登山道が廃道だった頃の大高山の話
1992年2月 2000m前後の上信越国境の山々が野反湖を中心として東は三国峠、西は志賀高原へと連なっている。大高山は、野反湖から西へ志賀高原の赤石山へと続く国境稜線上の中間あたりに、2079mの高さで聳えている。草津温泉から眺められる大高山には、いかにもスキーに適した広いなだらかな尾根を見つけることができる。マイナーな山域であり、ここを誰かが滑ったという記録は知らない。かつて整備されたことがあるという国境稜線の登山道は、大きな台風で荒廃したまま藪の中に埋もれてしまっているようだ。地形図にある点線の登山道を頼りに、昨年の夏と秋に一度ずつ大高山への偵察を試みたが、まだ湯気が出ていそうな熊の大きな糞に驚かされたり身動きが取れなくなるほどの藪に阻まれるばかりで、大した収穫は無かった。それでも大高山直下には五三郎小屋という立派な避難小屋があるはずなので、かつては整備された登山道がしっかりあったようだ。現在その小屋がどういう状況なのか、わたしの周りでは知っている人もいなくて、どうやら地元でも最近は登った人がいないようだ。 今回は、鬱陶しい藪を雪が隠してくれる厳冬期に、スキーを活用して大高山に登頂し、まだ誰にも滑られたことが無いであろう尾根のスキー滑降を試みるべく、1泊2日の予定で林道入り口から出発した。 土曜日の午後1時半過ぎ、ここから続く林道の終点でテントを設営することにする。天気は、雪がちらつき寒い。強い冬型である。視界もあまり利かず、明日の行動が不安であるが、天気予報によれば少しずつよくなるというので決行する。同行の仲間はクロスカントリースキーだ。テレマークスキーよりもさらに軽快そうに先を歩く。ガラン沢が左に険しく切れ落ちている林道を1時間半歩き、今日のテン場についた。テントを設営した後、明日のルートを少しでも確認しておくため、偵察に出かける。ここからは地図にも出ている古い登山道を辿りたいのだが、いかんせん藪が相当ひどいようで1メートルあまりの積雪でも埋まり切っていない。甘い考えだった。すぐにひどい藪に進退窮まって仕方なく深く切れ込んでいるミドノ沢へ降りることにした。沢の渡渉は問題無く、飛び石伝いに渡って対岸の雪壁を攀じ登る。面倒くさいルートになったが、沢を渡ってしまえばこの先は単調な尾根歩きなので、今日はここまでとする。 翌朝8時過ぎに出発。国境稜線の山々はガスっているけど、南の空は雲もなくよく晴れている。目指す大高山は望めないがそのうちそのどっしりとした姿を現してくれるだろう。すんなりミドノ沢をまたいで、今は手入れもされず忘れ去られてしまったようなカラマツの植林地のなだらかな尾根に立つ。ここからはとにかく忠実に尾根筋を登るのだ。1500m付近よりカラマツの植林地からブナやナラの原生林に変わる。何百年という樹齢のブナやミズナラの大木は、身震いするほどに美しいと思う。登るにしたがい展望がどんどん開け、植生がダケカンバの疎林などに変わる。右に八間山が全貌を現し始め、後ろには浅間山が雄大な姿を誇示する。そして左には一ツ石と呼ばれる1825mの小ピークと2039mのダン沢の頭が間近に迫ってくる。いつの間にかガスが晴れ、真っ青な空が眩しくなってきた。私たちの突然の侵入に驚いたのであろう、つい今しがた駆け上がっていったウサギの足跡が新雪に生々しく刻まれていた。 ミドノ平の手前の1810mの小ピークを越えるとアオモリトドマツの林に変わる。風が強く吹くようになる。天狗平で昼食をとり、12時半頃出発。大高山への最後の登りだ。ミドノ平のちょっとした雪原を横切り、稜線に取り付く。稜線に立つと、魚野川に荒々しく切れ落ちている岩菅山の白い山肌が望まれ、このあたりの自然の厳しさを物語っているように感じた。あと標高差は300m弱。重い湿雪のラッセルに悩まされながら、1時40分登頂した。 私にとっては、初めてのピーク。パノラマを堪能した。さて待望のスキー滑降だったが、気温が上昇してのりのようにベトつく悪雪となってしまい、ほとんど直滑降となってしまった。しかし西向きの斜面でかろうじてサラサラの粉雪が残っていて、きれいなテレマークターンが決まった。仲間はクロスカントリースキーなので、滑降では苦労しているようだが、それでも器用に下りてくるもんだ。