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亜熱帯の島々の海を、気ままにシーカヤックで旅したお話 III

III. 西表島南東部・仲間川 大原港に着いたのは六時半過ぎ。斜路は干潮で使えず、仕方なく港の片隅にカヤックを引き上げる場所を見つけ、最後の力を振り絞って上陸。南の島の日没は遅いのでまだ明るいが、さすがにもう港は閑散としていた。相棒は、歩き疲れ?か元気がない。宿を見つけなければ。こんなに遅い時間では、夕食のサービスなど、とても望めるはずはないだろう。とにかく冷房と冷たいビールがあれば、どんな宿でも良かった。二軒目の民宿南風見荘からいい返事が返ってきた。30分後に港まで迎えに来てもらう。聞けば、近くに九時半までやっているスーパーがありラッキー。とりあえずシャワーを浴びたら人心地ついた。南風見荘は居心地がいいので、二晩お世話になることになった。 西表島は、マラリアに汚染されていたため、なかなか人が住めなかったらしい。人々は、竹富島や小浜島などまわりの島に住みながら、西表島に田畑を開いて農作業のために通ったのだ。開拓のために強制移住させられた人もいたようだ。いや、夢や希望をもって、定住した人もいたかもしれない。大原は、古見や祖納のように古くからの集落のようで、ここは、新城(アラグスク)島や黒島から移住した人が多いと、宿の人が話していた。いずれにしろ、人頭税という重い税金に苦しみ、人々の生活は大変だった。笹森儀助の南島探検には、当時の圧政に苦しむ人たちのことが記されている。明治になって島の西側にたくさんの炭坑が開発されるようになった。強制労働をさせるためにたくさんの人が連れてこられたり、騙されてやって来たりしたそうだ。西表島の炭坑史の本を読むと、あまりにも悲惨な出来事がジャングルに埋没されているということを知った。美しい海に囲まれ、燦々と頭上から太陽が照りつける大自然のこの島から、そんなことは微塵も感じられない。そういえば、釧路川をツーリングしたときも、釧路の開拓の歴史を知り、北の大地ののどかで雄大な風景からは想像などできず、同じような気持ちになったものだ。 島の東側に由布島がある。今では、かなり有名な観光地だ。島は植物園で、西表島から浅いリーフの海を水牛車で往来する。翌日、民宿で車を借りて半日観光したのだが、途中イリオモテヤマネコの保護や研究をしている野生生物保護センターやサキシマスオウの木を見学して、ここまでやって来た。南国情緒あふれた風情に、たくさんの観光客で賑わっていた。本土からのたくさんの若者が、今では島の手伝いをしているらしい。しかしこの島が成功したのはそんなに昔の話ではない。「楽園を作った男・沖縄由布島に生きて」を読むと、入植者たちの大変な苦労の歴史が伝わってくる。昨日はこの由布島を右に見て、必死でカヤックを進めていた。カヤックで島渡りをしている私たちは、順番待ちをしてまで由布島へ渡るのももどかしいので、水牛車に乗る観光客の様子などをしばらく眺めていた。相棒は、島のおばさんから「ここで暮らすのは楽しいよ。いつでもおいで。」なんて誘われていた。島はおおらかで、歴史も人もすべて呑み込むのだ。 午後は、仲間川を遡ってみることにした。今日も雷が遠くで鳴り出しているが、大海原ではないので気にしない。マングローブの生い茂る岸辺に避難すればいい。潮がどんどん引いていく。そんなこと、なんにも考えていなかった。はじめは川の流れだと思っていたのだが、それはどうやら錯覚だったのだ。川の水深が低くなっていくのだから・・・。1キロほど遡ったところで、相棒が帰れなくなるぞなんて言い出した。観光船があれほどけたたましく往来していたのに、そういえば午後になって店じまいをしていた。確かにこの水深ではもうエンジン付きは無理だろう。すぐに我々も引き返すことにした。ひょっとしてカヤックなら大したことなかったかもしれないが、昨日の今日である。もう水牛のようにカヤックを引っぱって歩く苦労は御免だから・・・シーカヤッカーは、潮の満ち引きをいつも頭に入れておかなければならない。

