能登を想う
能登半島・珠洲~輪島 2002,7/20~21 「あんとき、トビウオが1200も網に入ったけど、漁協に電話したら1匹いくらだと思う?」って、聞かれる。まさか海の仕事で命張ってるわけだから、1匹50円なんて答えるのは馬鹿にしてるみたいで失礼かなと思い、返答に窮する。がっしりした体つきからたぶん若い頃は海女だったにちがいない宿の手伝いのおばあさんは、「たった3円だよ!船の油代にもならんよ。」と声を荒げた。たしかに1匹3円じゃあ危険と裏腹の漁師さんの仕事は大変だなあと思う。でもいいときもまれにある。おばあさんは、こんなブリがなあと手をいっぱいに広げて、「ブリが何トンも網に入ったときはすごかったよ。」とうれしそうに話してくれる。「あん時は朝から夜の10時まで水揚げするのに大変だった。いくら稼いだと思う。1000万だよ。1日でなあ。」おばあさんとの海の話はつきなかった。 宿の夕食に出てきた刺身の中にハチメという魚があった。白身の魚で程良く脂がのっていてうまい。どこかで食ったことのある食感。今までもハチメという名前だけは知っていた。どんな魚かって聞いても、よくわからなかった。しかし今回やっと合点のいく答えに巡り会った。ハチメというのはメバルのことだった。 今回能登半島の先っちょよりちょっと富山湾側の小泊という漁港から、輪島まで漕破した。小泊から出発してすぐに、京都から来たカヤッカー2人組に陸から声をかけられる。輪島から漕破してきたらしい。なかなか元気な人たちで、以前能登から佐渡まで横断したりいろいろ冒険してるらしい。またどこかで再会できるといいなあ。昼になると風が強くなり、やや時化気味。にもかかわらず、能登の海女さんたちは漁に出ていた。港の網繕いの老漁師に、「結構風が強いぞ、無理せん方がええ。」と言われたけど、これで海に出なければシーカヤッカーの名がすたる。風に逆らい波しぶきを浴びながら、快調にパドリング。夏は海と一体になれることを実感。出航して良かった。海女さん達に「頑張って!」て励まされる。沖ですれ違った漁師が冷たい缶ジュースを差し入れてくれる。能登の海は、人情も細やかで最高! 能登・輪島~富来 2002,7/29~30 輪島と富来までの海岸線、特に猿山崎周辺はすばらしい。群馬のシーカヤッカーにとっての身近なゲレンデとしては、佐渡の外海府や粟島に匹敵すると思う。それでもアプローチに片道6時間かかってしまうが・・・。輪島から門前町の黒島までは、逆コースで昨年の秋に漕破済みだ。大沢の港の親切にしてくれたおばちゃん、元気かな。 うだるような暑さの輪島の港で、汗をだらだら流しながらへとへとになって出航準備。午後3時をそろそろまわるのに強烈な日差しはちっとも弱まらないけど、いったん海に出てしまえばこっちのもんさ。海風が涼しくて気持ちいい。今日の目的地までは大した距離でもないので、のんびり釣りをしながら進むことにしよう。これもシーカヤッキングの醍醐味だ。 すると運よくジグにつけたワームに大きな魚が喰らいつき、なかなかいいひきで久しぶりに楽しんだ。どうやらスズキかな。もちろんキャッチアンドストマックだ。上陸したキャンプ地の上大沢の港で、漁師さんから「セイゴか。ひっついてきたんか?」と声をかけられる。こちら45㎝のスズキだと今日の獲物に内心得意満面だったのに、漁師さんからのセイゴという言葉にちょっとショック!スズキはブリと同じで出世魚だから、45㎝くらいではまだセイゴなのか。知らなかった。漁師さんにセイゴと言われちょっと意気消沈したけど、それでも、シーヤッカー1人分の夕食にとっては食べきれない大きさ。 ところで、大沢の港はシーカヤッカーのためにあるようなキャンプ地だ。スロープのすぐ脇が小さなキャンプ場で、ちゃんと水洗トイレはもちろん自炊用の施設も整っている。