北海道

知床岬コロポックルツアー1992

29の夏、まだ世界遺産に登録される前の知床半島をシーカヤックで旅した思い出です。旅の準備として、アマチュア無線の免許をとって無線機を購入したり、冷たい海で低体温症にならないようにロングジョンのウエットスーツも購入したり、さらにてヒグマ対策として熊忌避スプレーも購入しました。ハイエースのルーフにダブルのシーカヤックを積載して新潟からフェリーで小樽へ。そして小樽から丸一日がかりで羅臼へ。翌日1日目は波風強く羅臼停滞。2日目は羅臼からペキンの鼻でキャンプ泊。3日目はペキンの鼻から知床岬文吉湾でキャンプ泊。4日目は文吉湾からアウンモイ番屋で番屋泊。5日目はアウンモイ番屋から岩別川河口でキャンプ泊。6日目は羅臼のハイエースを回収して岩尾別川河口からウトロまで。ウトロのキャンプ場泊。 私たち夫婦のダブル艇はレットマンパシフィック。ファルトピアさんで2分割仕様になるよう特注。GWに完成したばかりで、海での使用は新潟名立で1回だけ。仲間の艇は二人ともフジタのシングル。まさに井の中の蛙大海を知らずの遠征でした。

知床シーカヤッキング1998

シリ・エトクへ(大地の果てるところ) I. 旅のはじまり 知床半島の西の玄関口であるウトロを朝早く出発した。プユニ岬からカムイワッカの滝まで、厳しい気象条件に晒された荒々しい断崖の海岸が続く。海の色は一言では表現できないブルー。小笠原でも佐渡でも豊後海峡でもない、知床のブルーとしか言いようがない。とても冷たくて泳ぐ気なんて起こらないが、北の海流にのってやって来るこの青い海こそ、知床のすべての生き物を育む母だ。 カモメなどの海鳥のけたましい鳴き声が、断崖に囲まれた入り江に響き渡る。そう、ここは海鳥の楽園。気をつけなければならない。頭上を飛び交うカモメからいつ爆弾(くそ)が落ちてくるかわからないのだ。私たちは、おそるおそる断崖に彫り込まれた洞窟にカヤックごと入り込む。入り口はカヤックがやっと通れるくらいだが、中は6メートルあまりのカヤックが方向転換できるくらい広い。ちょっとした探検気分を楽しんだ。 II. 野生 カムイワッカの滝を過ぎると、背後に濃密な森を従えた玉石の海岸線に変わる。なんと野生の臭いがすることか。二度ヒグマが現れた。最初の親子連れは、子供を先に逃がせて悠然と母熊も森に消えた。次の熊は、はじめは音もなく近づくカヤックに気づかないで海岸の草を食べていた。やがて気が付くと、しばらく私たちの様子をうかがうようにしながら、やっぱり悠然と森に消えた。濃密な森に覆われたこの大地は、知床のすべての生き物を守る父だ。 III.番屋 知床にはいくつもの番屋がある。夏から秋にかけてカラフトマスや鮭を捕ったり、ウニや昆布を採ったりするために、漁場の近くで漁師が生活するためにあるのだ。私たちは、6年前に世話になったアウンモイの番屋を訪ねた。船頭さんたちは、私たちのことを良く憶えていてくれて、また快く迎えてくれた。アウンモイの番屋は他の番屋とちょっと違う。断崖絶壁にえぐられた小さな入り江にへばりつくようにあるのだが、正面に切り立った小島があり荒海から入り江を守っている。それはまさに天然の要塞である。ひょっとしたら気付かないで通り過ぎてしまうカヤッカーも多いだろう。漁師は、7月になると漁場に網を張るために、ここへやって来る。8月のはじめの今頃は、カラフトマスが少しやってくる程度でまだのんびりしているが、鮭の捕れる頃になるともっとたくさんの漁師がここにやってきて、大忙しになる。11月頃になると海の荒れ方も今よりもっと凄いから、漁師の仕事は死と隣り合わせといっても言い過ぎではないと思う。そういえば前回の時はカラフトマスが初めて捕れたお祝いの日で、チャンチャン焼きをごちそうになった。今回も漁師達の家族が遊びに来ていて、夜の豪華な宴会に交ぜてもらった。チャンチャン焼きはもちろん、たこ、うに、ヒラメ,鹿・・・ Ⅳ 岬 二日目の昼、私たちは岬に上陸した。岬には私たち三人以外誰もいなかった。知床岬らしい強い風が、台地の草原をなびかせていた。シリ・エトクとはアイヌ語で、大地の果てるところと言う意味がある。とうとう、また、こんなところまでやって来てしまった。岬の沖には強い潮のぶつかり合いがあった。岬は、潮と風が渦を巻くように交わり、まるで心臓が全身に血液を送り出すかのように、海の力の源泉となる。多くの岬を訪れたが、知床岬が放つエネルギーは格別である。