋の景色から一変した、一面の白銀の世界をスノーシューで散策。幻想的な美しさに心を奪われます。※チャツボミゴケ公園は12月から4月まで冬期閉鎖中です。ツアーの参加者に限り特別に入園が許可されています。 ところで昨年1月、群馬高崎市出身の世界的総合格闘家堀口恭司さんをチャツボミゴケ公園のスノーシューでガイドさせて頂きました。その時のユーチューブ動画が公開されているので、ぜひご覧ください。 このツアーに参加前後、中之条町内の宿泊施設にご宿泊の方にはプチプレゼントをご用意!!六合温泉郷(花敷・尻焼・応徳)、四万温泉、沢渡温泉など魅力あふれる中之条町の温泉での滞在もお楽しみ下さい。※予約の際に宿泊有無をお知らせください。※各宿泊施設への送迎はツアーに含まれません。各自手配をお願いいたします。

フカフカ落ち葉のシングルトラック2023

夏は緑の深い藪の中だったところも、12月になると落ち葉が降り積もって快適なシングルトラックになります。乾燥して硬い地面の上に柔らかい落ち葉が適度に積もっていれば、自然に優しく接することもできるので、MTBにとって1年のうちで最も適した季節ともいえます。 ダウンヒルを一本楽しんで舗装路をヒルクライムで戻ります。その道すがら小さな熊棚の痕を見つけました。落ちている枝の葉を観察するとミズキでした。干からびた小さな黒い実もたくさん残っていたので、これくらいでクマさんのお腹の足しになったのかちょっと心配になりました。 それにしてもこんな道路わきでクマさんが木登りしていたのでしょうから、知らないで素通りした車もあったことでしょうね。

12月の姥ヶ岳BC

前日からの悪天候で新雪が50センチ以上は積もったようです。先行者がラッセルした深いトレースがしっかりと残されていました。そして2年ぶりに訪れたブナの森は私たちを優しく迎えてくれているようでした。 歩きだしたのがもう10時を回っていたので、途中で二人の先行者がスキーで降りてくるのとすれ違いました。やはり上部はガスで視界不良だったようです。でもフカフカのパウダースノーは楽しんできたようで二人とも笑顔でした。私たちもリフト下の一本だけ楽しんで下山しました。 ところで遅まきながら今シーズンからテックビンディングのテレマークスキーデビューなんです。今日めでたく初歩き&初滑りでした。まだなんとなく違和感のあるテレマークターンでしたが、これで滑るうらやまパウダーへの期待感がかなり高まりました。 2日目も悪天候だったので、プレオープンした近くのスキー場で新しいスキーを履いてコソ錬。昼前から雨が降り出して早上がり。でもおかげで新しいスキーが体の一部になってきている感じがしました。 そして3日目。さすがに標高の高いところは雪だったようです。でもどこでもフカフカのパウダーというわけでもなくてちょっと期待外れでした。 リフト下をシール登行する途中で突然ガスが切れて視界が広がりました。バックカントリーツアーとして最高の展開です。 姥ヶ岳山頂からボトムまで、贅沢なんか言ってられずにプチパウダーの感触を存分に味わいながら楽しく滑り下りました。 そして4日目。雪質は毎日目まぐるしく変化していくことを実感しました。朝から天気のいい今日の雪は、もうクラストがどんどん進んでいました。 シーズン最初のバックカントリーで毎日これだけ違う雪質の変化を実感することができて成果のある遠征でした。 昨日落とせなかった四ッ谷川源頭斜面を軽く一本。姥ヶ岳山頂に登り返して下山しました。 姥ヶ岳山頂からは、昨日見えなかった鳥海山を眺めることができました。 4日目の雪もシーズン初めですから決して悪くはなかったです・・・

古道と山の神

モルゲンロート色に輝く草津白根・本白根山。廃止された清水沢コースと火山灰で焼けた森林の純白の斜面についつい目がいきます。活火山でなければスキー場オープンで滑走可能だったかも。 今日の野反湖です。野反湖の積雪状況を偵察してきました。パウダーサーチは嘘つきませんね。ひょっとして?なんて思いましたが、スキーを背負って行かなくて良かったです。 江戸時代の頃から信州秋山郷との往来があった歴史ある古道をたどってみましたが、年々廃れてしまってどうしようもない状態でした。 山の神の石碑は今回も無残な状態でした。昨年秋も同じでしたが、熊の仕業かな。おそらくだれも歩く人はいないので、元のように戻しておきます。 森林伐採で新しい作業道が網の目のようにつくられていましたが、古道はどうなっていくのでしょうか?