セイゴをさばくのもとても便利だった。(注意;2002年7月当時の様子) パプリカとパセリとアンチョビのオリーブオイルをもってきたのは賢明だった。欲を言えば白ワインがほしかったなあ。さらにバターとニンニクも・・・スズキは白身の淡泊の魚だけど、適度に脂ものっていてデリシャスだった。冷えたビールはもちろん準備してきたので、とても豪勢な夕食になった。能登の漁師の皆さんはシーカヤッカーにとても親切だった。わざわざ近付いてきて、どこまで行くのか聞いたあと、「大変なら引っ張ってやろうか」なんて声をかけてもらったり、ウニ採りの最中なのに話をしてくれて「がんばれ」と励まされたり、何回来ても感じがいい。いい関係をつくっていきたいなあと思う。シーカヤッカーにとって出来ることは、海を汚さないことと、能登の人と自然のすばらしさを宣伝することくらいかな。そういえば門前町は総持寺がある町で、バスの運ちゃんの話では利家とまつブームでちょっとしたにぎわいだそうだ。おかサーファーならぬおかカヤッカーになって、利家とまつの縁の場所を訪ねてみるのも楽しそうだ。 夕飯後は何もすることがなく、ラジオのニュースを聞きながらいつの間にか寝てしまった。翌朝4時頃、漁船が次々と港を出ていく音に目覚めて起き出す。刺し網を揚げに行くのだろう。のんびりと朝の時間を過ごす。我がキャンプ地には野の花が咲いていた。そういえば荒々しい断崖にカンゾウのオレンジの花が点々とあった。コーヒーの次に朝飯の準備。昨日のスズキはまだ半分残っているので、貴重なたんぱく源の食材だ。 7時に上大沢のキャンプ地を出航。昨日の感触がよみがえり、早々に竿を出す。皆月湾を越えて猿山崎を過ぎるまでずっと粘ったが、2匹目のドジョウはいなかった。それにしてもこのあたりが今回のハイライトだ。ほとんど廃道化した遊歩道がますます人跡未踏の雰囲気を醸しだし、すばらしい。上陸できるような場所はほとんどないがいくつかビーチがあるので、そんな場所でキャンプもいいな。猿山崎を越えると断崖を落ちる小さな滝がいくつか。その一つは途中からシャワーのようにはじけていて、そこは小さな野鳥の楽園になっているようだ。カヤックで近づくと小鳥たちの激しいさえずりが、上陸をためらわせた。自然のシャワーを浴びてみたかったけど、小鳥たちのためにもちろん断念した。 11時前に猿山崎を越えて門前町の黒島に上陸。ここは北前船の角海家という船主が栄えた港らしい。北前船資料館があり、入場料300円。さらに足を伸ばして赤神の港へ。午前の部を終了。昼間は暑すぎて熱中症になるので、ここにカヤックをデポしてバスで輪島へ戻り車の回収をすることに。ついでなので回収してさらに赤神から先のゴール地である富来まで車をもっていき、バスで赤神に戻る。そうすればゴール後車の回収はしないですむから楽だ。ところが、富来から戻り赤神からのツアーを再開したのは、もうまもなく午後5時になろうという時間になってしまった。サンセットクルージングは計画していたけど、ナイトクルージングはアクシデントだ。出来れば避けたいなあ。でも、覚悟しなければならないだろう。赤神から、泣き砂の浜も関野鼻もヤセの断崖も、ちょっともったいないけどハイペースで素通り。玄徳岬から海士崎までの海岸線も、素朴でなかなか捨てがたい味がある。 海士崎を過ぎ、千浦の手前で日没。何隻ものイカ釣り船が、けたたましいエンジン音を夕闇に響かせて、富来の港から沖に出ていく。暗闇の中、漁船にぶつけられたくないのでストロボライトを使ったが、大変役に立った。やがて完全に暗闇の海を、さびしいネオンが目印の富来のビーチに向けて進む。ドキドキは漁船の接近以外なかったので、ちょっと残念。午後8時、無事ゴールした。