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白砂川赤沢遡行2012

野反湖からぐんま県境稜線トレイルCエリアを歩く。いよいよ白砂山からのんびり稜線漫歩を楽しんで上の間山へ。山頂で小休憩してからコメツガの密林の森を下りきると、刈ったばかりの快適な稜線トレイルが赤沢山へと続いていく。切れ落ちた群馬県側の斜面は赤沢源頭で、かつて2度ほどここを白砂川本流から詰めた経験があります。 2度目は白砂川の紅葉が見事な時期で、2012年です。前日は白砂川を遡行して大空堀沢を過ぎたあたりで河原にビバークしました。 この日は猟師の沢の出合から大高巻きに大汗をかいたからか、稜線では冬型の冷たい北風が吹いたことも気付きませんでした。白砂山は初冠雪したようでそれを知るのは翌日のことです。 翌日、スルスの岩洞を確認した後、赤沢を詰めます。スルスの岩洞は、かつて熊猟師がここを根城にして熊を捕ったそうですが、岩洞には古いシャベルが残されていました。山岳会の大勢の仲間と初めて来た1回目の時は夏でしたが、ここに泊まりました。 赤沢は鉄分の濃い赤い沢が名の由来だと想像できますが、実際は赤い川ではないです。水線を超えると沢床は雪景色に変わりました。ここまで河原の砂地には熊の真新しい足跡がいくつも残されていましたが、新雪にも熊の足跡が付けられていたのにはびっくりさせられました。藪に潜んだ熊はどこかで私たちをやり過ごしたに違いないです。 濡れた沢靴で雪の上を歩くことが不安になりますが、とにかく上を目指しました。 やがて稜線が近付いてくると傾斜も大きくなってきました。草木をつかみながらガレ場を攀じ登ります。 ようやく上ノ間山と赤沢山との間の稜線上に全員が立てたのは、午後1時半を少し過ぎた頃でした。稜線上の初雪はすでに大半が融けて消えていました。 秋の陽はつるべ落としですから、明るいうちに下山したいところでしたが、ここからは藪漕ぎが待っています。上ノ間山東斜面のコメツガのジャングルは今となっては良い思い出です。足のつかないハイマツのようなコメツガは、背中の大きな荷が邪魔になり苦労しました。でも何とか上ノ間山の山頂に立てた時はほっと一安心できました。ここからは笹薮を漕ぐだけです。 ここまでで後続の仲間の足はかなり遅いペースになり、とにかく日が暮れないうちにあの遠くに見える白砂山までたどり着かなくてはと焦ったことも思い出します。 今なら1時間のコースタイムで上ノ間山から白砂山まで歩くことが出来ますが、この時は3時間かかったようです。 でも残照を浴びて赤く染まる白砂山稜線の美しい光景と出逢うことが出来ました。夕日に向かって笹を掴みながら一歩一歩進む心の充実感。 猟師の尾根の頭を過ぎたあたりから、太陽が目の高さまで落ちてきました。遅れてくる仲間を振り切って先に白砂山山頂へ向かいます。 確実に暗くなってから辿り着くだろう仲間にヘッドランプの灯りで白砂山山頂の場所を知らせなければという判断でした。 全員が白砂山山頂に立てたのは午後5時半。山頂はいよいよ漆黒の闇に包まれようとしていました。 白砂山からはヘッドランプ頼りで歩くことになりました。白砂山登山口に下山したのは、午後10時半でした。 今となっては、2018年夏にぐんま県境稜線トレイルが開通する前、私にとって貴重な記録であり想い出の一つです。