亜熱帯の島々の海を、気ままにシーカヤックで旅したお話 Ⅳ

与那国島舞台の「老人と海」という映画がいい。カジキマグロを獲るために、サバニ(小舟)でひたすら漁に出る頑固なオジイ。オジイに寄り添い、陰でしっかりと不漁のオジイをささえるオバア。リアリスティックなカメラワークが、南海の孤島の大自然と向き合ってたくましく生きる人々の姿を、淡々と重々しく映し出していた。 40キロ沖にある直径9mの気象ブイのまわりには、こんなのがいっぱい泳いでいるんだって! IV.  大原漁港~西表島南岸~パイミ崎~白浜 無人の西表島南海岸を時計回りに進む。 マングローブの種がプカプカ流れてくる仲間川の河口にあるため、泥水で濁っている大原漁港をようやく抜け出て、島を時計回りに進むコースをとる。天気は回復し、南国らしい明るい太陽と青空は、雷の不安を少し和らげてくれる。昨日一日休養をとったので、パドリングは軽い。左に黒島や新城島を眺めながら、順調に進んだ。南風見崎をかわすと波照間島も見えた。新城島や黒島、波照間島へ次回は渡ってみたいなと思う。波照間島は天気が良くなければ無理だろうが、亜熱帯の大海原を漕ぎ進むのはドキドキするにちがいない。豊原という集落が過ぎれば、これから西海岸の船浮というところまで無人の海岸線を漕ぐことになる。30キロ近くあるだろう。とにかく雷が落ちないことを祈るのみだ。途中でキャンプする覚悟はできていたが、できれば白浜までたどり着きたい。南風見田浜の沖合をのんびり漕ぎ進む。カヤックが進むほどに、小さなカヤックのデッキのまわりいっぱいに広がる海の色が、変幻自在に輝く。小さな波頭に光が反射し、ブルーとグリーンがやわらかくて深い色合いと模様を創り出す。底を覗き込むと、様々な形や色の珊瑚とそれに群れる色とりどりの熱帯魚が滑らかに過ぎていく。このような楽しいパドリングがしばらく続いた。南風見田浜はウミガメの産卵地だそうで、その保護のためキャンプ禁止だ。しかし沖合から眺めると数組のテントやタープがあった。西表には、無人の浜に住み着いたりする人間が多くいるらしい。10年も住んで、そこで人知れず亡くなった人とか、本土で半年働いて、半年ここでのんびり生活する人とか、様々のようだ。考えてみれば、水と食料さえあれば暮らせるのだから、何もしたくない人にとってここは楽園である。2時間ほど漕いで、南風見田浜を過ぎたあたりで休憩のため上陸する。リーフの際では大きな波が立っていた。ジャングルが覆い被さるような小さなビーチにカヤックを上げると、すぐに海に飛び込んだ。茹で上がった身体には、たまらなく気持ちいい。そして、ジャングルの木陰に入り体を休める。 ここにもウミガメの産卵の痕跡らしきものが。 まだまだ先は長い。さらに海岸沿いに進み、鹿川湾を横断してパイミ崎をかわすまでは安心できない。リーフの際にできる大きな波をかわして、またパドリングの旅を続ける。はるか後方の大きな雲の塊が気になるなあと思っていたら、鹿川湾の沖を過ぎるあたりで突然のスコール。茹だった身体を冷ましてくれる。気持ちいいが、眼鏡の雨粒が鬱陶しい。地図を見ると、右手の湾の真ん中あたりに岩礁があるらしく、良いダイビングスポットなのかフィッシングスポットなのか、船が浮かんでいる。沖合にも数隻の釣り船が小さく見える。湾の奥深くにビーチが見える。ここは水も流れていて、キャンプするには絶好の場所らしい。通り過ぎてしまうのはちょっと残念な気もしないではない。しかし、後で西表炭坑史などを読むと、多くの脱走労働者がこういったところで亡くなっているらしい。湾を横断しきると、落水崎がある。落水崎は名前そのもので、ジャングルから湧き出てきた水が、崖を滝のように流れ落ちていた。滝に打たれたら、さぞ気持ち良さそう。 スコールを浴びながら・・・ ついにはるか後方で雷が鳴り出した。上空は青空だったが、後ろから雷雲が迫ってきているように感じる。左後方の波照間島の上には、どす黒く雷雲が覆っていた。前方の海面が一瞬光り、稲光だとわかる。三回に一回は大きな雷鳴が恐怖心をあおる。一度だけまわりの海面をさざ波たてるほどの爆音がしたときはびっくりした。いつの間にかパドリングの手に力が入る。ずっと先のウビラ石をかわしても、パイミ崎はさらにまた同じくらいの距離を漕がなければならない。この先はずっと岩礁帯の海岸だ。うねりが大きて、海岸には波が白く砕け散っていて、とてもカヤックを着ける気にはならない。雷から逃れるために上陸できるような場所は、パイミ崎の先のビーチまで行かなくてはならないようだ。相棒は遅れがちだ。紫に近いブルーの妖しい海の色は、不気味にどこまでも続くかのように感じられた。水平線の彼方の積乱雲の真っ直中にカヤックが迷い込んだら、そこは雨風の吹き荒れるホワイトアウトのような世界なんだそうだ。とにかく漕いで漕いで漕いだ。二時間ほどで無事パイミ崎をかわすことができた。 パイミ崎のビーチは今までとは別世界の楽園だった。 相棒は感慨深くパイミ崎を眺めていた。以前反時計回りで西表島の南海岸を回ろうとして、この岬がどうしてもかわせなかったらしい。パイミ崎の向こう側は穏やかなリーフの海が広がり、いつの間にか青空と明るい太陽が戻っていた。西表島は、400m前後の山が大海原に突然聳えているような島だから、いつも山に雲がかかっている。島のこちら側と反対側では、天気もかなり違うようだ。私たちが来た方向のずっと向こうの空にはどす黒い雲があったが、雷の音もまったく聞こえなくなり、もう安全地帯のようだった。明るい南国の太陽の光が、青い海と白い砂に燦々と降り注ぐ。広々としたビーチの背後にはジャングルが鬱蒼としているだけ。誰もいない無人のビーチは、なんと健康的なんだろうか。これぞ南の島のパラダイスかもしれない。カヤックをビーチに着け、さっそく海に潜る。人なつこいクマノミが、今までの苦労を十分に労ってくれた。ここから民宿のある白浜までは、まだまだかなりの距離があった。崎山湾、網取湾の沖を横切り、サバ崎をかわして、内離島と西表島の間を通って白浜の集落が見えるところまで漕ぎ続けたとき、六時半を回っていた。今日もこんなに遅い時間まで漕いでしまった。カヤックから携帯で金城旅館に電話したら、夕食も準備して泊めてくれた。いい一日だった。 外離島に沈む夕日を白浜から眺めるのんびりしたひととき。 この夜の相棒は、なぜかハイな気分のようだった・・・。今回の旅の核心部を、無事通過できた安堵感からかな。