三人はそれぞれの想いを抱いて、しばらく静かに岬の時間を過ごした。 Ⅴ 文吉湾の愉快な仲間達 漁師はカモメのことをゴメと呼ぶ。断崖絶壁に無数の巣があるが、文吉湾では沖の防波堤に巣があった。陸から行けないので、狐にやられることはないけれど、気をつけないといたずら好きのカヤッカーにちょっかいかけられるよ。今夜は岬近くの文吉湾にキャンプだ。番屋のおじさんに断りを入れると、「ついこないだまで、よく熊が遊びに来てたべよ。」と、私たちをビビらせる。青ざめる私たち。「でも今は鹿がよく来てるから、熊はこの辺にはいねえべ。」と安心させてくれる。でも怖いなあ。食料は、テントから出しておこう。私たちがのんびりしてると、ピーター達もやってきた。ピーターと辻ちゃんは、昨日カムイワッカの滝の近くの入り江で友達になったカヤッカーだ。焚き火の煙が沖から見えたので行ってみたら、朝漁師がくれたんだと言って、ウニやらマスやらの炭火焼きをごちそうしてくれた。昨晩は一緒にアウンモイの番屋に泊まり、昼間は別行動。彼らは少し戻って、カシュニの滝でカヤックごと滝の水を頭からかぶってきたそうだ。ピーターはジャズドラマー。港からがらくたのバケツを拾ってきて、スイングする。今夜も夜空にタイコとウクレレとリコーダーの音が鳴り響いた。 忘れちゃならない愉快な仲間、番屋の犬、チャッピー! 寂しくなるから行かないでくれと、私たちを名残惜しく見送ってくれた。 Ⅵ オキッチウシ川 私たちは予定を変更して、ウトロに戻ることにした。またまた図々しくもアウンモイの番屋を訪ねよう。途中オキッチウシの沢が流れ込む入り江に上陸した。今までで一番天気も良く波も穏やかな一日となり、私たちは心ゆくまで知床の夏を楽しんだ。この素晴らしい大自然を、いつまでも守っていきたいな。 Ⅶ 漁師体験   漁師のやまちゃんは、朝起きたら船頭さんのご機嫌を伺うようにしてコーヒー代わりにまずビールだ。でも船に乗ったら、人が変わる。海の男は、かっこいい!一日おいて番屋を訪れたら、お客さんである漁師の家族達も帰ってしまい、何となく寂しい雰囲気だ。まだ網をあげる時期ではないので、朝と夕方に網を見回るくらいで昼間の小屋はのんびりとした時間が流れていた。そして、またまた歓待してくれる。最後の日の朝、船頭さんは私たちを船に乗っけてくれた。カラフトマスや鮭を捕る定置網の様子を見に行くのと、スロープの補修のための砂利を採りに行くためだ。海は少し時化ていて、私たちはしっかと船縁にしがみつく。ところが、海の男は、本当にかっこいい。私たちみたいなシーカヤッカーなんて到底足もとにも及ばない。どんなに船が揺れても、しぶきがかかっても、平然と煙草を吸っている。漁師さん達の生活は、私たちなんかにはたぶん想像もつかないような厳しい北の海の自然の脅威にさらされていることを、ほんの少し実体験させてもらった。 Ⅷ またいつの日か・・・ 最後の日、海は時化気味だったがこれ以上アウンモイの漁師さんに甘えるわけにもいかないので、ウトロに向けて旅立った。観光船は欠航のようだ。昨日とは違い、上陸できるところもなく、ひたすら漕いだ。夕方ウトロに着いたときは、くたくただった。でもすぐに心配してくれているアウンモイの漁師さん達に相棒が無事到着を連絡した。

クワウンナイ川の想い出1999夏

九月のクワウンナイ川は、それは素晴らしいという。「紅葉に初雪のデコレーションを纏った景色に出会える沢登りができるのは他にないでしょう。」と、積丹の海でキャンプした夜、偶然出逢った札幌のシーカヤッカーが薦めてくれた。 1999年の夏の北海道は、記録的な猛暑だった。私は積丹半島をシーカヤックで旅していた。美国からスタートし、旅の初日は積丹岬の手前の無人の番屋がある玉石の海岸でキャンプを張っていた。夕暮れ間近、一人涼しくなった浜辺でのんびり読書してると、そこへ若いカップルがいつの間にかやってきて、私の隣にキャンプを張った。その日新しく進水式をしたばかりのダブルの新艇を試すために、札幌から手近な積丹へツーリングにやってきたそうである。お盆休みに知床へ出かけるのだそうだ。正直一人静かなキャンプの心地よさを奪われたようで興ざめたが、翌朝は打ち解けていろいろ話も弾んだ。もちろん、こちらからも知床の素晴らしさもいろいろ話してあげた。 さて、たまたま気になっていたクワウンナイ川はどうかとカップルに聞いてみた。なんとも奇遇な話だが、意気揚々とクワウンナイ川が知床と並んで大好きだという。