冬の慶良間諸島カヤック旅2

4日目(2004-12-28)  天気予報では、沖縄近海に低気圧が発生するという。そしてこれが、太平洋南岸を北上するらしい。冬、関東平野に大雪を降らせる原因になる気象条件だ。昨夜の散歩では、奇妙なほど星空と満月が綺麗だった。とても天気予報を信じる気にはなれなかった。ところが夜半を過ぎ、突然台風並の風がきっちりと吹き、大粒の雨がバラバラと落ち始めた。  午前中、宿のご主人のご厚意で、座間味島を案内してもらった。カヤックから見るのとは違う海を知ることができた。また、南海の島特有の自然や歴史、住んでいる人たちの様子など、大変興味深いお話も伺う。宿の食堂に、3冊それぞれが立派で分厚い装丁の座間味村史が置かれていた。午後は、自転車を借りて海洋博物館へ出かけた。特攻隊で若き命を幸運にも落とさないですんだという館主の、慶良間諸島の歴史についての語りはとても熱い。この慶良間諸島が、琉球王朝と朝鮮半島や中国との貿易などの外交上の要衝だったらしい。優れた航海術や外洋を航海する船舶技術などがあった。そして何より興味深かったのが、琉球王朝の平和的な外交姿勢や日の丸についての考え方等々。  午後、時々小雨が降る中をいざ出航! 阿真ビーチの入り江から沖合にでると、とたんに風が強くなる。雨は降ったりやんだりだ。それでも海はあたたかいところが、沖縄だ!カヤックからシュノーケルをつけて珊瑚礁の海に飛び込む。この辺りの海の魚たちは、人間になれているのか寄ってくる。魚肉ソーゼージを小さくちぎって海中にバラまくと、たくさんの魚たちが集まってくる。昨日の座間味島東端のダイビングスポットの海では集まってこなかったのに・・・  いよいよ最後の夜になってしまった。明日は東京でも雪になる可能性が高いという。午後の高速船は欠航になってしまった。悪天候を吹き飛ばして、それなりに充実した一日だったが、夕食時になって「明日はどうなるんだろう。」と、ちょっと心配になってしまう。宿のご主人によれば、フェリーは大丈夫でしょうということなので、あまり悩まないことにする。 5日目(2004-12-9)  最終日になってしまった。実は少なからず天気が良くなることを期待していた。しかし、強風が吹き荒れ、沖合の岩礁に打ち寄せる波は、怒り狂っている。キッパリとあきらめがつくというものだ。臨時の防災無線が阿真集落に響き渡る。どうやら高速船はすべて運休。フェリーも時間変更して、午後2時30分発。とりあえず本島に戻れるようで一安心。でも、東京に降雪があったようなので、まだまだ心配の種はあるのだが。  さぁ、撤収だぁ。時折パラパラと雨粒が落ちてきたりしながらも、流れゆく雲に晴れ間が広がりはじめ、まさに撤収日和である。水洗いをして干すと短時間で乾いていく・・・  撤収作業にたっぷり3時間もかけてしまった。宿のご主人のご厚意で、荷物を宅急便屋さんまで車で運んでもらう。そして、4日間お世話になった「ペンションはまゆう」さんとお別れだ。相変わらず風は吹き荒れていたが、太陽が燦々と輝きはじめると、さすがに南国の温かさを感じる。フェリーの時間までやることがなく、ブラブラしながら南の海のカヤックやシュノーケリングの心地よさの余韻に浸った・・・