第6回ノゾリチャツお散歩ツアー2024-8-5

豪華絢爛な黄色の絨毯のようにノゾリキスゲが咲き乱れていた草原には、今は清楚な薄紫色のオオバギボウシの花がたくさん咲いていました。下界の暑さを忘れて爽やかな気分になりますね。 他にも、マツムシソウやハクサンフウロ、シオガマギク、エゾシオガマ、ハコネギク、ワレモコウ、ホツツジ、ウスユキソウ、ウメバチソウ、コオニユリ・・・。今日のお花好きのゲストさんたちは、迷わずコマクサのガレ場まで頑張って歩きました。そこではハクサンオミナエシもまだたくさん咲いていました。 今日のお蕎麦ランチでは、夏限定メニューが人気でした。人気ナンバーワンの定番メニュー、キノコ三昧そばはもちろんですが、こちらもおすすめです。 午後はチャツボミゴケ公園へ。今回は大変貴重な光景が見られました。このところの暑さのせいでしょうか、チャツボミゴケという名のごとく茶色の穴地獄が広がっていました。 前回7月13日のガイドの時と比べるとその変化の大きさに驚きますね。 チャツボミゴケの生態はまだまだ謎も多くて神秘性を感じます。これから秋にかけて今度はビロードの絨毯のような蛍光グリーンの輝きへと驚くような変身を見せてくれることでしょう。これから目が離せないチャツボミゴケ公園です。 穴地獄とは違って淀みではいつもの綺麗な輝きでゲストさんたちを出迎えてくれたチャツボミゴケです。チャツボミゴケは生き物ですから、美術館の絵画みたいにいつ行っても傑作が見られるというものでありません。その代わり同じ景色は二度と見ることはできません。今日のゲストさんたちには、今度はどんな景色に出逢えるか楽しみに、ぜひまた蛍光グリーンに輝くチャツボミゴケ公園を訪れてほしいです。 帰りにちょこっとモネの池へ。ここでは水面にたくさんのオタマジャクシが泳いでいるのが観察できました。大半はモリアオガエルですが、中にはクロサンショウウオもわかりました。

