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野反湖畔一周トレッキングガイド2025-6-30

6月最後の日は野反湖一周トレッキングガイドでした。晴天に恵まれ、ちょうどノゾリキスゲも咲き始めて、ゲストの皆さんにもゆっくりと楽しんでもらいました。 午前中は野反峠から野反湖キャンプ場のビジターセンターまで西岸遊歩道を歩きました。どじょう小屋沢辺りまでは岳樺のメルヘンチックな森を歩きます。森を抜けると湖の風景が広がります。そして押出しの岬を周りエビ平へ。ここにはベンチがあるので大休止。今年はコバイケイソウが当たり年のようで、エビ平では華やかな姿で私たちを迎えてくれました。 今日は少し乾き気味のさわやかな北風が吹いてくれるので、快適に歩けました。蛇帝ヶ原から白樺渕を過ぎてテンバのお花畑まで来れば野反湖キャンプ場のビジターセンターまでもう一息です。ここでゆっくりお弁当休憩としました。午後はここからロックフィルの野反ダム堰堤を歩いて白砂山登山口からバス移動で大空堀駐車場へ。野反湖は近年にない満水状態で、ダム湖ではない天然湖のような風景で楽しませてくれました。 大空堀の駐車場から東岸遊歩道を歩いて池平へ。先週のレンゲツツジが満開の見頃だったことがまるで夢だったように、すっかりノゾリキスゲと入れ替わっていることにびっくりでした。富士見下で湖畔に降りてみました。水辺の片隅にモウセンゴケの一群が見られました。 一周ゴール後、コマクサのガレ場にもプチガイド。ここからの野反湖の景色も素晴らしいです。

芳ヶ平湿地群ガイド研修会2025-6-26

ここ数日は雨マークの日が続いたのと、昨夜半は大雨だったようで、渋峠からの登山道を歩くのに長靴が大活躍しました。大きな水溜りと沢下りの連続がダマシ平まで続くので、長靴なら水溜まりの深さも気にせずバシャバシャ歩けました。ただ滑りやすい岩もゴロゴロしているので、転倒注意です。ダマシ平手前に今も置かれている江戸時代の古い石碑は、当時の道普請の記念碑だと思われますが、この登山道がいかに長い年月をかけてたくさんの人が歩いて来たかということを伝えてくれているようです。 午後からの雷雨予報が気になりますが、午前中は穏やかな天気に恵まれました。ただ知らぬが仏で、この時間帯に草津白根山の火山性地震が活発になっていたとのことです。私たちは次々と咲き誇る高山植物の花々に心奪われながら歩いていました。 オオシラビソやコメツガ、トウヒの森の小道には、モミジカラマツやツマトリソウ、ミツバオウレン、マイズルソウ、イワカガミ、ゴゼンタチバナ、イワナシ、クロウスゴ、コヨウラクツツジ、ツガザクラなどたくさんの花々が見られました。いよいよ芳ヶ平湿原に降り立つと視界が一気に開けて心が躍ります。ワタスゲの白い穂が緑の湿原に点々と散りばめられた様子が鮮やかに目に映りました。今度中学生を連れてガイドする下見を兼ねての研修会だったのですが、このような景色が楽しめることが出来るような天気になってほしいと思います。 湿原ではヒオウギアヤメやツルコケモモの花が咲き始めていました。モウセンゴケも蕾が見られるものもありました。野営場でお昼ごはんをゆっくり食べてから大平湿原へとオムスビ山を下ります。 少し笹薮が伸び始めていましたが、大平湿原を眼下に眺めての雄大な景色が開けて気持ちいいです。コメツガの森の林床にはギンリョウソウが咲き始めていました。 大平湿原まで下りた頃に雨粒がぽつりぽつりと落ちてきました。何度か遠雷も響いてきました。四つ角から池巡りをせずまっすぐ穴地獄へ下る道を選びます。結局本降りにはならず、穴地獄ではモリアオガエルの卵塊やチャツボミゴケの群生をゆっくり観察する余裕もあり、充実した研修会の一日でした。