冬の慶良間諸島カヤック旅1

1日目(2004-12₋25)  クリスマスの朝、羽田を飛び立ち那覇へ。季節風の影響だろう、富士や南アルプスがまるで白波立つ海洋に浮かぶ島々のようだ。慶良間の海ではそんなことがないように祈るばかりだ。  予定より15分遅れで那覇空港に無事着陸。空港からタクシーでホテルへ。タクシーの運転手さんの名前は、島袋さん。まぎれもなくここは沖縄だぁ。荷物を預けてさっそく国際通りへ出かける。スナック菓子やら泡盛やらガラス製品やら、原色が色とりどりの商品をところ狭しに並べたお土産屋さんが、えんえん軒を列ねている。陽射しも眩しくて、いかにも南国って感じ。 2日目(2004-12-26)  泊港を9時出航の高速船で座間味島へ。外海は結構うねりがある。でも慶良間諸島の内海に入るとさすがに島影になるので穏やかだ。富士山の雲海のような白波でなくてホッとする。  宿でさっそく先に送っておいたファルトのカヤックを組み立てる。1月の奄美以来の組み立てなので、手順がわからない。ああでもないこうでもないと、たっぷり1時間45分もかかってしまった。  ラフティー丼とソーミンチャンプルーの昼飯の後、さっそくケラマブルーの海に浮かぶ。 3日目(2004-12-27)  天気は下り坂だ。南国の燦々と降り注ぐ太陽が恋しい。でも、たくさんの島々で囲まれる座間味の海はベタ凪だ。外海もそれほどでもなさそう。カヤックで海に出られるだけでも良しとするか。ただし、天気予報では沖縄地方に波浪注意報が出ていたので、無理はしないことにしよう。宿で朝食をとった後、あわただしく出発の準備を終え、午前9時に美しい白砂の阿真ビーチから出艇する。  カヤックから海をのぞき込むと、珊瑚の回りを色とりどりの魚たちが泳いでいて、目を楽しませてくれる。このエメラルドグリーンの透明な海は、燦々と降り注ぐ太陽の輝きがあればさらに魅惑的だろうが今の私たちには十分過ぎるほどに素晴らしい。やや追い風に乗り、時速7km以上のスピードにのって阿嘉島に進路をとる。右に阿嘉島のニシハマビーチを見ながら、とりあえず慶留間島との間に架かけられている阿嘉大橋をくぐってみよう。  「マリリンに逢いたい」という映画があったらしい。シロという犬が座間味島とこのニシハマビーチの間の海を泳ぎ渡ったという実話に基ずいているらしい。座間味港と阿真ビーチの間の道路沿いに、マリリンの銅像があった。他にも琉球王朝時代の大陸との交易の中継点としての海洋文化など歴史も興味深い。  阿嘉島にオリオンビールを仕入れるために上陸。サクバル奇岩群の向こうに見える外海は、それほど風の影響もなさそうでうねりも大きくない。フェザークラフトのk2なら恐れるほどでもないが、初めての海で無理は禁物である。サクバル奇岩群付近から慶留間島の外側を一周して見たい衝動がわき起こったが、往路を引き返すことにする。向かい潮なのか往路の時速七キロはとても出ず、時速五キロで安室島を目指す。安室島の突端にある外白崎に上陸する。ここは座間味島との狭い海峡をつくっていて、干潮時にだけ現れる。大きな船舶は水深が浅く航行不可能である。沖縄ならではのソーキとカツオ味のカップ麺で昼飯にする。今日のような天気の日は、南国といえども温かい食べ物はありがたい。  昼食後、この外白崎から古座間味ビーチに向かってカヤックを漕ぐ。このビーチも白砂が美しくとても魅力的だ。夏のハイシーズンの頃はかなり賑わうそうだが、今日はポツンと二人の人影を見るのみだ。真珠養殖場のある阿護の浦を過ぎて、島の東側の岬付近には数隻のダイビング船が停泊している。私たちもカヤックで乗り付け海に潜ってみることにする。  海の中を覗くと、色とりどりの熱帯の魚たちが眺められた。オニヒトデも二匹発見。珊瑚の海を食い尽くそうとする悪者だ。駆除したいが、南の海がド素人の私たちは無力だ。おっと、突然ウミヘビ発見。攻撃的な種類だと襲われるかもしれないので、用心に越したことはない。さっさと退散。 2に続く