私は大島亮吉を読んで、まだまだ原始の香りがプンプン残っているに違いないクワウンナイ川へぜひ行ってみたい思っていた。カップルの楽しい話を聞いて、これはもう絶対行かなければと思った。ガイドブックにはない面白い旅の情報を、なんと積丹の無人の海岸で得るということが、これまた旅の面白さか・・・ 積丹半島をカヤックでまわった後、旭川空港で家内と合流し、大雪山の麓にある天人峡温泉からクワウンナイ川に入渓した。わずか3日間だったが、大雪の自然の懐の深さを堪能できた。1日目に選んだキャンプ地は、札幌のカップルから教えてもらっていたとっておきの場所だ。原始のままの河畔林を背にして、まだまだ広々とした川を眺められる素敵なところだ。夏の日は長いので、のんびり今夜の夕食にするオショロコマの釣りと食事を楽しんだ。ヒグマの出没が多少不安ながらも、日が暮れたら疲れがどっと出て、ぐっすり眠り込んでしまった。 2日目の朝食にもオショロコマを食べた。そして、途中で何回か竿を出しながら夕食のオショロコマを確保した。2日目のキャンプ地は、源頭付近の予定だ。魚止めの滝を越えればもう魚はいなくなる。北海道の沢ならではのオショロコマの味を、できる限り楽しみたいではないか。 美しいナメが十三町も延々と続くという滝の瀬十三丁は、大自然の驚異である。しかし、途中で家内が小さな滑落事故を起こす。たまたま下流にいた私が止めることができて、大事にいたらなくて幸運だった。平水だったが、ナメは滑りやすいので、油断は禁物である。雨が降って増水したときは、流されたら止められないので結構シビアかもしれない。しかし、紅葉の頃の滝の瀬十三丁は、ほんとうに美しいだろうなと思う。いつかまたその頃をねらって訪れてみたいものだ。2日目の夜は、盛夏だというのにまだ雪渓が残っている源頭付近にキャンプを張る。ナキウサギの鳴き声が静寂に響き渡る。ここはほんとうに別天地だ。 積丹の海を漕いで渓を遡った大雪の山々を眺めながら格別な思いが湧き上がった。なんとなく後ろ髪を引かれながら、夏道を辿って出発地の天人峡温泉に下山した。

2011 バイク&カヤックRISHIRI中編函館~宗谷岬

9月2日 雨 函館観光 朝9時、北海道上陸。小雨がぱらついていて、北海道にもいよいよ台風の影響がでてきた。午前中はどうも自転車に乗る気になれず、函館の朝市を覗いてみたりする。、お昼は今回の旅で初めての外食。500円のワンコイン丼。280円の牛丼となかなかのいい勝負である。午後はさらに雨脚が強くなり、結局1日休養日となる。温泉は戸井ウオーターパークふれいあい遊湯館。道の駅なとわ・えさんにて車中泊。 9月3日 雨 函館市土方・啄木記念館R278~R5~R338大沼公園駅~R5八雲 走行距離 76.9km 北海道にはまだ台風12号の影響は小さく、朝起きると雨も上がり何とか走れそう。函館市街に戻りいよいよ北海道を宗谷岬に向けてペダルを漕ぐ。日本海に沿って国道228号線を走りたいところだったけど、安全そうな札幌あたりで台風をやり過ごしたいと考え、最短の国道5号線を走ることにした。土曜日の朝だからだろうか、車通りも少なく快適である。 大沼トンネルを抜けたところで道道338号線を走り、大沼公園駅で朝食休憩。また国道5号線に戻って、太平洋側の噴火湾までダウンヒル。 八雲に近づくにつれ天気が怪しくなってきた。ついに雨が降ってきて、ちょうどスーパーマーケットがあったので雨宿りに跳びこむ。しかしどんどん雨脚が強くなり今日はここまで。もっと走りたかったけど、ずぶぬれになりながら自転車漕ぐ意味無し。物足らない・・・ 温泉は黒松内温泉ぶなの森。露天風呂のロケーションがなかなかいい感じ。車中泊は道の駅黒松内。 9月4日 雨後晴れ 八雲町R277~雲石峠~熊石町R229~瀬棚町~島牧村道の駅よってけ島牧 走行距離 128km 台風12号は自転車並みの遅すぎるスピードで各地に大きな被害をもたらした。群馬の我が家がある地域でも、なんと3日間も県道が通行止めになるほどの大雨だったらしい。知らぬが仏であった。自転車に乗ってる場合じゃなかった。しかし北海道ではまだそれほどでもなく、午後になるにつれて天気が良くなる予報だったので、小雨になったのを見計らって自転車に乗ることにした。ただ国道5号線沿いに走るのは水たまりが道路わきにたくさん残っていて危険なので、峠越えをして日本海側の熊石町と結んでいる国道277号線を走ることにした。