カヤック

2005北海道・海旅・追分ソーランライン1

2005北海道・海旅・追分ソーランライン(大成町太田~知内町)全漕行距離約170km 昨年の旅の続きだ。大成町太田から青函トンネルの知内町まで、漕行距離約170km。かつてはニシン漁や北前船の交易で賑わった。派手に観光地化されていないので、人も自然も素朴な表情で私たちを迎えてくれた。難所である白神岬はベタ凪の追い潮で楽に越え、津軽海峡の海へ。岩部海岸の断崖絶壁の迫力は、この旅のクライマックスだった。 大成町太田~貝取ま(国民宿舎あわび山荘)(漕行距離約19km) 昨年の旅の続きのスタート地点である太田漁港は、車を駐車しておけるようなところがないので、新しくできたばかりの帆越山を貫通するトンネル出口付近から出艇することにする。実は、奥尻島へ渡ってみようという考えもあった。しかし、昨日まで悪天候が続いていて、まだ海にはうねりが残っていた。それに、島影が見えないほど海上には濃霧がかかっていた。だから、素直に陸伝いを南下することにした。 この帆越山のトンネルができるまでは、太田の集落は陸の孤島のようなところだったらしい。海が荒れれば帆越岬の海岸に沿ってある道路は、大きな波をかぶってすぐに通行止めになってしまったそうだ。海旅の初日は、やはり緊張する。カヤックを海に浮かべて、パドルをしばらく漕いでいるうちに、ようやく海に浮かぶ感覚やパドリングのリズムを思い出し、なんとなく安心するのだ。帆越岬は少し向かい風があったが、力強く漕ぎ進み、3時間弱で今日の宿がある貝取まに上陸した。 格安の値段で、料理と温泉を堪能する。また、翌日朝の車の回収のために、宿の方に大変お世話になってしまった。

2005北海道・海旅・追分ソーランライン2

大成町貝取ま~乙部町元和(漕行距離約29km) 今回カヤックで漕ぐ函館までのルート、適度な距離に温泉マークがある。昨夜のあわび山荘は、貝取ま温泉といい、赤みがかった天然かけ流しで、とても良かった。もちろん、名前通りのあわびの刺身やら陶板焼きなどなど、たらふくのごちそうも大満足だった。さて、今日はどの辺りまでがんばってどこの温泉に入ろうか、などと朝食前に温泉にゆったりつかりながら、今日のカヤック旅に思いをはせる。 AM9時半出航。日も出て、昨日より天気良く、海も穏やか。でも奥尻島は見えない。どうも今夏は大気が不安定な天気になりやすいようで、すっきりと晴れ渡るとまではいかないようだ。約10kmほど先に、ひらたない温泉あわびの湯というのがある。今夜もあわび料理と温泉三昧というのに心惹かれるけど、先にも進まなければならないので、そういうわけにはいかない。約35km先にちょうど館浦温泉というのがあり、今日はそこまで漕ぐのだ。 親子熊岩など、しばらくは奇岩がいくつも続く海岸を進む。このような地形を生かしてだろうか、長磯という港ではあわびの養殖が行われているそうだ。昨夜のあわび山荘で夕食の賄いをしてくれたおばさんは、正月になると、都会に出た息子にあわびを送ってやると話していた。熊石町にはいると、海岸線は一転する。数kmに及ぶ鮎川海岸は、きれいな砂浜のビーチだ。沖合から眺めながら、ひたすら漕ぐ。昼をまわって、相沼というところでトイレ休憩のために上陸。でも、昼食をとるのは、元和というところまでがんばることにした。というのは、元和には海浜公園があって、きっと海の家では冷えた生ビールがあるにちがいないから・・・ PM3時過ぎ、元和台海浜公園「海のプール」の横の小さなビーチに船を着ける。この海のプールというのは、すごい施設だった。元和台という断崖絶壁の下に作られているのだが、駐車場やレストランのある崖上から、崖下の海のプールへ行くのに、専用の立派なコンクリートスロープが作られているのだ。この巨大な構築物は、カヤックで数kmも手前から認められた。初めは何なのかわからなかったけれど、近付いて海上から仰ぎ見るその姿に、唖然とした。この美しい海にわざわざプールを作る必要があるのか、という素朴な疑問など一瞬のうちに吹っ飛んだ。でも、とても良く運営されていて、たった100円の協力費でこの立派な施設が利用できる。たくさんの家族客などで賑わっていた。 私たちは、もちろん海の家へ直行。まずは生ビール!そして、おでんや焼きそば、ラーメン、ジャガイモ団子などなど、すっかり食べ過ぎてしまった。先へ進むつもりだったけど、急遽予定変更。今日は、ここまでだ。