大阪運河ツアー道頓堀∼南港2007-12-2

 2年前に初めて大阪の運河を漕いだ。桜宮公園からスタートして、大阪城を眺めながら堂島川を下った。中之島付近の巨大ビル群を運河の真下から仰ぎ見たのは、知床の断崖を彷彿とさせた。USJや天保山、海遊館を素通りし、南港にかかる港大橋の下をくぐった。そして尻無川を遡って中之島でゴールした。大阪の街を水面から眺めたことは、学生時代まで慣れ親しんだ街の懐かしさもあって、強く心に残る思い出の一つになった。  今回は京セラドーム(大阪ドーム)からスタートして、まずは道頓堀川を往復する。そして木津川を下り、南港を大きく回って北港ヨットハーバーまで漕ぐというもの。途中道頓堀はもちろん、木津川沿いで大都市のどんな裏の顔が眺められるのか大変楽しみである。また南港には野鳥公園があり、それをカヤックで海から訪ねてみるというのもおもしろそうだ。  午前9時、鮮やかに黄色く染まった銀杏の木の下で、赤と青の2艇のカヤックが組み立てられた。運河に浮かぶと、川面を吹く風は冷たい。なんといってもやはり師走である。それに久しぶりに水の上に浮かんだこともあってか、フラフラとバランスが悪い。大阪湾でもし波風が強かったらと思うと、ちょっと心配になる。しかし漕ぎ始めるとほどなくカヤックが体の一部のようになるのを感じた。橋のトンネルをくぐる。橋の上からえさを投げている人がいるらしく、これがまた知床の海鳥を思い出すくらいたくさんのカモメが集まっている。最近これほど元気なカモメの姿はどこの海を漕いでも見かけなかったので、こんな大都会の光景が奇妙だ。  先を漕ぐQ太郎氏に追いつくと、正面に道頓堀水門があった。第一の閘門がすでに開きはじめていた。閘門は、水位の異なる水面をもつ河川や運河、水路を船が通航できるようにする施設で、事前に許可を届けておかねばならない。すべてQタロウ氏が手配してくれていて感謝である。これはスエズ運河じゃないけど、まさに本格的な運河の航行である。  第一の閘門を進むと第2の閘門があり、それが開かれるには第一の閘門を閉めなければならなかった。第一と第二の閘門の壁にいったん閉じこめられた後、第二の閘門が徐々に開かれた。道頓堀川の方が20センチくらい水位が高く、水が流れ込んでくる。ちっぽけなカヤックでも、一人前の船長みたいな気分だ。いよいよ道頓堀川を漕ぎ進む。  道頓堀界隈をいくら歩き回ったことがあっても、カヤックから眺めた道頓堀の雰囲気は味わえない。街の喧噪とは別世界。ビルの裏側の谷間にある静かな空間をのんびりと漂うようにして進む。橋を歩く人たちのほとんどはカヤックに気がつかないけど、中には珍しそうにこちらを見ている人もいる。道頓堀は現在再開発中である。どうやら今までの異臭漂うドブ川から、水辺に遊歩道のある観光スポットに生まれ変わろうとしていた。  心斎橋と言えばヤマハや三木楽器に輸入盤のレコードを探しに来たものだ。他に名前は忘れたけれど珍しい輸入盤を見つけることが出来る小さなレコード店もあった。通りから少し離れたところに確か島之内教会というのがあって、なぜかここでアバンギャルドなジャズコンサートにやってきたことがある。  河川工事でこれ以上進めないところから引き返す。再び道頓堀水門の閘門を開けてもらい通過する。水門通過は、何度通っても一人前の船長になった気分になり気持ちいい。カヤックから水門をコントロールしている職員に感謝の挨拶をする。こんなちっぽけな2艘のカヤックのためでも、大きな船と同等に扱ってくれることがうれしくなってくる。  そしていよいよ木津川を下って大阪湾へ漕ぎ出す。いつのまにやら天気は下り坂だった。川下からの向かい風が強く、パドルを握る手に力が入る。  木津川を漕ぎ下ると、大阪の様々な表情を見ることが出来る。下町の雰囲気たっぷりの街並みや倉庫、工場、古い造船所などが次から次へと現れ過ぎていく。