北海道

2005北海道・海旅・追分ソーランライン1

2005北海道・海旅・追分ソーランライン(大成町太田~知内町)全漕行距離約170km 昨年の旅の続きだ。大成町太田から青函トンネルの知内町まで、漕行距離約170km。かつてはニシン漁や北前船の交易で賑わった。派手に観光地化されていないので、人も自然も素朴な表情で私たちを迎えてくれた。難所である白神岬はベタ凪の追い潮で楽に越え、津軽海峡の海へ。岩部海岸の断崖絶壁の迫力は、この旅のクライマックスだった。 大成町太田~貝取ま(国民宿舎あわび山荘)(漕行距離約19km) 昨年の旅の続きのスタート地点である太田漁港は、車を駐車しておけるようなところがないので、新しくできたばかりの帆越山を貫通するトンネル出口付近から出艇することにする。実は、奥尻島へ渡ってみようという考えもあった。しかし、昨日まで悪天候が続いていて、まだ海にはうねりが残っていた。それに、島影が見えないほど海上には濃霧がかかっていた。だから、素直に陸伝いを南下することにした。 この帆越山のトンネルができるまでは、太田の集落は陸の孤島のようなところだったらしい。海が荒れれば帆越岬の海岸に沿ってある道路は、大きな波をかぶってすぐに通行止めになってしまったそうだ。海旅の初日は、やはり緊張する。カヤックを海に浮かべて、パドルをしばらく漕いでいるうちに、ようやく海に浮かぶ感覚やパドリングのリズムを思い出し、なんとなく安心するのだ。帆越岬は少し向かい風があったが、力強く漕ぎ進み、3時間弱で今日の宿がある貝取まに上陸した。 格安の値段で、料理と温泉を堪能する。また、翌日朝の車の回収のために、宿の方に大変お世話になってしまった。

2005北海道・海旅・追分ソーランライン2

大成町貝取ま~乙部町元和(漕行距離約29km) 今回カヤックで漕ぐ函館までのルート、適度な距離に温泉マークがある。昨夜のあわび山荘は、貝取ま温泉といい、赤みがかった天然かけ流しで、とても良かった。もちろん、名前通りのあわびの刺身やら陶板焼きなどなど、たらふくのごちそうも大満足だった。さて、今日はどの辺りまでがんばってどこの温泉に入ろうか、などと朝食前に温泉にゆったりつかりながら、今日のカヤック旅に思いをはせる。 AM9時半出航。日も出て、昨日より天気良く、海も穏やか。でも奥尻島は見えない。どうも今夏は大気が不安定な天気になりやすいようで、すっきりと晴れ渡るとまではいかないようだ。約10kmほど先に、ひらたない温泉あわびの湯というのがある。今夜もあわび料理と温泉三昧というのに心惹かれるけど、先にも進まなければならないので、そういうわけにはいかない。約35km先にちょうど館浦温泉というのがあり、今日はそこまで漕ぐのだ。 親子熊岩など、しばらくは奇岩がいくつも続く海岸を進む。このような地形を生かしてだろうか、長磯という港ではあわびの養殖が行われているそうだ。昨夜のあわび山荘で夕食の賄いをしてくれたおばさんは、正月になると、都会に出た息子にあわびを送ってやると話していた。熊石町にはいると、海岸線は一転する。数kmに及ぶ鮎川海岸は、きれいな砂浜のビーチだ。沖合から眺めながら、ひたすら漕ぐ。昼をまわって、相沼というところでトイレ休憩のために上陸。でも、昼食をとるのは、元和というところまでがんばることにした。というのは、元和には海浜公園があって、きっと海の家では冷えた生ビールがあるにちがいないから・・・ PM3時過ぎ、元和台海浜公園「海のプール」の横の小さなビーチに船を着ける。この海のプールというのは、すごい施設だった。元和台という断崖絶壁の下に作られているのだが、駐車場やレストランのある崖上から、崖下の海のプールへ行くのに、専用の立派なコンクリートスロープが作られているのだ。この巨大な構築物は、カヤックで数kmも手前から認められた。初めは何なのかわからなかったけれど、近付いて海上から仰ぎ見るその姿に、唖然とした。この美しい海にわざわざプールを作る必要があるのか、という素朴な疑問など一瞬のうちに吹っ飛んだ。でも、とても良く運営されていて、たった100円の協力費でこの立派な施設が利用できる。たくさんの家族客などで賑わっていた。 私たちは、もちろん海の家へ直行。まずは生ビール!そして、おでんや焼きそば、ラーメン、ジャガイモ団子などなど、すっかり食べ過ぎてしまった。先へ進むつもりだったけど、急遽予定変更。今日は、ここまでだ。