こんなことなら初めから忠実に日本海側の国道278号線を選んでおけば良かった。 峠の標高がそのまま実際のヒルクライムの標高差。しかも、ひょっとして太平洋と日本海を縦断する道路として、日本で最短距離かも・・・だとしたらこの国道277号線は、マニアックな道として有名なのかも知れない。実際、自転車で走ってみても、車通りは滅多になく、勾配も無理なく峠まで続いてるので楽しい。いやはや先ほどのぼやきはどこへやら、この道を偶然走ることが出来てラッキー。 最初、峠からのガスの中の下りは濡れた衣服が冷やされて寒いのを我慢しなければならなかったけど、下るにしたがいガスが晴れると、急に暖かくなって最高に気持ちいいダウンヒル。マリンブルーの日本海にそのまま飛びこみたくなった。奥尻島が浮かぶ海岸沿いの道を快走。道の駅てっくいランド大成からは羆出没注意の看板がいくつもある峠越えの山道になる。そして奥尻島行きのフェリー乗り場のある瀬棚町でまた海岸沿いの道になる。 いよいよ国道229号線は、標高1519.9mの狩場山が日本海からどっしりとそそり立つところの海岸沿いを走るようになって、荒々しい岩肌が剥き出し、冬の日本海の風波のすさまじさが目に浮かぶ。そのためだろうか、トンネルも多くなる。天気も何となく怪しくなってきて、海の色も、いつのまにか飛び込みたくなるようなマリンブルーとはほど遠い、不気味なドス黒さ。沢の土砂が海に流れ出て、いまだに濁りも残っている。寿都まで走れば150km超距離が稼げたけれど、道の駅よってけ島牧で今日はFinish。 温泉は、宮内温泉(ぐうない温泉と読むので注意)が臨時休業していて、千走温泉へ。源泉かけ流しのひなびた温泉でベリーグッド。車中泊は道の駅よってけ島牧。狩場山は、いつかぜひスキーで登って滑ってみたい山である。 9月5日 雨 沈滞 奈良や和歌山の山間部にとんでもない被害をもたらした台風12号が日本海に抜け、いよいよ北海道にも風波の影響が出てきたので、今日は安全な場所に避難である。ここ島牧村は危険なので、札幌方面へ移動することにする。この雨の中でも勇敢にカッパを着て走っているサイクリストを見かける。家内に軟弱サイクリストとなじられるけど、もっともである。札幌のアウトドアショップを2つ梯子してお買い物。今夜が台風勢力の峠なので、最も安全なところと考えたのが、小樽のフェリーターミナルの駐車場。正解であった。道南の山間部は、翌日いたるところで道路通行止めになっていた。温泉は、小樽温泉オスパ。 9月6日 雨 沈滞 今日もまだ台風の余波で雨がやまない。午前中は小樽市立図書館で読書。北海道立図書館が江別市にあって、ここには北方資料室というのがあるらしいのでいつか訪ねてみたい。午後は、余市のニッカ余市蒸留所を見学。 台風の大雨の影響で、ここ余市蒸留所の敷地内が浸水。見学コースが大幅減になってしまったけど、ちゃっかりウイスキーの試飲はできて大満足。また来る楽しみができた。 温泉は、余市市内にある鶴亀温泉。源泉かけ流しでグッド。車中泊は道の駅スペースアップルよいち。明日からはやっと普通に自転車に乗れるかな? 9月7日 曇り後雨 島牧村道の駅よってけ!島牧R229~寿都町~岩内町~泊村~神恵内村~積丹町余別…

2011 バイク&カヤックRISHIRI前編中之条~竜飛

8月28日 晴れ時々曇り 中之条r53~大道峠~たくみの里R17~三国トンネル~JR石打駅~魚沼市小出R290~道の駅とちお 走行距離167km 三国トンネルを越えて新潟県に入ると、まだまだ残暑が厳しいと実感。群馬北部はぐずついた日が続いて、湿気が多いものの涼しい毎日だったので、もう夏も終わりかななんてチョッと寂しさを感じていたものの、いざこの蒸し暑さに直面すると前回の自転車旅が思い出されて、やっぱりうんざりである。しかし今回は北に向かって走るので、だんだん涼しくなっていくに違いないと勝手な希望を持つことにする。久しぶりの自転車旅で、車通りの少ない県道の田舎道を気持ちよく走る。県道から国道17号線に入って三国トンネルを抜けると、いよいよ新潟県に突入。 ここからは一部上りもあるが湯沢まで長い下り。苗場スキー場では、バイクの大規模なイベントが行われていた。どうりで今日の国道17号線はイージーライダーに出てくるような改造バイクが多いわけだ。途中三俣付近のトンネルで突然ハンドルバーに装着していたGPSが落下するアクシデント。