2005北海道・海旅・追分ソーランライン3

乙部町元和~上ノ国町汐吹(漕行距離約35km) 3日目は、早起きをして6時前に出航。昨日のようなペースではとても函館には行き着けそうにない。今日はもうちょっとがんばらなくては。どうやら追い潮である。元和台のような岬をかわす時、はっきりわかるくらいに潮が流れている。よし、この勢いで江差の鴎島まで一気に漕ぐぞ!いきなり、魚の群れがカヤックのすぐ横でボイルする。結構大きな魚の群れで、30㎝くらいはある。ブリ系の魚の幼魚の群れが、さらに小さな鰯系の群れを追っているようだ。すると、今度はカモメの群れが空から集まってくる。ブリ系の魚に追われて海面を逃げまどう、鰯系の小魚をねらっているようだ。この小さな大自然のドラマが、いたるところで見られた。最初のうちは、あわてて釣りを試みてみた。しかし、仕掛けが良くないのか、まったく反応が無く、やがてあきらめた。8時過ぎに江差の鴎島に上陸。鴎島の高台は、芝生のキャンプ場だった。 松前同様、江差はかつてニシン漁や北前貿易で大いに賑わった港町。今は陸続きになってしまっている鴎島が、波風をさえぎり天然の良港を作り、廻船問屋が軒を連ねていたそうだ。現在、旧中村家住宅や復元された開陽丸などで、当時の面影をちょっぴり感じ取ることができる。 ところで、北前船の大きさは石で表すそうだ。長さ×巾×深さで求められるらしい。すると、私たちの船は何石くらいになるんだろう。6.6×0.8×0.4として、わずか2石あまり。タンデムカヤックで江差の海に浮かびながら、昔の港の様子を思い浮かべてみる・・・ さて今度は、鴎島から上ノ国町の道の駅「もんじゅ」を目指す。たしかここは海沿いにあるので、カヤックを岸に着けて、レストランで昼食ができるはずだ。穏やかな内海を一直線に漕ぎ進んだ。案の定道の駅「もんじゅ」は、海からも大変便利な施設であった。濡れたウエットパンツでも入れてくれる。そして、生ビールとウニ丼だ! 先を急がねば!!洲根子岬をかわすと、突然潮が変わった。一気にスピードが落ちる。大安在浜の単調な景色が余計にパドルを重くしてくれる。さらに追い打ちをかけるがごとく、前席の家内が居眠りである。こんな時は思い切って岸寄りすれすれにコース取りする。そうすれば、海の底も見えるし、少しは退屈を紛らわせてくれるのだ。 しかし、穏やかな海だからこんな悠長な事を言ってられるのだが、この辺りは遭難の名所である。開陽丸は、この先の木ノ子の海岸に強風で打ち上げられ難破したのだ。汐吹の老漁師は、かつて、荒れる海を命からがら帰ってくる漁船のために、盛んに浜に火をたいたんだと話してくれた。時には、自分たちの目の前で船が波にのまれてしまったこともあったそうな。向かい風と逆潮に苦しめられ、午後2時前、汐吹で今日の行動終了。いまいち距離を伸ばせなくて残念。

2005北海道・海旅・追分ソーランライン4

上ノ国町汐吹~松前町折戸海岸(漕行距離約39km) いよいよ4日目。今日も暗いうちに起き出す。海岸では、現役を引退した老漁師が、流木拾いをしていた。5時半過ぎには海に浮かぶ。 この辺りの海岸線は、それほど高くはないけれど切り立った断崖が延々と続く。道路は断崖の上に押しやられ、海上からはほとんど見えなくなる。カヤッキングのコースとしては、なかなか良いロケーションだ。道路からは簡単には降りて来れないプライベートビーチも、いたるところにある。途中でシュノーケリングする。本当に透き通った綺麗な海だ。 相変わらず視界は悪いが、前方に大小2つの三角錐の孤島がぼんやり見えだした。松前小島と大ヒヤク島である。松前小島は、面積1km2、周囲4kmの、無人の火山島である。小さな島なのに、そのてっぺんは262mもある。不思議な存在感を漂わせていた。 松前町では、熊騒動が起こっていた。子連れのヒグマが町中で目撃されたようで、パトカーが大きなアナウンスを流して注意を呼びかけていた。折戸海岸はキャンプのできる海水浴場になっていて、テントがいくつも張られていた。パトカーがややトーンを下げて、「キャンプは撤収しましょう。」と最後にひとこと言い残して走り去った。なんとなくユーモラスな光景だった。もちろんテントを撤収した人は誰もいなかった。 午後をまわると、天気が良くなり出した。きらきらと輝く海を眺めながら海岸でボーッとする。カヤックの荷室にビールが転がっていたのを思い出し、栓を開ける。今日はここまでだ。ビールは、冷えていなくても不思議とうまい。心地よい潮風を浴び、かすかな波の音を聞きながら、小石の浜に寝っ転がる。こんな怠惰な旅こそ、贅沢な旅かもしれない。