2005北海道・海旅・追分ソーランライン3

乙部町元和~上ノ国町汐吹(漕行距離約35km) 3日目は、早起きをして6時前に出航。昨日のようなペースではとても函館には行き着けそうにない。今日はもうちょっとがんばらなくては。どうやら追い潮である。元和台のような岬をかわす時、はっきりわかるくらいに潮が流れている。よし、この勢いで江差の鴎島まで一気に漕ぐぞ!いきなり、魚の群れがカヤックのすぐ横でボイルする。結構大きな魚の群れで、30㎝くらいはある。ブリ系の魚の幼魚の群れが、さらに小さな鰯系の群れを追っているようだ。すると、今度はカモメの群れが空から集まってくる。ブリ系の魚に追われて海面を逃げまどう、鰯系の小魚をねらっているようだ。この小さな大自然のドラマが、いたるところで見られた。最初のうちは、あわてて釣りを試みてみた。しかし、仕掛けが良くないのか、まったく反応が無く、やがてあきらめた。8時過ぎに江差の鴎島に上陸。鴎島の高台は、芝生のキャンプ場だった。 松前同様、江差はかつてニシン漁や北前貿易で大いに賑わった港町。今は陸続きになってしまっている鴎島が、波風をさえぎり天然の良港を作り、廻船問屋が軒を連ねていたそうだ。現在、旧中村家住宅や復元された開陽丸などで、当時の面影をちょっぴり感じ取ることができる。 ところで、北前船の大きさは石で表すそうだ。長さ×巾×深さで求められるらしい。すると、私たちの船は何石くらいになるんだろう。6.6×0.8×0.4として、わずか2石あまり。タンデムカヤックで江差の海に浮かびながら、昔の港の様子を思い浮かべてみる・・・ さて今度は、鴎島から上ノ国町の道の駅「もんじゅ」を目指す。たしかここは海沿いにあるので、カヤックを岸に着けて、レストランで昼食ができるはずだ。穏やかな内海を一直線に漕ぎ進んだ。案の定道の駅「もんじゅ」は、海からも大変便利な施設であった。濡れたウエットパンツでも入れてくれる。そして、生ビールとウニ丼だ! 先を急がねば!!洲根子岬をかわすと、突然潮が変わった。一気にスピードが落ちる。大安在浜の単調な景色が余計にパドルを重くしてくれる。さらに追い打ちをかけるがごとく、前席の家内が居眠りである。こんな時は思い切って岸寄りすれすれにコース取りする。そうすれば、海の底も見えるし、少しは退屈を紛らわせてくれるのだ。 しかし、穏やかな海だからこんな悠長な事を言ってられるのだが、この辺りは遭難の名所である。開陽丸は、この先の木ノ子の海岸に強風で打ち上げられ難破したのだ。汐吹の老漁師は、かつて、荒れる海を命からがら帰ってくる漁船のために、盛んに浜に火をたいたんだと話してくれた。時には、自分たちの目の前で船が波にのまれてしまったこともあったそうな。向かい風と逆潮に苦しめられ、午後2時前、汐吹で今日の行動終了。いまいち距離を伸ばせなくて残念。