野反湖から秋山郷へ1999年秋

「信州の秋山郷からこの地蔵峠を越えて上州の入山郷へ抜ける山道は俗にこれを牛道と称し、かつては越後から入山へ米を運搬するために牛を通したことのあるだけに、道幅も広く相当の往来もあったが、近年は碌々手入れもしないために熊笹の跳梁するところとなり、山慣れた人でなければ通過もなかなか容易ならぬ状態である。」(上信境の山々・中村謙著 地蔵峠越えより 昭和12年) おそらく昭和10年頃には、かつて盛んに使われていた道もかなり寂れていたようである。この道がもっとも繁栄を極めたのはいつ頃なんだろう。激動の明治維新の時代、幕臣小栗上野之介の夫人が政府から逃れるため、この道を通って越後へ逃げたという歴史がある。当時は、この道を「謙信越え」とか「越後新道」などと呼んだようである。「当時ようやく牛の通る程度(馬には通れぬ)に開かれたばかりで、・・・」とあるので、秋山への道が賑やかだったのは、それ以後の明治初めから昭和の初め頃までの期間だったに違いない。こんな山道を米を運ぶ牛が歩いたらしい。もっと時代をさかのぼって、鈴木牧之の秋山紀行では、「野反道」と出てくる。それからさらに、これより20年前、佐久間象山が鉱物探査のためにこの道を歩いている。1828年のことだ。どうやら昔からこの道は細々とあった。秋田マタギが狩猟をしたり、入山の木地師が木を探したりするために歩かれたんだろう。 野反湖を7時半に出発。日本海側は荒れ模様の天気ということで、風が強く寒い。こんな天気でも、白砂山へ登る人は結構いるもんだ。すでに登山口に二台、そして私たちと相前後して出発するペアが二組。しかし、秋山へは私たち4名だけのようだった。登山口からちょっと自転車を押し上げると、ハンノキ沢まで自転車に乗って下ることができる。しかし、体がまだ鈍っていて自転車のバランスがうまくとれない。冷や冷やしながら下る。ハンノキ沢から地蔵峠までは、担ぎである。フレームの三角に頭をつっこんでゆっくり坂道を登る。今年は紅葉が良くないようだが、野反湖の紅葉はそれでも今が盛りのようで、霧のベールから浮き上がるように樺の白い幹と黄色い葉が山肌を彩っている。強い風が吹くと、木々の露が雨のように散り、体を濡らす。いつもならこのつらい上りは汗で濡れるはずだが、今日は背中がほんの少し汗ばむくらいだった。8時半頃、地蔵峠に着く。 ここには小さな地蔵が安置されていて、言い伝えの記録がある。このお地蔵さんは、長野原の人が岩菅山へあげるためここまで背負いあげたのであるが、不思議なことにこの峠から先に進むと足が痛み出し、退くと即座に直るのでそのままここに置かれたという。背負いあげたとあるので、小さな地蔵といえども人力でここまで来たんだから大したもんである。穿った見方をすると背負ってきた人夫がもういやになってそんな話を作ったのかもしれないけれど、このお地蔵さんはこの場所がふさわしいと思う。かなり風化しているけど、赤い毛糸の上着や登山者のチョッキを着せてもらって、みんなから愛されているようだ。白砂に登るにしても秋山に抜けるにしても、なんだか御利益があるような気がするお地蔵さんだ。地蔵峠から北沢への道は、急な斜面を斜めに横切るように緩やかにつけられていて、つらい担ぎから解放される。この斜面は、残雪期の頃だと根曲がり竹も埋まりスキーでの滑降も結構楽しい。ただし帰りの登り返しはきつい。北沢は小さな沢。石伝いに渡って、ここで一休みする。最後に渡った家内は、石に足を滑らせ水の中にこける。この夏クワウンナイ川の沢登りでも滑床に足を滑らせてこけていたが、まったく危なっかしい。 さてここからつづら折りのつらい登りだ。身の丈以上ある根曲り竹が繁茂し、地形がさっぱりわからないほどだ。春、つづら折りを登りあげたこのあたりは雪原になっていてとても気持ちよいところなんだけど、春を知らない人には決して想像できないだろう。以前ベースキャンプを張って、存分にスキーを楽しんことがある。大倉山の南斜面はスキー向きのなかなかいい斜面だし、私たちは趣向を凝らして千沢へ滑り込んでみたり、大倉山の北西斜面をイタドリ沢めがけて滑ったりした。ほとんど水も涸れている荒戸沢を過ぎると、大倉山の西斜面をへつるように付けられた道になる。昔から左京横手と呼ばれているところだ。今日はガスで見えないが、晴れていれば時々野反湖を振り返ることができる。