2005北海道・海旅・追分ソーランライン5

松前町折戸海岸~知内町(漕行距離約49km) 最終日。今日も暗いうちに起き出して、5時半前には海に浮かぶ。2度ほど大きな鉄砲の音が海上まで響いた。熊を仕留めたのだろうか。熊騒動がその後どうなったのかは知らない。ただ、知床が世界遺産に認定されたこの北海道で、熊とどのように共存していくことができるのかは、これからの大きな課題だろう。知床の地と対極点にある地で起こったこの騒動は、これでひとまず解決したのだろう。ただなんとなくスッキリとしない後味が残った。(注 2005年時の印象) 弁天島をかわすと、正面から朝日が照らした。昨夜、松前の飲み屋で夕食をとった。寂れた雰囲気を感じた。かつては、蝦夷地の中心だった松前である。そんな松前の町並みを左に眺めながら、白神岬を目指して一直線に漕ぐ。左から出し風が強く吹き始めたが、それはちょうど及部川からのもののようですぐに止んだ。白神岬にかかると、潮流が川の流れのように激しくなるのがわかった。この岬が漁師にとって難所だということは、後で知った。こんなに凪いでいたのは珍しかったらしい。 白神岬を順調にかわし、いよいよ津軽海峡だ。福島町や吉岡町の沖合は、昆布の養殖が盛んにおこなわれていて、作業中の漁師から2度声をかけられる。海の様子を尋ねると、「陸伝いに行けばいいけど、ゆるくないぞ。」と、温かく励まされる。海上で、知内の老舗温泉旅館に今日の宿を予約することにした。青函トンネルが真下にある吉岡町を、ちょうど10時頃にさしかかって、思い切って秘境である岩部海岸の先を目指すことにした。 岩部海岸は、知る人ぞ知る秘境で、陸路はない。ちょっとした知床である。さすがに、かつて漕いだ知床は、私たちのような通りすがりの旅人にさえ、ヒグマやオジロワシ、エゾシカなど、濃密な野生を容易く垣間見せてくれた。この岩部海岸は、荘厳な静寂が響き渡っていた。海にそそり立つ断崖は250m以上。圧倒される。昆布がびっしりと茂る海は、まさに豊饒そのものである。大岸壁の真下から仰ぐと、猛禽類の大きな鳥が、はるか上空を優雅に旋回をしていた。この旅のクライマックスである。足早に通り過ぎてしまうのは、あまりにも心残りである。 矢越岬は、時速9km以上で越えた。そして、途中小谷石というところで上陸休憩し、函館からのバスが通る知内までひたすら漕いだ。最終日、約49km漕いだ。今回は日を重ねるごとに漕行距離を伸ばしたが、もう少し前半がんばっておけばよかった。館まで残り30kmを残し、3年目の北の海旅を終えた。来年は、この旅の続きをするかどうかは、わからない。

奈良俣湖カヤック初漕ぎ2025-6-17

今冬の大雪の影響を大きく受けて、ダム湖解禁も例年より2週間くらい遅くなったようです。こちらの都合もなかなかうまく日程が組めず、2025シーズン初漕ぎはいつの間にか6月半ばの夏至近くになってしまいました。 下界では今日も猛暑日のようで、梅雨入りしてから日もたっていないのに中休みの晴れの日がしばらく続きそうです。大石沢のバックウオーターにはまだ大きなスノーブリッジが残っていて、冷気がうすい霧となって漂い幻想的でした。 前線の影響で朝のうちは北風が少し強く吹いていたので、奥利根湖はやめて奈良俣湖を選んだのですが正解でした。高い山は雲に覆われて見えませんでしたが、やがてスッキリと姿を現すようになる頃風も収まりました。 4月のバックカントリーツアーで至仏山から眺めた奈良俣湖や谷川連峰の景色を思い出します。あれからわずか2か月しかたっていませんが、季節の移ろいの早さに改めて驚かされます。日本が四季のはっきりした自然豊かな国であることも実感します。 6月の奈良俣湖は、緑の楽園です。森も湖水もすべて緑です。エゾハルゼミが大合唱する中で、アカショウビンの高い鳴き声も聴き取れます。山ツツジやナナカマドの花もポツンポツンと見つけることができました。 本流バックウオーターでは、大きな鯉の恋の季節でした。ドボンドボンと激しく飛沫を上げて雄が雌を追いかけていました。雪代が多いのか満水状態の湖畔は、何とか一ヵ所上陸ポイントを見つけることが出来ました。 お昼近くなると、雲一つない青空に恵まれました。湖面にはからりとした涼しい風が時々吹き渡りなんと気持ちいいことか。 出艇場所のキャンプサイトでは時々カエルの鳴き声が聴こえてきました。水辺の樹々に目を凝らしてみると、いくつかモリアオガエルの卵塊がありました。緑の6月は、もっとも命輝く季節でもあります。