2005北海道・海旅・追分ソーランライン4

上ノ国町汐吹~松前町折戸海岸(漕行距離約39km) いよいよ4日目。今日も暗いうちに起き出す。海岸では、現役を引退した老漁師が、流木拾いをしていた。5時半過ぎには海に浮かぶ。 この辺りの海岸線は、それほど高くはないけれど切り立った断崖が延々と続く。道路は断崖の上に押しやられ、海上からはほとんど見えなくなる。カヤッキングのコースとしては、なかなか良いロケーションだ。道路からは簡単には降りて来れないプライベートビーチも、いたるところにある。途中でシュノーケリングする。本当に透き通った綺麗な海だ。 相変わらず視界は悪いが、前方に大小2つの三角錐の孤島がぼんやり見えだした。松前小島と大ヒヤク島である。松前小島は、面積1km2、周囲4kmの、無人の火山島である。小さな島なのに、そのてっぺんは262mもある。不思議な存在感を漂わせていた。 松前町では、熊騒動が起こっていた。子連れのヒグマが町中で目撃されたようで、パトカーが大きなアナウンスを流して注意を呼びかけていた。折戸海岸はキャンプのできる海水浴場になっていて、テントがいくつも張られていた。パトカーがややトーンを下げて、「キャンプは撤収しましょう。」と最後にひとこと言い残して走り去った。なんとなくユーモラスな光景だった。もちろんテントを撤収した人は誰もいなかった。 午後をまわると、天気が良くなり出した。きらきらと輝く海を眺めながら海岸でボーッとする。カヤックの荷室にビールが転がっていたのを思い出し、栓を開ける。今日はここまでだ。ビールは、冷えていなくても不思議とうまい。心地よい潮風を浴び、かすかな波の音を聞きながら、小石の浜に寝っ転がる。こんな怠惰な旅こそ、贅沢な旅かもしれない。

2005北海道・海旅・追分ソーランライン5

松前町折戸海岸~知内町(漕行距離約49km) 最終日。今日も暗いうちに起き出して、5時半前には海に浮かぶ。2度ほど大きな鉄砲の音が海上まで響いた。熊を仕留めたのだろうか。熊騒動がその後どうなったのかは知らない。ただ、知床が世界遺産に認定されたこの北海道で、熊とどのように共存していくことができるのかは、これからの大きな課題だろう。知床の地と対極点にある地で起こったこの騒動は、これでひとまず解決したのだろう。ただなんとなくスッキリとしない後味が残った。(注 2005年時の印象) 弁天島をかわすと、正面から朝日が照らした。昨夜、松前の飲み屋で夕食をとった。寂れた雰囲気を感じた。かつては、蝦夷地の中心だった松前である。そんな松前の町並みを左に眺めながら、白神岬を目指して一直線に漕ぐ。左から出し風が強く吹き始めたが、それはちょうど及部川からのもののようですぐに止んだ。白神岬にかかると、潮流が川の流れのように激しくなるのがわかった。この岬が漁師にとって難所だということは、後で知った。こんなに凪いでいたのは珍しかったらしい。 白神岬を順調にかわし、いよいよ津軽海峡だ。福島町や吉岡町の沖合は、昆布の養殖が盛んにおこなわれていて、作業中の漁師から2度声をかけられる。海の様子を尋ねると、「陸伝いに行けばいいけど、ゆるくないぞ。」と、温かく励まされる。海上で、知内の老舗温泉旅館に今日の宿を予約することにした。青函トンネルが真下にある吉岡町を、ちょうど10時頃にさしかかって、思い切って秘境である岩部海岸の先を目指すことにした。 岩部海岸は、知る人ぞ知る秘境で、陸路はない。ちょっとした知床である。さすがに、かつて漕いだ知床は、私たちのような通りすがりの旅人にさえ、ヒグマやオジロワシ、エゾシカなど、濃密な野生を容易く垣間見せてくれた。この岩部海岸は、荘厳な静寂が響き渡っていた。海にそそり立つ断崖は250m以上。圧倒される。昆布がびっしりと茂る海は、まさに豊饒そのものである。大岸壁の真下から仰ぐと、猛禽類の大きな鳥が、はるか上空を優雅に旋回をしていた。この旅のクライマックスである。足早に通り過ぎてしまうのは、あまりにも心残りである。 矢越岬は、時速9km以上で越えた。そして、途中小谷石というところで上陸休憩し、函館からのバスが通る知内までひたすら漕いだ。最終日、約49km漕いだ。今回は日を重ねるごとに漕行距離を伸ばしたが、もう少し前半がんばっておけばよかった。館まで残り30kmを残し、3年目の北の海旅を終えた。来年は、この旅の続きをするかどうかは、わからない。

