カヤック

知床岬コロポックルツアー1992

29の夏、まだ世界遺産に登録される前の知床半島をシーカヤックで旅した思い出です。旅の準備として、アマチュア無線の免許をとって無線機を購入したり、冷たい海で低体温症にならないようにロングジョンのウエットスーツも購入したり、さらにてヒグマ対策として熊忌避スプレーも購入しました。ハイエースのルーフにダブルのシーカヤックを積載して新潟からフェリーで小樽へ。そして小樽から丸一日がかりで羅臼へ。翌日1日目は波風強く羅臼停滞。2日目は羅臼からペキンの鼻でキャンプ泊。3日目はペキンの鼻から知床岬文吉湾でキャンプ泊。4日目は文吉湾からアウンモイ番屋で番屋泊。5日目はアウンモイ番屋から岩別川河口でキャンプ泊。6日目は羅臼のハイエースを回収して岩尾別川河口からウトロまで。ウトロのキャンプ場泊。 私たち夫婦のダブル艇はレットマンパシフィック。ファルトピアさんで2分割仕様になるよう特注。GWに完成したばかりで、海での使用は新潟名立で1回だけ。仲間の艇は二人ともフジタのシングル。まさに井の中の蛙大海を知らずの遠征でした。

知床シーカヤッキング1998

シリ・エトクへ(大地の果てるところ) I. 旅のはじまり 知床半島の西の玄関口であるウトロを朝早く出発した。プユニ岬からカムイワッカの滝まで、厳しい気象条件に晒された荒々しい断崖の海岸が続く。海の色は一言では表現できないブルー。小笠原でも佐渡でも豊後海峡でもない、知床のブルーとしか言いようがない。とても冷たくて泳ぐ気なんて起こらないが、北の海流にのってやって来るこの青い海こそ、知床のすべての生き物を育む母だ。 カモメなどの海鳥のけたましい鳴き声が、断崖に囲まれた入り江に響き渡る。そう、ここは海鳥の楽園。気をつけなければならない。頭上を飛び交うカモメからいつ爆弾(くそ)が落ちてくるかわからないのだ。私たちは、おそるおそる断崖に彫り込まれた洞窟にカヤックごと入り込む。入り口はカヤックがやっと通れるくらいだが、中は6メートルあまりのカヤックが方向転換できるくらい広い。ちょっとした探検気分を楽しんだ。 II. 野生 カムイワッカの滝を過ぎると、背後に濃密な森を従えた玉石の海岸線に変わる。なんと野生の臭いがすることか。二度ヒグマが現れた。最初の親子連れは、子供を先に逃がせて悠然と母熊も森に消えた。次の熊は、はじめは音もなく近づくカヤックに気づかないで海岸の草を食べていた。やがて気が付くと、しばらく私たちの様子をうかがうようにしながら、やっぱり悠然と森に消えた。濃密な森に覆われたこの大地は、知床のすべての生き物を守る父だ。 III.番屋 知床にはいくつもの番屋がある。夏から秋にかけてカラフトマスや鮭を捕ったり、ウニや昆布を採ったりするために、漁場の近くで漁師が生活するためにあるのだ。私たちは、6年前に世話になったアウンモイの番屋を訪ねた。船頭さんたちは、私たちのことを良く憶えていてくれて、また快く迎えてくれた。アウンモイの番屋は他の番屋とちょっと違う。断崖絶壁にえぐられた小さな入り江にへばりつくようにあるのだが、正面に切り立った小島があり荒海から入り江を守っている。それはまさに天然の要塞である。ひょっとしたら気付かないで通り過ぎてしまうカヤッカーも多いだろう。漁師は、7月になると漁場に網を張るために、ここへやって来る。8月のはじめの今頃は、カラフトマスが少しやってくる程度でまだのんびりしているが、鮭の捕れる頃になるともっとたくさんの漁師がここにやってきて、大忙しになる。11月頃になると海の荒れ方も今よりもっと凄いから、漁師の仕事は死と隣り合わせといっても言い過ぎではないと思う。そういえば前回の時はカラフトマスが初めて捕れたお祝いの日で、チャンチャン焼きをごちそうになった。今回も漁師達の家族が遊びに来ていて、夜の豪華な宴会に交ぜてもらった。チャンチャン焼きはもちろん、たこ、うに、ヒラメ,鹿・・・ Ⅳ 岬 二日目の昼、私たちは岬に上陸した。岬には私たち三人以外誰もいなかった。知床岬らしい強い風が、台地の草原をなびかせていた。シリ・エトクとはアイヌ語で、大地の果てるところと言う意味がある。とうとう、また、こんなところまでやって来てしまった。岬の沖には強い潮のぶつかり合いがあった。岬は、潮と風が渦を巻くように交わり、まるで心臓が全身に血液を送り出すかのように、海の力の源泉となる。多くの岬を訪れたが、知床岬が放つエネルギーは格別である。三人はそれぞれの想いを抱いて、しばらく静かに岬の時間を過ごした。 Ⅴ 文吉湾の愉快な仲間達 漁師はカモメのことをゴメと呼ぶ。断崖絶壁に無数の巣があるが、文吉湾では沖の防波堤に巣があった。陸から行けないので、狐にやられることはないけれど、気をつけないといたずら好きのカヤッカーにちょっかいかけられるよ。今夜は岬近くの文吉湾にキャンプだ。番屋のおじさんに断りを入れると、「ついこないだまで、よく熊が遊びに来てたべよ。」と、私たちをビビらせる。青ざめる私たち。「でも今は鹿がよく来てるから、熊はこの辺にはいねえべ。」と安心させてくれる。でも怖いなあ。食料は、テントから出しておこう。私たちがのんびりしてると、ピーター達もやってきた。ピーターと辻ちゃんは、昨日カムイワッカの滝の近くの入り江で友達になったカヤッカーだ。焚き火の煙が沖から見えたので行ってみたら、朝漁師がくれたんだと言って、ウニやらマスやらの炭火焼きをごちそうしてくれた。昨晩は一緒にアウンモイの番屋に泊まり、昼間は別行動。彼らは少し戻って、カシュニの滝でカヤックごと滝の水を頭からかぶってきたそうだ。ピーターはジャズドラマー。港からがらくたのバケツを拾ってきて、スイングする。今夜も夜空にタイコとウクレレとリコーダーの音が鳴り響いた。 忘れちゃならない愉快な仲間、番屋の犬、チャッピー! 寂しくなるから行かないでくれと、私たちを名残惜しく見送ってくれた。 Ⅵ オキッチウシ川 私たちは予定を変更して、ウトロに戻ることにした。またまた図々しくもアウンモイの番屋を訪ねよう。途中オキッチウシの沢が流れ込む入り江に上陸した。今までで一番天気も良く波も穏やかな一日となり、私たちは心ゆくまで知床の夏を楽しんだ。この素晴らしい大自然を、いつまでも守っていきたいな。 Ⅶ 漁師体験   漁師のやまちゃんは、朝起きたら船頭さんのご機嫌を伺うようにしてコーヒー代わりにまずビールだ。でも船に乗ったら、人が変わる。海の男は、かっこいい!一日おいて番屋を訪れたら、お客さんである漁師の家族達も帰ってしまい、何となく寂しい雰囲気だ。まだ網をあげる時期ではないので、朝と夕方に網を見回るくらいで昼間の小屋はのんびりとした時間が流れていた。そして、またまた歓待してくれる。最後の日の朝、船頭さんは私たちを船に乗っけてくれた。カラフトマスや鮭を捕る定置網の様子を見に行くのと、スロープの補修のための砂利を採りに行くためだ。海は少し時化ていて、私たちはしっかと船縁にしがみつく。ところが、海の男は、本当にかっこいい。私たちみたいなシーカヤッカーなんて到底足もとにも及ばない。どんなに船が揺れても、しぶきがかかっても、平然と煙草を吸っている。漁師さん達の生活は、私たちなんかにはたぶん想像もつかないような厳しい北の海の自然の脅威にさらされていることを、ほんの少し実体験させてもらった。 Ⅷ またいつの日か・・・ 最後の日、海は時化気味だったがこれ以上アウンモイの漁師さんに甘えるわけにもいかないので、ウトロに向けて旅立った。観光船は欠航のようだ。昨日とは違い、上陸できるところもなく、ひたすら漕いだ。夕方ウトロに着いたときは、くたくただった。でもすぐに心配してくれているアウンモイの漁師さん達に相棒が無事到着を連絡した。