BIKE&KAYAK 琵琶湖

2011年 11月2日 晴れ 信州の山奥の廃村にかつてあった棚田を復活させるために、築100年以上の古民家に移住する泥兎氏(かつては雪兎氏だったが・・・)を訪ねた。苦労するも泥兎氏自慢の開墾した田や畑、小道や水道などを案内してもらう。そして長い夜は、久しぶりの再会で楽しいおしゃべりは尽きない。囲炉裏で焼いたごちそうの五平餅は、なんとこの秋に初収穫した棚田の新米だ。さらにお風呂も、わざわざ薪で沸かしてもらったお湯という贅沢さ。 翌朝も天気は素晴らしく晴れて、鹿島槍から白馬三山までの稜線がスッキリと眺められた。気分がいいので、朝食後、泥兎氏夫妻が自家焙煎のコーヒーとアップルパイがお勧めだという、大町市のカフェまでサイクリング。 自家製アップルパイはボリューム満点で、二人で1つをいただいた。古いスキーを使ったインテリアは、春の雪倉岳や朝日岳の楽しかったスキーツアーが想い出される。お世話になった泥兎夫妻とお別れして、午後は初冬の雪倉岳を眺めにチョコっとツーリング。 紅葉に彩られた秋の山も過ぎ、純白になる厳しい冬を前に何も身にまとわずスッキリとした山容の雪倉岳が、ひっそりと静かに眺められた。温泉は、富山県朝日さざ波温泉、車中泊は北陸道SA有磯海。 11月3日 晴れ 滋賀県彦根市r2~長浜市r331~道の駅湖北みずとりステーションr44~木之本R8~塩津R303~大浦r557~海津r54~今津r333~高島市道の駅しんあさひ風車村 翌朝、北陸東海縦貫道を経由して名神高速道彦根インターまで移動。午後12時半に多景島や竹生島への観光船が発着する彦根港をロードバイクでスタート。なんとなく反時計回りだ。休日の琵琶湖の道は、サイクリングを楽しむ人がほんとうに多い。道も平坦で走りやすく、景色もいいし、キャンプ場や公衆トイレのある施設が適度にあって、ツーリング環境は申し分ないと感じた。 琵琶湖の水面を身近に感じながら走っていて、一番強く感じたことは水に恵まれた豊かな土地だということ。琵琶湖に注ぐ無数の河川や湧き水と肥沃な水田が、歴史と文化を育んだことは当然だろう。そして、琵琶湖に生息する水鳥の多いことにも驚いた。車通りの多い道端からでも、大小様々な水鳥が群れている姿が観察出来た。 11月3日文化の日は、各場所で様々なイベントを通り過ぎる。長浜市は、大河ドラマ「江」ゆかりの地。秀吉の居城だった長浜城、合戦跡の賤ヶ岳など快調に通過、ところが塩津で県道512号線の奥琵琶湖パークウエイの入り口を見落とした。おかげで楽はしたけど、琵琶湖岸をパーフェクトに1周出来なくなってしまい、ちょっと心残り。 その後は、注意深くナビゲーションして、午後3時半ぴったし、高島市の道の駅しんあさひ風車村を今日のゴールにする。本日の走行距離約70km。移動平均速約22km。本日の温泉は高島市朽木のてんくう、車中泊は道の駅くつき本陣。 11月4日 晴れ 道の駅湖北みずとりステーション付近~奥琵琶湖~竹生島~海津大崎 昨日、自転車でカットしてしまった奥琵琶湖パークラインからの心残りの風景を確かめるべく、今日はカヤックツーリングだ。道の駅みずどりステーションでフェザークラフトのK1を組み立てていると、すぐ隣にある環境省施設の職員の方から、ちょうど飛来している雁に刺激を与えないようこの付近から出艇しないでくださいと声をかけられる。あの「大造じいさんと雁」の雁である。ということはシベリアからの冬の渡り鳥にちがいない。たしか雁のリーダー残雪はそうとう頭が良くて仲間思いだった。。職員の方の話ぶりから雁はそうとう大事にされている水鳥のよう。組み上がったカヤックはもちろん車の屋根に載せて移動。近くの片山トンネルの入り口付近から出艇した。 天気予報では全国的に快晴のはずだったけど、琵琶湖はやはり盆地の中の大きな湖という特殊な地形のためか、湖面は朝から濃い霧でいつになっても晴れる気配無し。カヤックから賤ヶ岳を仰ぎ見てみたいと思ってたけど視界無し。でも幻想的な雰囲気でよかったかも。 奥琵琶湖パークラインのつづら尾展望台がある小さな半島の岸にカヤックを着けて、早めのお昼にする。この半島の先端から竹生島までは2kmしかなく、島渡りするのに一番距離が短い。今日は風も弱くほとんど凪ぎ状態なので、島を回って海津大崎まで漕ぐことにする。 ここまで漁をしている漁船1隻と、ブラックバスを狙ってるモーターボートの釣り船2隻とすれ違っただけ。のんびり竹生島に近付いてカヤックからお寺や神社を眺めていたら、突然島影から観光船が港に入ってきたのにびっくり。ちょっと焦った。 海津大崎までのんびり漕いで、大崎観音の近くの浜でカヤックツーリング終了。サポートの家内にピックアップしてもらい、高島町朽木のてんくう温泉へ。車中泊は、道の駅くつき本陣。 11月5日 曇り後雨 高島市道の駅しんあさひ風車村r333~萩の浜R161~道の駅琵琶湖大橋米プラザ~大津港r18~r102~石山r559~近江八幡市r25~彦根市 一昨日のゴール地点である道の駅しんあさひ風車村からスタート。今日もやっぱりどんよりとした朝で、湖の景色はぼやけていたけど、白ひげ神社の鳥居あたりで雲間から朝日が射しだした。 国道161号線は交通量が多くチョッと走りにくいけど、ほとんど平坦な道なのでなんと快適なことか。朝の6時半頃出発して、途中琵琶湖大橋のたもとの道の駅に寄り道休憩して、9時頃琵琶湖の南端の瀬田の唐橋を通過、今度は琵琶湖東岸を北上。通称さざなみ街道といわれる県道559号線は、まさに自転車にとって快適な道。だんだん空が怪しくなってぽつりぽつり降ってきそうな気配のする中、1周のゴールである一昨日のスタート地点、彦根市の彦根港を目指す。 ちょうどお昼の12時きっかりに到着。一昨日は12時半にここをスタートしているので、琵琶湖は1日で1周できるちょうどいいコースだと実感。いつか時計回りでまた走りに来たいところだ。 本日、温泉無し、車中泊無し。