利尻の初滑りの想い出2009-2-28

先日利尻からニシンが送られてきました。ニシンは春告魚とも呼ばれるそうですが、利尻で久しぶりに大漁だったそうです。 利尻の港が活況な様子を想像しながら、塩焼きや煮魚、鍋などいろいろな料理で楽しみました。 昨日は、にゅう麺のニシンそば風数の子付きでした。旬の山菜もいただきました。そして、初めて利尻を滑った2009年2月28日のことを想い出してみました・・・ 今や日本を代表するパウダーリゾートの聖地ニセコ上空を通過しました。次の日雪崩事故があった蝦夷富士(後方羊蹄山)がわかります。きっとたくさんのバックカントリースキーヤーが、我先にとパウダーを食ってるに違いありません。羽田から稚内への空路は一日一便で、スキーを持ち込んでいる客は私達だけ。利尻岳のパウダースノーに心躍ります・・・ 利尻行きのフェリーで地元のおじさんから、「あんた達何しに来た?」と聞かれびっくり。スキーしに来たと返したら、「たまにいるなぁ。」と納得してくれたのでちょっと安心。これでも海はいい方らしい。実はあまりの波の揺れように気分悪くて、先ほどまで船室で横になっていました。でも利尻島に近付いて島の姿が現れ始めたら酔ってなんかいられません。その神々しい姿に興奮して後部デッキに身を乗り出していたら、「あんたらみたいな人が事故するんだな。」と、またおじさんから脅されます。船が突然揺れると、簡単に手すりを乗り越えて極寒の海に投げ落とされるんだそうです。冬の利尻へやってくることは、なかなかアドベンチャーなことのようです。 やがてフェリーが鷲泊の港に入ると、波が穏やかになるとともに心が騒ぎ始めます。海抜0mからスキーが出来そうで、あの赤灯台の向こうにある斜面はなんて魅力的でしょう。日没まで2時間弱、あそこを滑るには十分な時間があります・・・

オプタテシケ山BC2012-4-20

ガスガスのホワイトアウトの中、GPS頼りに手軽そうな美瑛岳を登ってみた。標高1235m地点で突然私達の進行方向を横切っている山親爺の足跡。しかもホヤホヤのが右の沢から左の尾根上のハイマツへ。もちろん速攻下山したのはいうまでもない。下山の途中で、あとから登ってこられた地元のテレマークガイドさんとすれ違う。「山親爺を怖がっていたら、北海道の山は滑れないよ・・・」と、ご教示されて、確かにごもっとも。でも今日のところは撤退なのだ。そしたら秋田の方でクマ牧場から脱走した羆のニュースが流れていて、びっくりである。 下山後、翌日はトムラウシを滑りたくて登山口のトムラウシ温泉へ道路のアクセスを問い合わせてみる。現在登山口までの道路が工事中で通行できるのかわからないというようなことで、急遽オプタテシヶ山に変更する。 翌朝、山親爺対策を万全にして、新得側のトノカリ林道からオプタテシケ山へ。奥深い森の中を歩いていると、スケールの大きな十勝大雪山系の山に呑まれてしまうような感覚になる。北海道の風景は群馬の山の雰囲気とだいぶん違っていて、まるでアラスカとかカナダの大陸的な風景に似ていると思う。昔何かの本で誰かが書いてたことだけど、北海道の山は山親爺がいるから内地の山と違って素晴らしいなんてこと想い出す。確かに今感じるこの緊張感は、いつもどこかで山親爺に見張られているからかもしれない。なかなかオプタテシケ山が現れないので、時間を気にしてちょっと焦り気味でしたが、やっと現れた! 立ちはだかる真っ白いほぼ無木立の大斜面を前に、登行ルートは単純に登るだけだ。登るに従い斜度もきつくなってきて、ザラメ雪がかなり緩んでいるコンデョションなので雪崩が少し心配。 山頂は細い稜線で、反対側からガスが湧いてきていて昨日登った美瑛岳側の山はまったく分からない。ただそちら方面から登山者一名のツボ足の痕が残っていた。 ガスがこちら側へ立ち込めてくる勢いを感じたので、遅れてきた家内は途中までであきらめてもらい、速攻下山。 おまじないにクマ撃退スプレーと空のペットボトルを鳴らしながら歩いたからかな、昨日と違い今日は足跡にも遭わずほんとうに良かった。