また、轟々と深い谷間を流れる千沢の滝を垣間見ることもできる。これもこんなに風がうるさい今日のような日では、滝の音も聞こえてこない。今日の私たちは、のんびりと話しなどしながら歩くだけだ。時々倒木が行く手を遮る。牛はどうやって通すだろう? イタドリ沢も何気なく通過してしまい、あとは西大倉山への登りだけだ。このあたりも春ならば雪原になっていて、テント張って2~3日のんびりしたいなと思うようなところである。しかし、今は根曲り竹が繁茂し、とてもそんなところだなんて想像もできない。西大倉山からは、待望の大倉坂のダウンヒルだ。大倉坂はダイグラと読む。曲折が多く、現在の地図では百八十曲りと書かれているが、古い文献寄れば百九十三曲りあると書かれている。タイトターンが好きなマウンテンバイカーにとっては、最高の道だ。おもしろいことにここからは、ブナを中心とした広葉樹の森になるが、あれだけ繁茂していた根曲り竹が少ない。ふかふかの落ち葉に敷き詰められたブナ林の中を、心まかせに自転車で下るこの楽しさは、なんと表現したらいいんだろう。九十九曲り目にツキガネ段という名所があるそうだ。撞鐘によく似た石があるというのだが、昔はここから渋沢へ下るルートがあったそうだ。 12時、奥州平と呼ばれる渋沢出合いに降りる。奥州平とはよく言ったもので、おそらくこのあたりで活躍した秋田マタギが由縁の名前だろう。鬱蒼としたブナなどの巨木の森で、森の臭いがぷんぷんする。昔入山の人が使っていた小屋が朽ちた姿でまだ残っている。屋根はしっかりしているので、泊ろうと思えば泊れるが、私にはその勇気はない。渋沢にかかる立派な吊り橋を渡ると、渋沢ダムがある。珍しくダムで何か作業をしている人が数人いた。風が強くあまりにも寒いので、避難小屋に入ることにする。 このバラックもかなり古くなっていて、隙間風がビュンビュン吹き、寒い。そんな小屋だが、シーズンにはかなりの釣り人が利用しているようだ。ノートには、釣り人の様々な想いが書き綴られていて、結構おもしろい。私もつまらないことを書き込んで、12時45分出発することにする。さてここからは、水平歩道を行く。渋沢ダムができる前はもちろん無かったので、右岸に道が付けられていた。しかし今はもう無いと思う。その痕跡を訪ねてみたいと思うが、ちょっとそれだけの気力はない。昔の文献からその様子を伺い知るしかないだろう。 「(奥州平の)営林署の小屋からは、ほとんど眺望のない、尾根がらみの道を、あるいは小尾根に登ったり、あるいは小沢に降りたりして四キロばかり進むと佐武流川のほとりに出る。これより約一キロ半登った三角点の1,631メートルの尾根上に1里地蔵とて高さ二尺ほどの石地蔵尊がある。ここまで達すると、まもなくして九十九曲りと呼ばるる急峻な坂道の下りにかかる。檜俣川を飛び石伝いに渡り、対岸に林道を求めてブナや川胡桃の林を穿行するうちに、いつしかエラ寝平とてエラの木の多い平に出て、まもなく佐武流山からの林道に合する。ここからドロ平を経て深沢の上流を渡れば和山はもう間近である。」 また、鈴木牧之の秋山紀行には、秋田マタギがこの奥州平から魚野川をさかのぼって、燕滝から小ゼン沢をさかのぼり草津へイワナや獣の肉、毛皮などを売りに行ったことが書いてある。まったく秋田マタギというのは凄い山の生活技術をもっていたんだなと感心する。またそのころ主に猟師や木地師を生業にしていたらしい入山の人の生活や方言なども紹介されているのが興味深い。 水平歩道は、昔の苦労などまったく感じさせないほどに、快適である。ただ魚野川の断崖の中腹に付けられているので、時々眼下に魚野川が切れ落ちていて、怖い。小さな沢を跨ぐとき、イワナが五~六匹走った。仲間と騒ぐ。どうやら今年の紅葉はここでも今ひとつだが、それでも見とれるほどのいい景色だ。二つ目のトンネルはやっぱり通行禁止だった。入り口に鍵がかかっていて、山越えの道がある。初めて来たときはまだ通れたのにな。どうも崩壊の危険があるようだ。ここを過ぎれば、また快適な道が続く。短いトンネルを二つくぐって少し進むと、ようやく水平歩道も終わり、魚野川に向かっての急斜面をつづら折りに下る。ここもなかなか手強いが、結構乗車できる。マウンテンバイカーにとっては、最後のハイライトだ。つづら折りを下りきり、高橋吊り橋を渡ると車も通れる林道に出る。切明までもうすぐだ。魚野川水平歩道はきわめて快適。

