海から断崖となってそそり立つ山の端から突然、朝日をスポットライトのように浴びてまわりはシルエットの闇に包まれる。 一生懸命漕いでも、進んでいるのかわからないくらいのスピードしかでないのは、向かい風だけでなく潮の流れのせいだとばかり思っていたが、潮は動いてないよと小さな漁村の漁師が教えてくれた。潮があるところでは、危なくて海女は潜れないとも教えてくれた。カヤックが進まなかったのは、風のせいだったんだ。もうこれ以上漕げば腕がへし折れそうだったので、小さな漁港に逃げ込もうとしたら、なにやらボールのような頭が白波のたつ岩礁帯で浮かんだり消えたり。ひとつの浮き輪に二人の海女さんが変わりばんこにつかまりながら、ウニやアワビを採っていた。時化気味の能登の海では、海女さんが、9月いっぱいの漁期をすぐ目前にひかえて盛んに潜っていた。これらの海女さんたちは地元の人たちではなくて、輪島から遠征してその周辺の海の漁業権を買い取って潜っているのだそうだ。みんな元気で、中には70にもなる海女さんもいるらしい。挨拶をして言葉を交わした海女さんの声も、かなり年輩の方だった。 能登の外浦海岸には、素朴な小さな漁村が点在していた。上陸したいくつかの漁村は、人なつこい老若男女の人々との出会いがあった。私たちのカヤックを見つけると、お年寄りが変わりばんこに、以前日本一周の若者もこの港に二泊したと教えてくれた。また港の片隅に快く車を駐車させてくれた。これから漁に出ようとする腰の曲がったおじいさんは、自分の小舟を下ろした後、今度は私たちのカヤックのために船を海に下ろすための滑り板を「使え!」と持ってきてくれた。見たこともないカヤックに興味津々の子供たちは、浜に上がるとさっそく近づいてきて、ラダーを触って「これなに?」と質問してくる。そしていろいろな質問をして、いつまでも離れようとしない。心優しい漁師のおかみさんが、出発地点に置いてある私たちの車を回収するために、わざわざ車を出して乗せてくれた。途中、シートベルト義務違反で切符を切られてしまい、大変申し訳ないことをしてしまった・・・ 1日目、富来町の増穂ヶ浦から輪島へ向けて出航したが、すぐに海士岬を越えることを断念した。今にも白波となって崩れそうな高いうねりと強い風にためらったのだ。こんな気持ちで進むのは危険だと冷静に判断した。追い風にまくし立てられたり、向かい風に悩まされたりと、海のコンディションはかなり厳しいものだった。しかし、久しぶりに海にでて、とても爽快な気分を味わった。 2日目は、門前町の黒島から出航した。猿山岬をかわしたあたりから波風ともに強くなり、必死で漕いでも時速4~5キロほどしかでなかった。刑部岬を這々の体でかわしたところの小さな漁港に逃げ込んだ。結局この日は、頑張ってさらに足を伸ばしたが、次の大沢町の漁港までだった。 3日目は昨日の続きから輪島をめざした。ほぼ同じ距離で2日目は5~6時間かかったのに、たった1時間半しかからなかった。海のコンディションでこんなにも違うとは。今回出来れば能登半島の外側をずっとたどりたかったが、3分の1にも満たない距離しか漕げなかった。能登には、うまいものもいっぱいあった。そして、能登の小さな漁村のたたずまいや輪島の古い町並み、能登の素朴な人情も、心を満たしてくれるような深い味わいを醸し出していた。(2001年9月22日~24日)