利尻山をスキーでぐるっと一周chapter4

沓形稜(標高520m)PM3:27~鴛泊登山口PM5:00距離約7.6km 沓形稜下部もデルタ状の広大で緩やかな尾根で、古いモービルとスキーの跡も残っていた。もちろんウロコテレマークスキーにとっても面白そうな大斜面だ。目を凝らすと、右上に避難小屋が雪にほとんど埋もれながらも、そこにあるのがわかった。左下には展望台といわれる施設もわかる。見覚えのある景色や地形なのは、昨年は1日で1周出来ず、この沓形稜から2日目をスタートしたから。その時は天気があまり良くなかったので、今日の晴天は前回の屈辱を晴らすこともできた。 ポン山さんはもうすっかり元気そうで、いよいよ後半最後のこの景色とスキーの楽しさを堪能しているようだ。家内は相変わらず朝一から変わらないマイペースで、しんがり役をきちんと守っている。眼下の海はますます黄金色に輝いて、息を飲む美しさである。 利尻の地形の特徴は、深く刻まれた谷や沢のほとんどが、広くなだらかな裾野へと下るにしたがい河川の地形が無くなってしまうこと。そんなことから、涸れ川のトビウシナイ川が利尻町と利尻富士町の町界に流れているが、上流部がどこなのか、たぶんこの辺なんだろうけど、はっきり特定できない。同じことがオビヤタンナイ沢川にも言える。だから沓形稜と北稜の間の沢が、トビウシナイ川なのかオビヤタンナイ沢川なのか。2万5千図とにらめっこしていると訳がわからなくなってくる。 利尻町と利尻富士町との町界を流れている川をトビウシナイ川と認めると、利尻山頂からダイレクトに落ちる谷は町界なので、トビウシナイ川ということになる。しかし、昨年滑った長官ピークからの谷、利尻避難小屋直下の谷であるが、これは利尻ローカルのポン山さんによればオビヤタンナイ沢川と話していた。これをオビヤタンナイ沢川だと確定すれば、困ったことになる。標高600m付近でこの谷は合流してしまう。二つの川が途中で合流して下流でまた分かれてそれぞれ名前を変えるというのは常識的ではない。沓形稜と北稜の間の川の名前を1つに決められれば、わかりやすいと思うのだが・・・・ ポン山さんの言うとおり、沓形稜と北稜との間の川をオビヤタンナイ沢川と決めるとすると、いよいよ沓形稜からそのオビヤタンナイ沢川を横断である。利尻山頂からダイレクトに落ちる谷が本谷とすれば、昨年ポン山さんと家内と3人で長官ピークから滑った沢は、さしずめオビヤタンナイ沢川左俣と名付けられるだろうか。迫力の本谷を越えるときも、背中を強力に押してくるこの風はまさに神風で、何もしなくてもなかなかのスピードが出るのに驚く。雨傘など開けば斜面も駆け上がっていくほど。 そして小尾根を越えると見覚えのある景色が待っていた。オビヤタンナイ沢川左俣。避難小屋の沢と呼んでもいいかも。古いスキーのあとが残っていた。ここまでくればあとはもうほとんど下りだけなので、かなり余裕で休憩。ポン山さんは持ってきた水の量が足らなくて節約しながら水分補給していたが、なんとか持ちこたえたよう。こちらはちょうど良い量だった。 1つ大きな尾根を越えると、長官ピークからの尾根の途中1100m付近から落ちている沢を横断。この沢がまたスキー向きの良い斜面。また、名前をなんて付けたら良いんだろう?困ってしまう。 ポン山が大きく見えてくる。今朝見たばかりなのに、懐かしい気持ちが湧き起こってくるのは何故だろう。通称ベースと呼ばれている雪原の下で、たくさんのトレースに出会う。もう時間的には、ほとんどの入山者が下山してしまった頃。しかし、これから山に入るテント装備のスノーボーダーの方が上がってくる。仲間3人とこれから4日間の日程だそう。明日からも利尻はまだまだ好天が続きそうで、彼らもまた懐かしい思いでポン山を見ながら山を下りてくることだろう。 湧水を汲みに来たポン山さんの知り合いの方を、ゴール間近のところで追い抜く。どこへ行ってきた?1周した!なんて会話になり、いきなり利尻を1周してきたと答えても、普通の人はあまりピンと来ないだろうなと思った。午後5時ジャスト、今朝スタートした鴛泊登山口にゴール。 ゴールしてもすぐには1周達成の実感がなく、じわじわと込み上げてくるに違いない。大げさな言い方だけど、1年間あたためてきた計画が達成できた。この後ポン山さんと夜は魚勝で盛大に祝杯をあげるのだ。