追い抜いていく車に踏まれなくて、かすり傷程度で済んでほんと良かった。トンネル内の路面の凸凹がひどすぎて、プラスチックのジョイント部分が欠けたらしい。GPSは高価なので、アクセサリー部品を無闇に信用してはいけないという今後のための教訓になった。 R17号線は関越高速道が昔から併走しているので、道の駅というものがない。お昼休憩するのにいいところはないかなと考えたら、そうだ!JR石打駅が頭に浮かんだ。駅内の畳敷の待合室は、時々風が通り抜けて気持ちいい。やっぱり上越新幹線が併走しているからだろうか、旅行者はもちろん地元の人の利用すらなく、おかげ様でずっと私達だけでのんびりさせてもらった。 小出から旧入広瀬村方面への道に入る。途中玉川酒造の酒蔵ゆきくら館に寄って玉風味の特別本醸造2本購入。酒造の人は盛んに吟醸を勧めてくるが、冷蔵庫で保存できるわけでもないので醸造酒でなければ困るのだ。渋川という交差点で左折。まっすぐ進めば只見へ抜けて福島県に突入できるのだけど、7月下旬の新潟福島豪雨でR252は只見線共々今だに不通だった。そして、道の駅とちおで本日Finish。温泉は少し戻って寿和温泉ひめさゆりへ行ったが、やはりここも新潟福島豪雨の被害が大きかったのだろうか閉館していた。なので、守門温泉SLランドへ。車中泊は、道の駅いりひろせ。道の駅とちおのあぶらあげ300円が美味かった! 8月29日 晴れ 新潟県長岡市道の駅とちおR290~萩掘r331~東三条R403~新津R460~新発田R7~岩船港R345~勝木R7~山形県温海立岩海底温泉 走行距離173km 道の駅とちおを朝6時頃Start。やたらブヨが多く、自転車で走っていても吸い付こうとするのもいて、やはり昨夜は道の駅いりひろせで車中泊したのが正解。ブヨから逃れるように、田舎道の国道を飛ばす。東三条あたりからギラギラ太陽が肌を刺し蒸し暑くなってくる。昨日はススキの穂が残照に輝いているのを見て、秋の気配を感じたところだけどまだまだ暑い夏である。途中のセブンイレブンの駐車場で家内のサポートを受けて朝食。そして新津、新発田と平坦で景色も単調な国道をひたすら走る。広い阿賀野川の河川敷は、1ヶ月たった今でも洪水で流された残骸の片付け作業が行われていて、テレビで見たゲリラ豪雨の被害の甚大さを思い起こさせる。 灼熱の国道7号線を離れ、ようやく海沿いの岩船の港まで来ると、木陰に入れば風が涼しい。ムムム、やっぱり暑い夏は過ぎ去ろうとしているに違いないのだ。 今までの退屈な国道7号線の走りから一変、海岸沿いを走る国道345号線は景色が良くて楽しい。海上に浮かぶ粟島や笹川流れの変化に富んだ地形を眺めながら、ガンガン飛ばして一気に山形県へ突入。 山形県に入るとすぐに鼠ヶ関。昔から重要な関所があったことを偲ばせる地名であるが、県境に大きな川があるとか、長いトンネルがあるとか地形的にはっきりした境を感じさせるものもなく、うっかり通り過ぎてしまうところだった。 今日は温海温泉の先の立岩海底温泉でFinish。源泉かけ流しの熱い湯がベリーグッド。 8月30日 晴れ 山形県温海立岩海底温泉R7~由良峠r336~R112加茂~酒田市~道の駅鳥海~秋田県にかほ市道の駅象潟~羽後本荘~秋田市r56~潟上氏道の駅てんのう 走行距離172km 目覚ましのコーヒーを飲んで6時前にStart。旅の3日目、ペダルを漕ぐ足がますます軽やかに感じられてきた。日が昇るにつれて刻々と表情を変える朝の海とともに走るのは、気分爽快である。カシミールの5000mの不毛の峠だろうが、キリマンジャロがそびえるサバンナの大地だろうと、どこへでも、どこまでも、漕いでいけそうである。 ところが・・・由良からさらに県道50号線で加茂へと続く海沿いのファンタスティックな庄内夕陽街道を楽しむつもりだったが、土砂崩れの復旧工事で通行止め。これまた新潟福島豪雨の仕業か?自転車だったら担いで通れるかと思って途中まで行ってみたが、なんと道路警備の人が立っていて厳重に進入を断られた。気分を変えて、かなりの回り道になってしまうけど一旦国道7号線に戻って由良峠まで走り、県道336号線から国道112号線に入って加茂に向かうことにする。快調に走っていよいよ加茂の手前の峠のトンネルで、今回の初めてのパンク!前回の長崎旅の時と同様、リアである。どうやらタイヤの方に原因があるかも。とりあえず使い古しのスペアチューブと交換する。