November 29, 2023

大阪運河ツアー道頓堀∼南港2007-12-2

 2年前に初めて大阪の運河を漕いだ。桜宮公園からスタートして、大阪城を眺めながら堂島川を下った。中之島付近の巨大ビル群を運河の真下から仰ぎ見たのは、知床の断崖を彷彿とさせた。USJや天保山、海遊館を素通りし、南港にかかる港大橋の下をくぐった。そして尻無川を遡って中之島でゴールした。大阪の街を水面から眺めたことは、学生時代まで慣れ親しんだ街の懐かしさもあって、強く心に残る思い出の一つになった。  今回は京セラドーム(大阪ドーム)からスタートして、まずは道頓堀川を往復する。そして木津川を下り、南港を大きく回って北港ヨットハーバーまで漕ぐというもの。途中道頓堀はもちろん、木津川沿いで大都市のどんな裏の顔が眺められるのか大変楽しみである。また南港には野鳥公園があり、それをカヤックで海から訪ねてみるというのもおもしろそうだ。  午前9時、鮮やかに黄色く染まった銀杏の木の下で、赤と青の2艇のカヤックが組み立てられた。運河に浮かぶと、川面を吹く風は冷たい。なんといってもやはり師走である。それに久しぶりに水の上に浮かんだこともあってか、フラフラとバランスが悪い。大阪湾でもし波風が強かったらと思うと、ちょっと心配になる。しかし漕ぎ始めるとほどなくカヤックが体の一部のようになるのを感じた。橋のトンネルをくぐる。橋の上からえさを投げている人がいるらしく、これがまた知床の海鳥を思い出すくらいたくさんのカモメが集まっている。最近これほど元気なカモメの姿はどこの海を漕いでも見かけなかったので、こんな大都会の光景が奇妙だ。  先を漕ぐQ太郎氏に追いつくと、正面に道頓堀水門があった。第一の閘門がすでに開きはじめていた。閘門は、水位の異なる水面をもつ河川や運河、水路を船が通航できるようにする施設で、事前に許可を届けておかねばならない。すべてQタロウ氏が手配してくれていて感謝である。これはスエズ運河じゃないけど、まさに本格的な運河の航行である。  第一の閘門を進むと第2の閘門があり、それが開かれるには第一の閘門を閉めなければならなかった。第一と第二の閘門の壁にいったん閉じこめられた後、第二の閘門が徐々に開かれた。道頓堀川の方が20センチくらい水位が高く、水が流れ込んでくる。ちっぽけなカヤックでも、一人前の船長みたいな気分だ。いよいよ道頓堀川を漕ぎ進む。  道頓堀界隈をいくら歩き回ったことがあっても、カヤックから眺めた道頓堀の雰囲気は味わえない。街の喧噪とは別世界。ビルの裏側の谷間にある静かな空間をのんびりと漂うようにして進む。橋を歩く人たちのほとんどはカヤックに気がつかないけど、中には珍しそうにこちらを見ている人もいる。道頓堀は現在再開発中である。どうやら今までの異臭漂うドブ川から、水辺に遊歩道のある観光スポットに生まれ変わろうとしていた。  心斎橋と言えばヤマハや三木楽器に輸入盤のレコードを探しに来たものだ。他に名前は忘れたけれど珍しい輸入盤を見つけることが出来る小さなレコード店もあった。通りから少し離れたところに確か島之内教会というのがあって、なぜかここでアバンギャルドなジャズコンサートにやってきたことがある。  河川工事でこれ以上進めないところから引き返す。再び道頓堀水門の閘門を開けてもらい通過する。水門通過は、何度通っても一人前の船長になった気分になり気持ちいい。カヤックから水門をコントロールしている職員に感謝の挨拶をする。こんなちっぽけな2艘のカヤックのためでも、大きな船と同等に扱ってくれることがうれしくなってくる。  そしていよいよ木津川を下って大阪湾へ漕ぎ出す。いつのまにやら天気は下り坂だった。川下からの向かい風が強く、パドルを握る手に力が入る。  木津川を漕ぎ下ると、大阪の様々な表情を見ることが出来る。下町の雰囲気たっぷりの街並みや倉庫、工場、古い造船所などが次から次へと現れ過ぎていく。