奄美大島TRIP2001

奄美大島を漕ぐ 2001年12月 奄美大島行きの飛行機には、TVの報道スタッフたちが膨大な放送機材とともに同乗していた。奄美大島沖で海上保安庁の船に追跡され、抵抗したあげく自沈した不審船事件の取材のようだ。奄美大島へのシーカヤック旅は、2ヶ月前から計画していた。数日前に突然この不審船の事件が起こり、少々不安な気持ちで奄美へやって来た。今回の事件で、日本の沿岸海域もかなり物騒であるということが印象付けられた。カヤックで海に出ていて、不審船に襲われることだって起こりうるかもしれない。そう考えれば、不審船が沈没したことは不幸中の幸いと思わなくてはいけない。この事件がなければ、奄美大島近海でまだ不審船が出没していたかもしれないのだから。それにしても、海上保安庁は、無防備なシーカヤッカーにとって心強い味方だ。いやいや、奄美大島までノコノコやってきた私たちのカヤックこそ、不審船に間違えられたらどうしよう。  羽田ではダウンを身にまとっていたが、さすがに奄美大島の気候は温暖で、次々と上着を脱ぎ捨てていく。ホテルの迎えの車の中で、とうとう半袖になった。車窓から緑の景色が流れていく。生気に満ちあふれた草木を眺めるのは数カ月ぶりである。今回は、笠利湾の芦徳というところにあるリゾートホテルをベースにカヤックで奄美大島を旅したい。今朝群馬を旅立つ時、我が家は積雪15cmで一面の銀世界だった。亜熱帯性の気候だとはわかっていても、これだけ気候が違うと変な気分である。奄美の森には紅葉はないらしい。雪も当然滅多に降らないが、降ることもあるというのが反対にびっくりだ。だから一年に一度あるかないかのあられが降ったりすると、授業中だろうが子供たちは狂喜して外に出ていくそうだ。ホテルで2週間前に宅急便で送っておいたカヤックを受け取り、午後はのんびり組み立てた。南の島に日が沈むのは、ゆっくりだ。夕方、奄美の海にちょっと漕ぎ出してみた。少し沖に出ると、海はエメラルドに輝きはじめた。水深が深くなるにつれてエメラルドは濃厚になり、奄美の海の美しさに感動する。そして、ある境からエメラルドは神々しいほどの深いブルーに変わる。大きく開けた湾の入り口に目を凝らすと、水平線が蜃気楼のようにぼやけて見えた。岬には大きな白波が砕け散っているようだった。山の端に日が沈むまで、穏やかな笠利湾を気ままに漂った。 奄美の漁師には、魚介の恵みはニライカナイからの贈り物だという素朴な信仰がある。笠利湾に立神と呼ばれる岩があって、漁に出るときも漁から帰るときも、この岩に手を合わせる。立神様というのは、ニライカナイの神様が村人に迎えられる前に一時休まれる場所だそうだ。奄美大島の地図を眺めると、どこの入江にも外海への出入り口に必ず立神という岩がある。そういえば、海がない群馬には、天狗の休み木というのがある。天狗様を祭る石宮があり、毎年4月17日にお祭りをやる。天狗の休み木は古くて大きな栗の木で、天狗がここを通るときに休む木だといわれている。海も山も、昔の人の信仰心はなんだか似ている。 11月になると奄美クレーターと呼ばれるこの大きな湾奥にシイラの群れが入り込んでくるそうだ。今年は不漁だったらしいが師走のこの時期になって、シイラが釣れだした。漁師のまねをしてカヤックからルアーを引っぱると、大きな手応え。格闘の末、奄美の海の結晶のような美しい魚体が姿を現した。3匹釣り上げた。2匹はニライカナイへお返しして、1匹だけホテルに持ち帰って夕食に出してもらった。板前さんのご厚意で、綺麗にお皿にのせられた刺身は絶品だった。 後日談がある。