粟島シーカヤック横断&キャンプ2009

2009年8月15~16日 粟島へは2度目のシーカヤック横断である。夏休み残り2日をどう過ごすか思案した末の選択だった。数日前の飛島横断の後味の良さもあったのかも知れない。それに、何しろお盆だからどこへ行っても人だらけに違いない。粟島には立派なキャンプ場があるけれど、大海原をわざわざ漕いでキャンプする人間はまずいないだろう。お盆の日など温泉宿に空きがあるはずもなく、自然な成り行きで今回のプランが実行されたのだった。 群馬の自宅を出たのが朝の5時過ぎ。お盆の割には1000円高速が空いてて、新潟県の北の端、山北町府屋に辿り着いたのが9時半過ぎ。天気予報通り海はベタ凪そうである。粟島もすぐ手が届きそうな距離でよく見える。大急ぎで出艇準備をしなければならない。K2は家で組み立てておいたので車の屋根から降ろすだけだけど、2人分のキャンプ道具や様々なものをカヤックに積み込んだり、車の駐車場所を確保したりでてんやわんやである。どうにかこうにか海に浮かんだのは10時をとうに過ぎる。午後になると風が少し強まる予報が出ていて不安もあるけれど、GPSの距離表示では24,5kmだ、安定感のあるK2だから多少荒れても漕ぎきれるだろう。いよいよ海に浮かぶ。 今日も進路はほぼ西。粟島を目指してひたすら漕ぐのみ。お昼過ぎ、右の彼方に白い船影。飛島でも遭遇した北海道航路の大型フェリーに違いない。3日ぶりの再会である。こんな大海原でまた逢えるなんて。たぶんこちらのことはわからないのだろうな。 粟島に近付くにつれ風が強くなり、白波が立ち始める。うしろから突然クルーザーが追い抜いていく。若い男女が乗っていて手を振ってくれるので、こちらも返す。大きなエンジン音を響かせながら、みるみる粟島の向こう側へ消え去った。 直接キャンプ場のビーチに上陸。早速テントを設営して温泉へ直行である。 温泉の後、レストランで夕食。昼食はカヤックの上でバナナとかドーナツだったので、上陸後の大きな楽しみ。日替わりの刺身定食は、さすが粟島である。 まだ日が暮れなくて、渡ってきた向こう岸の山々がテントから眺められた。 翌朝、のんびりキャンプを撤収。島の南端をツーリングして港に戻りカヤックを折り畳んで11時の高速船で島を立つ。高速船だと1時間弱。岩船港から村上駅まで乗り合いタクシー。村上駅から電車で府屋駅へ。2時半過ぎに車を回収し、粟島シーカヤック横断&キャンプ終了。

シーカヤック飛島横断(全漕行距離約75km)