そんなこんなで、家内が朝食を作って待っていてくれる秋田山形県境に近い道の駅鳥海には、かなり遅くなって9時到着。 国道7号線は、山形県吹浦からは立派なバイパスができているが、もちろん海沿いの旧道を走る。山形秋田県境もうっかりしていて知らない間に通り過ぎてしまい、気が付いたら秋田県を走っていた。6月初旬に吹浦から象潟までカヤックで漕いだ海を左に見ながら道の駅象潟へ。ここでサポートの家内と待ち合わせて、名物の岩ガキを食べる。300円、350円、400円、450円、500円と大きさによって50円ごとに値段が上がるキッチリさ。50円の差はどんなものなのか?素人じゃとても見分けられないので、300円のを注文。デリシャス。そして、最近のノンアルコールビールの味の良さにも感心する。 陽が高くなり、国道7号が内陸部を走るようになると、灼熱に苦しめられる。次の道の駅西目でアイスクリームを食べて、その次の道の駅岩城で昼食休憩。秋田県は観光に力を入れているからだろうか、道の駅が充実していて快適である。 大河雄物川を渡って、夕方渋滞が始まっている秋田市街地を通り抜け、男鹿半島へ向かう県道56号線に入る。今日は朝のアクシデントのおかげで夕陽を見ながらペダルを漕ぐことになってしまったが、これまた気分爽快である。まだまだ走って行けそう?だったけど、男鹿半島の付け根、潟上市道の駅てんのうでFinish。温泉は、道の駅にあるてんのう温泉400円はグッド。小笠原付近にある台風12号の進路が気になる・・・ 8月31日 晴れ後曇り一時雨 秋田県潟上氏道の駅てんのうR101~男鹿市r55~入道崎~R101八竜R7~能代R101~青森県深浦町大間越 走行距離150km ぐずついてパッとしない関東地方とは裏腹に、ここまで3日間、天気に恵まれてきた。が、しかし今日あたりから東北地方北部も雲行きが怪しくなってきた。どんよりとした曇り空の朝、男鹿半島の入道崎を目指してペダルを漕ぐ。さっそく全然怖そうでないユーモラスななまはげがお出迎えである。男鹿市から国道101号線を離れ、県道55号線に入る。次第にダイナミックな海岸を縫うようになり、今までの単調な秋田の海岸線とは異なって、男鹿半島はまさに大海に突き出た山脈の如きである。江戸時代の偉大な旅行作家であり民俗学者の祖と云われる菅江真澄も、きっとこの男鹿半島の自然に圧倒されながらの旅だったにちがいない。 戸賀の水族館で朝食休憩。今日の海は凪で透明度も高いようで、グラスボート屋さんは、こんなに良い日なのにお客さんがいなくて気の毒である。戸賀から男鹿半島の先端入道崎へ。相変わらず演歌がけたたましい音量で流れている。カヤックで海からこの岬に上陸したのは何年前の夏だったっけ? 北緯40度線が横切る入道崎に立って、北極点の方向を眺め、地球のでかさを感じた。男鹿半島を廻り、今度は平らな八郎潟の干拓地に作られた単調な道を走る頃になって、雨がぽつぽつと来た。本降りにならないことを願いつつ能代の町までやって来ると、また晴れ間が出てきて一安心。 道の駅みねはまで昼食休憩。しかしまたまたいつ降ってくるかも知れないような怪しい空模様で、なんとか青森県に突入してJR大間越の駅まで。温泉は秋田県に戻って八森いさりび温泉ハタハタ館。 9月1日 晴れ 青森県深浦町大間越R101~鰺ヶ沢r12~車力~R339小泊~竜飛崎…

利尻島自転車1周反時計回り

2011年4月8日 利尻島滞在5日目は、マウンテンバイクで反時計回りに1周。ほぼ海岸沿いに約60km。のんびり気ままに寄り道しながら走った。第1の目的はポンモシリ島でアザラシ君を発見すること。出発してさっそくに観察したけど、岩場で寝そべってたりすると保護色でわかりずらいらしい。一生懸命目を凝らして探しても結局見つからなかった。第2の目的は、利尻町立博物館の見学。この時期は閉館しているらしいが、Kさんが連絡してくれて私達のために開けて待っててくれるということだ。ちょうど島の反対側の仙法志まで飛ばす。 沓形と仙法志の間は、海岸線ギリギリに道が走っている。海岸に打ち寄せる大波に漁師が腰まで入ってコンブ拾いをしていた。素人の私達から見ると、かなり命がけの仕事である。江戸時代あたりの地図にはこの辺りだけ道が描かれていなかった。船を付けるような入り江に乏しく、利尻では一番自然条件が厳しくて最後まで人が住みにくいところだったのかも知れない。 11時頃、仙法志にある利尻町立博物館に到着。自転車漕いで体が汗ばんでいたので、汗が冷えて震えがくる。