どこの馬の骨ともわからない島外から来たカヤッカーがシイラを3匹も釣り上げたことが噂となり、数日後獲物を狙う漁船の数が急に増えたとか・・・ 昨夜、強い寒気の南下で九州南部の山にも雪を降らせた。東シナ海側に面している笠利湾も、波風が激しくなりその影響を大きく受けていた。これではカヤックが海に出せない。カヤックを解体してレンタカーに載せ、太平洋側に注ぐ住用川へ行くことにした。不審船の攻撃で被弾した保安官が入院しているらしい名瀬の病院の前を通り、昼前に住用川河口にあるマングローブ館というテーマパークに着いた。ここでは、マングローブの森の生態系についての資料館とリュウキュウアユの保護増殖、そしてカヤックツアーを行っていた。リュウキュウアユのいけすで作業をしていたおじさんに、素朴な質問をぶつけてみた。鮎といえば友釣りである。リュウキュウアユも釣れますかねと聞きたくなるものだ。おじさんは困惑した顔をして、ここでは保護増殖しているものですから釣りをする人はいませんねと答えてくれた。ごもっともである。 亜熱帯の島・奄美には、山にも川にも海にも濃い森がある。森が奄美の自然を守っているのだ。太古から奄美の人たちは、森の自然を崇めてきた。 天候は不順で、時折通り雨がある中でカヤックを組み立てた。マングローブ館の片隅から、いよいよマングローブの生い茂る住用川に漕ぎ出す。一時間後にちょうど満潮になるので、船を出すタイミングとしてはバッチリだ。この夏、西表島でもマングローブの川で漕いだことがあったが、住用川の方が雰囲気がある。小さな水路に入り込んでいくと、突然大きな魚がマングローブの浅瀬を逃げまどう。オレンジ色の実がいくつも岸辺近くに浮かんでいた。何だろうと拾ってみると、おいしそうなタンカンだ。家内が皮をむいてみると、甘くて酸っぱい香りが鮮やかに広がる。口に含んでみると、香り同様うまい。合計三個いただいた。これこそ森に住む山の神の贈り物かもしれない。  冬型の気圧配置が弱まったにも関わらず、今朝も笠利湾にはその余波がまだまだ残っていた。レンタカーで思い切って島の反対側の大島海峡や加計呂麻諸島の海を見に行くことに決めた。島をほぼ縦断する道は、随所にトンネルが掘られ短時間で行けたが、いつか奄美大島を1周することを考えて、東シナ海側の海岸線の道をわざわざ遠回りした。名瀬市街を通り抜けてしばらく行くと、大きな入り江ごとに現れる漁村の風景は、みるみる寂しいものになっていく。しかし、この素朴さがとても魅力的だ。断崖絶壁の荒々しい様は、きっと冬の厳しい波風に削り取られたからだろう。白波が砕け散っているこの海も、夏はいたって穏やかにちがいな ようやく宇検村にはいると、先ほどまでの東シナ海側の外海の荒々しい風景から一転して、湖のようなのどかな焼内湾があった。深いリアス式海岸に沿って道が付けられているため、ほんとうに遠回りの道である。峠道を越えて、ようやく瀬戸内ともいわれる大島海峡の海が見えたときは、あまりの感激に長時間ドライブの疲れが吹き飛んだほどだ。向かい側に浮かぶ加計呂麻島もさらに複雑な形をしていて、大島海峡の海は初めてやってきた私たちには、どこがどうなっているのやら見当もつかない。ただ、さすが内海なので波は穏やかで、カヤックを出すのに何の問題もない。とりあえず右に大島海峡の海を見ながら、古仁屋の町を通り過ぎて太平洋側に突き出た小さな岬にあるホノホシ海岸へ向かった。 7月はじめに、ここ大島海峡ではシーカヤックマラソンという催しがある。シーカヤックで42.195キロをレースするというハードな競技である。ツーリングで42.195キロを進むということは、私たちにとってはまず無い。