偵察GWのレイクカヤック奥利根湖2024-5-5

海がない群馬のシーカヤーカーにとって奥利根湖はパラダイス。GW後半4連休の3日目も最高の青空。豊富な国境稜線の山々の残雪とブナをはじめとする木々の芽吹きが透き通るような5月の青空に映えて最高のロケーションを楽しんできました。 今の時期は雪解けで湖は満水状態です。ダム湖であることを忘れてしまうくらい水線が上がるので、剝き出しの地肌が現れているところがありません。ちょうど花々も色とりどりに咲き始めていて、岸沿いをゆっくりパドリングしながら観察できました。 遠くから一番最初に白い花が目立ったのはオオカメノキでしたが、他にもコブシも咲きていました。ピンクっぽい鮮やかな花はムラサキヤシオツツジ。あとアズマシャクナゲも咲いてました。一番感動したのは、岸沿いの水際の木陰をよく見ると、イワウチワのかわいい花が満開の見頃。誰にも知られずひっそりと咲いていました。山桜は少し盛りを過ぎていました。 フィッシングボートも盛んに往来していて、ちょうど大きな魚と格闘している釣り師の船の近くを通り過ぎました。その頃から、風が出始めました。嫌な予感がしましたが、奥利根源流バックウオーターまで半分のところまで来ているのと追い風だったので、そのまま漕ぎ進みました。 紅葉真っ盛りの頃に来ると素晴らしい割沢手前の右岸の滝です。ブナも根付かない雪崩に磨かれた大岩壁です。ツツジの低木が秋の頃赤く染まっていたのでしょうか。 小穂口沢出合を過ぎてバックウオーター近くまで来ると、流氷にも出逢えました。 地図で見たらこの場所はすごいところなんですが、源流バックウオーターは今までのワイルドな風景からすると拍子抜けするような平凡な河原の風景です。上陸しやすい中洲が出来ていたので、大きな流木の上に腰かけて日向ぼっこして休憩しました。 ちょうど10時だったので、約2時間で漕いできました。帰りは向かい風が予想されるので少し緊張します。案の定、気まぐれな向かい風とそれだけでなくもっと厄介な突風に苦労しました。つむじ風みたいな突風はラダーでは制御しきれないくらい船が回されるので、時々片方のパドリングだけで修正しながらです。速度が落ちると風に流される影響も大きくなるので、ほとんど手を休めることはできませんでした。 知床の海を漕いだ時のあの気まぐれな突風を想い出しました。ダムのすぐ近くまで来て安心したのかパドルの手を緩めてしまい、突然の大風が吹いてカヤックが一回転してしまったのには参りました。でも空はずっと一日透き通るような青でした。上陸したらちょうど1時半でした。帰りは3時間漕ぎっぱなしでした。今シーズン最初のカヤッキングはトレーニングになりました。