すると博物館の係の人が親切にも石油ストーブを持ってきてくれる。ストーブにかじりつきながら、書棚にあるおもしろそうな本をいろいろ閲覧させてもらった。 利尻島にはセイコマートが3軒ある。鴛泊、沓形、鬼脇とちょうどよい間隔にあって便利である。鬼脇のセイコマートでカップ麺とおにぎりのお昼にする。風が冷たいので建物の風裏の日向に逃げ込む。食べたらすぐ出発。ここから向かい風が強くなってきてペダルを漕ぐ足が辛くなってくる。 利尻山は利尻島だから、360度様々な角度から眺められる。登ったり滑ったりするのも楽しいけれど、眺めるのもまた楽しい。絵を描く人にとっては、尾根と谷が複雑に織りなして迫ってくる山のボリューム感がたまらないのでは。スキーで間近にダイナミックな雄姿を眺めるのも良かったけれども、自転車でチョッと遠目に眺めるのも、これまた全然飽きないのだ。 豊漁沢川源頭斜面は、3日前にスキーで遊んだ斜面。源頭斜面はちょうど風裏で穏やかだったが、今日は強い南風が稜線越えて吹き下ろしているようだ。快適だったザラメ斜面も、きっとカチカチのアイスバーンだろう。海岸沿いの道路でも、鴛泊に近づくにつれますます向かい風が強くなる。 鴛泊戻ってきたのは午後4時前。後半の向かい風のペダリングでヘトヘトになった。計画では、今日礼文島に渡って、明日以降、北端のスコトン岬から南端の知床までスキー縦走することになっていた。しかし、この時期ではもうスキーは使えなさそうである。せめてまだ白く輝いている礼文岳にスキー登山とも考えたが、あと1日利尻島にのんびり滞在することにして、礼文島のスキーはまたいつか次の機会にチャレンジすることにした。 明日は夕方のフェリーで利尻島を後にすることにした。宿に戻って残照に輝く利尻山を眺めながら冷えきった体をゆっくりあたためた。

利尻山スキー1周時計回り2011春

2011年4月6日  ポン山のポンというアイヌ語の意味は小さい。利尻島は大きな利尻山そのものだが、2万5千の地形図を眺めると、広大な利尻山の裾野にポン山がなんと7つある。鴛泊にあるポン山(444m)、その隣の小ポン山(413m)、鬼脇ポン山(410m)、オタドマリポン山(164m)、メヌウショロポン山(155m)、仙法志ポン山(320m)、そして沓形にある神居ポン山(140m)だ。ポン山という名前でない針伏山(302m)も含めれば8つだ。  鴛泊を朝スタートして、このポン山をすべてつなぎ、1日で利尻山を1周して戻って来れないだろうか。これが当初の計画だった。純白の利尻の写真を眺めていると、ちょうど森林限界あたりをルートにとれば距離的に短くなるので、シールを貼ったり剥がしたりする手間のないウロコスキーならば出来そうである。しかしながら今回、それは果たせなかった。鬼脇側の標高の低いポン山では、この時期すでに雪が少なすぎた。また、すべてのポン山を回ると、陽のある時間帯での行程には距離が長すぎた。今回はポン山にこだわらず、森林限界付近を効率的にルートどりして1周してみることにした。  利尻富士温泉の駐車場を6時半頃スタート。昨夜の冷え込みで雪面が凍っていてウロコスキーでは歩きにくい。さて時計回りがいいか、反時計回りがいいか?ルートを詳細に検討したわけでなく、地図を眺めていて直感的に時計回りで行こうと決めていた。ポン山の麓に湧く甘露泉あたりからいよいよ1周ルートに舵を切り替える。標高300m前後にGPSと地図を頼りに進む。  1周ルートの困難さは、途中いくつもある小さな尾根や沢を越えなければならないこと。なるべく容易な場所を考えながら進むのだが、地図と実際は違っていたりもする。また、1周だから曲線的なルート取りというのも意外と難しい。常に時計回りを意識して右に右にと進まないと、距離が自然と長くなってしまうのである。実はこの2つのルートファイン的解決が1周ツーリングの醍醐味ともいえる。さてどんな素晴らしい景色が待ちうけているだろうか、北稜下部の樹林帯を進みながらワクワクしてくる。  小ポン山を越えるあたりにいくつも深い沢が待ち受けていた。この頃には雪も腐り始め、沢床からの登りもウロコスキーで快調にこなせる。ただ展望がなく深い森の中をひたすら進むという感じである。利尻に熊がいなくて良かった。熊の化石は発掘されているそうだが、いつの時代か絶滅してしまった。またキタキツネもいない。これはエキノコックスという風土病の原因になるが、いざとなれば利尻では生水が安心して飲める。