利尻山をスキーでぐるっと一周chapter3

マヤオニ沢(標高520m)PM0:27~沓形稜(標高520m)PM3:27距離約6.9km マヤオニ沢の対岸の尾根に上がるルートは、見た目通り急斜面だったけど、何度か斜登行を繰り返してウロコだけで登り切った。ポン山さんが心配だったけど、後ろからしっかりついてきてくれたので大丈夫そう。でも、これからもまだまだ深そうな沢をいくつも越えていかなければならないので、安心は出来ない。 ここでちょっと趣向を変えて斜滑降を長めにとって気分転換。下りが続くと気分的にも楽になる。結局はその分登り返しが待っているのだけれど・・・ 谷を横断して尾根に上がるとそこには、新しい景色が必ず広がっている。ずっと平原を進むだけだったら楽ちんだけど、きっと景色の単調さにうんざりするかも。だから尾根の向こうに待っている景色に胸をときめかせて、一歩一歩前へ進むことが利尻スキー1周旅の醍醐味だ。苦あれば楽あり楽あれば苦あり、ではないが、1周スキー旅は人生そのものなのだ。 振り返ると、少しずつ越えてきた景色が遠のいていく。今までずっと目印にしていた仙法志の街並みや仙法志ポン山も、さよならである。ちょっと名残惜しかったりもするけど、確実に前へ進んでいるという充実感が気持ち良くもある。気がつくと、いつの間にか今までの強い向かい風がなくなっていた。 何度目か谷を越えて尾根に上がると、面白いものが待っていた。なんだあれ?て、つぶやいてみたら、ポン山さんが、アワビ岩だと教えてくれた。まさに岩にへばりついたアワビである。海岸沿いの道路からは見えないので、利尻に住んでいる人にもあまり知られていないかもしれない。この辺りもまさにスキー向きの斜面なので、ポン山さんにはアワビ尾根とかアワビ谷とか、わかりやすい名前を付けて欲しいところだ。 雪がない時期もアワビに見える岩なのかポン山さんに尋ねると、ポン山さんが前に一度だけ見たときは雪のない時期だったそうで、雪があろうとなかろうとアワビに見える文句なしアワビ岩だそうである。アワビ谷で少し癒されてみんな元気が出てきて、ポン山さんにも笑顔の余裕が見られるようになってきた。 大空沢は広くて明るい谷で、たくさんのモービルの跡が残っていた。この谷も標高1000m以上までスキーで登って行けそうなので、いつかどこまで行けるか詰めてみたいところ。地図を見ると、この大空沢の湧水が海岸沿いの道道脇にある麗峰湧水という名所。いつも通り過ぎるだけで、まだ口にしてみたことがない。 大空沢から見える山頂への険しい稜線は、沓形稜に違いない。そう思うとはやく沓形の町並みが見えてこないかなと、心がはやる。時刻は午後2時過ぎなので、ペース的には遅くもなく速くもなくだ。 大空沢の急な斜面を登る。登り上がると、またそこには新しい景色が広がる・・・ シサントマリ字界沢付近は、標高500mくらいを進む。マヤオニ沢と大空沢の区間は複雑な地形だったが、この辺りは快適な斜滑降と斜登行の連続で、効率的に前進している感じ。 そしてついに、彼方に礼文島が突然見えたときは、みんなうれしそうだった。また海岸線には、利尻高校の建物らしきものも見えて、いよいよ沓形の町並みも見えてくるはず。ポン山さんがあれは神居ポン山と教えてくれる。 いつしかお日様も西に傾きはじめ、海が黄金色に輝いていた。そして私達にとっては、神風が吹く。この頃風向きは追い風となり、ザラメが少し凍り始めてスキーが滑るようになって、何もしないでも疲れた体をどんどん前へ進んでくれるようになる。 深い沢を横断するも、この神風のような追い風のおかげで苦にならないくらいだ。