クワウンナイ川の想い出1999夏

九月のクワウンナイ川は、それは素晴らしいという。「紅葉に初雪のデコレーションを纏った景色に出会える沢登りができるのは他にないでしょう。」と、積丹の海でキャンプした夜、偶然出逢った札幌のシーカヤッカーが薦めてくれた。 1999年の夏の北海道は、記録的な猛暑だった。私は積丹半島をシーカヤックで旅していた。美国からスタートし、旅の初日は積丹岬の手前の無人の番屋がある玉石の海岸でキャンプを張っていた。夕暮れ間近、一人涼しくなった浜辺でのんびり読書してると、そこへ若いカップルがいつの間にかやってきて、私の隣にキャンプを張った。その日新しく進水式をしたばかりのダブルの新艇を試すために、札幌から手近な積丹へツーリングにやってきたそうである。お盆休みに知床へ出かけるのだそうだ。正直一人静かなキャンプの心地よさを奪われたようで興ざめたが、翌朝は打ち解けていろいろ話も弾んだ。もちろん、こちらからも知床の素晴らしさもいろいろ話してあげた。 さて、たまたま気になっていたクワウンナイ川はどうかとカップルに聞いてみた。なんとも奇遇な話だが、意気揚々とクワウンナイ川が知床と並んで大好きだという。私は大島亮吉を読んで、まだまだ原始の香りがプンプン残っているに違いないクワウンナイ川へぜひ行ってみたい思っていた。カップルの楽しい話を聞いて、これはもう絶対行かなければと思った。ガイドブックにはない面白い旅の情報を、なんと積丹の無人の海岸で得るということが、これまた旅の面白さか・・・ 積丹半島をカヤックでまわった後、旭川空港で家内と合流し、大雪山の麓にある天人峡温泉からクワウンナイ川に入渓した。わずか3日間だったが、大雪の自然の懐の深さを堪能できた。1日目に選んだキャンプ地は、札幌のカップルから教えてもらっていたとっておきの場所だ。原始のままの河畔林を背にして、まだまだ広々とした川を眺められる素敵なところだ。夏の日は長いので、のんびり今夜の夕食にするオショロコマの釣りと食事を楽しんだ。ヒグマの出没が多少不安ながらも、日が暮れたら疲れがどっと出て、ぐっすり眠り込んでしまった。 2日目の朝食にもオショロコマを食べた。そして、途中で何回か竿を出しながら夕食のオショロコマを確保した。2日目のキャンプ地は、源頭付近の予定だ。魚止めの滝を越えればもう魚はいなくなる。北海道の沢ならではのオショロコマの味を、できる限り楽しみたいではないか。 美しいナメが十三町も延々と続くという滝の瀬十三丁は、大自然の驚異である。しかし、途中で家内が小さな滑落事故を起こす。たまたま下流にいた私が止めることができて、大事にいたらなくて幸運だった。平水だったが、ナメは滑りやすいので、油断は禁物である。雨が降って増水したときは、流されたら止められないので結構シビアかもしれない。しかし、紅葉の頃の滝の瀬十三丁は、ほんとうに美しいだろうなと思う。いつかまたその頃をねらって訪れてみたいものだ。2日目の夜は、盛夏だというのにまだ雪渓が残っている源頭付近にキャンプを張る。ナキウサギの鳴き声が静寂に響き渡る。ここはほんとうに別天地だ。 積丹の海を漕いで渓を遡った大雪の山々を眺めながら格別な思いが湧き上がった。なんとなく後ろ髪を引かれながら、夏道を辿って出発地の天人峡温泉に下山した。