群馬県境稜線トレイル・白砂山の夏2024-8-1

朝早い時間の白砂山登山道は静けさの中で小鳥のさえずりだけが賑やかに聴こえてきます。地蔵尾根からシラビソ尾根へとコメツガやシラビソの暗い森の中には、小さな花がひっそりと咲いていました。 堂岩分岐から稜線漫歩が始まります。毎日下界では猛暑のニュースで賑わっていますが、白砂山稜線に吹く涼風は肌にとっても気持ちいいです。 猟師の沢の頭からの360度の展望はまさに絶景です。まずは渋沢源流を挟んで眺められる佐武流山や鳥甲山に惹きつけられます。どちらも日本には二百名山です。特に夏休みは白砂山と合わせて全国から訪れる登山者が増えます。 まずは渋沢源流を挟んで眺められる佐武流山や鳥甲山に惹きつけられます。どちらも日本には二百名山です。特に夏休みは白砂山と合わせて全国から訪れる登山者が増えます。 八十三山も迫力があります。この山には登山道がありませんが残雪期で条件が良ければ容易に山頂に立てます。 歩いて来た堂岩山からの登山道を振り返ります。右奥には野反湖から続く群馬県境稜線トレイルの山々と横手山、左奥には八間山と草津白根山、浅間山連峰がわかります。 さらに左に目をやると、白砂川最大の支流である猟師の沢源頭を挟んで榛名山と関東平野、赤城山です。 さて休憩がてら景色を楽しんだので、白砂山を目指しましょう。金沢レリーフの手前の林の木陰でもコキンレイカがひっそりと咲いていました。さらに最後の急登では、南面のガレ場にお花畑が随所に現れて、登山者の目を大いに楽しませてくれています。 白砂山山頂から、群馬県境稜線トレイルの山々が谷川連峰へとまだまだ果てしなく続いてくようです。

野反湖お散歩花ガイド2024-7-30

朝久しぶりに綺麗な虹を見ました。草津白根山は厚い雲に覆われていました。山は雨に違いないです。今日は団体ツアーの野反湖半日ガイドです。天気が心配です。 現地に早めに到着。思った通り野反湖の奥の方が天気が悪いです。テンバのお花畑のヤナギランが今一番の見頃なので、こちらをガイドする予定でしたが急遽変更。天気がいい手前の野反峠から湖畔ルートをガイドしました。 ノゾリキスゲが咲き乱れていた2週間前の風景とは一変、すっかり花の種類が入れ替わっていました。今はノリウツギの清楚な白い花が見頃です。 湖畔に降りるとヤナギランの花も楽しめました。それにしても下界は今日も灼熱の蒸し暑さでしょうが、野反湖畔は気持ち良い涼風が最高です。 のんびりとお花を愛でながら湖畔から周回コースを歩いて、再び野反峠に戻ってきました。ちょうどお昼なので、湖が一望できるベンチでお弁当です。 お弁当を食べた後、まだ咲いているということでコマクサを見にまた少し歩きました。行きがてらウメバチソウやヤマハハコ、ホツツジなども咲き始めていました。 花好きな今日のゲストさんたちは、たくさんの花に出逢えて笑顔いっぱいでした。 今日は雨が心配でしたが、結果的には天然クーラーの北風が気持ちいい絶好のお散歩ガイド日和でした。

