黒部五郎岳の頂に立ったとき、別天地のような黒部源流域の美しさに息を飲んだ。永遠に続くかのように見える五郎沢は、山スキーヤーあこがれの地だと思った。そして雪渓の切れ目から清冽な水がほとばしる黒部源流を登り返し、周囲の名だたる山や谷を眺め回しながら、これまでとは桁外れの大きな山スキーの世界が広がっていくのを実感した。
2004年5月1日(1日目)
飛越トンネル~寺地山~稜線~太郎山~太郎平小屋
神岡新道の登山口は苦い思い出がある。というのも、以前避難小屋泊で北ノ俣岳スキー登山した際に、車上荒らしにあった経験があるからだ。下山後車を走らせて、「さあ温泉だ!飯だ!」って悠長な気分に浸っていたのもつかの間、一人が財布に入っていたお金から札だけがないと言い出したのだ。「ほんとか?」というわけで、車に財布を残していた全員が中身を調べたら、三台の車全部の財布から札だけが抜かれていたのである。車の様子はまったく変わりはなかった。車上荒らしの犯人は、その夜は帰ってこない登山者達だと知っていて、夜中に悠々と泥棒を働いていたに違いない。
2004年GW後半の初日は、素晴らしい五月晴れだった。飛越トンネル手前の車道は、入山者の車でひしめき合っていた。ザックは、できるだけ軽くしたつもりでも、肩にズシッとくる。これから北ノ俣岳直下の稜線まで、標高差1000m以上の登りが待っている。心なしかその重圧を感じながら、私たち夫婦と山仲間の総勢4人で車道をのたりのたりと歩き出す。
トンネル入口左側の登山口から登らず、小沢を挟んだ右側の斜面からつぼ足で取り付く。こちらの方が近道だが、神岡新道のある稜線に這い上がるだけで、大汗をかく。ほんとうに今日は日焼けが怖ろしいほどの上天気だ。ここからスキーをつける。緩い登りならシール要らずのウロコ付きテレマークスキー板は、強い陽射しでいい感じに融けたザラメ雪に良く喰い付いてぐんぐん登る。神岡新道は、寺地山の先の避難小屋までアップダウンがいくつも続くので、どうやらこのウロコ板を選んで正解だったようだ。
テレマークスキーというのは、昨今様々な種類のテレマーク板やブーツが売られていて、雪質やツアーコースなど用途によって、その性能をどのように引き出すかというところが面白いように思う。先週までは、短革靴にダブルキャンバーの細板で、尾瀬の至仏や野反の山々を軽快に滑り歩いた。しかし、北アルプス級の山となると、そのような道具ではやや頼りない気がして、シングルキャンバーでやや幅広のウロコ付きの板にプラブーツにした。プラブーツにしたのは、革靴だとどうしても靴の中が濡れてしまい、泊を伴う山行では不快だからだ。樹間を縫って登ったり滑り降りたり、面白いように先を進む。
ようやく辿り着いた稜線からは黒部源流の山々が一望できる。これから向かう太郎平小屋は、薬師岳のどっしりした山体の左下に、目を凝らさないとわからないほど小さな点である。振り返ると、明日の長い行程である黒部五郎岳や三俣蓮華岳への稜線が続く。時刻は4時を回っていた。歩き出しが9時半だったから、ここまで6時間半もかかってしまった。
午後5時過ぎ、太郎平小屋に到着した。小屋に入って、今夜の寝場所である蚕棚の下段に荷をほどき、すぐさま外に出て薬師岳を眺めながら、みんなで入山祝いの乾杯をした。5月ともなると陽も長くなる。日暮れまでまだ十分余裕もあり、ゆっくりやっていたので、小屋に戻るとすでに夕食が賑やかにはじまっていた。
2日目に続く