バックカントリー

2024シークレットkuniパウダーガイド

午前中はどんよりとした高曇りの天気でしたが、頑張ってハイクアップした山頂からは360度展望が楽しめました。 白馬の山々に光が差し込んでいて綺麗です。やがて午後になると青空に恵まれてツアー日よりの一日でした。 今日のメインディッシュの斜面。 例年以下の積雪量で笹薮がまだいたるところに顔を出しています。 2日前に偵察した時よりも雪質が落ち着いて斜面を選べば十分に楽しめました。 白砂山も純白に白化粧して見守ってくれていました。

偵察シークレットkuniうらやま2024-1-9

3連休明けの平日がこれ以上ないバックカントリー日和。偵察なのがちょっと残念です。でも今日は降ったばかりで雪が締まってなかったので今週半ばくらいがグッドコンデョションかもです。 積もった雪は、風や日射、気温などで毎日変化していきます。偵察に来るたびに雪質の変化を感じ、バックカントリーツアーのための様々な情報を収集します。 一本滑って登り返してもう一本、さらに登り返してもう一本。気になる斜面をつないでいきます。純白に雪化粧した白砂山が眺められました。 4本目を滑って登り返したところでビンディングトラブル。もう一本滑っておきたい斜面があったのですが、ここで下山することにしました。 ガイド中でなかったのが不幸中の幸いでした。帰りの滑降は左足のビンディングは歩行モードでした。 今年新しくしたNTNテレマークスキーのビンディングはわからないことばかりなので、とにかく早めにトラブルがあってよかったです。

偵察シークレットkuniうらやま2024-1-5

わずかですがコツコツと積もっているので、少しずつですが良いコンデョションへと近付いています。 この斜面を滑るのは今シーズン4回目です。気持ちよく数ターン楽しめます。 ここを滑るのは今シーズン2回目ですが、この斜面の細かい沢地形がすべて埋まるくらいになれば本当にシーズンインと宣言できます。 ロケーションのいい斜面を見つけて数ターンです。 ここももう一度50センチくらいのドカ雪があれば笹薮が埋もれて自由自在にシュプールが描けそうです。 次の大寒波の襲来後がいよいよ楽しみになってきました。 今日のシークレットkuniパウダーガイド偵察は、絶好のBC日和でした。

偵察2024-1-2

南風が天気予報で予想していたよりも強く吹いていて、大晦日にせっかく積もった雪がみんな飛ばされてなくなっちゃった感じです。 まだかなり笹薮が顔をのぞかせていますが、ベースはしっかりしているのでコースをうまく選べば滑りはなんとか楽しめました。でもこの先どうなるのか心配になってきました。 前回の偵察では小さな表層雪崩の痕が残っていました。今日も注意個所をしっかり確認しておきました。 スノーシューガイドの方も準備万端です。 チャツボミゴケ公園スノーシューハイキングは1月10日から開催です。 上の写真はチャツボミゴケ公園ではなく今日の偵察時のものです。

