2005年4月29~5月1日
今年は雪が多くて飛越トンネルの登山口までの林道歩きも長かった。朝からどんよりとした曇り空だったが、この後天気はますます崩れ、寺地山を過ぎる頃から雨、風、ガスの三重苦。北ノ俣から太郎小屋へのだだっ広い稜線はまったくのホワイトアウトの様である。
先行していた2人の登山者が、避難小屋が見つからないと困っていた。彼らはすっかり疲れ果てていて、避難小屋に泊まりたいようだった。以前泊まって場所に覚えがあるので、スキーでそれと感じる方へ歩いていくと、ガスの中にぼんやりと四角い影のようなものが浮かび上がってきた。でも、その影は幻影にも見えてくる。むやみに歩くことさえ現在地点がわからなくなる怖れのある濃いガスの中では、登山者の焦りが白い世界の中に悪魔を住まわせる危険があると思う。しかし、この影は紛れもない避難小屋であり、彼らはここで行動を終えた。私たちはこれからが勝負である。
北ノ俣岳の稜線への大斜面を登る。途中で若い山スキーヤーのペアが滑り降りてきた。稜線まで登って撤退したという。彼らは正解である。連休初日というわけで、稜線上には小屋へのトレースは期待できなそうだ。いよいよほんとうに自分のルーファイ力が試されるというわけだ。後ろから一人の若いテレマーカーが追いついてくる。つかず離れず稜線まで登り、稜線からは共に行動する。Bさんである彼とは、翌日一緒に薬師の尾根や谷を一緒に滑ることになるなるのだが、ホワイトアウトの不安の中、無事太郎小屋にたどり着け、その喜びを分かち合えた仲だからこそだろう。後から私たちのシュプールを追って来たAさんやCさんも・・・
晴れていれば気持ちの良い滑降を楽しめたはずなのに、突然赤木平側のセッピ上に出たりして、ゆっくり斜滑降やボーゲンで滑るしかない。GPSと去年訪れたときの勘が頼りだ。しかしながら、ホワイトアウトの中を長時間彷徨っていると、GPSを本当に信じてしまって大丈夫だろうかという不安がよぎる。2576m小ピークで迷いが出る。地図も出せないほどに雨風が激しく、やはりGPSを信じて行動するしかないと覚悟する。
こんな天気だからこそ行動が活発になるのだろうか、雷鳥が進路の直ぐ先を強風にあおられながら走っていく。彼らにとっては、ホワイトアウトは天敵から守ってくれるありがたいものなんだろう。古いトレースを発見して安心。しかし所々で消え見失う。また、このトレースを信じて闇雲に追うのも危険だ。GPSと磁石の方角を頼りに、緩やかな稜線をひたすら下った。やがて緩やかな登り返しがある。去年歩いたときの覚えがあり、これはまさしく太郎山に向かっていることを確信。
午後4時半、太郎平小屋の真ん前に飛び出した。私たち3人のあと、テレマーカー1人、山スキーヤー1人、ボーダー2人が、小屋に辿りついた。この日は、他に取材で滞在している数人のグループだけで、小屋では、二晩をこたつのある食堂でゆったり静かに滞在できた。
翌日は最高のBC日和。1本目は避難小屋付近(2880m)から中央カールに滑り込む。2本目は金作谷カールを滑って大満足。3本目からはBさんも加わって、避難小屋付近(2880m)から広大な西斜面を大滑降。さらに4本目は休憩所下(2600m付近)から薬師沢右俣の急斜面に飛び込む。薬師岳への稜線を右に左に4本滑って、充実した中日だった。
3日目ははや天気が崩れるということで、朝食後北ノ俣岳を目指す。薬師沢へ滑り込んでみたかったが、空荷で北ノ俣岳から赤木平へ一気に滑り降りる。雪質も良く、とても気持ちよい大斜面だった。そして、さっさと下山にかかる。北ノ俣岳の大斜面の滑降は、今までの斜面が良すぎたのか、物足りなく感じた。避難小屋付近から寺地山へ登り返し、またいくつもの登り返しをしながら、やっとのことで飛越トンネルの登山口に滑り降りた。
最高な3日間だった。