2011 バイク&カヤックNAGASAKI 3 隠岐の島~山口

7月13日 晴れ 海穏やか 隠岐ノ島・島前・知夫里島・来居港~反時計回り~島津島キャンプ場全漕行距離12.6km 海岸線に沿ってGo westだけしか考えないで毎日自転車を漕いできたけど、今回できれば離島も訪れてみたいと考えていた。実は能登の輪島を通過した時に舳倉島に寄ってみたかったけれど、その時は自転車に集中したくて心の余裕がなかった。隠岐ノ島はちょうど切りがいいのと、サポートしてくれている家内のためにも、隠岐ノ島へ渡ってみることにした。 あわただしくキャンプ道具やカヤックなどの旅支度をして、9時30分発のフェリーくにがに乗り込む。観光シーズンになれば混雑するフェリーも、さすがに魚釣りをしに来た人や仕事関係の人くらいでガラガラ。気持ちいい海風が吹くデッキにでて、遠ざかる大山や島根半島の山並みを眺め、自転車旅の昨日までと違ってすっかりのんびり気分。しかし島に着いてから大きな仕事が待っている。カヤックの組み立てだ。午前11時半、島前知夫里島来居港に到着。木陰を見つけて大仕事にかかった。汗まみれになってやっと出航準備が完了したのが午後2時半。組み立て準備に、3時間もかかってしまった。 荷物満載の2人艇カヤックは、陸の上では重くてどうにも大変だけど、いったん海に浮かんでしまえば水を得た魚、心は広い海と空を自由気ままに漂い始める。さっさと時計回りで今日のキャンプ地を目指せばいいものを、わざわざ遠くなる反時計回りで知夫里島の反対側にある島津島キャンプ場に向かう。フェリーで見かけた釣り人らしい影をあちこちの磯で見かける。海は完全に凪で、これなら安心してフェリーに乗らずに本土から島渡りできそう。でも風向きを考えると向かい風かもしれない。赤壁は夕陽に輝いているのを見たいところだけど、キャンプの設営や食料の買い出しなどやることがあるので、さっさと通過。 日が暮れかかる頃、島津島キャンプ場の深い入り江に漕ぎ入る。隠岐ノ島は隠岐牛ブランドで知られているように、島のあちこちで牛が放牧されている。ちょうど牛の世話をしている人がいたので声をかけると、どうやらキャンプ場の管理を任されていた人だったようで、シャワーやトイレが使えるようにしてくれたので良かった。キャンプ場はまだ夏のシーズンに向けての準備がまだのようで、冬の間に打ち寄せられた漂流物のゴミが散乱していたけれど、私達にとっては静かで落ち着けて十分快適だった。 テント設営後、薄毛という気になる名前の村の中心集落まで歩いて、ビールや食材を仕入れに出かけた。途中、俳優の吉田栄作が夏だけ営業する喫茶店が、見晴らしのいい崖の上にあった。NHKの朝の連続テレビドラマ「だんだん」でこの隠岐にロケに来て、この地がとても気に入って出店したんだそうである。 7月14日 晴れ 海穏やか 島津島キャンプ場~浅島~神島~薄毛~島津島キャンプ場全漕行距離 約6km 朝一で近くの岩場に釣りに出かける。疑似餌なのにすぐに飛びついてくる魚は、ガシラ。カサゴと同じ魚のことだとはつい最近知った。隠岐では「ぼっか」と呼ぶらしい。とりあえず朝食の一品としてマース煮にしてもらう。ギラギラ太陽が容赦なく照りつける時間まで、高台で眺めのいいテラスでコーヒー飲んだり、ダラダラ朝食を作って食べたりして過ごしてから、カヤックでふらふら出かけた。 浅島や神島の周りをのんびり漕ぎながら、大きな鯛でも釣れないかなとカヤックから竿を時々出すものの、まったくあたりなし。昔シイラやスズキを釣った時のことを思い出しながら・・・・ここ数年、カヤックフィシッングはボーズ続き。研究する必要あり。昼は、日陰のある岩場のビーチでのんびり。時々シュノーケリングするが、海水は結構冷たくて長時間は無理。でも色とりどりな凄い数の魚が泳いでいて、いつまでも潜っていたいくらい。やっぱり、夏は海だ! 午後、薄毛の集落の外れにカヤックを着けて、お店でビールや氷や食料の買い物をしてからキャンプ場に戻る。そして近くの岩場にガシラ釣りに出かけたら、簡単に三匹ゲット。またまた夕食に一品添える。満月らしく、月光が一晩中小さな入り江のキャンプ地を照らしてくれていて、かすかな潮騒の音とともに、なんとも幻想的な雰囲気。蚊もまだ少なくて、デッキでのんびり。 7月15日 晴れ 海穏やか 島津島キャンプ場~赤壁~薄毛~キャンプ場 全漕行距離12km 以前テレビで隠岐牛のことをやってて、松阪牛クラスの超有名ブランドのグレードめざして奮闘している様子をドキュメントしていた。こんな雄大な大自然の草原に放牧されている牛なんて、アルプスの少女ハイジに匹敵である。そんなのどかに牛が放牧されている草原が、ズドンと切れ落ちて断崖になっていて、そこが赤壁である。 今日も容赦なく夏の太陽がギラギラ照りつける1日となった。切り立った断崖の赤壁は、入り組んだ湾の奥にあって、私達は静かにカヤックを漕いで近づいた。その時、突然静寂を破ってトビウオの群れがスーッと海面を走ったかと思うと、巨大魚がトビウオの行く手をさえぎるかのように海面に垂直にジャンプした。たぶんシイラだろう。1m近いサイズだった。しかし、その後またさっきと変わらない静寂。メタルジグのルアーを持ってくれば良かったと、後悔。 切り立った断崖のおかげで、断崖直下の小さなビーチには日陰があって、今日もそこでお昼休憩。ビーチにはいろいろな漂着物が転がっていて、それらを観察するのがなかなか面白い。ハングル文字や中国語の漂着物が半分を占めていた。シュノーケリングすると、40cm級の石鯛と鯛(黒鯛か真鯛か判別できなかった。)が泳いでいたのにはびっくり。 7月16日 晴れ 海穏やか 隠岐知夫里島・島津島キャンプ場~中ノ島・菱浦全漕行距離17km 南の海をゆっくり北上している台風が、どうやら数日後に本州を直撃する危険が出てきたと、ラジオの天気予報で警戒を呼びかけているので、早々に撤収を決める。隠岐の島々をゆっくり時間をかけて漕ぎ回るのは、またいつの日かということで、居心地の良かったキャンプ地を後にする。隣の中ノ島にある菱浦港を午後3時半に出航するフェリーに間に合うように、今日は知夫里島から中ノ島へ島渡りだ。カキの養殖棚やマグロの稚魚の生け簀が所々点在している、波穏やかな知夫里島の湾奥から漕ぎ出でて、知夫里島の南端の島陰をぐるっと回り込んで内海に入り、中ノ島にある菱浦港を目指す。菱浦港の前には隠岐牛を食べさせてくれるお店があるので、お昼に間に合うように家内を元気づける。 やっぱり今日も容赦なくギラギラの夏の太陽が照りつけ、パドルを漕ぐ手になかなか力が入らないけど、知夫里島と中ノ島の内海の入り口になる狭い海峡は、いつまでもカヤックでのんびり浮かんでいるわけにはいかない。大型船や高速船の進路を阻む位置にいるのだから、速やかに横断しなければ・・・ 前席の家内はまったく本気で漕ぐ気がなくて、こちらはとにかくひたすらがんばって、午前中のうちに菱浦港に辿り着いた。今度はカヤックの分解、荷物の梱包など大仕事が待っている。隠岐牛のお店には牛丼2つの予約を入れて、また大汗をかきながら、時々フェリーターミナルの冷房で涼んで、なんとか予約した午後1時半ギリギリに終了。最後に楽しみにしていた、赤壁の断崖の上の大草原で放牧されていたであろう隠岐牛の牛丼を頂いて、隠岐ノ島から離れた。隠岐ノ島では毎日キャンプ場の水シャワーで十分爽やかに過ごしたけど、本土に戻って久しぶりのお風呂。七類港のフェリーターミナルにあるメテオプラザのお風呂は、なんと200円で石けん・シャンプー付きとは、旅人にとっても有り難い。 7月17日 晴れ 鳥取県境港市R431~R2美保関灯台~R431松江市~出雲大社R29日御碕~R9道の駅キララ多伎全走行距離111km せめて本州の端っこの下関までは漕ぎたいと、今日からまた自転車旅を再開。境港から境水道大橋を渡ればわずかな距離で鳥取県から島根県に突入。まずは島根半島の東端、美保関灯台へ。3連休の中日とあって、途中たくさんの釣り師が竿を並べていた。スズキやキスや鯛、ぶり、アジなど、このあたりの海はとにかく魚種も多いし魅力的なところだ。灯台の駐車場で姫路から一晩中走ってきたというサイクリストに声をかけられる。これから兵庫県の湯村温泉へ向かって走り去っていったが、かなり年配にもかかわらず元気いっぱいで、こちらも元気づけられたような気持ちになる。さて、朝食をとって島根半島を西へ縦断する。旅の公約通り、はじめは島根半島の海岸線を走っていこうかと考えていたけど、どうやら海岸沿いの道は継ぎ接ぎのように複雑に入り組んでいて困難そうだったので、中海と宍道湖に沿ってまっすぐわかりやすく出雲大社まで伸びている国道431号線を走ることにした。島根半島の海岸線はいつかシーカヤック旅の楽しみにとって置けばいいだろう。ところで、この島根半島にも原発がある。震災以降島根原発を取り巻く環境もおそらく今までとは大きく違ってきていることだろう。国道沿いにアトムと名の付いたお店を見かけて、今まで通り過ぎてきたいくつかの原発や火力発電所のことを思い出す。 中海北岸に沿って快調に飛ばしていくとやがて中海が切れ松江の市街地にはいる。松江城ではイベントがあるようで交通規制されていたけど、自転車なら一方通行など気にしないので気が楽である。松江市からは宍道湖の北岸に沿って走る。シジミで有名でなだけあって、白の下着パンツいっちょで虫取り網とバケツをもってシジミ採りしているおじさんがいた。平坦な道なのでグングン距離を稼いで、お昼には早いので出雲大社を通過して日御碕まで走る。島根半島の西の端、日御碕灯台に立つ。この眼下の海底には、神話が創られた時代の、謎に満ちた古代の海底遺跡が眠っているのだそうだ。島根県、知れば知るほど恐るべきところである。…