2009年8月11~12日 1日目 なんとなく飛島へ引き寄せられた2009夏の海旅。いつも鳥海山スキーで山頂から日本海に浮かぶ飛島を眺めて、その度にカヤック漕いで行ってみたいなぁと思っていた。どこへ行っても混雑するお盆休みの限られた日数でさてどうしたものか・・・実は決行直前まで、事前の計画や準備がまったく出来ないで、行き当たりバッ旅な飛嶋横断でした。 離島の海旅はやっぱりフォールディングカヤックがいい。もし帰りの日に海が少しでも荒れたら、無理せず折り畳んでフェリーの手荷物にして戻ってくればいい。そう考えられると気が楽である。一人旅ならK1である。もうかなりくたびれてきているけど、これまでいろいろな島をこのK1で旅してきて信頼している。大海原に浮かんだら一心同体、まさに命を預ける唯一の相棒だ。朝の6時から急いで組み立てを初めて、なんとか8時前に出艇することが出来た。飛島はキャンプ禁止の島だけれど、いざというときのために、はたまた気が変わって陸沿いに男鹿半島を目指す旅に変更したとしてもいいように、キャンプ道具や2~3日分の水・食料も積んだ。 今日は飛島がはっきり見える。漕ぎ出した象潟の海は穏やかである。これから潮流や風の影響がどうなっていくか不安である。GPSで計った直線距離はぴったり30km。時速5~6kmで漕ぎ続ければ5~6時間でゴールできるはずである。沖合10kmくらいまで漕いだら、最終的に行くか戻るか判断しようと決める。そこで気象条件的に難しくないか、体力的に余裕があるかなどをチェックする必要がある。 シーカヤッキングの旅は、海を歩くようなものである。陸沿いを漕ぐときは少しずつでも景色が変わっていくけれど、島渡りでは1時間も漕いでようやく陸が小さくなったとか大きくなったとかわかるくらいだ。今日は視界がよいので、目標物をひたすら目指して漕ぎ続ける。ナビゲーションは楽である。デッキコンパスはほぼ西。GPSもちゃんとほぼ西を指している。もし視界がなかったら、デッキコンパスとGPSが強い味方となる。途中海上ですれ違った漁師さんのアドバイスでは、潮流は右から左に流れているという。どれくらいの強い流れかわからないので、気持ち右向きに進路を向ける。あとからGPSの軌跡を確かめてみると、なるほど前半部分で少し南に流されて、後半部分で意識的に修正していたことがわかった。 長距離のパドリングでは10kmをひと区切りとして漕ぐ。シーカヤックで10kmという距離感覚は、ロードバイクだと50kmだろうか。山スキーのシール登行だと、標高差300mの膝下ラッセル? いずれにせよ最初の10kmの距離感覚で飛嶋横断30kmの感覚をつかみたい。しかしパドリングは単調なものである。GPSの表示を観察していると、だいたい5~6回のパドリングで10mすすむ。計算すると50~60回で100m、500~600回で1kmである。30kmなら15000回から18000回のパドリングが必要というわけだ。だけど、パドリングの回数なんてすぐに飽きてしまって数えてられない。パドリングは力をうまく抜いて合理的に漕いでいると思っていても、疲労度に合わせてフォームが自然に変わってくる。パドリングに疲れてくると、パドルの引きよりも押しに頼りがちになってくる。これまで1日50km以上の距離は何度も漕いでいるので、今回の30kmに不安はないけれど、とにかくこの自分の腕だけが頼りである。 10km地点で気象条件に大きな変化もなく、体力的にも問題がないのでそのまま漕ぎ続ける。半分を過ぎた頃だろうか、右手彼方に白い小さな船影。新潟~北海道航路の大型フェリーである。この大海原で衝突する確率はかなり低いはずだけれど、それぞれの航路の対角線上で交わりそうな気がするから不思議だ。だんだん近付くにつれ、相手はなんといっても高速で航行しているのだから、みるみる彼方の前方を右から左へと通り過ぎていった。一応こちらも船舶には違いないので、相手の航行の邪魔にならないようマナー意識はある。もちろん大きな船優先である。といっても、こちらは豆粒の大きさだから気付いてもらっているのだろうか。 恵まれた気象条件の航海であった。振り返ると鳥海山が雲に隠されていたけれど、どっしりとあった。パドリング中は一度も振り返る余裕がなかった。ところで島に上陸後、すぐ一仕事しなくてはいけない。今宵の宿を見つけなければ。お盆休みなので簡単には見つけられない。しかし駆け込んだとある旅館のおかみさんは親切で、となりの民宿を気持ちよく紹介してくれた。 飛島まで距離30.6km。最高速7,7km。所要時間5時間50分。移動平均速度5,4km。途中パドルを休めて休憩したのは約9分。 2日目 飛島1周~秋田県象潟・象潟道の駅~象潟海水浴場 昨日は宿が決まった後にまたカヤックに乗り込み、島の無人の浜まで漕いでシュノーケリングをして遊んできた。対馬海流にさらされているからだろう、透明度が高い。それに、メジナや黒鯛の大きなのが泳いでいたりする。宿の夕食は海の幸三昧。たらふく飲んで食べて、潮風が気持ちいい2階の大きな座敷ですぐにゴロンである。持参した新田次郎の剣岳点の記は数ページもめくる力もなく尽きた・・・ 宿のおかみさんは気を利かせてくれて、朝食の用意を6時半にしてくれた。おかげで7時過ぎには出航できた。島を時計回りに1周してから横断することにする。 昨日と違って今日はやや風が強い。うねりが少しある。向かい風になるので島の裏側に回るのは少し辛い。飛島は、島の裏側に南の海のリーフのような浅瀬が広がっている。大回りをしようとしたつもりがこの浅瀬に迷い込んでしまい、途中でカヤックを降りて引っ張らなくてはならなかった。そんなこんなで時間を食ってしまい、もう一度ゆっくりシュノーケリングをしたいと考えていたけれど、そのまま横断することにした。 しかし、今日は天気がいまいちで、一番の目標になるはずの鳥海山は雲の中である。昨日の好条件と違い、完全にデッキコンパスとGPSによるナビゲーション航海となった。ほぼ東に進路を合わせて漕ぐ。30kmのパドリングの距離感覚はしっかり体が覚えている。突然海が荒れ始めたとしたときの最適な状況判断を冷静に想定しながら漕ぐ。 パドリング中に目を楽しませてくれたのは海鳥達がカヤックのまわりを飛び回ってくれたこと。小さなトビウオが海面を跳ねたこと。象潟の港に近付いた頃、漁船が進路上の前方にいた小さなカヤックの進路上を追い抜いていく時に、優しく減速してくれたこと。心が和んだ。 黙々と一人漕ぎ通した。ただそれだけなのに、なんという充実感。2009の夏の海旅は、いつもとひと味違う海旅だった、