利尻山をスキーでぐるっと一周chapter2

アフトマナイ川(標高322m)AM9:45~マヤオニ沢(標高520m)PM0:45距離約7.1km アフトロマナイ川もまた山頂からのエクストリームスキーヤーの滑降記録があるらしい。私達が休んでいる場所はとてものどかな雰囲気が漂っていて、山頂直下の荒々しさとは別世界である。さてゆっくり休憩もしていられず、次の目標地点である南稜を目指して歩き出す。まだ3人とも調子が良い。 しばらくは森林限界下部の森の中を、谷を跨ぎ尾根を越えるようにして斜面をトラバースするように進む。日が当たるところはザラメが緩みだす。まだ凍っているところで斜滑降し、融けているところで斜め登りをすると効率的なので、なるべくそのようなルート取りを心がける。これからの長い行程を考えると、ついつい心がはやり気味になってしまうが、やはり冷静にマイペースでコツコツ進まなければと思う。時々樹林越しに垣間見える東稜下部のスキー向きの美味しそうな二つの大斜面が、滑ったら気持ちよさそうだなと、 心を和ませる。 昨年の記録ではヤムナイ沢を標高330mで横断していて、今回はもう少し上流で横断するよう意識的に高度を上げるようにトラバースしていく。なぜなら少しでも1周の距離を短くして時間短縮できるからと考えるのだが、この辺が匙加減の難しさでもある。高度を上げるには登りで体力を消耗したり、沢が深くなったりするリスクもある。やがて眼下の海岸に灯台が現れた。利尻ローカルのポン山さんがすぐに石崎の灯台だと教えてくれる。鬼脇はそのすぐ先である。ポン山さんによると、石崎の灯台が見えた時、自分たちが確実に進んでいることをようやく実感できて、1周は出来きそうだなと初めて自信が持てたそうだ。しかしまだまだ、1周の3分の1といったところである。家内が1周のどれくらい来たのか何度も尋ねてきたが、「どれくらいかなぁ。」と濁す。こういう質問に答えるのも、質問者の心理の影響を考えると回答の匙加減が難しい。 だだっ広い東稜下部をトラバースしていくと、今まであまり風を感じなかったのに、急に正面からの風が強くなってきた。こんなこともまた、自分たちが時計回りに円を描きながら確実に進んでいることを実感させてくれる。 やがて大きな沢床でそれとすぐわかるヤムナイ沢が現れた。沢床まで気持ちよくテレマークターンで滑り降りる。いくつもの新しいモービルの跡が残っていて、上の方でエンジン音が聞こえてくる。急な対岸の良いところを狙って斜めにウロコを利かせて登る。 いよいよ南稜下部の一端に立つ。南稜と仙法志稜とを隔てるマヤオニ沢まで、南稜下部はデルタ状に裾野を広げているが、もちろん平原になっているのではなく、複雑に支沢が入り込んでいてルートは単調ではない。昨年もこの南稜下部では強烈な向かい風に悩まされ、地図を広げることができなくて困った。今年はこの辺りの地形がだいたい頭に入っているので、地図を見ないでなるべく高度を上げるように進路をとった。そして、風の弱いところでお昼休憩にした。 尖った塔のような岩峰が、日本離れした特異な景観で迫ってくる仙法志稜を眺めながら、おにぎりの美味いこと。三つ目は何とか思いとどまり、3時のおやつにとっとく。今のところなかなか快調に進んできているので、気分的には余裕である。しかし何があるかわからないので、今日はヘッドランプも覚悟で行きましょうとお互いに意思確認。 正面にヤムナイ沢の夏でも万年雪が残るという源流部が見える。スキーでどの辺りまで詰めていくことが出来るか、いつか自分の足で確かめに行ってみたい沢が、利尻山の周りにいくつもあるが、このヤムナイ沢もそのうちの1つである。 まだ半分も来ていないので、お昼休憩をあまりゆっくりもできず先を急ぐことにする。