1997年2月の芳ヶ平
志賀草津道路は11月の中旬から4月の下旬まで冬季閉鎖になる。厳冬期、2000メートルの高所を通る区間は、相当厳しい気象である。弱い冬型の気圧配置の日でも、二月初旬の山田峠は、体重75キロの体が簡単によろけてしまうくらいの風が吹く。吹き溜まりはかなりの積雪になり、過去に雪崩の記録もある。その上ガスも発生しやすいので、車で通り過ぎる人から見れば大した事のない峠なのであるが、冬は昔から遭難が多いのだ。志賀草津周辺のスキーツアー解禁が3月1日と決められているのは、このような事情があるからなのだろうか。 志賀方面へツアーするときは、私はいつも六合村から入山する。鋼管休暇村の長い林道を歩き、関東ふれあいの道というハイキング道沿いに芳ヶ平を目指す。一度ウサギを追う猟師たちと出会った事があるくらいで、雪のある時期はまず人に会うこともない樹林の中の静かなコースである。リフトやゴンドラを利用していっきに高度を稼げば楽だが、のんびり歩いて登るのもいいものだ。でも今回は、某スキー場の最終リフト降り場から歩き始めるという楽な手段をとってしまった。 今冬は少雪の年のようだ。まだ2月初旬だが、あまりにも少なすぎる。去年の半分の積雪だ。芳ヶ平から先の雪の状態が心配だった。約1時間、志賀草津道路を歩いていつもの芳ヶ平へ滑降する尾根の突端にあたる地点についた。志賀草津道路の最高地点からの急斜面も良いが、この時期はやはり雪崩が怖い。尾根コースならば安心だ。このコースは、心地よい斜度が一定に続くなかなか魅力的なコースである。今まで何回も滑っているが、雪質も良い。 ところが今回はそうではなかった。やはり少雪が原因か。日当たりが良く風の影響も受けやすい斜面は、かなり手ごわいモナカ雪で、幾度か転倒した。しかし今シーズンはまだ誰にもシュプールを刻まれてはいないであろうこの処女雪の斜面に自分一人のシュプールを刻むのは、いくら転倒しようとも爽快な気分が残った。 芳ヶ平に降り立つとガスも晴れて、無人の雪原を小屋に向かって進んだ。小屋は夏季も管理人が入らなくなったようで、なんとなく寂れた雰囲気が漂っていた。渋峠から草津へ抜けるコースには、一本のシュプールが残されていた。ここからはやっとこさ滑れるくらいの雪しかなく、六合村へ降りるのをやめて、草津へ降りることにした。