志賀高原・四十八池トレッキングガイド2025-6-19

まだところどころ雪渓が残る志賀草津道路の峠道を越えて志賀高原へ。途中の草津温泉が見下ろせる展望台でぐんまちゃんに出逢えました。標高2172m芳ヶ平湿地群展望台付近の気温は19度で、おそらく今日の下界の猛暑からは想像できないような涼しい風が吹いてました。 片道600円の前山リフトで前山湿原へ。ワタスゲの大群落に迎えられました。 これからまだまだ綿毛が成長していきそうです。7月頃になれば、晴れた日の風の強い日にいっせいに綿毛が飛んでいくことでしょう。 渋池ではモリアオガエルの鳴き声がたくさん聴かれ、卵塊も岸辺の草むらにたくさん産み付けられているのがわかりました。いよいよ森の木陰の道が四十八池へと続きます。すると急にブヨかと思われる虫がまとわりついてきました。嚙まれはしませんでしたが、結局この後前山湿原に戻るまでずっと鬱陶しい思いをさせられました。これからますます生き物たちが活動的になる季節なんでしょうが、ブヨやアブやハチは困りものです。はやくアキアカネの群れが高い山目指して飛んでくるのが待ち遠しいです。 そんな森の中でも自然観察は興味深いものとの出逢いがたくさんありました。この冬の大雪のせいでしょうか、いつもよりたくさんの木が倒れていました。根こそぎ転がっているものから、太い幹を真っ二つにして倒していたり、かろうじて倒れていませんが斜めに傾けられていたりです。森が生きていることを教えてくれます。 四十八池ではまだミズバショウが見られました。他にはヒメシャクナゲやイワカガミなども見頃でした。 東屋で少し遅めのお昼休憩にしました。森の小道では、オオカメノキやムラサキヤシオツツジ、コミヤマカタバミ、ツバメオモトの花が楽しめました。

奈良俣湖カヤック初漕ぎ2025-6-17

今冬の大雪の影響を大きく受けて、ダム湖解禁も例年より2週間くらい遅くなったようです。こちらの都合もなかなかうまく日程が組めず、2025シーズン初漕ぎはいつの間にか6月半ばの夏至近くになってしまいました。 下界では今日も猛暑日のようで、梅雨入りしてから日もたっていないのに中休みの晴れの日がしばらく続きそうです。大石沢のバックウオーターにはまだ大きなスノーブリッジが残っていて、冷気がうすい霧となって漂い幻想的でした。 前線の影響で朝のうちは北風が少し強く吹いていたので、奥利根湖はやめて奈良俣湖を選んだのですが正解でした。高い山は雲に覆われて見えませんでしたが、やがてスッキリと姿を現すようになる頃風も収まりました。 4月のバックカントリーツアーで至仏山から眺めた奈良俣湖や谷川連峰の景色を思い出します。あれからわずか2か月しかたっていませんが、季節の移ろいの早さに改めて驚かされます。日本が四季のはっきりした自然豊かな国であることも実感します。 6月の奈良俣湖は、緑の楽園です。森も湖水もすべて緑です。エゾハルゼミが大合唱する中で、アカショウビンの高い鳴き声も聴き取れます。山ツツジやナナカマドの花もポツンポツンと見つけることができました。 本流バックウオーターでは、大きな鯉の恋の季節でした。ドボンドボンと激しく飛沫を上げて雄が雌を追いかけていました。雪代が多いのか満水状態の湖畔は、何とか一ヵ所上陸ポイントを見つけることが出来ました。 お昼近くなると、雲一つない青空に恵まれました。湖面にはからりとした涼しい風が時々吹き渡りなんと気持ちいいことか。 出艇場所のキャンプサイトでは時々カエルの鳴き声が聴こえてきました。水辺の樹々に目を凝らしてみると、いくつかモリアオガエルの卵塊がありました。緑の6月は、もっとも命輝く季節でもあります。