若狭三題・2006年の夏の3つの半島を巡る小さな海旅

Ⅰ 敦賀半島 敦賀~立石岬~三方五湖(水月湖)漕行距離約40km 海面がブリのボイルで沸き立った。大音響。小魚が逃げまどい、狂ったように大きな魚が追いかける。上空からは海鳥が小魚のお裾分けを狙って集まってくる。波飛沫がいっせいにあがり、大混乱だ。かつて八重山の海で浴びた猛烈なスコールを思い出した。エンジンのないシーカヤックは、彼らからは見えていない。突然起こったこの大自然のドラマに、退屈なパドリングが吹き飛んだ。若狭の海、立石岬付近での出来事。人を寄せ付けない断崖絶壁のリアス式の大自然の海。海は豊饒であり、大きな魚たちの群れが定置網にたくさん入るようだ。 Ⅱ 常神半島 三方五湖(水月湖)~常神岬~西小川 漕行距離約32km 潜り漁をしている小舟のエンジンが故障したらしい。遠くからどうも普通とちがう様子だったけど、仲間の船に連絡がついたらしく、大きな船が湾奥から全速力でやってきた。引っ張ってもらって帰って行った。もし連絡がつかなければ、シーカヤックが救助してあげられたかも・・・いつも漁師さんにはお世話になりっぱなしなので、たまには恩返しもいいなぁ。 Ⅲ 内外海半島 断崖絶壁にいくつも白糸の滝が落ちている。上陸してそのうちの一つの滝を浴びてみた。生ぬるい海水とちがって、山の水は冷たくて気持ちいい。反時計回りで内外海半島を回ってみたが、名勝蘇洞門までやってくると、観光船が毎日頻繁にやってきてたくさんの人が上陸するからだろう、人間の匂いがした。内外海半島は、東半分が静かでシーカヤックにはいい。