2004GW黒部源流BC3日目

2004年5月3日(3日目) 双六山荘~大ノマ乗越~大ノマ谷~新穂高温泉 昨夜、双六小屋は登山者で込み合っていて、私たちの夕食の時間は7時半だった。おかげで、遅い到着にも関わらず談話室でのんびりビールやお酒で到着祝いができた。初めは、この談話室で寝ることになると聞いていた。「ストーブの利いた談話室の方が暖かくてむしろ歓迎だよ」などと話していたが、予約していた人のキャンセルがあり、どうやら部屋で寝ることになった。 小屋には、この双六小屋主催のスキーツアーが今日から3泊の予定で来ていて、私たちも1992年頃から数回参加してお世話になっていた。そのリーダーのS先生に久しぶりに再会できた。双六小屋の主人は、若い息子さんに代わっていた。かつての教え子達が、こうやって今は自分たちの力でこの小屋へやって来たんだと、S先生が若主人に私たちを紹介してくれる。そういえば小屋も新しく改装されたし、小屋の主人が若くなって今の時代を反映しているのか、いろいろと新しいサービスが工夫がされているようだ。若主人をはじめ小屋の人たちの登山者への対応は、とても気持ちよい。 夜半から雨風が強くなり、どうやら天気は予報より早く崩れだした。朝になって雨は弱くなったが、風が強くガスで視界も悪い。昨日の強行軍もあり、私たちは西鎌尾根を縦走して飛騨沢を滑るルートをとうにあきらめていたが、双六岳に登って三段カールを寄り道することさえも断念せざる負えなかった。小屋の出発を遅らせ、沈滞を余儀なくされていたS先生と、かつての懐かしい思い出などを交えながら近況を語り合う。私たちももう一泊できればいいなあと思うけれど、家内は明日から仕事なのでどうしても下山しなくてはならない。S先生は、わざわざ外に出て私たちの出発を丁寧に見送ってくれた。 双六谷の滑り出しは、ガスで視界が利かなかったが、下るに従い風がなくなりガスも晴れた。標高差300mの大ノマ乗越への急斜面は、つぼ足で登る。稜線近くまで高度を上げると、またガスに閉ざされた。何人かの先行者を追い抜き、大ノマ乗越に立つ。後はもう下りだけだ。大ノマ谷大斜面の滑りは、ガスがなかなか晴れずもったいなかったが、標高差250m程滑り降りたところでようやく視界が広がった。山の上部は少雪だったが、下部は残雪が多いようで、雪はワサビ平小屋の先まで続いていた。3日目は天気が崩れたけれど、双六谷の滑りと合わせれば標高差1400mの滑りを楽しんで無事下山することができ、3日間のスキーツアーのフィナーレを迎えられた。黒部源流域への想いは、確実に心の中に芽生えていて、これから大きく夢が膨らんでいくような気がする。