BIKE&KAYAK 琵琶湖

2011年 11月2日 晴れ 信州の山奥の廃村にかつてあった棚田を復活させるために、築100年以上の古民家に移住する泥兎氏(かつては雪兎氏だったが・・・)を訪ねた。苦労するも泥兎氏自慢の開墾した田や畑、小道や水道などを案内してもらう。そして長い夜は、久しぶりの再会で楽しいおしゃべりは尽きない。囲炉裏で焼いたごちそうの五平餅は、なんとこの秋に初収穫した棚田の新米だ。さらにお風呂も、わざわざ薪で沸かしてもらったお湯という贅沢さ。 翌朝も天気は素晴らしく晴れて、鹿島槍から白馬三山までの稜線がスッキリと眺められた。気分がいいので、朝食後、泥兎氏夫妻が自家焙煎のコーヒーとアップルパイがお勧めだという、大町市のカフェまでサイクリング。 自家製アップルパイはボリューム満点で、二人で1つをいただいた。古いスキーを使ったインテリアは、春の雪倉岳や朝日岳の楽しかったスキーツアーが想い出される。お世話になった泥兎夫妻とお別れして、午後は初冬の雪倉岳を眺めにチョコっとツーリング。 紅葉に彩られた秋の山も過ぎ、純白になる厳しい冬を前に何も身にまとわずスッキリとした山容の雪倉岳が、ひっそりと静かに眺められた。温泉は、富山県朝日さざ波温泉、車中泊は北陸道SA有磯海。 11月3日 晴れ 滋賀県彦根市r2~長浜市r331~道の駅湖北みずとりステーションr44~木之本R8~塩津R303~大浦r557~海津r54~今津r333~高島市道の駅しんあさひ風車村 翌朝、北陸東海縦貫道を経由して名神高速道彦根インターまで移動。午後12時半に多景島や竹生島への観光船が発着する彦根港をロードバイクでスタート。なんとなく反時計回りだ。休日の琵琶湖の道は、サイクリングを楽しむ人がほんとうに多い。道も平坦で走りやすく、景色もいいし、キャンプ場や公衆トイレのある施設が適度にあって、ツーリング環境は申し分ないと感じた。 琵琶湖の水面を身近に感じながら走っていて、一番強く感じたことは水に恵まれた豊かな土地だということ。琵琶湖に注ぐ無数の河川や湧き水と肥沃な水田が、歴史と文化を育んだことは当然だろう。そして、琵琶湖に生息する水鳥の多いことにも驚いた。車通りの多い道端からでも、大小様々な水鳥が群れている姿が観察出来た。 11月3日文化の日は、各場所で様々なイベントを通り過ぎる。長浜市は、大河ドラマ「江」ゆかりの地。秀吉の居城だった長浜城、合戦跡の賤ヶ岳など快調に通過、ところが塩津で県道512号線の奥琵琶湖パークウエイの入り口を見落とした。おかげで楽はしたけど、琵琶湖岸をパーフェクトに1周出来なくなってしまい、ちょっと心残り。 その後は、注意深くナビゲーションして、午後3時半ぴったし、高島市の道の駅しんあさひ風車村を今日のゴールにする。本日の走行距離約70km。移動平均速約22km。本日の温泉は高島市朽木のてんくう、車中泊は道の駅くつき本陣。 11月4日 晴れ 道の駅湖北みずとりステーション付近~奥琵琶湖~竹生島~海津大崎 昨日、自転車でカットしてしまった奥琵琶湖パークラインからの心残りの風景を確かめるべく、今日はカヤックツーリングだ。道の駅みずどりステーションでフェザークラフトのK1を組み立てていると、すぐ隣にある環境省施設の職員の方から、ちょうど飛来している雁に刺激を与えないようこの付近から出艇しないでくださいと声をかけられる。あの「大造じいさんと雁」の雁である。ということはシベリアからの冬の渡り鳥にちがいない。たしか雁のリーダー残雪はそうとう頭が良くて仲間思いだった。。職員の方の話ぶりから雁はそうとう大事にされている水鳥のよう。組み上がったカヤックはもちろん車の屋根に載せて移動。近くの片山トンネルの入り口付近から出艇した。 天気予報では全国的に快晴のはずだったけど、琵琶湖はやはり盆地の中の大きな湖という特殊な地形のためか、湖面は朝から濃い霧でいつになっても晴れる気配無し。カヤックから賤ヶ岳を仰ぎ見てみたいと思ってたけど視界無し。でも幻想的な雰囲気でよかったかも。 奥琵琶湖パークラインのつづら尾展望台がある小さな半島の岸にカヤックを着けて、早めのお昼にする。この半島の先端から竹生島までは2kmしかなく、島渡りするのに一番距離が短い。今日は風も弱くほとんど凪ぎ状態なので、島を回って海津大崎まで漕ぐことにする。 ここまで漁をしている漁船1隻と、ブラックバスを狙ってるモーターボートの釣り船2隻とすれ違っただけ。のんびり竹生島に近付いてカヤックからお寺や神社を眺めていたら、突然島影から観光船が港に入ってきたのにびっくり。ちょっと焦った。 海津大崎までのんびり漕いで、大崎観音の近くの浜でカヤックツーリング終了。サポートの家内にピックアップしてもらい、高島町朽木のてんくう温泉へ。車中泊は、道の駅くつき本陣。 11月5日 曇り後雨 高島市道の駅しんあさひ風車村r333~萩の浜R161~道の駅琵琶湖大橋米プラザ~大津港r18~r102~石山r559~近江八幡市r25~彦根市 一昨日のゴール地点である道の駅しんあさひ風車村からスタート。今日もやっぱりどんよりとした朝で、湖の景色はぼやけていたけど、白ひげ神社の鳥居あたりで雲間から朝日が射しだした。 国道161号線は交通量が多くチョッと走りにくいけど、ほとんど平坦な道なのでなんと快適なことか。朝の6時半頃出発して、途中琵琶湖大橋のたもとの道の駅に寄り道休憩して、9時頃琵琶湖の南端の瀬田の唐橋を通過、今度は琵琶湖東岸を北上。通称さざなみ街道といわれる県道559号線は、まさに自転車にとって快適な道。だんだん空が怪しくなってぽつりぽつり降ってきそうな気配のする中、1周のゴールである一昨日のスタート地点、彦根市の彦根港を目指す。 ちょうどお昼の12時きっかりに到着。一昨日は12時半にここをスタートしているので、琵琶湖は1日で1周できるちょうどいいコースだと実感。いつか時計回りでまた走りに来たいところだ。 本日、温泉無し、車中泊無し。