亜熱帯の島々の海を、気ままにシーカヤックで旅したお話 Ⅴ

V. 西表島・白浜~鳩間島~バラス島~西表島・上原 小笠原の南海上に台風が発生し、どうやら進路をこちらに向けたようだ。カヤックによる島渡りの旅も、今日までかな。粗末な丸太船で、新天地の島を目指した古代の人たちだって、良い日和を待って琉球列島の島から島を渡り歩いた。今度はいつになるかわからないけれど、またいつの日か小さな旅の続きをしようと思う。 翌日は休養日。朝もゆっくりで、外離島を一周して内離島に面したビーチで午後をのんびり過ごす。せっかく南の島に来たんだから、こんな贅沢な日が一日くらいあってもいいだろう。相棒が宿でクーラーボックスと氷を準備してもらい、そこに十分な量のビールを仕入れてきた。太陽が燦々と降り注ぐ美しい無人のビーチで、ゴクゴク缶ビールを飲み干した。そして熱いラーメンと焼きめしを、ズルズルワシワシと食った。その後は、遠浅の海に仰向けで顔だけ出して浸かり、昼寝。相棒の姿が見えないので、どこに行ったのかなと心配していたら、ずっと向こうのなかなかいい木陰で昼寝をしていた。ところで、こんなにも楽園なところだけれど、悲惨な歴史の傷跡がどこに残っているんだろうか。この外離島にはかつて炭坑があった。明治になって、島の西側にたくさんの炭坑が開発されるようになったのだけれど、本土から遠く離れ、マラリアのあるこの地では、そう簡単に労働力を集められなかった。強制労働をさせるためにたくさんの人が連れてこられたり、騙されてやって来たりして、非人間的な扱いをされた。劣悪な労働から逃れるために、多くの脱走が繰り返され、ほとんどが命を失ったそうだ。そうでなくてもマラリアで多くの人が亡くなった。西表島の炭坑史の本を読んで、あまりにも悲惨な出来事が、ジャングルや美しいビーチに埋没されているということを知ったが、こんなにも美しい景色からはとても想像できなかった。 宿にもどって、夕食の準備が出来るまで部屋でウダウダしていたら、女将さんがいいマグロ釣れたから見に来いと呼びに来た。見てびっくり。このマグロは、西表の沖合40キロにある、直径9mの気象観測用の海洋ブイで釣れたんだそうだ。この海洋ブイのまわりには、大型の回遊魚がいっぱい群れているんだそうだ。これを釣った漁師さんは、はじめ擬似餌でやっていたけれどまったくあたりがなく、他の漁船からイカをもらって餌にしたら一発できたらしい。釣り上げるまでに三回休憩を入れたそうだ。豪快な釣りだったんだろうな。 とうぜん夜は、新鮮なお刺身のお裾分けをごちそうになったサ。その夜の天気予報で、どうやら心配していた台風の進路が悪い方になったことを知らせた。旅の理想としては、出発した石垣島へカヤックで戻りたかった。しかし二日後には台風の影響が出始めるらしく、今回のカヤックによる旅は明日で終わらせなければならなくなった。 の朝、宿の前の漁港の斜路から出発の準備をしていたら、地元のカヤックツアーのガイドNさんがやって来た。1泊2日のツアーを計画していたが、台風の接近で日帰りツアーに変更したそうだ。そのツアーを楽しみにしていた小学生の男の子が、ちょっとかわいそうだった。「西表島でシーカヤッキングがこれからも出来るように事故を起こさないでほしい。」とNさんに言われるまでもなく、地元のガイドが予定を変更するのだから私たちも今日で行動を終了するというのは大いに納得した。台風がやってくるなんて気配はまったく感じられない素晴らしい青空の下、鳩間島に向けて出発。1日休養したおかげで、快適なパドリングだ。海峡を横断する前に、無人のビーチで休憩。相棒は鳩真島に1泊したかったらしいが、明後日では船がでなくなる可能性があるのであきらめてもらう。携帯電話で、上原のきよみ荘という宿に予約をいれておいた。いよいよ海峡横断だ。さっき、Nさんから「あそこはサメがよくでるから気をつけろ。カヤックよりもデカイ奴もいるらしいぞ。」と脅かされていた。私たちは臆病者で、ドキドキしながら進むことになった。潮は逆潮だった。思ったより進まなかったが、快調にパドリングを続ける。気がつくと潮に流されて目標地点がいつのまにか大きく右の方に変わっていてびっくり。今までで、一番潮の流れがきついと感じた。ようやく鳩間島に近付いてきたとき、なにやらお祭りの笛や太鼓の音が潮風に乗って聞こえてきた。大きく波立っている港の入り口を突破すると、港のずっと奥の森の中から楽しそうな祭囃子が聞こえてくる。私たちは、なんていい日に鳩間島を訪れたんだろう。豊年祭の真っ最中だった。鳩間島はの印象を一言であらわすとしたら、素朴な島だった。 沖縄そばの屋台もでていて、見学した後腹ごしらえをした。鳩間島の雰囲気は、なかなか。島には宿が3軒あるらしく、台風が来ていなければ泊まりたかった。後ろ髪を引かれながら素朴な島鳩間島に別れを告げ、西表島との間にあるバラス島を目指して出発した。バラス島には30分で着いた。ちょうど観光船が来ていて、私たちの出現にびっくりしていた。相棒がサメのことを観光船の船長に聞いた。「今はイルカがいるから、サメはいないよ。」と言われて、ホッとする。そういえば、なんだか知床岬のヒグマみたいだ。「エゾシカがいるときはヒグマはいねえ。」と漁師に言われたっけ。観光船が去った後、しみじみとした気分になった。いよいよ、最後のパドリングだ。西表島の上原港で、今回のシーカヤッキングの旅は終わった。石垣島を漕ぎだして8日目の朝、石垣島に戻り安宿に滞在して台風の動向に翻弄される。帰りの飛行機が飛ぶかどうかを心配しながら、レンタカーで観光したり図書館や宿で八重山関係の本を濫読。結局台風は、台湾方面へ進路を取り、石垣島には大した被害もなく通り過ぎた。 西表の漁師は、私たちが出航するとき、「水は持ったか。」と聞いた。そして、「水さえたっぷり持ってれば、大丈夫さ。」と言って、笑顔で送り出してくれた。柳田国男によると、さらに漁師は米の籾を布袋に入れて必ず携行する風習があったという。嵐にあって無人島に漂流しても、そこで稲を育てて生き延びるための知恵だったようだ。南の海は、なんだか大らかだ。すべてを呑み込み、受け入れる。北の海とはまったく違う漁師の気質や風習、伝統、知恵があると感じた。