もし1日で進んだとしたら、きっと次の日は出発できないくらい疲れ果てていることだろう。でも、キャンプ道具も積まない軽い船で、1年に1度とにかく力の限り思い切り漕いでみるのも、おもしろいことかもしれない。また全国から来たシーカヤッカーと速さを競い合ったり、交流がもてたりするのも楽しそうだ。ホテルの社長さんたちから、カヤックを無料で貸すから来年こないかと熱心に進められた。しかし7月に休みがとれるわけがないので、私にとっては参加するなんて夢のような話であり、とても残念である。 ホノホシ海岸の反対側にある、大島海峡に面した小さな入り江から出艇する。大島海峡の太平洋側の出入り口にあたる神の鼻を目指してみることにした。加計呂麻島と神の鼻の海峡から先は、大海原が広がっている。波も風も穏やかで、海峡の真ん中に呆然と浮かんでいると、海の深い色に吸い込まれていきそうで、気味悪い心地がする。ジュラルミンのキールと薄いビニールの船体布のすぐ下には、どこまでも深く青い奄美の海が横たわっているのだ。突然、変な縞々が海の中から浮き上がってきた。ウミヘビだ。私たちのカヤックに気づいたように、鎌首を上げて様子を窺ったが、やがてまた深い海の底に潜っていった。これはニライカナイからの使いかもしれないなあ。どうやら潮が動き出したようで、海峡に小さな渦巻きがいたるところではじまった。外海に出るのはやめて、引き返して大島海峡の真ん中にある俵小島を目指す。サンゴの海を覗き込んだり、ルアーを投げたりしながら日が暮れるまで大島海峡の海を堪能した。 最後の日も、海に出た。2日間遠ざかっていた笠利湾も、今日は穏やかである。ただ、まだ北風が吹き、外海に出るのは辛そうだった。湾の出口近くにあるクジラ浜まで行ってみたかったが、途中で雨雲が通り過ぎるとき突然突風が吹き荒れた。瞬く間に波が立ち、時化状態になった。追い風と追い波に乗せられて引き返した。カヤックはサーフィンのように進み、岬の陰へと避難した。雨雲が通り過ぎると、また穏やかな海になり、暖かい日の光も射し込むようになった。もう時間的にクジラ浜まで行けないので、手前の小さな無人の浜に上陸してみた。やさしく打ち寄せるエメラルドの波に白く洗われる砂浜が美しい。浜のすぐ後ろには、アダン、ソテツ、クワズイモといった亜熱帯の樹木やハイビスカス、ツワブキ、トランペットエンジェルの可憐な花たちが、自生している。奄美の海に、どっぷりと浸かった数日間だった。最後に、記念写真を撮る。 浜には、たくさんの漂流物が打ち上げられていた。東シナ海はやはり中国に近いから、中国製のものが目立った。殺虫剤のスプレーなど、なぜかクリントイーストウッドが害虫をやっつける用心棒だった。清涼飲料水のペットボトルのラベルの裏には、中古のパソコンを高く買いますという広告だろうか?漂流物から外国のお国柄を伺い知るのも、なかなかおもしろい。 日本のゴーギャンといわれる田中一村も、中央画壇に反発しこの奄美に漂流してきた。実はこの夏、石垣島の書店で、田中一村のことが書かれた文庫本に出会ったことが、今回の奄美大島TRIPへとつながった。奄美の亜熱帯の自然を描いた田中一村の絵は、ゴーギャンのように陽気ではなかった。最晩年に描かれた奄美の自然は、宗教画のような神秘性を感じた。一村の生き方は、ゴッホを彷彿とさせる。生涯、自分の追い求める絵を描くことだけにすべてを捧げた一村は、死後ようやく評価される。 空港の売店で、笠利町出身の歌者、里国隆のCD「黒声(クルグイ)」を土産に買った。そういえば、津軽に高橋竹山がいたことを思い出す。