粟島シーカヤック横断&キャンプ2009

2009年8月15~16日 粟島へは2度目のシーカヤック横断である。夏休み残り2日をどう過ごすか思案した末の選択だった。数日前の飛島横断の後味の良さもあったのかも知れない。それに、何しろお盆だからどこへ行っても人だらけに違いない。粟島には立派なキャンプ場があるけれど、大海原をわざわざ漕いでキャンプする人間はまずいないだろう。お盆の日など温泉宿に空きがあるはずもなく、自然な成り行きで今回のプランが実行されたのだった。 群馬の自宅を出たのが朝の5時過ぎ。お盆の割には1000円高速が空いてて、新潟県の北の端、山北町府屋に辿り着いたのが9時半過ぎ。天気予報通り海はベタ凪そうである。粟島もすぐ手が届きそうな距離でよく見える。大急ぎで出艇準備をしなければならない。K2は家で組み立てておいたので車の屋根から降ろすだけだけど、2人分のキャンプ道具や様々なものをカヤックに積み込んだり、車の駐車場所を確保したりでてんやわんやである。どうにかこうにか海に浮かんだのは10時をとうに過ぎる。午後になると風が少し強まる予報が出ていて不安もあるけれど、GPSの距離表示では24,5kmだ、安定感のあるK2だから多少荒れても漕ぎきれるだろう。いよいよ海に浮かぶ。 今日も進路はほぼ西。粟島を目指してひたすら漕ぐのみ。お昼過ぎ、右の彼方に白い船影。飛島でも遭遇した北海道航路の大型フェリーに違いない。3日ぶりの再会である。こんな大海原でまた逢えるなんて。たぶんこちらのことはわからないのだろうな。 粟島に近付くにつれ風が強くなり、白波が立ち始める。うしろから突然クルーザーが追い抜いていく。若い男女が乗っていて手を振ってくれるので、こちらも返す。大きなエンジン音を響かせながら、みるみる粟島の向こう側へ消え去った。 直接キャンプ場のビーチに上陸。早速テントを設営して温泉へ直行である。 温泉の後、レストランで夕食。昼食はカヤックの上でバナナとかドーナツだったので、上陸後の大きな楽しみ。日替わりの刺身定食は、さすが粟島である。 まだ日が暮れなくて、渡ってきた向こう岸の山々がテントから眺められた。 翌朝、のんびりキャンプを撤収。島の南端をツーリングして港に戻りカヤックを折り畳んで11時の高速船で島を立つ。高速船だと1時間弱。岩船港から村上駅まで乗り合いタクシー。村上駅から電車で府屋駅へ。2時半過ぎに車を回収し、粟島シーカヤック横断&キャンプ終了。

シーカヤック飛島横断(全漕行距離約75km)