川沿いにびっしりと粗末なバラックが建ち並んでいるところがあったが、水もガスも電気もないけれどしたたかに生きる人たちの存在感に圧倒されもした。工場に通勤したりする人たちのために、いくつも市営の渡し船があった。なぜ橋ではいけないのか。大型船舶が河川を往来するためにはよほど大きな橋を架けなければならず、それなら渡し船の方が経済的だからというのが理由である。カヤックから渡し船に乗り降りする人たちの様子を眺めながら、人々の暮らしの一端に触れられたような気がした。中山製鋼所を過ぎ、新木津川大橋の真下に上陸地点を見つけて昼食休憩にした。  風が冷たくて早々に出艇。木津川の河口に出ると向かい風がいっそう強くなる。コンテナ埠頭に大きな貨物船が停泊していてそれがちょうど風除けになり、そこで遅れているQタロウ氏を待つ。  これからさらに沖に漕ぎ出ていくのであるが、波風が少々不安になる。向かい風に遅れがちなQタロウ氏はというと、全く不安な様子はなく前進あるのみ。南港内港を過ぎいよいよフェリー埠頭の沖合にさしかかると、白波が立つかなりシビアな状況になっていた。行くか戻るか大きな決断をしなければならないと思った。しかしQタロウ氏は平然と前進あるのみだった。さすがである。これくらいでじたばたしてはいけないのだ。  向かい風と不規則なうねりに翻弄されて、パドリングは一寸の失敗も許されなかった。まわりには大きな波が砕け散る岸壁しかないから、沈したら一人でセルフレスキューするしかないだろう。Qタロウ氏と並んで漕ぐなんて余裕はなく、前進あるのみ。岸壁に停泊している大型貨物船の船員が心配そうに私たちを見ていた。ひきつりながらも笑顔で会釈する。  ここで一旦Qタロウ氏を待ち、GPSを確認。この先に大きな凹の埠頭があるので、とにかくそこへ緊急避難することにする。  どうにか凹の埠頭に漕ぎ着くことが出来た。遅れているQタロウ氏も無事漕ぎ着きホッとひと安心。陽はすでに斜めに傾いていて、今回の計画では北港のヨットハーバーまで漕ぐことになっていたが、このコンディションではあきらめることにした。ただしここで上陸できればの話しだ。凹の埠頭の奥に漕いでいくと、波は収まってきた。そして何やら南国ムードいっぱいのきらびやかな建物が並んでいた。家族連れやカップル、若者達がたくさん歩いている。いったいここはどういうところだ?なんだか漂流者のような気持ちになりながら、カヤックで上陸できるところを見つける。  高い岸壁に小さな階段がつけられているところがあったが、沖合から押し寄せるうねりが岸壁にぶつかりとてもカヤックから下りることは出来ない。Qタロウ氏が何度か試みるもあきらめる。仕方なく岸壁につながれている浮桟橋に上陸することにした。まずQタロウ氏が器用にカヤックから這い上がる。わたしはQタロウ氏のカヤックをサポートする。次にわたしが這い上がり、最後に2人で2艇のカヤックを浮桟橋に引きずり上げた。ホッとした。  ここはATC(アジア太平洋トレードセンター)だった。交通至便で綺麗なトイレ、コンビニやレストランなどがあり、終わってみればゴール地点としてはとても好都合な場所であった。海旅の余韻に浸りながらのんびりとカヤックを分解して片付けをする。夕日が綺麗だ。いい旅を終えた満足感でいっぱいになる。カヤックは近くのコンビニから宅急便で自宅に送り身軽になる。そして、ATCの中にある韓国料理屋さんでQタロウ氏と無事に旅を終えることができたので祝杯をあげる。お腹いっぱいになってお店から出ると、すっかり陽が沈み、たくさんのクリスマスのイルミネーションが点灯していた。  暗闇の海を眺めながら、うねりの彼方に霞んで見えた六甲山の山並みに向かってまた旅の続きがしたいと思った。後日Qタロウ氏から次の海旅のプランがメールで伝えられた。Qタロウ氏から、六甲の山並みを見ながら神戸へと旅を続けましょうというものだった。Qタロウ氏に感謝。次の旅への期待に胸がふくらむ。