2004GW黒部源流BC 2日目

2004年5月2日(2日目) 太郎小屋~北ノ俣岳~黒部五郎岳~五郎沢~源流出合~鷲羽乗越~弥助沢~樅沢~双六山荘 朝食をしっかりとって、7時前に小屋を出発した。今日も絶好のツアー日和だ。弁当をたのんで早立ちしたパーティーがあるようで、すでに北ノ俣岳近くの稜線には、いくつもの登山者の点々が認められる。北ノ俣岳方面へ縦走する人は、おそらくほとんどが黒部五郎小屋や双六小屋を目指す人だろう。先になったり後になったりしながら、これからの長い稜線を行くことになるだろう。1時間ほどで北ノ俣岳山頂に着いた。さっそく空身になって、薬師沢源頭の大斜面を一本滑り、昨日滑れなかったうっぷんを晴らす。もっともっと滑り降りて、源流の出合まで行ってみたいが、そんなことを考えれば人間の欲望は際限がないので、いい加減にしておかなければならない。 北ノ俣岳を越え、黒部五郎岳へと続く稜線を斜滑降で進む。今日の稜線伝いもウロコ板は快調に歩を進めることができる。何といっても、ささやかな下りをテレマークターンで滑ることができるというのがうれしい。シールを貼ったままの板では、そうはいかない。黒部五郎岳直下の急斜面に取り付くまで、そのような場所がいくつあったろう。 陽射しはあるが、風は昨日より冷たく頬に気持ちいい。遙かな山並みの向こうに、白山が勇壮に聳えているのがはっきりと見える。日程の都合で参加できなかった仲間の一人が、今日はその白山に登っていることだろう。 赤木岳をトラバースして、中俣乗越を過ぎ、いよいよ黒部五郎岳直下の急斜面では、板を脱いでつぼ足にせざる負えなかった。雪は以外と堅く、途中からシールの板も難しそうで、全員がスキーを担いでつぼ足になった。左足下には、山頂から馬沢への大斜面が広がっていた。ここもいつか滑ってみたいなあと思う。 11時頃、黒部五郎岳山頂に着く。途中一度遊んだだけなのに、やはり意外と時間はかかるものだ。360度さえぎるものもない大パノラマ。北アルプスの盟主ともいえる槍ヶ岳がはっきり見える。大きくえぐり取られたかのような大カール側には巨大なセッピが発達していて休んでいる場所もあまり安心できない。風も冷たく、せっかくの山頂だが、記念写真を撮って早々に出発することにする。 山頂から北方稜線をやや下り、大カールの北端から滑り降りる。雪が腐っていて、急斜面なので滑り辛い。だんだんと斜度が緩み始めると、気持ちよくテレマークウエーデルンでスピードを上げる。カール下端の大岩で大休止とした。私たち以外のパーティーはカールを途中からトラバース気味に黒部五郎小舎へ向かっていた。 ここで、進路の大きな決断をする。この大岩から広がる五郎沢の大斜面を前にして、三俣蓮華岳へと進んでこのまま素通りすることができようか。黒部五郎乗越から三俣蓮華岳への登りを考えれば、この五郎沢を源流出合まで滑り降りて、源流を遡って鷲羽乗越へ向かうのもそれほど遠回りではないのではないか。樅沢の標高差500mの登り返しはきついが、鷲羽乗越から弥助沢の標高差500mの滑降も楽しめる。双六小屋には日没までになんとか辿り着くことは出来るだろう。私たちは、ほとんどのパーティーが選ぶ三俣蓮華岳への稜線ルートを変更して、この五郎沢を滑ることを選んだ。 五郎沢の広大な斜面は、適度な斜度で本当に気持ちいい。やがて漏斗状になって、源流出合に降り立つまでは、今回の山行のハイライトな時間だったに違いない。 ここにやってくるまで1日半もかかったが、それだけに今までに味わったことのない山々の存在感を感じることができる。昨日神岡新道を歩き始めた時点で、そのような気分にはなっていたが、ここにきて私は確信した。野反の山々から黒部の山々へと、自分の山の世界観が新しく広がっていくようだ。永遠に続くかのような五郎沢の大斜面を滑り、雪渓の切れ目から清冽な水がほとばしる黒部源流を登り返し、周囲の名だたる山や谷を眺め回しながら、別天地のような黒部源流域の美しさにとにかく圧倒された。 源流出合から鷲羽乗越への登り返しは2時間ほどかかった。ここでもウロコ板は快適だった。流れはかなり上流まで行かないと雪渓の下にはならないが、広々とした谷なので困難な場所は全くない。雪渓上には、私たちと逆ルートのパーティーのシュプールが残されていた。三俣蓮華岳の北側にある沢筋の急斜面を滑り降りてきたらしい。またさらに進むと、源頭の二股にはテントがあって、彼等と挨拶を交わした。2泊して、この辺りを滑りまくると話していた。とてもうらやましい気もするが、明日から天気が崩れることがわかっているので、そのように思い通りにはいかないのではないか。しかし彼等も怪訝に思ったことだろう。こんなに遅い時間に我々の前を通り過ぎて、日が暮れるまでに双六小屋にたどり着けるのだろうかと。 岩苔乗越からの大斜面や祖父岳の急斜面にも、シュプールがつけられていた。祖父岳を登って雲ノ平へ足を伸ばしてみたら、もっともっと楽しいだろうなと思いながら、やっとのことで三俣山荘に辿り着く。時刻は3時半を回っていた。ゆっくりはしていられない。早々に弥助沢を滑り降りることにする。 弥助沢の本筋より一本西の小沢を滑る。弥助沢本筋には鷲羽岳からのシュプールがあった。標高差500mはあっという間だった。樅沢の出合午後4時。6時まで2時間あるので、この標高差500mの登りは何とかなるだろう。例年になく少雪で、樅沢を遡ってすぐ、小滝が雪渓から割れて出ていた。先行者の足跡に従って危なっかしいスノーブリッジを渡り、難なく越えることができた。 谷間は日も陰り、ただ黙々と登る。途中でウロコ板では歯が立たない斜度になったので、つぼ足に切り替える。予定の6時を数分過ぎて、双六小屋に無事到着した。小屋のある稜線には濃いガスが立ちこめ始め、雷鳥たちが盛んに活動していた。