西表TRIP 2006

見えるもの、聞こえてくるもの、臭うもの、感じるもの、すべてが目眩するほど生気溢れる夏の西表。いつかもう一度漕いでみたい思っていた。そして、やっと再訪することのできたクリスマスの西表は、また、違った表情を見せてくれた・・・ 浦内川 12月25日 南の島は、時間がまったりと流れている。太陽もなかなか昇ってこない。約束の時間にいつも遅れてくる人でも、笑って毎日が過ごせそうだ。コーヒーカップ片手に芝生の庭のソファに座り、朝日に照らし出される海を眺める。身体のリズムが、ゆったりと響く波の音にぴったりと重なり合う。 まったりとした海も、日が昇るにつれ風が吹き出し、みるみる外海が荒れ出した。今日は浦内川を遡ってみることにした。うなり崎の陰に隠れた内海の月ヶ浜を横切り、アトク島との狭い河口部を抜けて浦内川に漕ぎ入る。ずっと追い風ですんなりと進むが、帰りは向かい風だからどうなることか・・・ 浦内橋をくぐると、いよいよ亜熱帯らしいジャングルの雰囲気が高まるが、観光船のけたたましいエンジン音はちょっと・・・小さな支流に漕ぎ入るとつかの間の静寂があり、探検気分にちょっぴり浸ってみる。観光船やガイドツアーはなかなか賑やかで、私たちがとてものんびりできるような様子ではなかった。上流の滝へ行ってみるつもりだったが、どうでもよくなった。それよりも潮が引かないうちに下降し、星立天然保護区域というところを見ることにした。 下降は向かい風が厳しい。カヤックツアーの一行は、帰りは観光船にカヤックを積んで、私たちを楽々と追い抜いていった。星立天然保護区域に入り込むと、風が収まった。マングローブ林に小さな水路がたくさんあり、今度はゆっくり探検してみるのも楽しそうだ。 浦内川河口は風の通り道で、向かい風がいっそう激しくなった。這々の体で風の陰になる河口のビーチに上陸した。さてここから、外海の荒波の影響を受ける月ヶ浜の湾を横断しなければいけない。どうしたものか。 月ヶ浜は、美しいビーチだった。漕ぐのではなく、引っ張るのも楽しいものだ。経験と勘で的確な判断を下していかなければならない。それが一番重要なことだ。そして、何でも自分で発見することが一番の楽しさだ。 うなり崎 12月26日 20回目のアニバーサリーだ。シェフの計らいに感謝。この日のディナーのメニューを記しておく。 前菜・猪肉のスーチカ・アボガドと島野菜・猪肉のトマト煮スープ・島野菜のミネストローネ(四角豆・平インゲン・ダイコン等)パスタ・アサリとアーサのリングイネメインディッシュ魚 アイゴのハーブ塩包み焼き肉 猪のカイエット・石垣牛のステーキデザート・紅イモの半生ケーキ 関東は大荒れの天気だったらしい。南の島ののんびりとした黄昏の時間を満喫。 白浜~舟浮~仲良川 12月27日 南の島にも北風が吹く季節。外海が荒れる毎日だ。なのでこの日は、レンタカーでカヤックを運び、白浜から出艇することにした。この機動力が折りたたみカヤックの利点。今朝の波の感じでは、うれしいことに昨日までよりずいぶんおだやかそう。芝生のプライベートビーチから出艇できたかもしれなかったけれど、まあ、いいさ。 白浜の港は、かつてカヤックで辿り着いて二晩過ごした思い出がある。とても懐かしい。2つのカヤックガイドツアーが出艇の準備をしていて、私たちもせわしなくカヤックを組み立てる。昨日までより穏やかといっても、やはり外離島のリーフには砕け散る白波が見える。1時間でカヤックを組み立て出航。北風が追い風になり快適。船舶を誘導するブイが浮いている内離島との狭い海峡は、砂州がさらに海峡を狭めているが、カヤックはどこでも自由自在に進路がとれるのがいい。 小一時間で船浮港に上陸。小さな集落を歩いてみる。古びた掲示板の学校だよりを見つける。南の島のさらに最果ての地に住む人々の暮らしは、どんなだろうと想像してみる。 帰りは向かい風。海峡横断して仲良川を遡った。船浮湾の奥深く、クイラ川を探検してみたかったけれど、次回のお楽しみだ。舟浮集落にも、何日かのんびりと滞在してみたい。 この日の夜、ディナーのメニューに、コゴミのお化けのような山菜が出た。まさに南の島のおおらかなジョークである。南の島は、どんなに疲れた旅人もやさしく癒してくれる・・・