3.11震災の記憶 2011 バイク&カヤック 三陸

10月6日 曇り沼田R120~日光R121~会津若松~米沢R13~山形~天童~尾花沢道の駅尾花沢で車中泊。温泉は尾花沢市内の徳良湖温泉花笠の湯。 10月7日 曇り尾花沢R13~新庄~雄勝~湯沢~横手R107~北上R28~花巻R283~遠野 花巻では宮沢賢治記念館を見学する。宮沢賢治が明治29年の明治三陸大津波の年に生まれ、昭和8年の昭和三陸大津波の年に亡くなったことの奇遇、生前評価されなかった宮沢賢治だけど、外国からの評価はかなり早い時期からあったこと、辻まことの父親辻潤が宮沢賢治の詩を絶賛した文献が見られたこと・・・などなど、様々な発見がありかなり楽しめた。ただ以前読んで面白かった奥成達著「宮沢賢治、ジャズに出会う」に関連する文献に出会えなかったのが残念。それから遠野は、高校生の頃、みちのく一人旅で訪れたことがあったけど、その時の印象とはだいぶんかけ離れた地方都市の賑やかさにびっくりした。温泉は、踊鹿温泉、名前がなんか遠野らしくていい。車中泊は道の駅遠野。 10月8日 晴れ遠野R283~釜石R45~宮古市 直接宮古市に行くのではなく、釜石から海岸沿いの国道45号線を北上して宮古市の会場であるリアスハーバー宮古へ。釜石からここまで沿岸部の津波の被害の大きさを目の当たりにする。そして会場であるヨットハーバーもまだまだ津波の傷跡だらけである。港には沈んでいるヨットもあるし、建物はすべて壁も屋根もズタズタに壊れたまま。開会式は12時半からなので、自転車で宮古市内をチョッと散歩。魚菜市場を覗く。おいしそうなお魚が安い!今日の夕食が楽しみである。参加者のなかには浄土ヶ浜までカヤックでツーリングしている人もいたが、いちおう明日イベントで被災箇所を中心とした湾内ツーリングがあるので、海に浮かぶ楽しみはとっておく。 ところで、リアスハーバー宮古は、市内の2つの高校のヨット部の本拠地である。彼らの艇庫があり、その練習場所でもある。この日も天気に恵まれたので白い大きな帆が湾内を走り回っていた。震災の日も高校生達は練習していたらしいが、避難して全員無事だったそうである。しかしながら、立派な艇庫だったらしき建物は無惨な姿のまま。今だに更衣室もトイレも使えない環境のなかでがんばっているようだ。今回のイベントでもトイレはもちろん仮設トイレだった。開会式後、軍手とゴミ袋をもらい、清掃活動。150人以上も仕事をすると、さすがにあっという間にゴミの山が出来てしまう。優に10メートル以上はある木の枝に引っ掛かったゴミも回収していた。ここでの清掃活動はすでにもうほとんど片付けられたあとのゴミ拾いだから簡単だったけど、この後三陸各地を自転車で見て回って、津波直後の瓦礫の山など想像を絶する有様だったと思う。 清掃活動の後、会場を車で30分ほど離れたキャンプ場と温泉施設のある湯ったり館に移して津波の勉強会。途中魚菜市場で夕食の買い出しをしていく。勉強会では、モンベルの辰野勇氏、日本野鳥の会宮古支部長の佐々木宏氏、東大名誉教授の月尾嘉男氏のお三方の講演。辰野氏は、企業としての震災復興への関わり方についての話とさすがちゃっかりと浮くっしょんという新開発商品のPR。佐々木氏は、震災後すぐに三陸被害をくまなく自分の足で見て回り5月には「東日本大震災」を自費出版したそうで、地元の方だから語れる生々しい津波被害の実態の話。月尾氏は、東大名誉教授らしくとても学問的。今回の被害の実態から震災復興に向けてあらゆる角度から提言。神社やお寺が高台に立てられていて今回の津波でもほとんど被害を受けていないのは、昔からこの三陸の津波の恐ろしさは何度も繰り返されているからだというお話や、また人間が築いたどんなに堅牢な建造物も、津波には簡単に破壊されてしまうけれども、何万年も前からあるだろう自然の姿は津波をかぶってもびくともしないというお話など。いろいろ考えさせられました。 温泉は湯ったり館。車中泊はチョッと離れた道の駅やまびこ館。 10月9日 晴れ 午前 宮古湾内ツーリング 午後 浄土ヶ浜往復 漕行距離 20.2km 今日も朝から大快晴、海は凪。いよいよである。午前9時、開会式後、三陸の海にとうとうカヤックで漕ぎ出した。先導するモーターボートに138艇のカヤックが後を追う。まずは震災で犠牲になられた方々に、宮古港の前に全員が集まって黙祷。そのあと宮古湾を時計回りでのんびり漕ぐ。 海上自衛隊の巡視船が私達のために歓迎放水を見せてくれる。 カヤックを漕ぎながら、海に向かって逆三角形に大きく広がっていく奥深い湾であるリアス海岸独特の地形を実感する。天然の良港として栄えるのはまったく理にかなっているが、津波が押し寄せた時はそれがまったく裏目に出てしまう。昨夜の津波の勉強会でも考えさせられたけれど、これからはもっともっと自然と上手に共生していく方法を考えて、またいつやって来るかわからない大津波に備えられる復興を実現して欲しいなと思う。シーカヤッカーも、今まであまり津波のことは現実の問題として意識せず海を漕いだり、海岸近くでキャンプをしたりしていたかもしれない。しかしこれからは、津波に対する危機管理を当然意識せずにはいられなくなったと思う。 ツーリング終了後、配られた復興弁当と秋刀魚のすり身がたっぷり入ったサンマ汁のお昼を食べて閉会式、解散。私達はこの際せっかくだから午後もカヤックツーリングにでることに。お昼になって風が強く吹き始め、海上には白波が立ち始めてたけれど、たぶん夕方にはまた凪の海になるだろうと予想して浄土ヶ浜へ向かう。 閑散とした浄土ヶ浜には一人のダイバーの方がいて、浄土ヶ浜の海底に沈んでいる瓦礫の清掃活動をされていた。地元の方で、一見美しい景色だけれど、海底にはまだまだたくさんの瓦礫が沈んでいるんですと話していた。たくさんの大きな重機やダンプで瓦礫処理をしている光景とはまったく対称的に、たった一人でひっそりと肌寒い海に潜っている姿にちょっと胸が熱くなった。 温泉は、岩泉のホテル龍仙洞愛山。車中泊は道の駅いわいずみ。明日からは自転車で三陸海岸を走って、復興している三陸の姿をこの目で見たい。 10月9日 晴れJR八戸駅R45~JR種市駅~岩手県道の駅久慈 走行距離66km 道の駅いわいずみから北山崎に寄り道して青森県洋野町のJR種市駅へ車移動。自転車初日は、JR種市駅からJR八戸駅まで輪行移動して、いよいよ八戸から三陸海岸を石巻まで自転車旅。八戸から種市までは家内も自転車を漕ぐ。種市からは家内に車でサポートしてもらって本日久慈まで。 北山崎は閑散とした雰囲気。津波の被害はまったく受けていなくても、三陸に観光客が激減したのでそのあおりを受けてしまっているのだ。今、三陸の観光産業は、以前の元通りの姿に復興する時をじっと耐え忍んでいるのだ。 家内も自転車にたまには乗りたいだろうから、JR種市駅に車をデポして、自転車を輪行にしてJR八戸線で八戸へ。ほんとうは久慈から輪行したかったけど、震災により種市~久慈間は不通のままだから仕方ない。JR八戸駅には、駅構内に図書館があるのがいい。震災関係の本を見たりした後、自転車で走り始めたら家内のMTBにアクシデント。自転車の組み立てでうっかりチョッとした間違いがあったようで、無理にペダルを漕いだためチェーンがねじれて壊れてしまった。駅近くの自転車屋を探して修理してもらうのに時間をロスしてしまった。そのため楽しみにしていた八食センターでのお昼も遅くなって午後2時半過ぎになってしまった。忙しくお昼を済ませて八戸の市街地を国道45号線で種市へ。沿岸部を走る県道1号線でウミネコ繁殖地で有名な蕪島や種差海岸を見たかったので、今回は残念。 ひたすら45号線を種市目指して漕ぐ。八戸市は内陸部なので津波被害の様子はわからなかったが、列車の車窓から見た住宅地の様子では、一般家庭の家の庭に仮設トイレが置いてあるのが目立ったのは、電気、ガス、上下水道などライフラインに大きな影響があったのかもしれない。道の駅はしかみを過ぎると、岩手県洋野町に突入。そして洋野町にあるJR種市駅で、家内は車のサポートにまわる。今度は独りで国道45号線を飛ばしてさらに南下。途中小さな川を通り過ぎるたびに橋の上から川を覗くと、サケの遡上する姿が見られた。もちろんほとんどの橋は津波にやられて補修中である。久慈の市街地に入る手前で完全に日没。夜道を走って道の駅久慈で本日Finish。温泉は山根温泉ぺっぴんの湯、車中泊は道の駅久慈。 東日本大震災市町村別被害状況 (社会データ図録東日本大震災被害状況資料より引用)青森県八戸市 死亡者1人 行方不明者1人    津波で広範囲で浸水、住宅約650棟が全半壊岩手県洋野町 死亡者0人 行方不明者0人   住宅20棟や多数の漁船、JR八戸線鉄橋が流失岩手県久慈市 死亡者2人 行方不明者2人 石油備蓄基地で屋外タンク4基破損、大規模火災も 10月10日 晴れ岩手県道の駅久慈r268~小袖~道の駅のだR45~普代r44~黒崎~平井賀~道の駅たのはたR45~小本~田老~宮古市リアスハーバー宮古走行距離126km 早朝道の駅久慈をスタート。さすがに朝晩は冷え込む時期なので、何を来て走るか悩む。だんだん日が昇って温かくなることを期待して、ちょっと風の冷たさを感じながら夜明けの小袖海岸を走る。道路のいたるところに津波の傷跡が残っていたり、道はほとんど補修中といったところ。今回はいつものロードバイクではなくて、34年前のブリジストンユーラシア。ツーリング用のタイヤなのでスピードは出ないけれど、悪路でも安心して走ることができるのがいい。小袖の集落で道を間違えて漁港の中に迷い込んでしまった。海から帰ってきた漁船が朝の水揚げをして活気が感じられた。来夏はきっと海女漁も元の通り復興して欲しいと願う。小袖からは山道の急な登りをひたすら漕いで国道45号線の道の駅のだを目指す。登校途中の小学生が元気に挨拶してくれる。 海岸部に出ると野田村に入る。津波で小石のように流されてあちこち砂に埋もれたテトラを、砂浜に大きな重機が入って掘り起こし回収していた。とても人間には出来ない作業である。この後いたるところでダンプやユンボなどの大型工事車両が瓦礫処理をしていたが、物資を運ぶトラックとともに大型車両は大変な活躍である。そんな大型車両が行き来する復旧して間もない道を、復興の邪魔にならないよう自転車で走らせてもらう。国道45号線に合流して少し久慈方面に戻って道の駅のだで朝食休憩。道の駅のだは、三陸鉄道北リアス線陸中野田駅の駅前にある。私が到着するさっきまで、駅には通学の高校生でごった返していたらしい。震災以前はこれほどの混雑ではなかっただろう。なぜなら震災によって陸中野田駅は、中間駅から始発駅になってしまったから、きっと広く周辺から久慈の高校へ通学するために集まってくるにちがいない。 野田から45号線を海岸沿いに走って普代村に入る。45号線はここから海岸段丘の内陸部になるので、沿岸部を走る県道44号線を走る。しかしすぐに通行止め。仕方なくとんでもなく急な登り坂の迂回路に回って黒崎で県道に戻って黒崎灯台へ。国民宿舎は営業しているようだけど、なんとも閑散とした雰囲気。昨日の北山崎もそうだったけど、観光客が激減して活気がないように感じられた。…