2004GW黒部源流BC 1日目

黒部五郎岳の頂に立ったとき、別天地のような黒部源流域の美しさに息を飲んだ。永遠に続くかのように見える五郎沢は、山スキーヤーあこがれの地だと思った。そして雪渓の切れ目から清冽な水がほとばしる黒部源流を登り返し、周囲の名だたる山や谷を眺め回しながら、これまでとは桁外れの大きな山スキーの世界が広がっていくのを実感した。 2004年5月1日(1日目) 飛越トンネル~寺地山~稜線~太郎山~太郎平小屋 神岡新道の登山口は苦い思い出がある。というのも、以前避難小屋泊で北ノ俣岳スキー登山した際に、車上荒らしにあった経験があるからだ。下山後車を走らせて、「さあ温泉だ!飯だ!」って悠長な気分に浸っていたのもつかの間、一人が財布に入っていたお金から札だけがないと言い出したのだ。「ほんとか?」というわけで、車に財布を残していた全員が中身を調べたら、三台の車全部の財布から札だけが抜かれていたのである。車の様子はまったく変わりはなかった。車上荒らしの犯人は、その夜は帰ってこない登山者達だと知っていて、夜中に悠々と泥棒を働いていたに違いない。 2004年GW後半の初日は、素晴らしい五月晴れだった。飛越トンネル手前の車道は、入山者の車でひしめき合っていた。ザックは、できるだけ軽くしたつもりでも、肩にズシッとくる。これから北ノ俣岳直下の稜線まで、標高差1000m以上の登りが待っている。心なしかその重圧を感じながら、私たち夫婦と山仲間の総勢4人で車道をのたりのたりと歩き出す。 トンネル入口左側の登山口から登らず、小沢を挟んだ右側の斜面からつぼ足で取り付く。こちらの方が近道だが、神岡新道のある稜線に這い上がるだけで、大汗をかく。ほんとうに今日は日焼けが怖ろしいほどの上天気だ。ここからスキーをつける。緩い登りならシール要らずのウロコ付きテレマークスキー板は、強い陽射しでいい感じに融けたザラメ雪に良く喰い付いてぐんぐん登る。神岡新道は、寺地山の先の避難小屋までアップダウンがいくつも続くので、どうやらこのウロコ板を選んで正解だったようだ。 テレマークスキーというのは、昨今様々な種類のテレマーク板やブーツが売られていて、雪質やツアーコースなど用途によって、その性能をどのように引き出すかというところが面白いように思う。先週までは、短革靴にダブルキャンバーの細板で、尾瀬の至仏や野反の山々を軽快に滑り歩いた。しかし、北アルプス級の山となると、そのような道具ではやや頼りない気がして、シングルキャンバーでやや幅広のウロコ付きの板にプラブーツにした。プラブーツにしたのは、革靴だとどうしても靴の中が濡れてしまい、泊を伴う山行では不快だからだ。樹間を縫って登ったり滑り降りたり、面白いように先を進む。 ようやく辿り着いた稜線からは黒部源流の山々が一望できる。これから向かう太郎平小屋は、薬師岳のどっしりした山体の左下に、目を凝らさないとわからないほど小さな点である。振り返ると、明日の長い行程である黒部五郎岳や三俣蓮華岳への稜線が続く。時刻は4時を回っていた。歩き出しが9時半だったから、ここまで6時間半もかかってしまった。 午後5時過ぎ、太郎平小屋に到着した。小屋に入って、今夜の寝場所である蚕棚の下段に荷をほどき、すぐさま外に出て薬師岳を眺めながら、みんなで入山祝いの乾杯をした。5月ともなると陽も長くなる。日暮れまでまだ十分余裕もあり、ゆっくりやっていたので、小屋に戻るとすでに夕食が賑やかにはじまっていた。 2日目に続く

