カヤック

能登を想う2 能登島シーカヤック一周1996

11月3日晴れ 11月の日本海だからよほど天気に恵まれないと快適なツアーはできないと覚悟していた。能登半島の内側の最奥になる七尾湾は、西高東低の季節風の影響を一番受けにくそうだと考えたので、能登島一周を計画した。いつもの相棒と二人で、和倉温泉の有名な老舗温泉旅館加賀屋さんの前から出艇する。七尾西湾を三ヶ口瀬戸に向けて漕ぎ進む。三ヶ口瀬戸は引き潮でカヤックを漕がなくてもゆっくり流された。五目釣りのボートがたくさん浮かんでいて、真似をしてカヤックから竿を出してみるが釣れなかった。相棒はカヤックの上から岸のテトラポットについている小さな牡蛎をいくつか採ってきた。まったく器用なもんだ。  三ヶ口瀬戸から先は七尾北湾を北上する。穴水には温泉マークが地図に載っていたので、今夜のキャンプ地に決めた。穴水港は天然の良港という感じだ。今も漁師にとって重要な役割を担っているのか知らないが、ボラの群れが湾内に入ってくるのを見張るボラ見櫓と呼ばれる珍しいものがあった。 11月4日晴れ 相棒は体の不調を訴えて今日の旅の続きをリタイヤ。カヤックをたたんで和倉温泉で落ち合うことになった。単独で午前7時出発。今日も天気良し、波穏やか、順風の3拍子揃ったご機嫌さんツアーだ。能登島の多浦鼻を目指して七尾北湾を一直線に漕ぎ進む。多浦鼻を午前10時に交わして、泊の小さな漁港に上陸する。何か食料を補給したかったが商店が見つからずあきらめて先を急ぐ。ここらあたりは広大な富山湾に面していて天候の影響を受けやすそうなところだが、今日はシーカヤック日和だ。野崎を過ぎて小口瀬戸に入ると向かい風になった。これは覚悟していたことだが、相棒とは和倉温泉で午後2時に待ち合わせようと約束していたのでのんびりはしていられない。ほとんどパドリングの手を休めず七尾南湾を突っ切り能登大橋をくぐって、約束の時間までに能登島一周を完了した。