能登を想う5 外浦海岸2001

海から断崖となってそそり立つ山の端から突然、朝日をスポットライトのように浴びてまわりはシルエットの闇に包まれる。 一生懸命漕いでも、進んでいるのかわからないくらいのスピードしかでないのは、向かい風だけでなく潮の流れのせいだとばかり思っていたが、潮は動いてないよと小さな漁村の漁師が教えてくれた。潮があるところでは、危なくて海女は潜れないとも教えてくれた。カヤックが進まなかったのは、風のせいだったんだ。もうこれ以上漕げば腕がへし折れそうだったので、小さな漁港に逃げ込もうとしたら、なにやらボールのような頭が白波のたつ岩礁帯で浮かんだり消えたり。ひとつの浮き輪に二人の海女さんが変わりばんこにつかまりながら、ウニやアワビを採っていた。時化気味の能登の海では、海女さんが、9月いっぱいの漁期をすぐ目前にひかえて盛んに潜っていた。これらの海女さんたちは地元の人たちではなくて、輪島から遠征してその周辺の海の漁業権を買い取って潜っているのだそうだ。みんな元気で、中には70にもなる海女さんもいるらしい。挨拶をして言葉を交わした海女さんの声も、かなり年輩の方だった。  能登の外浦海岸には、素朴な小さな漁村が点在していた。上陸したいくつかの漁村は、人なつこい老若男女の人々との出会いがあった。私たちのカヤックを見つけると、お年寄りが変わりばんこに、以前日本一周の若者もこの港に二泊したと教えてくれた。また港の片隅に快く車を駐車させてくれた。これから漁に出ようとする腰の曲がったおじいさんは、自分の小舟を下ろした後、今度は私たちのカヤックのために船を海に下ろすための滑り板を「使え!」と持ってきてくれた。見たこともないカヤックに興味津々の子供たちは、浜に上がるとさっそく近づいてきて、ラダーを触って「これなに?」と質問してくる。そしていろいろな質問をして、いつまでも離れようとしない。心優しい漁師のおかみさんが、出発地点に置いてある私たちの車を回収するために、わざわざ車を出して乗せてくれた。途中、シートベルト義務違反で切符を切られてしまい、大変申し訳ないことをしてしまった・・・  1日目、富来町の増穂ヶ浦から輪島へ向けて出航したが、すぐに海士岬を越えることを断念した。今にも白波となって崩れそうな高いうねりと強い風にためらったのだ。こんな気持ちで進むのは危険だと冷静に判断した。追い風にまくし立てられたり、向かい風に悩まされたりと、海のコンディションはかなり厳しいものだった。しかし、久しぶりに海にでて、とても爽快な気分を味わった。 2日目は、門前町の黒島から出航した。猿山岬をかわしたあたりから波風ともに強くなり、必死で漕いでも時速4~5キロほどしかでなかった。刑部岬を這々の体でかわしたところの小さな漁港に逃げ込んだ。結局この日は、頑張ってさらに足を伸ばしたが、次の大沢町の漁港までだった。 3日目は昨日の続きから輪島をめざした。ほぼ同じ距離で2日目は5~6時間かかったのに、たった1時間半しかからなかった。海のコンディションでこんなにも違うとは。今回出来れば能登半島の外側をずっとたどりたかったが、3分の1にも満たない距離しか漕げなかった。能登には、うまいものもいっぱいあった。そして、能登の小さな漁村のたたずまいや輪島の古い町並み、能登の素朴な人情も、心を満たしてくれるような深い味わいを醸し出していた。(2001年9月22日~24日)