昨日はガスでホワイトアウトのこの南稜下部を、一人で標高700mまで往復したので、そのトレースと交差する地点を楽しみにしていると、あったあった、そこにあった。晴れていればこんな雄大な景色の中を歩いていたのかと思うと、ホワイトアウトの中を歩くことがなんと空しいことか。昨日はカラスが近くまでよく寄ってきたけど、何故だったんだろう・・・・ 私達より上部の南稜下部の大斜面に、たくさんの人影が豆粒のように見えた。どうやらこちらの方に滑り降りてくる様子。彼らの登りのトレースをどこにも見た覚えが無くて、疑問が一瞬浮かんだけど、すぐに納得。近付いてくると、アルペンスキーヤーとボーダーの混成で、みんな楽しそうに滑っている雰囲気が漂っていた。テレマークターンをしているテレマーカーを探したけど、見つからない。 鬼脇ポン山方向へと滑り降りていった彼らとすれ違い、私達はひたすらトラバースを続ける。突然後ろのポン山さんから、足が痙りそうだと声がかかる。緊急事態である。立ち止まって、足の様子を見る。以前山岳マラソンに初めてエントリーして、自分も足を痙った経験があるので心配する。しばらく休憩すると、足をかばいながら無理せず行けば大丈夫そうだというので、ちょっとスピードをゆっくり目にして前進することにする。ヘリかモービルで救助してもらうなら別だけど、この場所から自力で道路まで下るとすれば、下山も前進も気分的には変わらないかも。 マヤオニ沢まで、眼下にオタドマリポン山、メヌウショロポン山、仙法志ポン山などが眺められる。今年の豊富な残雪量ならまだ楽にアプローチできそうである。今回のルートは昨年より標高100mほど高いところを進んでいて、昨年よりずっと効率的なルートである。ただ残雪状況で尾根上のハイマツなどが出てくると、進路が妨げられたりもするので、やはりその時その時の状況判断になるだろう。 その後もポン山さんは何度か足が痙りそうになって、その度に少し立ち止まったりしたけれど、なぜだか足の調子が少しずつ回復してきたようだった。時計回り1周というのは、つねに同じ方向で登りが続いたりするので、きっとふだんあまり使わない筋肉を酷使して痙攣するのかも知れない。時々快適な斜面のダウンヒルなどがあったりして、こわばった筋肉がほぐれたりするのが良かったのかも。なんにしろポン山さんの、今回のスキー1周にかける強い思いがあってのことではあるが。 そろそろマヤオニ沢だろうと思ってもなかなか辿り着かなくてちょっと精神的に疲れた頃、今度こそマヤオニ沢だと間違いなく確信できる地点に出た。標高600m付近から見下ろすマヤオニ沢は広々としてなだらかな雰囲気が漂っているが、対岸の尾根に雪庇が出ていて一瞬どうしようかと迷う。雪庇がなくなる下流方向に高度を下げるルートをとれば、問題は簡単に解決できるがそれはもったいない。よく見ると一部雪庇の切れている箇所を見つけ、急斜面そうだけどそこを突破口に狙うしかないと判断した。 まずはマヤオニ沢の沢底へ、優雅なテレマークターンで気持ちよくダウンヒル。斜登行と斜滑降の繰り返しの利尻山スキー1周では、ウロコテレマークスキーの楽しさを最高に感じるひとときである。 仙法志稜と南稜の絶壁に挟まれたこのマヤオニ沢は、私達の出発地点である鴛泊登山口のちょうど反対側。つまり1周の半分進んだということ。ポン山さんが、ここから先はほとんど行ったことがないので、どんな景色が見られるかを一番楽しみにしていたところだそうである。確かに仙法志と沓形の道道の区間は、車からは高い崖で利尻山がまったく見えないので、斜面の様子がよくわからずローカルスキーヤーでも入る人が少ない。私達にとってもこの先は、時間切れで仕方なく沓形への下降ルートを余儀なくされた昨年の経験があるので、この先にどんな景色が飛び出してくるか、とても楽しみなのである。