2009年8月11~12日 1日目 なんとなく飛島へ引き寄せられた2009夏の海旅。いつも鳥海山スキーで山頂から日本海に浮かぶ飛島を眺めて、その度にカヤック漕いで行ってみたいなぁと思っていた。どこへ行っても混雑するお盆休みの限られた日数でさてどうしたものか・・・実は決行直前まで、事前の計画や準備がまったく出来ないで、行き当たりバッ旅な飛嶋横断でした。 離島の海旅はやっぱりフォールディングカヤックがいい。もし帰りの日に海が少しでも荒れたら、無理せず折り畳んでフェリーの手荷物にして戻ってくればいい。そう考えられると気が楽である。一人旅ならK1である。もうかなりくたびれてきているけど、これまでいろいろな島をこのK1で旅してきて信頼している。大海原に浮かんだら一心同体、まさに命を預ける唯一の相棒だ。朝の6時から急いで組み立てを初めて、なんとか8時前に出艇することが出来た。飛島はキャンプ禁止の島だけれど、いざというときのために、はたまた気が変わって陸沿いに男鹿半島を目指す旅に変更したとしてもいいように、キャンプ道具や2~3日分の水・食料も積んだ。 今日は飛島がはっきり見える。漕ぎ出した象潟の海は穏やかである。これから潮流や風の影響がどうなっていくか不安である。GPSで計った直線距離はぴったり30km。時速5~6kmで漕ぎ続ければ5~6時間でゴールできるはずである。沖合10kmくらいまで漕いだら、最終的に行くか戻るか判断しようと決める。そこで気象条件的に難しくないか、体力的に余裕があるかなどをチェックする必要がある。 シーカヤッキングの旅は、海を歩くようなものである。陸沿いを漕ぐときは少しずつでも景色が変わっていくけれど、島渡りでは1時間も漕いでようやく陸が小さくなったとか大きくなったとかわかるくらいだ。今日は視界がよいので、目標物をひたすら目指して漕ぎ続ける。ナビゲーションは楽である。デッキコンパスはほぼ西。GPSもちゃんとほぼ西を指している。もし視界がなかったら、デッキコンパスとGPSが強い味方となる。途中海上ですれ違った漁師さんのアドバイスでは、潮流は右から左に流れているという。どれくらいの強い流れかわからないので、気持ち右向きに進路を向ける。あとからGPSの軌跡を確かめてみると、なるほど前半部分で少し南に流されて、後半部分で意識的に修正していたことがわかった。 長距離のパドリングでは10kmをひと区切りとして漕ぐ。シーカヤックで10kmという距離感覚は、ロードバイクだと50kmだろうか。山スキーのシール登行だと、標高差300mの膝下ラッセル? いずれにせよ最初の10kmの距離感覚で飛嶋横断30kmの感覚をつかみたい。しかしパドリングは単調なものである。GPSの表示を観察していると、だいたい5~6回のパドリングで10mすすむ。計算すると50~60回で100m、500~600回で1kmである。30kmなら15000回から18000回のパドリングが必要というわけだ。だけど、パドリングの回数なんてすぐに飽きてしまって数えてられない。パドリングは力をうまく抜いて合理的に漕いでいると思っていても、疲労度に合わせてフォームが自然に変わってくる。パドリングに疲れてくると、パドルの引きよりも押しに頼りがちになってくる。これまで1日50km以上の距離は何度も漕いでいるので、今回の30kmに不安はないけれど、とにかくこの自分の腕だけが頼りである。 10km地点で気象条件に大きな変化もなく、体力的にも問題がないのでそのまま漕ぎ続ける。半分を過ぎた頃だろうか、右手彼方に白い小さな船影。新潟~北海道航路の大型フェリーである。この大海原で衝突する確率はかなり低いはずだけれど、それぞれの航路の対角線上で交わりそうな気がするから不思議だ。だんだん近付くにつれ、相手はなんといっても高速で航行しているのだから、みるみる彼方の前方を右から左へと通り過ぎていった。一応こちらも船舶には違いないので、相手の航行の邪魔にならないようマナー意識はある。もちろん大きな船優先である。といっても、こちらは豆粒の大きさだから気付いてもらっているのだろうか。 恵まれた気象条件の航海であった。振り返ると鳥海山が雲に隠されていたけれど、どっしりとあった。パドリング中は一度も振り返る余裕がなかった。ところで島に上陸後、すぐ一仕事しなくてはいけない。今宵の宿を見つけなければ。お盆休みなので簡単には見つけられない。しかし駆け込んだとある旅館のおかみさんは親切で、となりの民宿を気持ちよく紹介してくれた。 飛島まで距離30.6km。最高速7,7km。所要時間5時間50分。移動平均速度5,4km。途中パドルを休めて休憩したのは約9分。 2日目 飛島1周~秋田県象潟・象潟道の駅~象潟海水浴場 昨日は宿が決まった後にまたカヤックに乗り込み、島の無人の浜まで漕いでシュノーケリングをして遊んできた。対馬海流にさらされているからだろう、透明度が高い。それに、メジナや黒鯛の大きなのが泳いでいたりする。宿の夕食は海の幸三昧。たらふく飲んで食べて、潮風が気持ちいい2階の大きな座敷ですぐにゴロンである。持参した新田次郎の剣岳点の記は数ページもめくる力もなく尽きた・・・ 宿のおかみさんは気を利かせてくれて、朝食の用意を6時半にしてくれた。おかげで7時過ぎには出航できた。島を時計回りに1周してから横断することにする。 昨日と違って今日はやや風が強い。うねりが少しある。向かい風になるので島の裏側に回るのは少し辛い。飛島は、島の裏側に南の海のリーフのような浅瀬が広がっている。大回りをしようとしたつもりがこの浅瀬に迷い込んでしまい、途中でカヤックを降りて引っ張らなくてはならなかった。そんなこんなで時間を食ってしまい、もう一度ゆっくりシュノーケリングをしたいと考えていたけれど、そのまま横断することにした。 しかし、今日は天気がいまいちで、一番の目標になるはずの鳥海山は雲の中である。昨日の好条件と違い、完全にデッキコンパスとGPSによるナビゲーション航海となった。ほぼ東に進路を合わせて漕ぐ。30kmのパドリングの距離感覚はしっかり体が覚えている。突然海が荒れ始めたとしたときの最適な状況判断を冷静に想定しながら漕ぐ。 パドリング中に目を楽しませてくれたのは海鳥達がカヤックのまわりを飛び回ってくれたこと。小さなトビウオが海面を跳ねたこと。象潟の港に近付いた頃、漁船が進路上の前方にいた小さなカヤックの進路上を追い抜いていく時に、優しく減速してくれたこと。心が和んだ。 黙々と一人漕ぎ通した。ただそれだけなのに、なんという充実感。2009の夏の海旅は、いつもとひと味違う海旅だった、