能登を想う4 能登島1周2007

2007年9月15~16日 能登島でカヤックを漕ぐのは4度目。初めて来たのは、1996年の11月。和倉温泉から1泊2日のキャンプで時計回りに1周した。その後、富山新港から能登島の野崎まで漕いだり、反時計回りで半周したりした。そして、今回久しぶりにまた能登島にやってきた。 この3連休は、実は秋田方面へ行く予定だった。しかし、どうも天候が良さそうでないので、急遽この能登島に予定変更することにした。能登島なら外海で海が荒れ始めてもその影響は小さいし、なにしろ能登島の海ではイルカに会えるらしい。今まで3度も訪れて全くそんなこと知らなくて、チャンスがあれば是非来たいと思っていた。 自宅を早朝4時に出て、9時過ぎに能登島大橋を渡る。車中今夜の宿をガイドブックで探し、携帯電話で予約成功。能登島は魚料理と自家米の御飯が最高だと、金沢駅前の床屋の兄さんが太鼓判を押していたので楽しみである。旅館がある能登島のえの目というところの漁港からカヤックを出すことにした。 10時半過ぎ、時計回りルートで漕ぎ出す。港を出てすぐの勝尾崎は、潮通しが良くて水が澄んでいる。あんまり暑いのでよっぽど海に飛び込もうかと思ったが、明日の天候悪化を考えると今日はなるべく漕ぎたかったので、先を急ぐことにした。ラッキーなことに小口瀬戸に入っても潮と風は味方してくれて、時速7kmくらいでガンガン漕げた。漕がなくても時速2~3km出ている箇所もあった。正午の合図が防災無線から鳴り、そのあとひょっこりひょうたん島のテーマが流れ始めた。なんだかウキウキしてくる。反時計回りで半周した前回は、雷鳴が轟き大変怖い思いをしたけれど、その時とは大違いである。 能登島大橋をくぐった頃から潮が止まり、風が前方向から吹いてくる感じになる。パドリングがだるくなるのを必死でこらえながら、次に見えるツインブリッジを目指す。GPSで距離を測ると6kmくらいあり、近くに見えるのに案外遠いなあと溜息が出る。どうやら出発時刻が遅すぎかもしれない。途中でゆっくり上陸休憩する時間的余裕は全然無かった。明るいうちに宿に着けるか心配にもなってきた。もうひたすら漕ぎ続けるしかない。ありがたいことに七尾北湾に入ると風が味方してくれるようになった。潮はどうも止まっているかゆっくり逆に動いている感じだが、背中から風が押してくれるのは助かる。 時間節約のため、最短距離で能登島水族館の沖合を漕いで多浦鼻を目指す。イルカに出会えるならこの辺りかななんて期待しながら、ひたすら漕ぐ。多浦鼻に近付く頃にはもう5時を回っていて、カヤックから携帯で今宵の宿に6時頃に着くと連絡を入れておく。全行程約37km、所要7時間。別に急ぎたくはなかったけれど、結果的には無上陸で一周してしまうこととなった。 翌朝、宿の女将からイルカ情報をキャッチ。どうやらある小さな入り江にイルカの家族は住み着いているらしい。道路から観察できるそうだ。でもカヤックからだと間近で見ることが出来る。今年ベビーが1頭増えて、5頭の家族だそうだ。ずっと一緒に泳ぎ回っていて、まったく仲が良い。汐吹きの風下にいると、イルカが呼吸している息はかなり生臭いのだ。

能登を想う3 能登島シーカヤック2004

2004年11月20日  能登島は、すでにカヤックで一周したことがある。記録を調べてみると1996年の11月3~4日だから、もう8年以上前になる。そのときは、和倉温泉の有名旅館加賀屋の前の桟橋から出艇し、七尾北湾を横断して穴水漁港でテント泊しながら時計回りで能登島をまわった。雷雨どころか北風の影響もほとんど受けず、二日間とも快適なツーリングだったことを覚えている。そういえばその時は、三ヶ口瀬戸にはまだ「ツインブリッジのと」はなかった。当然、ひょこっり温泉「島の湯」もなかったから、帰りは和倉温泉の共同浴場で汗を流した。  10時半、向田という漁港から七尾北湾に漕ぎだす。筏釣りの人たちがのんびり糸を垂れている。正面に能登半島のなだらかな山並みが広がる。大きな湾奥に見える町並みが、きっと以前訪れた穴水だろう。この付近には小さな無人島がいくつも浮かんでいて、そのうちの一つの島に近付いてみる。鳥のさえずりが盛んに聞こえてくる。こういった場所は外敵がないので、おそらく海鳥や野鳥のコロニーだろう。海は澄んで綺麗なので、箱メガネで海中の生き物を観察してみる。風は西から東へ吹いていたので、時計回りの方が楽だと思ったけれど、今度は反時計回りで回ってみようと考え西に進路をとる。  家族旅行村WEランドというキャンプ場のある牧鼻を過ぎると、案の定向かい風が強くなってきた。GPSの速度は時速5~6kmしかでない。やや岸寄りにコース取りをする。夏の入道雲を思わせる雲が西の空を覆っていたが、これが雷雨の前兆だとは予想していなかった。とりあえずは遙かに見える吉ヶ浦鼻をかわして、「ツインブリッジのと」をひたすらめざしていた。能登島はリアス式の入り組んだ海岸線なため、波風がたてばいつでも湾奥に逃げ込める利点があるので安心だ。島の大きさも手頃だし、道路や集落も海岸線に沿ってある。初冬の日本海でカヤックツーリングするには最適なフィールドだ。吉ヶ浦鼻付近で行動食をとる。そして、いよいよ三ヶ口瀬戸に入る。潮はほとんど動いていないようで、向かい風の影響だけだった。橋桁の下でのんびり竿を出している釣り船があった。  七尾西湾に入るとやや横風に変わってきたが、スピードは出なかった。途中の海岸線で、波に削られてできた芸術的な崖があった。滑らかに削られた黄色い砂の地層から、いろいろな形の白い大きな岩がオブジェのように立体的に現れていたりするのだ。約一時間ほどで能登島大橋に漕ぎ着く。時刻は2時を過ぎていた。橋をくぐろうとした頃、雨がぽつぽつときた。ちょうどいいやと雨宿りする。結構な雨足になり、橋の下は絶好の避難場所だ。10分ほどして雨足が鈍ってきたので、もうじきやむだろうと判断して漕ぎ出す。ところが、今度はさらに雨足が強まり土砂降りだ。よく見たら雹も混じっていて、デッキの上をピンポンのようにはね回っているではないか。突然稲光があったかと思うと、大きな爆音!こりゃやばい、逃げなきゃ。  さっきまで漕いでいた七尾西湾の方に稲妻が落ちる。なんで突然こんな状況になるの?土砂降りの中、上陸地点を探す。無人の古い別荘のような建物の近くに雨をしのげるようなあずまやがあったので、急いで上陸する。服が濡れて急に寒くなる。防寒具や替えの服など持ってこなかったので、着替えることもできず震える。雷の音がやや遠くなってきたので、とにかくゴール地点のひょこっり温泉島の湯へ急ぐことにする。そこまで辿り着けば、いざとなればなりふり構わずすぐに温泉に飛び込めばいいのだ。  午後3時半、ひょっこり温泉島の湯の前のビーチに上陸する。いつしか雨は小降りになり雷は遠くへ過ぎ去っていた。最後に手痛い仕打ちを受けた。熱い風呂に入る前に、向田へタクシーで戻って車の回収をする。運ちゃんによると、石川県は雷が日本一だそうだ。えっ、日本一は雷と空っ風の群馬県じゃなかったの。冬の日本海は、雷にご用心である。でも、初冬の能登島はシーカヤックツーリングのフィールドとしてとても魅力的だと感じた。初冬の日本海を漕ぐシーカヤッカーにとって雷雨に逢うことは一度は受けなければならない洗礼の儀式なのかもしれない。