ぐんま県境稜線トレイルCエリア探査2024-7-18

ようやく天気が安定しそうな晴れマークの予報になったので、待ってましたとばかりにCエリアを縦走してきました。朝のうちは高曇りながら雨上がりで空気がとても澄んでいて、猟師の沢の頭では絶景を楽しみました。富士山もはっきりとわかりました。 白砂山までは右に左に思わずうっとりと眺めたくなる素敵な山々が次々と現れます。八十三山、鳥甲山、佐武流山、苗場山、浅間山、榛名山、赤城山・・・ 白砂山山頂からは振り返ると横手山の右端に槍ヶ岳もくっきり。お花もニッコウキスゲやタテヤマウツボグサ、ハクサンフウロ、コメツツジなどが綺麗に咲いていました。 白砂山で休んでいると太陽がギラギラと顔を出し始めました。なんとなくこの時に梅雨明けの予感がしました。下山後関東甲信地方の梅雨明けが発表されたのを知りました。 Dエリアを歩いた時も感じましたが、今年は笹の伸びがおとなしい感じで草藪が気になりません。さすがに南面の日当たりのいいところはイタドリなどが胸くらいまで繁茂している箇所もありますが、総じて大したことないです。(個人的見解です。)C-34の標識がある新潟県最南端でいつものように携帯で順調に歩いていることを報告。 白砂山から上の間山までの稜線でもいろんな花が登山者の目を楽しませてくれました。今回見頃だったのは、コキンレイカとキンコウカ、コバギボウシ、ホソバコゴメグサ、ミヤマコウゾリナの花々でした。 赤沢山から忠次郎山への登りで、今日は熱中症に気を付けなきゃと水分補給をこまめに摂ることを心がけます。ムジナ平の水場で冷水を補給するのが楽しみです。 清津川源流を挟んで白砂山三国境から佐武流山へと続く稜線や鳥神山が眺められます。雪渓がまだ少し残っているのがわかりました。蒸し暑さで雪が恋しくなります。 右側には白砂川源流域全体が大迫力で俯瞰できます。そしてムジナ平から笹平、三坂峠へと続く緑の森の稜線が続いていくのがわかります。 今回もアキアカネの大群が登山者の親衛隊のように護衛してくれたので、鬱陶しい虫はほとんど近寄ってくることはなく快適に歩かせてもらいました。 忠次郎山から上の倉山、大黒の頭へと最後のきつい上り下りを頑張れば、あとは三坂峠まで下りベースの歩きです。ムジナ平避難小屋には予定通りの12時正午きっかりに到着しました。 笹清水では清らかな湧水が潤沢に流れていました。周りではミヤマカラマツの白い花が清楚に咲いていました。 ブナの実の成りは今年はどうなのでしょう。三坂峠までの稜線トレイルで見かけたブナの様子では、ブナの実をつけている木では豊富に感じました。落ちていた実の固い殻をこじ開けて中身を見たら、しっかりとした実が詰まっているように思えました。