野反湖から秋山郷越えの道2025-9-6

野反湖の白砂山登山口を朝6時半に歩きだす。朝の気温は12度。森の木々の色も少し黄色味を帯びて、さすがに猛暑だった夏の終わりを感じさせてくれる。地蔵峠から北沢に降りて九十九折れの道を登る頃から笹薮が道を覆う。誰かが付けてくれたピンクテープを見つけると安心する。左京横手の一端に登り上げると、馴染みのある国有林払い下げ物件の古い看板を確認。色あせて文字が半分以上読めなくなっていた。最後に抜けたのは2021年9月だから、いつの間にか4年も経っていて、月日の流れをしみじみ実感できる。 左京横手という名前通り、野反湖から見ると大倉山の左側を巻くように上手く付けられている。しかし歩く人が滅多にないので、道型が崩れてしまっている。さらに小指ほどもある根曲がり竹が、鋼のように繁茂して私たちの前進を阻む。 最初に荒砥沢を確認してやっと一息つけた。藪はこれからもっとひどくなるだろう。30年以上も前から何十回となく歩いて来た道のはずだから迷うことはないと自負もあったけれど、ここまでで不安な気持ちが高まってくる。 左俣沢から小さい沢を二つ越えてイタドリ沢を確認。いよいよここからが正念場だった。西大倉を巻くように付けられているとわかっていても、先行者がかき分けた痕のある方向を選んでしまう信念のなさに情けなくなる。そっちの方が楽に見えるからついつい辿ってしまう。結局正しい方向は、記憶にあった方向だった。 今回は西大倉の位置の現場確認もしたかった。山地図では地形図の1748mPを西大倉山(大倉峠)としている。しかし日本山名要覧(武内正著)には1790mとあるので、西大倉の位置は下の地図の場所が考えられる。実際に歩いて1790mの地形を探してみたけれど、深い藪に阻まれてほとんどわからなかったのが残念。地形図の等高線では西大倉にふさわしい場所のように見えても、実際はピークの名にふさわしい地形なのかは残雪期に訪れてみないとわからないかもしれない。 午前10時48分、大倉峠の入り口に達する。千沢から聴こえてくる沢音も、長い藪漕ぎが終わったことでようやく心地良く響く。青い空に映える岩菅山連峰も私たちの苦労をねぎらってくれる。 ここからは大倉坂の九十九折れを標高差700mを下って渋沢ダムまで1時間半のコースタイム。お昼頃には着くだろう・・・ サンビキから千沢を挟んで左京横手の道を想像してみる。西大倉と大倉峠の位置はあっているかどうかは見た感じなので本当かどうかは検証が必要。

八ッ場あがつま湖E-MTBお散歩2025-9-3

ほっとぐんま630のニュースで貯水率17%の八ッ場ダム湖のニュースを見た翌日です。まだ水不足の心配とかは騒がれていませんが、八ッ場ダムの観光業には悪影響も出ているとか。確かにここまで水が少ないと、水陸両用の遊覧船ニャガテン号も運行できないでしょう。でもダム以前の時代を知っている世代にとっては、湖底に沈んでしまった昔の懐かしい風景の痕跡がみられるのは楽しそうです。 家の書棚にはかつて使っていた国土地理院の2万五千図地形図がありました。これを頼りに探してみました。 この橋はどこだったっけ? どうやら河原湯岩脈付近にあった橋のようです。さらに国道と吾妻線らしき跡から、断片的ですが当時の風景が思い出されてきます。地図を見ると橋のたもとに学校マークがあるので長野原第一小学校でしょうか。こんなところにあったっけ?でも小学校のたたずまいはぼんやりとですが覚えています。 不動大橋を渡って新しい川原湯温泉の方へ向かいます。昔の川原湯温泉はどのあたりだったのかとても知りたくなります。 川原湯温泉駅を過ぎると、道らしき跡が湖底から浮かび上がっているのを発見。これは昔の川原湯温泉のメイン道路でしょうか。殺風景なこの風景からは当時のレトロな温泉街の様子は感じられません。 新しく出来た川原湯温泉街を過ぎて、八ッ場大橋から昔の川原湯温泉街の痕跡を探してみましたが、わかりませんでした。左岸に敷かれていた吾妻線の線路跡がわかるので、これを目印に古い地図と照らし合わせて思いを巡らせてみましょう。 今日も猛暑で照り付ける陽射しは肌を焦がすほどでしたが、いったんペダルを漕いでスピードに乗ると風も涼しく感じられて快適でした。もちろんEバイクだからでしょう。小一時間で八ッ場ダムあがつま湖を周りましたが、最後に吾妻線の新旧を一枚の写真に収めるスポットを見つけました。 上の写真を見て、鉄道マニアの方ならすぐにわかりますね。 八ッ場あがつま湖の渇水はまだまだ続くとは限りません。明日から台風が来るので、今回の風景はまたすぐに湖底に沈んで見られなくなるかもです。