能登を想う

能登半島・珠洲~輪島 2002,7/20~21 「あんとき、トビウオが1200も網に入ったけど、漁協に電話したら1匹いくらだと思う?」って、聞かれる。まさか海の仕事で命張ってるわけだから、1匹50円なんて答えるのは馬鹿にしてるみたいで失礼かなと思い、返答に窮する。がっしりした体つきからたぶん若い頃は海女だったにちがいない宿の手伝いのおばあさんは、「たった3円だよ!船の油代にもならんよ。」と声を荒げた。たしかに1匹3円じゃあ危険と裏腹の漁師さんの仕事は大変だなあと思う。でもいいときもまれにある。おばあさんは、こんなブリがなあと手をいっぱいに広げて、「ブリが何トンも網に入ったときはすごかったよ。」とうれしそうに話してくれる。「あん時は朝から夜の10時まで水揚げするのに大変だった。いくら稼いだと思う。1000万だよ。1日でなあ。」おばあさんとの海の話はつきなかった。 宿の夕食に出てきた刺身の中にハチメという魚があった。白身の魚で程良く脂がのっていてうまい。どこかで食ったことのある食感。今までもハチメという名前だけは知っていた。どんな魚かって聞いても、よくわからなかった。しかし今回やっと合点のいく答えに巡り会った。ハチメというのはメバルのことだった。 今回能登半島の先っちょよりちょっと富山湾側の小泊という漁港から、輪島まで漕破した。小泊から出発してすぐに、京都から来たカヤッカー2人組に陸から声をかけられる。輪島から漕破してきたらしい。なかなか元気な人たちで、以前能登から佐渡まで横断したりいろいろ冒険してるらしい。またどこかで再会できるといいなあ。昼になると風が強くなり、やや時化気味。にもかかわらず、能登の海女さんたちは漁に出ていた。港の網繕いの老漁師に、「結構風が強いぞ、無理せん方がええ。」と言われたけど、これで海に出なければシーカヤッカーの名がすたる。風に逆らい波しぶきを浴びながら、快調にパドリング。夏は海と一体になれることを実感。出航して良かった。海女さん達に「頑張って!」て励まされる。沖ですれ違った漁師が冷たい缶ジュースを差し入れてくれる。能登の海は、人情も細やかで最高! 能登・輪島~富来 2002,7/29~30 輪島と富来までの海岸線、特に猿山崎周辺はすばらしい。群馬のシーカヤッカーにとっての身近なゲレンデとしては、佐渡の外海府や粟島に匹敵すると思う。それでもアプローチに片道6時間かかってしまうが・・・。輪島から門前町の黒島までは、逆コースで昨年の秋に漕破済みだ。大沢の港の親切にしてくれたおばちゃん、元気かな。  うだるような暑さの輪島の港で、汗をだらだら流しながらへとへとになって出航準備。午後3時をそろそろまわるのに強烈な日差しはちっとも弱まらないけど、いったん海に出てしまえばこっちのもんさ。海風が涼しくて気持ちいい。今日の目的地までは大した距離でもないので、のんびり釣りをしながら進むことにしよう。これもシーカヤッキングの醍醐味だ。 すると運よくジグにつけたワームに大きな魚が喰らいつき、なかなかいいひきで久しぶりに楽しんだ。どうやらスズキかな。もちろんキャッチアンドストマックだ。上陸したキャンプ地の上大沢の港で、漁師さんから「セイゴか。ひっついてきたんか?」と声をかけられる。こちら45㎝のスズキだと今日の獲物に内心得意満面だったのに、漁師さんからのセイゴという言葉にちょっとショック!スズキはブリと同じで出世魚だから、45㎝くらいではまだセイゴなのか。知らなかった。漁師さんにセイゴと言われちょっと意気消沈したけど、それでも、シーヤッカー1人分の夕食にとっては食べきれない大きさ。  ところで、大沢の港はシーカヤッカーのためにあるようなキャンプ地だ。スロープのすぐ脇が小さなキャンプ場で、ちゃんと水洗トイレはもちろん自炊用の施設も整っている。セイゴをさばくのもとても便利だった。(注意;2002年7月当時の様子) パプリカとパセリとアンチョビのオリーブオイルをもってきたのは賢明だった。欲を言えば白ワインがほしかったなあ。さらにバターとニンニクも・・・スズキは白身の淡泊の魚だけど、適度に脂ものっていてデリシャスだった。冷えたビールはもちろん準備してきたので、とても豪勢な夕食になった。能登の漁師の皆さんはシーカヤッカーにとても親切だった。わざわざ近付いてきて、どこまで行くのか聞いたあと、「大変なら引っ張ってやろうか」なんて声をかけてもらったり、ウニ採りの最中なのに話をしてくれて「がんばれ」と励まされたり、何回来ても感じがいい。いい関係をつくっていきたいなあと思う。シーカヤッカーにとって出来ることは、海を汚さないことと、能登の人と自然のすばらしさを宣伝することくらいかな。そういえば門前町は総持寺がある町で、バスの運ちゃんの話では利家とまつブームでちょっとしたにぎわいだそうだ。おかサーファーならぬおかカヤッカーになって、利家とまつの縁の場所を訪ねてみるのも楽しそうだ。 夕飯後は何もすることがなく、ラジオのニュースを聞きながらいつの間にか寝てしまった。翌朝4時頃、漁船が次々と港を出ていく音に目覚めて起き出す。刺し網を揚げに行くのだろう。のんびりと朝の時間を過ごす。我がキャンプ地には野の花が咲いていた。そういえば荒々しい断崖にカンゾウのオレンジの花が点々とあった。コーヒーの次に朝飯の準備。昨日のスズキはまだ半分残っているので、貴重なたんぱく源の食材だ。  7時に上大沢のキャンプ地を出航。昨日の感触がよみがえり、早々に竿を出す。皆月湾を越えて猿山崎を過ぎるまでずっと粘ったが、2匹目のドジョウはいなかった。それにしてもこのあたりが今回のハイライトだ。ほとんど廃道化した遊歩道がますます人跡未踏の雰囲気を醸しだし、すばらしい。上陸できるような場所はほとんどないがいくつかビーチがあるので、そんな場所でキャンプもいいな。猿山崎を越えると断崖を落ちる小さな滝がいくつか。その一つは途中からシャワーのようにはじけていて、そこは小さな野鳥の楽園になっているようだ。カヤックで近づくと小鳥たちの激しいさえずりが、上陸をためらわせた。自然のシャワーを浴びてみたかったけど、小鳥たちのためにもちろん断念した。 11時前に猿山崎を越えて門前町の黒島に上陸。ここは北前船の角海家という船主が栄えた港らしい。北前船資料館があり、入場料300円。さらに足を伸ばして赤神の港へ。午前の部を終了。昼間は暑すぎて熱中症になるので、ここにカヤックをデポしてバスで輪島へ戻り車の回収をすることに。ついでなので回収してさらに赤神から先のゴール地である富来まで車をもっていき、バスで赤神に戻る。そうすればゴール後車の回収はしないですむから楽だ。ところが、富来から戻り赤神からのツアーを再開したのは、もうまもなく午後5時になろうという時間になってしまった。サンセットクルージングは計画していたけど、ナイトクルージングはアクシデントだ。出来れば避けたいなあ。でも、覚悟しなければならないだろう。赤神から、泣き砂の浜も関野鼻もヤセの断崖も、ちょっともったいないけどハイペースで素通り。玄徳岬から海士崎までの海岸線も、素朴でなかなか捨てがたい味がある。  海士崎を過ぎ、千浦の手前で日没。何隻ものイカ釣り船が、けたたましいエンジン音を夕闇に響かせて、富来の港から沖に出ていく。暗闇の中、漁船にぶつけられたくないのでストロボライトを使ったが、大変役に立った。やがて完全に暗闇の海を、さびしいネオンが目印の富来のビーチに向けて進む。ドキドキは漁船の接近以外なかったので、ちょっと残念。午後8時、無事ゴールした。