第2回ノゾリチャツお散歩ツアー2024-7-13

海の日三連休の初日は、天気予報が良いほうに外れて行楽日和に恵まれました。満開の見頃なノゾリキスゲのうわさを聞き付けた観光客の車が朝からたくさん野反湖へ上がっていきます。いつもより1.5倍の時間をかけてようやく天空の花の楽園と湖、野反湖へ。 お散歩するコースはいつもの半分の時間で一番お花が楽しめるコースをガイドです。皆さん、大感激。 お昼は野の屋さんでお蕎麦ランチ。午後はチャツボミゴケ公園へ。こちらもチャツボミゴケやラムサールの貴重な大自然を体感出来ました。ノリウツギやクロヅル、オカトラノオの白い花が夏の日を浴びて眩しすぎるグリーンに鮮やかに映えていました。 さらに足元に目を凝らせば、シラタマノキとアカモノの実も熟し始めていました。ノリウツギやクロヅル、オカトラノオの白い花が夏の日を浴びて眩しすぎるグリーンに鮮やかに映えていました。 穴地獄を周った後、モネの池へ。 オタマジャクシはクロサンショウウオのようですね。 渋滞に巻き込まれてどうなるか心配しましたが、行程通りガイド出来てほっとしました。ゲストの皆様、お疲れ様&大変ありがとうございました。

偵察野反湖トレッキングガイドノゾリキスゲ満開2024

雨上がりの午後遅い時間、明日のガイドの下見のために野反湖にやってきましたが、これほどまで見事な咲きっぷりだとは想定外でした。 誰もが思わず歓声を上げてしまうでしょう。 富士見峠から正一小屋、丸山から湖畔へ下りました。 そして池平からイカ岩駐車場に上がって富士見峠まで。このコースはノゾリキスゲ鑑賞のゴールデンコースです。 その後反対側のキャンプ場に周って、テン場のお花畑へ向かうと、次の花が満開に向けて準備し始めていました。