砂防堰堤が目印になって、オチウシナイ川を確認する。時刻は午前9時56分。ということはいつの間にか豊漁沢川は過ぎていたようだ。しかしこのペースはちょっと遅いのではないか。休憩もそこそこに進み、アウトロマナイ川(午前11時8分)を快調に過ぎる。時々眼下の彼方に青い海が見える。  今頃の季節の利尻では、風が1日中穏やかな日というのは珍しい。たとえ今風がなくても、午後から急に風が吹き出したりするのは当たり前のようである。しかしながら今進んでいる樹林帯は、風の影になっているようで平和である。宝仙沢川を12時33分通過。宝仙沢川の上流が万年雪のヤムナイ沢である。宝仙沢川を過ぎ、深い滝ノ沢を越えて、南陵の裾野に広がる雪の大地に立ったあたりから、向かい風が強くなってきた。これはいよいよ風との戦いである。穏やかであれば景色を思い切り楽しめるはずだけど、まっすぐ立っていることも出来ないくらいの強い風では前に進むことしか考えられない。少しでも風のよけられるところで地図を広げてルートを確認する。ここから進路を90度右に舵を切る。円周を小さくして距離を短くする作戦だ。  南陵や仙法志稜の裾野に広がる利尻南面台地は、利尻スキー1周のハイライトだ。この辺りだけで遊ぶという手もある。ヤムナイ沢源頭の荒々しい景色を様々な角度から楽しみながら、自由にウロコスキーでルートをとって歩いたり滑ったりが楽しい。しかし今日は強風と時間との戦いである。  遅れる家内を励ましながらひたすら前を進む。そろそろ進退を決めなければならないだろう。なんとか日没までにゴールできそうだと思ったが、残念ながらGPSの電池が切れかかっていて、予備の電池も持っていなかったのが迂闊だった。 大空沢の先のシサントマリ字界沢を過ぎた辺りで残念ながら沓形へ下山することにした。しかし結果的には、下山ルートをとるにしても標高0mの沓形まで距離は長く、GPSの電池の予備があれば1日で1周は十分可能だったと思う。腐れ雪が日が暮れるとともに気温が下がって固くなるおかげで、進むにしたがいスキーが滑るようになり楽になった。  神居ポン山の近くまで来ると、スキーやワカンの跡が残っていて、これをたどると沓形の町の外れに難なく出ることが出来た。 急いでバスターミナルに駆けつけてみたが、鴛泊行きの最終バスは16時45分に出てしまっていた。Kさんの御親切に甘えて車で迎えに来てもらうこととなってしまった。バスターミナルの前の海はチョッと荒れていた。 2011年4月7日  今日もまたKさんに昨日のゴール地点まで車で送って頂いてしまった。おかげ様で楽に昨日の続きを再開することが出来た。今日は、昨日よりもさらに天候が悪化し、標高800m付近より上はガスで利尻山が見えない。曇り空で相変わらず風も強そうで、肌寒い感じがする。雪が凍っていてウロコスキーでは大変そうなので、シールを装着した。 午前8時30分、Kさんに見送られスタート。家内が元気に先を歩いていく。神居ポン山付近から昨日のシュプールを外れ、沓形稜の避難小屋を目指していく。途中藪っぽいところもあったが、標高が高くなるにつれて樹間も広くなり歩きやすくなった。森林限界を抜け出て沓形稜の避難小屋を目指す。森林限界を抜け出ると、眼下に沓形の町並みと海の景色が広がった。 今日は、避難小屋の先にある906mの小ピークあたりまで登り上げ、そこから滑降も楽しみながらゴールを目指そうと考えていた。しかし昨日よりもさらに強い風が森林限界より上では吹いていた。上部はガスで、まっすぐ立っていられないほどの強風が吹き荒れる。標高630m付近でシールを剥がして滑降することにする。広い尾根を水平に移動するとき、ストックで漕がなくても風でグングン進んでいくのには驚いた。風向きが逆でなくて良かった! いくつもの尾根と谷を越えていくと、やがて見覚えのある消えかかったシュプールに出逢った。  一昨日の長官山からの私達のものだ。あとはこれに沿ってのんびり行けばゴールである。風のよけられるところで昼飯にした。そして、午後1時半スタート地点の利尻富士温泉駐車場にゴールした。 今回の利尻スキー1周、会長さんやHさん、Kさんなど利尻の人は、今まで聞いたことないから初めてではないかと言われたが、実はそうではない。富山の岳人、佐伯邦夫氏が著作「スキーツーリングに乾杯!」で発表している。1周したのは1981年3月下旬だから、30年も前の記録である。