広島県・宮島~江田島シーカヤック2006

全漕航距離約23km 2006年9月16日~17日 台風が九州地方に接近中。明日には、上陸するらしい。それとは関係なく今日は秋雨前線の通過で、雨が降ったり止んだり。こんな気象状況で出航していいものだろうか。実は宮島で同窓会をするという計画があり、それではと宮島にはシーカヤックで渡って、厳島神社の大鳥居をくぐりそのまま瀬戸内海の小島へ漕ぎ出してみたいと考えた。ソロで漕ぐつもりだったけれど、幹事のTさんがカヤックに興味があり。2人艇のK2で一緒に漕ぐことにした。やる気さえあれば、初心者でも大丈夫。 同窓会当日、今回のカヤックパートナー、Tさんが広島空港で出迎えてくれる。地元のカヤックショップで海の情報を尋ねる。このショップ主催の2泊3日のツアーは、台風の影響で中止されたとのこと。宮島はベタベタ凪の宮島海峡の向かいに目と鼻の先。カヤックを組み立てた私たちの出航に合わせるかのように雨が止む。海峡には、牡蠣筏がいくつも浮かんでいる。初めての瀬戸内の海。カヤックで漕ぎ出す瞬間は感動である。 世界遺産の宮島・厳島神社と大鳥居。神の島だ。原生林に覆われ、海に注ぎ出す小さな沢は、無垢の透き通った流れ。もちろん、島を1周する道路などない。すぐ対岸の国道やJRや民家が密集する文明とは対照的だ。漁師が、20年前までは、スナメリが泳いでいたと教えてくれた。同窓会のみんなを順番に乗せて、7回くぐった。 翌朝、厳島神社に航海の安全を祈願する。そして、今宵の宿がある江田島に向けて漕ぎ出す。気象条件が良ければ宮島を反時計回りに廻るコースを漕ぐ計画だったが、台風がどんどん近づいている状況なので、最短ルートだ。 初心者Tさんは、調子よくパドリング。追い風にも助けられて、最大瞬間スピード10.5kmを記録。 途中2度、大型船の通過で海上待機。台風の雨による河川の氾濫で、海面は浮遊物だらけ。追い風は、まさに神風だったかもしれない。この海旅は、すべてミラクルだった。宮島から平均時速7キロで、ゴールの江田島にあるサンビーチ沖美の着く。午後台風の風向きはめまぐるしく変わり、やがて逆の向きに変わった。台風をやり過ごすために港に停泊できない大型船が次々と沖に浮かび始めた。 島から島へ渡る旅はシーカヤックの醍醐味でもある。いつかまた瀬戸内海の島々に訪れてみたいと思った。カヤックをたたみ、宿のレストランで嵐の前の不気味な静けさを漂わせる海を眺めながら、この海旅の成功をTさんと祝杯した。 翌日台風は通過したが、海は荒れていた。江田島の海軍兵学校は亡き叔父が終戦を迎えたところだそうで、見学をして帰路に着いた。