上ノ間山の熊2025-8-28

白砂山から上ノ間山へと続く稜線は、笹原と針葉樹の森が織りなす伸びやかな風景が魅力です。8月は猛暑続きの上にガスのわきやすい天候が多かったので、稜線でこんなに素晴らしい天気に恵まれたのは久しぶりです。振り返ると草津白根山の向こうにひょっこり小さく四阿山の頭がわかります。 三国境から苗場山へと続く稜線の先には佐武流山も堂々と聳えています。その左奥には鳥甲山も。 そしてこれから行く手には、上ノ間山から忠次郎山さらに谷川連峰へと続く群馬県境稜線トレイルの山々がはっきりわかります。 猟師の尾根の頭へと下る笹原の斜面を夢見心地で稜線漫歩。秋の風が感じられます。ワンダラーになったような気分です。 猟師の尾根の頭を過ぎると、上ノ間山が眼前にどんと現れます。前回はガスの中でわからなかった大熊岩も黒々とした塊の姿で目に飛び込んできました。上ノ間山の大熊岩とは、ほんと久しぶりのご対面です。 白砂川に向かって大空堀沢の斜面を駆け下っているかのように見えます。スルスの岩洞のある白砂川源流域は、かつて吾妻の熊猟師が活躍した猟場です。 標高2033mの上ノ間山頂も、360度の大展望が楽しめます。振り返ると歩いて来た白砂山からの稜線がはっきりわかります。左奥の草津白根山からもまたひょっこり四阿山の頭がわかりました。 そして、赤沢山から忠次郎山へと続く稜線です。左奥の苗場山と神楽峰もわかります。登山道は笹薮で見た目はわかりにくいですが、今日みたいな日は風で笹も乾いていて快適に歩けました。花は少なくなりましたが、赤沢山手前の群馬県側ガレ場でウメバチソウの群落がありました。その中に一本イワショウブが混じってました。 これからどんどん秋めいてきて、草木も色付いていくことでしょう。紅葉の稜線トレイルが楽しみな季節になります。

米子大瀑布周遊コース2025-8-26

午前中は万座温泉から志賀高原をずっと回って来て、夕方3時過ぎにようやく滑り込みセーフで日没前の米子大瀑布の登山口に到着。駐車場は閑散としていましたが、ぐるっと周遊コースを歩いてきました。 暗い森の中の道は整備されていて歩きやすかったです。きっと日中たくさんの方が訪れている感じです。不動滝の下に立ち圧倒されます。 センジュガンピやカニコウモリ、キオン、サラシナショウマなど、いろいろな花にも出逢えました。 そういえばゲリラ雷雨に遭うかもしれないことを忘れていました。急いで権現滝から硫黄鉱山跡の高台を周って帰ります。 午後4時半、雨には逢わずなんとか日暮れ前に戻れました。その後車での帰り道に滝のようなゲリラ雨に遭ったのでラッキーでした。 猛暑から逃れるには滝見物が涼しくてお勧めです。