2025第1回ラムサール芳ヶ平湿地群お散歩ツアー5-24

4月23日が開通式だったのが、その数日前に大きな雪崩が起こって冬季閉鎖のままだった志賀草津道路。5月22日午前8時にようやく時間規制付きで解除されました。万座温泉周りでBCツアーをしたときに見た雪一色の景色も、1ヶ月でガラリと初夏の風景に変わっていました。→ シークレットkuniBC縦走ガイド2025-4-24 – 山雨海風のウラヤマな日々2 渋峠のスキー場はまだ営業していて、駐車場は満車になるほどにぎわっていました。気温は6度で、今日は真冬のような寒さ。お昼はいつもの風さんでゆっくりお蕎麦ランチです。窓から眺める風さんの広いお庭には、色とりどりな花が咲いていて目を楽しませてくれています。クリンソウが咲いていて、お客さんが喜ばれていました。 午後はチャツボミゴケ公園へ。新緑の中に咲き乱れるレンゲツツジと新緑にチャツボミゴケの蛍光グリーが映えて、とても綺麗でした。 ハート形のチャツボミゴケを見つけました。わかるかな・・・

2025白砂山登山道トレッキングガイド偵察5-23

白砂山でも今年は残雪が多い年であることを実感しました。5月下旬頃には雪渓が見られないような登山道にも雪が分厚く残っていたり、いつも遅くまで雪渓が見られるところは6月いっぱいは残りそうなところもありました。 稜線では雪解け一番に花開く高山植物が綺麗に咲き誇っていました。オオカメノキやアズマシャクナゲやナエバキスミレ、タカネザクラ、コヨウラクツツジ、シラネアオイ、ミツバオウレン、ヒメイチゲなどです。 群馬県側に雪庇が大きく張り出す白砂山頂上直下の稜線では、雪が土壌を侵食する力のすさまじさを感じさせる痕がいくつも見られました。 白砂川源流の雪渓がこんなに大きく残っているのも初めての光景でした。 山頂から周りの高い山々を眺めてみても、まだまだ雪山ばかりです。苗場山から神楽峰はスキーが楽しそうです。 帰りは八間山周りのルートで歩いてきました。途中でミツバオウレンの可愛い花の群落に出逢い、疲れが少し癒されました。