3.11震災の記憶 2011 バイク&カヤック 三陸

10月6日 曇り沼田R120~日光R121~会津若松~米沢R13~山形~天童~尾花沢道の駅尾花沢で車中泊。温泉は尾花沢市内の徳良湖温泉花笠の湯。 10月7日 曇り尾花沢R13~新庄~雄勝~湯沢~横手R107~北上R28~花巻R283~遠野 花巻では宮沢賢治記念館を見学する。宮沢賢治が明治29年の明治三陸大津波の年に生まれ、昭和8年の昭和三陸大津波の年に亡くなったことの奇遇、生前評価されなかった宮沢賢治だけど、外国からの評価はかなり早い時期からあったこと、辻まことの父親辻潤が宮沢賢治の詩を絶賛した文献が見られたこと・・・などなど、様々な発見がありかなり楽しめた。ただ以前読んで面白かった奥成達著「宮沢賢治、ジャズに出会う」に関連する文献に出会えなかったのが残念。それから遠野は、高校生の頃、みちのく一人旅で訪れたことがあったけど、その時の印象とはだいぶんかけ離れた地方都市の賑やかさにびっくりした。温泉は、踊鹿温泉、名前がなんか遠野らしくていい。車中泊は道の駅遠野。 10月8日 晴れ遠野R283~釜石R45~宮古市 直接宮古市に行くのではなく、釜石から海岸沿いの国道45号線を北上して宮古市の会場であるリアスハーバー宮古へ。釜石からここまで沿岸部の津波の被害の大きさを目の当たりにする。そして会場であるヨットハーバーもまだまだ津波の傷跡だらけである。港には沈んでいるヨットもあるし、建物はすべて壁も屋根もズタズタに壊れたまま。開会式は12時半からなので、自転車で宮古市内をチョッと散歩。魚菜市場を覗く。おいしそうなお魚が安い!今日の夕食が楽しみである。参加者のなかには浄土ヶ浜までカヤックでツーリングしている人もいたが、いちおう明日イベントで被災箇所を中心とした湾内ツーリングがあるので、海に浮かぶ楽しみはとっておく。 ところで、リアスハーバー宮古は、市内の2つの高校のヨット部の本拠地である。彼らの艇庫があり、その練習場所でもある。この日も天気に恵まれたので白い大きな帆が湾内を走り回っていた。震災の日も高校生達は練習していたらしいが、避難して全員無事だったそうである。しかしながら、立派な艇庫だったらしき建物は無惨な姿のまま。今だに更衣室もトイレも使えない環境のなかでがんばっているようだ。今回のイベントでもトイレはもちろん仮設トイレだった。開会式後、軍手とゴミ袋をもらい、清掃活動。150人以上も仕事をすると、さすがにあっという間にゴミの山が出来てしまう。優に10メートル以上はある木の枝に引っ掛かったゴミも回収していた。ここでの清掃活動はすでにもうほとんど片付けられたあとのゴミ拾いだから簡単だったけど、この後三陸各地を自転車で見て回って、津波直後の瓦礫の山など想像を絶する有様だったと思う。 清掃活動の後、会場を車で30分ほど離れたキャンプ場と温泉施設のある湯ったり館に移して津波の勉強会。途中魚菜市場で夕食の買い出しをしていく。勉強会では、モンベルの辰野勇氏、日本野鳥の会宮古支部長の佐々木宏氏、東大名誉教授の月尾嘉男氏のお三方の講演。辰野氏は、企業としての震災復興への関わり方についての話とさすがちゃっかりと浮くっしょんという新開発商品のPR。佐々木氏は、震災後すぐに三陸被害をくまなく自分の足で見て回り5月には「東日本大震災」を自費出版したそうで、地元の方だから語れる生々しい津波被害の実態の話。月尾氏は、東大名誉教授らしくとても学問的。今回の被害の実態から震災復興に向けてあらゆる角度から提言。神社やお寺が高台に立てられていて今回の津波でもほとんど被害を受けていないのは、昔からこの三陸の津波の恐ろしさは何度も繰り返されているからだというお話や、また人間が築いたどんなに堅牢な建造物も、津波には簡単に破壊されてしまうけれども、何万年も前からあるだろう自然の姿は津波をかぶってもびくともしないというお話など。いろいろ考えさせられました。 温泉は湯ったり館。車中泊はチョッと離れた道の駅やまびこ館。 10月9日 晴れ 午前 宮古湾内ツーリング 午後 浄土ヶ浜往復 漕行距離 20.2km 今日も朝から大快晴、海は凪。いよいよである。午前9時、開会式後、三陸の海にとうとうカヤックで漕ぎ出した。先導するモーターボートに138艇のカヤックが後を追う。まずは震災で犠牲になられた方々に、宮古港の前に全員が集まって黙祷。そのあと宮古湾を時計回りでのんびり漕ぐ。 海上自衛隊の巡視船が私達のために歓迎放水を見せてくれる。 カヤックを漕ぎながら、海に向かって逆三角形に大きく広がっていく奥深い湾であるリアス海岸独特の地形を実感する。天然の良港として栄えるのはまったく理にかなっているが、津波が押し寄せた時はそれがまったく裏目に出てしまう。昨夜の津波の勉強会でも考えさせられたけれど、これからはもっともっと自然と上手に共生していく方法を考えて、またいつやって来るかわからない大津波に備えられる復興を実現して欲しいなと思う。シーカヤッカーも、今まであまり津波のことは現実の問題として意識せず海を漕いだり、海岸近くでキャンプをしたりしていたかもしれない。しかしこれからは、津波に対する危機管理を当然意識せずにはいられなくなったと思う。 ツーリング終了後、配られた復興弁当と秋刀魚のすり身がたっぷり入ったサンマ汁のお昼を食べて閉会式、解散。私達はこの際せっかくだから午後もカヤックツーリングにでることに。お昼になって風が強く吹き始め、海上には白波が立ち始めてたけれど、たぶん夕方にはまた凪の海になるだろうと予想して浄土ヶ浜へ向かう。 