川沿いにびっしりと粗末なバラックが建ち並んでいるところがあったが、水もガスも電気もないけれどしたたかに生きる人たちの存在感に圧倒されもした。工場に通勤したりする人たちのために、いくつも市営の渡し船があった。なぜ橋ではいけないのか。大型船舶が河川を往来するためにはよほど大きな橋を架けなければならず、それなら渡し船の方が経済的だからというのが理由である。カヤックから渡し船に乗り降りする人たちの様子を眺めながら、人々の暮らしの一端に触れられたような気がした。中山製鋼所を過ぎ、新木津川大橋の真下に上陸地点を見つけて昼食休憩にした。  風が冷たくて早々に出艇。木津川の河口に出ると向かい風がいっそう強くなる。コンテナ埠頭に大きな貨物船が停泊していてそれがちょうど風除けになり、そこで遅れているQタロウ氏を待つ。  これからさらに沖に漕ぎ出ていくのであるが、波風が少々不安になる。向かい風に遅れがちなQタロウ氏はというと、全く不安な様子はなく前進あるのみ。南港内港を過ぎいよいよフェリー埠頭の沖合にさしかかると、白波が立つかなりシビアな状況になっていた。行くか戻るか大きな決断をしなければならないと思った。しかしQタロウ氏は平然と前進あるのみだった。さすがである。これくらいでじたばたしてはいけないのだ。  向かい風と不規則なうねりに翻弄されて、パドリングは一寸の失敗も許されなかった。まわりには大きな波が砕け散る岸壁しかないから、沈したら一人でセルフレスキューするしかないだろう。Qタロウ氏と並んで漕ぐなんて余裕はなく、前進あるのみ。岸壁に停泊している大型貨物船の船員が心配そうに私たちを見ていた。ひきつりながらも笑顔で会釈する。  ここで一旦Qタロウ氏を待ち、GPSを確認。この先に大きな凹の埠頭があるので、とにかくそこへ緊急避難することにする。  どうにか凹の埠頭に漕ぎ着くことが出来た。遅れているQタロウ氏も無事漕ぎ着きホッとひと安心。陽はすでに斜めに傾いていて、今回の計画では北港のヨットハーバーまで漕ぐことになっていたが、このコンディションではあきらめることにした。ただしここで上陸できればの話しだ。凹の埠頭の奥に漕いでいくと、波は収まってきた。そして何やら南国ムードいっぱいのきらびやかな建物が並んでいた。家族連れやカップル、若者達がたくさん歩いている。いったいここはどういうところだ?なんだか漂流者のような気持ちになりながら、カヤックで上陸できるところを見つける。  高い岸壁に小さな階段がつけられているところがあったが、沖合から押し寄せるうねりが岸壁にぶつかりとてもカヤックから下りることは出来ない。Qタロウ氏が何度か試みるもあきらめる。仕方なく岸壁につながれている浮桟橋に上陸することにした。まずQタロウ氏が器用にカヤックから這い上がる。わたしはQタロウ氏のカヤックをサポートする。次にわたしが這い上がり、最後に2人で2艇のカヤックを浮桟橋に引きずり上げた。ホッとした。  ここはATC(アジア太平洋トレードセンター)だった。交通至便で綺麗なトイレ、コンビニやレストランなどがあり、終わってみればゴール地点としてはとても好都合な場所であった。海旅の余韻に浸りながらのんびりとカヤックを分解して片付けをする。夕日が綺麗だ。いい旅を終えた満足感でいっぱいになる。カヤックは近くのコンビニから宅急便で自宅に送り身軽になる。そして、ATCの中にある韓国料理屋さんでQタロウ氏と無事に旅を終えることができたので祝杯をあげる。お腹いっぱいになってお店から出ると、すっかり陽が沈み、たくさんのクリスマスのイルミネーションが点灯していた。  暗闇の海を眺めながら、うねりの彼方に霞んで見えた六甲山の山並みに向かってまた旅の続きがしたいと思った。後日Qタロウ氏から次の海旅のプランがメールで伝えられた。Qタロウ氏から、六甲の山並みを見ながら神戸へと旅を続けましょうというものだった。Qタロウ氏に感謝。次の旅への期待に胸がふくらむ。