六合村~秋山郷スキー縦走

2008年4月5~6日  六合村・開善学校~上信国境稜線~岩菅山~烏帽子岳~笠法師山~切明温泉 地図を眺めながら未知のスキールートをイメージするのは楽しい。胸が躍るようなドキドキ感が高まり、休みの日が待ち遠しくなる。まして、そのルートが多くの山岳スキーヤーにも注目されず、記録も見たことがなければ、秘かに宝物を見つけたような気分だ。 裏岩菅山から秋山郷の切明温泉までの稜線は、スキー縦走としての記録を今まで見たことがなかった。するとブナ文庫という山岳図書蒐集家でもある山スキーの大先輩が、「スキーはないけどワカンならあるよ。」と、昭和42年の岳人242号の記事のコピーを送ってくれた。長野電鉄山岳部の記録で、小林紀美氏が執筆している。2月に、ワカンで東舘山から切明まで2泊3日で歩いていた。記録の終末で、筆者はこの縦走ルートがスキー向きでないと述べていた。 岩菅山から切明温泉へのスキー縦走は、春の締まった雪の時期なら、スキーを使えば1日でトレースできるにちがいない。そのために何年も前から、このエリアのルート偵察を地道に行ってきた。大高山登山口の馬止から国境稜線に入山して、ダン沢の頭から赤石山、さらに岩菅山くらいまでは身近なエリアなので頻繁に訪れることが出来た。しかしながら秋山郷の切明温泉から笠法師山のスキールート偵察は、秋山郷までの車のアプローチが大変だった。 この積雪期の笠法師山の記録もまた見たことが無かったので、何度か訪れてのゼロからのコース開拓だった。細尾根の迷いやすいコースだが、スキーを使うことによって、よりスピーディーに安全に下山出来ることがわかった。 スキー縦走の核心部は、なんといっても裏岩菅山と烏帽子岳の間にあるカニの横ばいの通過だ。ここは無雪期に一度縦走したことがあった。細尾根の稜線は積雪期に大きな雪庇が出来るといやらしそうだ。スキー縦走はぶっつけ本番になる。ここでどれだけ時間を費やすかにより成否が決まるのかなと思った。 決行の時は突然訪れるもので、2日前に週末の天気が安定することが分かったので、なんとなくやってみようということになった。 1日目、旧六合村の林道入り口から鷹巣尾根ルートで入山。赤石山の手前から寺子屋峰をショートカットして岩菅山手前のノッキリ付近へ魚野川横断。ノッキリでテント泊して2日目秋山郷へ縦走。カニの横ばいはシートラで稜線西側の斜面を難なく通過。これでもう難所はないと楽観していたらとんでもなかった。笠法師山手前に細尾根の急斜面が一ヵ所待ち受けていた。空身で登り細引きロープでザックやスキーを引き上げたりして、ちょっと苦労した。それでも予定通り明るいうちに下山。切明温泉の湯に浸かりながらバックカントリースキーツアーの小さな達成感に大満足した。