閑散とした浄土ヶ浜には一人のダイバーの方がいて、浄土ヶ浜の海底に沈んでいる瓦礫の清掃活動をされていた。地元の方で、一見美しい景色だけれど、海底にはまだまだたくさんの瓦礫が沈んでいるんですと話していた。たくさんの大きな重機やダンプで瓦礫処理をしている光景とはまったく対称的に、たった一人でひっそりと肌寒い海に潜っている姿にちょっと胸が熱くなった。 温泉は、岩泉のホテル龍仙洞愛山。車中泊は道の駅いわいずみ。明日からは自転車で三陸海岸を走って、復興している三陸の姿をこの目で見たい。 10月9日 晴れJR八戸駅R45~JR種市駅~岩手県道の駅久慈 走行距離66km 道の駅いわいずみから北山崎に寄り道して青森県洋野町のJR種市駅へ車移動。自転車初日は、JR種市駅からJR八戸駅まで輪行移動して、いよいよ八戸から三陸海岸を石巻まで自転車旅。八戸から種市までは家内も自転車を漕ぐ。種市からは家内に車でサポートしてもらって本日久慈まで。 北山崎は閑散とした雰囲気。津波の被害はまったく受けていなくても、三陸に観光客が激減したのでそのあおりを受けてしまっているのだ。今、三陸の観光産業は、以前の元通りの姿に復興する時をじっと耐え忍んでいるのだ。 家内も自転車にたまには乗りたいだろうから、JR種市駅に車をデポして、自転車を輪行にしてJR八戸線で八戸へ。ほんとうは久慈から輪行したかったけど、震災により種市~久慈間は不通のままだから仕方ない。JR八戸駅には、駅構内に図書館があるのがいい。震災関係の本を見たりした後、自転車で走り始めたら家内のMTBにアクシデント。自転車の組み立てでうっかりチョッとした間違いがあったようで、無理にペダルを漕いだためチェーンがねじれて壊れてしまった。駅近くの自転車屋を探して修理してもらうのに時間をロスしてしまった。そのため楽しみにしていた八食センターでのお昼も遅くなって午後2時半過ぎになってしまった。忙しくお昼を済ませて八戸の市街地を国道45号線で種市へ。沿岸部を走る県道1号線でウミネコ繁殖地で有名な蕪島や種差海岸を見たかったので、今回は残念。 ひたすら45号線を種市目指して漕ぐ。八戸市は内陸部なので津波被害の様子はわからなかったが、列車の車窓から見た住宅地の様子では、一般家庭の家の庭に仮設トイレが置いてあるのが目立ったのは、電気、ガス、上下水道などライフラインに大きな影響があったのかもしれない。道の駅はしかみを過ぎると、岩手県洋野町に突入。そして洋野町にあるJR種市駅で、家内は車のサポートにまわる。今度は独りで国道45号線を飛ばしてさらに南下。途中小さな川を通り過ぎるたびに橋の上から川を覗くと、サケの遡上する姿が見られた。もちろんほとんどの橋は津波にやられて補修中である。久慈の市街地に入る手前で完全に日没。夜道を走って道の駅久慈で本日Finish。温泉は山根温泉ぺっぴんの湯、車中泊は道の駅久慈。 東日本大震災市町村別被害状況 (社会データ図録東日本大震災被害状況資料より引用)青森県八戸市 死亡者1人 行方不明者1人    津波で広範囲で浸水、住宅約650棟が全半壊岩手県洋野町 死亡者0人 行方不明者0人   住宅20棟や多数の漁船、JR八戸線鉄橋が流失岩手県久慈市 死亡者2人 行方不明者2人 石油備蓄基地で屋外タンク4基破損、大規模火災も 10月10日 晴れ岩手県道の駅久慈r268~小袖~道の駅のだR45~普代r44~黒崎~平井賀~道の駅たのはたR45~小本~田老~宮古市リアスハーバー宮古走行距離126km 早朝道の駅久慈をスタート。さすがに朝晩は冷え込む時期なので、何を来て走るか悩む。だんだん日が昇って温かくなることを期待して、ちょっと風の冷たさを感じながら夜明けの小袖海岸を走る。道路のいたるところに津波の傷跡が残っていたり、道はほとんど補修中といったところ。今回はいつものロードバイクではなくて、34年前のブリジストンユーラシア。ツーリング用のタイヤなのでスピードは出ないけれど、悪路でも安心して走ることができるのがいい。小袖の集落で道を間違えて漁港の中に迷い込んでしまった。海から帰ってきた漁船が朝の水揚げをして活気が感じられた。来夏はきっと海女漁も元の通り復興して欲しいと願う。小袖からは山道の急な登りをひたすら漕いで国道45号線の道の駅のだを目指す。登校途中の小学生が元気に挨拶してくれる。 海岸部に出ると野田村に入る。津波で小石のように流されてあちこち砂に埋もれたテトラを、砂浜に大きな重機が入って掘り起こし回収していた。とても人間には出来ない作業である。この後いたるところでダンプやユンボなどの大型工事車両が瓦礫処理をしていたが、物資を運ぶトラックとともに大型車両は大変な活躍である。そんな大型車両が行き来する復旧して間もない道を、復興の邪魔にならないよう自転車で走らせてもらう。国道45号線に合流して少し久慈方面に戻って道の駅のだで朝食休憩。道の駅のだは、三陸鉄道北リアス線陸中野田駅の駅前にある。私が到着するさっきまで、駅には通学の高校生でごった返していたらしい。震災以前はこれほどの混雑ではなかっただろう。なぜなら震災によって陸中野田駅は、中間駅から始発駅になってしまったから、きっと広く周辺から久慈の高校へ通学するために集まってくるにちがいない。 野田から45号線を海岸沿いに走って普代村に入る。45号線はここから海岸段丘の内陸部になるので、沿岸部を走る県道44号線を走る。しかしすぐに通行止め。仕方なくとんでもなく急な登り坂の迂回路に回って黒崎で県道に戻って黒崎灯台へ。国民宿舎は営業しているようだけど、なんとも閑散とした雰囲気。昨日の北山崎もそうだったけど、観光客が激減して活気がないように感じられた。…