第19回ノゾリチャツお散歩ツアー2025-8-23

今年は貯水率が100%近い状態がずっと続いていた野反湖ですが、お盆頃から水位がどんどん下がってきました。水中だったところが地上に現れ出ると、いろいろと新しい発見もあります。 グランドキャニオンみたいな地形を発見。柔らかい土壌をゲリラ雨が侵食してできたのでしょうか。 湿地の植物たちは水が引いていくと困ることでしょう。でもこのモウセンゴケの群落は、生き生きとしていました。鮮やかな赤色の毛氈で獲物を今か今かと待ち受けているように見えます。 そして、蝶たちも盛んに花から花へと跳び回って吸蜜していました。いつもの湖畔へ降りる一周コースは、小一時間のお散歩の中で様々な自然との会話を楽しみます。 お散歩するとお腹も減ります。今日は久しぶりに舞天丼盛でお腹いっぱい。ちょうどお昼の時間にゲリラ雷雨に遭いましたが、屋根の下だったのでラッキー。 チャツボミゴケ公園に着いたら雨も止んで、ちょうどタイミングよく陽射しにも恵まれました。雨上がりのコケは一段と緑が鮮やかに感じました。 8月の猛暑で茶色く枯れたようになっていたチャツボミゴケも、ようやく新緑が萌え始めています。今日のゲストさん達にもチャツボミゴケの生態の神秘的な魅力が伝わったようです。初めて見た光景に深く感動されていました。 ハート形だった流れの中の石の上にも、また新たにチャツボミゴケの緑が育ち始めています。わかるかな?

六合の里の古道調査2025-8-22

六合の山里は、お盆を過ぎるとめっきり涼しくなっていつの間にか秋めいてきます。今年は残暑が長引いて、まだそんな気配は感じられません。忙しくいろいろなところを周ってきましたが、古道の荒廃が進んでいました。山地図からまた一つ廃道として消さなければいけなくなりました。かつて学校道として通学路でもあった道です。当時の小学校も中学校も廃校になったのはもう20年も30年も前のことですから、寂しいことですが時代の流れであり当然の結末でしょう。 悪いことばっかりではなく、収穫もありました。群馬県境稜線トレイルの山々を一望できる展望台が整備されていました。今日は雲がどんよりと垂れこめた天気でしたが、これから秋晴れの空気が透き通ったような日なら、素晴らしい景色が楽しめることでしょう。 こちらは、世立集落の途中で見つけた双体道祖神。なんとなくユーモラスな雰囲気を醸し出しています。いったい何を持っていたりどんな着物を着ているのでしょう。髪型も面白いです。天保と刻まれていますが江戸時代後期の頃です。江戸から明治にかけて盛んに立てられた石仏が、中之条町の六合の里にはたくさん残されています。 栗やミズナラ、クルミなどの実がこれから実る季節になりました。クマさんもお腹いっぱいになるためにたわわに実る木の実を探し求める季節です。昨秋もMTBでばったり出遭ったりしたので、気を付けなければです。 最後にふるさと活性化センターに寄ってから帰りました。上世立にある「ふるさと活性化センター」は、金曜日と土曜日、日曜日の3日間の営業です。ただし、冷やしうどんは土日のみです、

白砂山の妖精に逢う2025-8-20

シラビソ尾根の登山道上でオコジョらしき新しい糞が落ちていました。この辺りはオコジョに逢ってもおかしくはないなといつも思いながら歩いていますが、今日も痕跡だけでした。 午前10時過ぎ白砂山山頂到着。山頂は平日でもあり、私たち4人だけでした。のんびり会話をしながら休んでいたら、なんと群馬県側の笹薮からひょっこりオコジョが現れました。 最初はすぐに笹薮の中に引っ込みましたが、次は大胆に私たちに好奇心があるのか跳び回りながら近付いてきました。前のめりに写真を撮ろうとすると、笹薮の中にいったんは逃げ込みますが、しばらくするとまた現れて近付いてきます。 オコジョが一度現れたら、なるべくその場からじっと動かないことが長く観察できる秘訣です。しばらくの間は私たちに興味があるのか周りを飛び回ります。ほんとうに可愛らしいです。 ところがそんな姿からは想像しにくいですが、オコジョは獰猛な肉食獣です。自分よりも大きなウサギなども獲物になるようです.。ぴょんぴょん跳び回るのは死のダンスといわれていて、実は獲物に飛び掛かるすきを狙っているらしいです。この愛らしい瞳とはうらはらに、いったい私たち人間に対してどう思っているのか知りたくなります・・・