北ア薬師岳BC2005GW

2005年4月29~5月1日 今年は雪が多くて飛越トンネルの登山口までの林道歩きも長かった。朝からどんよりとした曇り空だったが、この後天気はますます崩れ、寺地山を過ぎる頃から雨、風、ガスの三重苦。北ノ俣から太郎小屋へのだだっ広い稜線はまったくのホワイトアウトの様である。 先行していた2人の登山者が、避難小屋が見つからないと困っていた。彼らはすっかり疲れ果てていて、避難小屋に泊まりたいようだった。以前泊まって場所に覚えがあるので、スキーでそれと感じる方へ歩いていくと、ガスの中にぼんやりと四角い影のようなものが浮かび上がってきた。でも、その影は幻影にも見えてくる。むやみに歩くことさえ現在地点がわからなくなる怖れのある濃いガスの中では、登山者の焦りが白い世界の中に悪魔を住まわせる危険があると思う。しかし、この影は紛れもない避難小屋であり、彼らはここで行動を終えた。私たちはこれからが勝負である。 北ノ俣岳の稜線への大斜面を登る。途中で若い山スキーヤーのペアが滑り降りてきた。稜線まで登って撤退したという。彼らは正解である。連休初日というわけで、稜線上には小屋へのトレースは期待できなそうだ。いよいよほんとうに自分のルーファイ力が試されるというわけだ。後ろから一人の若いテレマーカーが追いついてくる。つかず離れず稜線まで登り、稜線からは共に行動する。Bさんである彼とは、翌日一緒に薬師の尾根や谷を一緒に滑ることになるなるのだが、ホワイトアウトの不安の中、無事太郎小屋にたどり着け、その喜びを分かち合えた仲だからこそだろう。後から私たちのシュプールを追って来たAさんやCさんも・・・ 晴れていれば気持ちの良い滑降を楽しめたはずなのに、突然赤木平側のセッピ上に出たりして、ゆっくり斜滑降やボーゲンで滑るしかない。GPSと去年訪れたときの勘が頼りだ。しかしながら、ホワイトアウトの中を長時間彷徨っていると、GPSを本当に信じてしまって大丈夫だろうかという不安がよぎる。2576m小ピークで迷いが出る。地図も出せないほどに雨風が激しく、やはりGPSを信じて行動するしかないと覚悟する。 こんな天気だからこそ行動が活発になるのだろうか、雷鳥が進路の直ぐ先を強風にあおられながら走っていく。彼らにとっては、ホワイトアウトは天敵から守ってくれるありがたいものなんだろう。古いトレースを発見して安心。しかし所々で消え見失う。また、このトレースを信じて闇雲に追うのも危険だ。GPSと磁石の方角を頼りに、緩やかな稜線をひたすら下った。やがて緩やかな登り返しがある。去年歩いたときの覚えがあり、これはまさしく太郎山に向かっていることを確信。 午後4時半、太郎平小屋の真ん前に飛び出した。私たち3人のあと、テレマーカー1人、山スキーヤー1人、ボーダー2人が、小屋に辿りついた。この日は、他に取材で滞在している数人のグループだけで、小屋では、二晩をこたつのある食堂でゆったり静かに滞在できた。 翌日は最高のBC日和。1本目は避難小屋付近(2880m)から中央カールに滑り込む。2本目は金作谷カールを滑って大満足。3本目からはBさんも加わって、避難小屋付近(2880m)から広大な西斜面を大滑降。さらに4本目は休憩所下(2600m付近)から薬師沢右俣の急斜面に飛び込む。薬師岳への稜線を右に左に4本滑って、充実した中日だった。 3日目ははや天気が崩れるということで、朝食後北ノ俣岳を目指す。薬師沢へ滑り込んでみたかったが、空荷で北ノ俣岳から赤木平へ一気に滑り降りる。雪質も良く、とても気持ちよい大斜面だった。そして、さっさと下山にかかる。北ノ俣岳の大斜面の滑降は、今までの斜面が良すぎたのか、物足りなく感じた。避難小屋付近から寺地山へ登り返し、またいくつもの登り返しをしながら、やっとのことで飛越トンネルの登山口に滑り降りた。 最高な3日間だった。

2005GW銀山平~平ヶ岳カヤック&スキー後半

名前通りのだだっ広い山頂をうろこテレマークスキーで歩き回る。 奥利根源流の国境稜線や水長沢の源流、大白沢山へと続く国境稜線の様子を目に焼き付ける。 奥利根源流の雄大な風景を独り占め。かと思っていたら、尾瀬ヶ原ルートから山スキーの男女グループが近付いてきた。 正午ジャストに山頂から下山する。 下山は登り以上にスピーディーだ。池ノ岳の無木立の大斜面に大きなテレマークの円弧を描き、いくつもの小ピークも難なく乗り越えていく。 1695m峰まで1時間。ここからは細尾根に鬱蒼と茂る黒木がうるさくなり、一部かつぐところも出てくるが、いよいよ問題の沢の滑降にはいる。 源頭の急斜面はいたるところにクラックが入っていて、いつブロックや全層雪崩が起こるかわからない。何度も横滑りやキックターンを繰り返しながら、暑さなのか緊張感からなのか汗が噴き出してくる。 沢の滑降は見た目よりもずっと距離があり、1時間でようやく登山ルートの取り付き地点に戻った。 ベースキャンプまで1時間歩き、ようやく大休止。キャンプを撤収して、カヤックを2時間休みなしで漕ぎ、どうにか日暮れすれすれに出発地に辿りついた。 いつ割れるかわからなそうな不安定な氷の上に着岸して、完全に上陸してようやくひと心地がつけた。