絶海の孤島 小笠原を漕ぐ1998年

1998年1月1日 カヤックの相棒と小笠原諸島父島へやってきたのは、1997年12月30日。到着した日に、観光バスで父島の海岸の様子を下見した。もちろん小笠原は初めてで、この時期にシーカヤックで島を1周したという話もあまり聞かないので、事前の下見での観察眼しか当てになるものはないのだ。一番気になっていたのは兄島瀬戸だった。下見の時間帯は潮があまり動いていないので穏やかだった。島のほとんどの海岸線は道路から隔絶した断崖絶壁だから、下見といっても一部だけしかできない。出たとこ勝負になるだろう。これまでの経験が大いに試されそうだ。下見なんて気休めかもしれない。ただ島の大きさをなんとなく体で感じることができた。おそらく無寄港で漕ぐことになるだろうから時間的な目安をつけることはできた。一日で一周は可能だ。私たちは、反時計回りがいいということで、意見が一致した。 大晦日の日の夜、前浜では賑やかにカウントダウンパーティーが催された。島の人たちの雰囲気が感じられそうな気がしたので、相棒を誘って出かけた。盛大にコンサートが行われ、屋台ではラム酒のカクテルや年越しそばなどが振る舞われた。観光客よりも地元の人たちの方が楽しんでいるといった様子が観察できておもしろかった。 元旦の朝、前浜を出航。二見港から外海に出るにしたがいうねりが大きくなってくる。しかし今まで体験したことがないようなうねりだ。うねりとうねりの間隔が非常に大きい。ゆっくりと波の底からカヤックは持ち上げられていく。そして波の最高点まで運ばれると、またゆっくりと波の底へ落ちていく。野羊山をかわす頃には、風も脅かす。父島の気象観測所の予報では、午前中に風向きが反対に変わるということなので、私たちは迷わず進むことにした。私たちを追い越していくホエールウオッチングやダイビングなんかの観光船が、盛んにエールを送ってくれる。それに応えたいのは山々なんだが、パドルの手を離すことができなかった。  難関はジョンビーチと南島との瀬戸だ。岩礁帯なので、ものすごい波が立っている。ここを越えれば、おそらく静かな海が待っている。しかし越えられるかどうか。うねりの高さは3メートルはある。まさに川下りでの5級の瀬だ!どうする。風は私たちをどんどん押していく。とりあえず一番安全そうなルートにねらいは定めるが、なかなか決心できない。迷っているうちに荒れ狂う瀬へ吸い込まれるように流される。相棒はすぐ隣に漂っているが、うねりのリズムが違えばお互いが見えない。一旦つっこもうと合図を送ったのであるが、迷いをもったまま進むことほど危険なことはないとふと我に返った。「やっぱりもどろう!」と相棒の後方から声を張り上げた。向かい風に逆らって、ブタ海岸に逃げ込む。ブタ海岸には、サーフィンに良さそうな波が寄せていて、サーファーたちがボードに腹這いになって漂っている。ブタ海岸は風の陰になっていたので、奥の片隅には上陸できる所があった。とりあえず様子を見ることにしたが、今日はここまでかなとちょっと寂しい気持ちになった。しかし相棒はもう絶対つっこむ気持ちになっていたので肩すかしを食らったと言う。朝の相棒の様子からは想像もつかない強気な言葉にびっくり。ひょっとしたら今日はまだチャンスがあるかもしれない。  浜でしばらくのんびりした後、タコの木の疎林をかき分け饅頭岬に登り上がって海の様子を見た。風の向きが変わった。相変わらず岬の北側の海岸にはものすごい波が打ち寄せてくる。しかしそのパワーは先ほどよりも弱まってきていることが感じられる。ジョンビーチの辺りの岩礁帯に砕け散る波頭も何となく先ほどよりも小さくなってきている。相棒に確かめてみたら、「じゃ、行くか。」ということになる。  ボードに腹這いに寝そべって、波に漂うサーファーの横をすり抜け、湾の中からまたうねりの大きい海に出ていく。今度はどんなことがあって通り抜けるぞという気持ちがわき上がってくる。迷いは禁物だ。岩礁帯には波が炸裂している。しかし、やはりさっきよりも状況はずっと良い。私たちが通るべきルートがはっきりわかる。うねりのために見え隠れする相棒となんとかルート確認をして、岩礁帯を突っ切った。全力で漕いだ。  南崎をかわすと途端に海の様子は一変した。あれほど荒れていた海が、打って変わって穏やかな海になった。そして断崖絶壁の海岸は知床の断崖よりも迫力があると思った。断崖は剥き出しの荒々しい地形である。亜熱帯の島だからジャングルのような森に覆われていてもいいのかなと思うのだが、激しいスコールは根付こうとする一粒の種子も洗い流してしまうのだろうか。  ここまできたらもう後には引けない。太平洋に浮かぶ絶海の孤島の海を漕いでいく。天之浦に入り込んでみたかったが、先を急がなければならない。少し波がブレークしている巽崎をかわして、西海岸に廻ると追い風だ。調子よくパドリングして、初寝浦まで順調に進む。この辺りの海岸でキャンプを張り、釣りやシュノーケリングをしてのんびり旅をしてみたいものだ。しかし、小笠原はキャンプ禁止である。今日はなんとしても1周して宿に帰らなければならない。  いよいよ兄島瀬戸に入り込む。海の様子が変わる。うねりがなくなり、海面が妙になめらかになる。流れている。どうやら私たちは潮の流れに乗っている。大河のような太く大きな流れだ。少し不気味だが、何もしなくても私たちをどんどん運んでくれる。しかし、問題は瀬戸の出口だ。一昨日のウエザーステーションからの様子だと、大きな三角波が立っているはずだ。釣浜や宮之浦を過ぎていくと、遠くに返し波が見えた。まさに川下りという感じだ。川の瀬のように漕いで突っ込めば、抜けられると確信した。相棒と行くぞという合図をかわして、激しい瀬の中へ漕ぎ進む。大きな返し波を一回頭からかぶった。  東海岸に回り込むと、向かい風になった。もうその頃には疲労がたまってきたのか、進みが遅くなってしまった。ここまでの進み具合を考えると、ゴールまでの距離はわずかだが、漕いでも漕いでも進まないという感じである。相棒はさらに私からどんどん遅れていく。後ろを振り返ってもうねりのせいで相棒の姿がすぐに見つからなくなるので、時々相棒を待ちながら進んだ。  二見港に入港すると、やっと一息つけた。1周することができたという感動が湧いてくる。もう夕方である。ホエールウオッチングやダイビングの船が次々と帰港してくる。私たちも前浜へ上陸した。すぐにビールを買ってきて、海岸に腰を下ろして乾杯した。次は母島かなと冗談を言い合いながら、ビールのうまさに感動した。