大阪運河ツアー堂島川~南港~尻無川2005-11-19

澄み切った秋空にそびえ立つ巨大ビルは、波や風に削られた断崖の迫力に匹敵する。カヤックにのんびり浮かびながら眺める一つ一つのビルも、車や人の騒音に満ちた大通りから見えるビルの表情とは違う。現代テクノロジーの粋を集めたビルは、手つかずの自然が残された知床とは対極の美なのかもしれない。 堂島川沿いには、江戸時代からの豪商の名前のついたビルや倉庫などが立ち並ぶ。右に大阪フェスティバルホールのビルが現れた時、高校大学時代のジャズコンサートに夢中だった頃のことがよみがえる。 堂島川は大阪湾に近付くにつれて川幅を大きくする。高層ビルは姿を無くし、かわって倉庫や工場、市場など港らしい景色になる。空気は澄み切っていて、やがて六甲の山並みも眺められる。USJの前を素通りし、天保山大橋をくぐって海遊館を目指す。USJと海遊館を結ぶ連絡船の乗客が手を振ってくれるので、振り返す。 そろそろお昼近い時間で、どこか上陸したいなと思うが適当なところがない。これは知床の海岸線よりもハードかもしれない。やっと陸に上がれば、ヒグマではなくガードマンがやってきて、「トイレだけですよ。」と注意される。海遊館の隣はこれまた大阪水上警察署で、まったく落ち着いていられないのだ。 いよいよ大阪港に出ると、巨大な船が頻繁に行き交っている。澪つくしのマークがある建物は、大阪税関である。国際都市の玄関港という雰囲気である。こんな小さな船でうろついていていいのかと、ちょっと緊張である。 観光船サンタマリア号とすれ違う。コロンブスのサンタマリア号を実物の2倍のスケールで復元したものだそうだ。本物はこの二分の一の大きさだとすると、案外小さくて親近感が湧く。こんなもので大西洋を横断して新大陸を発見したんだから、大した人である。 やっと上陸できるところを見つけ、昼食にする。六合村に電話してみたら、強烈に寒くて、外は雪が舞っているらしい。こちらは居眠りしてしまいそうなくらい日差しがあたたかくて気持ちいい。 この時期日が暮れるのが早いので、そうのんびりはできない。1時間ほどの休憩で、尻無川を道頓堀方面向けて遡る。どうやら干潮らしく、運河は川になっていた。手を休めると下流に流されてしまうので、のんびり漕いでいくわけにはいかない。潮を計算に入れて計画を立てると、快適なツアーになるんだなあと実感する。 尻無川防潮水門の手前に、大阪市営の渡し船があった。観光ではなく、生活の足として、橋を建設するより割安だからと運営されているらしい。橋の代わりだから、もちろん乗船料は無料。大阪市には行政改革の嵐が吹き荒れているようだけど、こんなサービスは将来どうなるんだろうか。 出発地の桜ノ宮まで戻ると日が暮れそうだったので、中之島のバラ園に着岸してゴールとする。自然ではなく人工物の中を漕ぐ大阪運河ツアーは、かなり面白い。きっと運河は、ゴミだらけで悪臭が漂っているのではないかと懸念していたけれど、そんなこと無かった。この続編はぜひ計画する価値がある。