2005GW銀山平~平ヶ岳カヤック&スキー後半

名前通りのだだっ広い山頂をうろこテレマークスキーで歩き回る。 奥利根源流の国境稜線や水長沢の源流、大白沢山へと続く国境稜線の様子を目に焼き付ける。 奥利根源流の雄大な風景を独り占め。かと思っていたら、尾瀬ヶ原ルートから山スキーの男女グループが近付いてきた。 正午ジャストに山頂から下山する。 下山は登り以上にスピーディーだ。池ノ岳の無木立の大斜面に大きなテレマークの円弧を描き、いくつもの小ピークも難なく乗り越えていく。 1695m峰まで1時間。ここからは細尾根に鬱蒼と茂る黒木がうるさくなり、一部かつぐところも出てくるが、いよいよ問題の沢の滑降にはいる。 源頭の急斜面はいたるところにクラックが入っていて、いつブロックや全層雪崩が起こるかわからない。何度も横滑りやキックターンを繰り返しながら、暑さなのか緊張感からなのか汗が噴き出してくる。 沢の滑降は見た目よりもずっと距離があり、1時間でようやく登山ルートの取り付き地点に戻った。 ベースキャンプまで1時間歩き、ようやく大休止。キャンプを撤収して、カヤックを2時間休みなしで漕ぎ、どうにか日暮れすれすれに出発地に辿りついた。 いつ割れるかわからなそうな不安定な氷の上に着岸して、完全に上陸してようやくひと心地がつけた。

2005GW銀山平~平ヶ岳カヤック&スキー前半

2005年5月4~5日 GW前半は北ア薬師岳へ。後半も天気に恵まれたので、カヤック&スキーで平ヶ岳へ。平ヶ岳はいつも鳩待峠から尾瀬ヶ原を横断して白沢山から県境稜線ルートばかり。 今回のコースは直前に突然インスピレーションがわいてチャレンジ。必要だと思う装備を車に詰め込んで、とりあえず関越道小出インターから奥只見の銀山湖までやって来た。 氷塊の浮かぶ北極海の海をカヤックで渡りながら、氷河を滑る旅なんて、なんて大きな冒険だろう。ちょっと創造力を働かしてみたら、そんな果てしない大きな夢のかけらほどだけど、小さな小さな冒険が実現した。今までにも何度も訪れていた山上の巨大ダム湖だ。 いきなり漕ぐことはできないのだ!海の上以外のシーカヤックは、陸の上の魚みたいなものだというのは先入観である。スキー道具やらキャンプ道具やらで、本体の重量もあわせて60kg以上あろうかというのに、氷のような堅い雪の上ならそりになるのだ。こうして湖までカヤックを引っ張っていく・・・ 湖にカヤックを浮かべ漕ぎ出す。ちょっと日本離れしているこの景色。雪山をバックにして氷塊が漂い、行ったことも見たこともない北極海のフィヨルドの海はこんな景色じゃないかと、勝手に想像してしまう。時速7kmで快調に湖の最奥部のベースキャンプを目指す。もう探検家気分なのだ。 大小の沢が入り組んだフィヨルドのような地形。地図だけでは、初めての人ならどこか違う入り江に迷い込んでしまうかもしれない。もちろん自分自身は通い慣れたフィールドだから迷うべくもないけど、今までと違うこの白い景色の中で漕いでいると、未知の海を探検しているかのような夢を見たくなる。 2時間ほどでベースキャンプ地に上陸。湖岸はどこも雪原だった。水位が変化しなければ問題ないけれど、雪解けの多い時期なのでちょっと不安になる。増水しても逃げ場がある場所にテントを張る。 残念なことにエアマットを忘れた。落ちている針葉樹の枯れ枝などをマット代わりにしたが、冷気は防ぎようもなくて一晩中寒くて眠れなかった。翌朝、テントにもカヤックにも霜がびっしり付いていた。 5時にウロコ板スキーで歩き出す。平ヶ岳登山ルートの核心部は、取り付きの細尾根である。最初に取り付いた尾根は見事にはずれ、2時間弱のタイムロス。1本沢をはさんだ向かいの尾根をルートにとる。こちらが狙いのルートだった。 細い尾根をウロコ板やツボでグングン高度を上げる。やがてまわりを一望できるようなってくると、デブリやクラックがいたるところにある右の沢が、帰りの下山ルートとして使えそうなことがわかり一安心。かなりの時間短縮ができる。 なんとか稜線に辿りつくことができ一安心だ。稜線に上がると、そこからは上り下りの緩やかな尾根歩き。クロカンテレマークのスキーヤーにとって、もっとも得意とするところだ。 登っては滑りを繰り返し、いくつもの小ピークを越えていく。歩きなら、とても日帰り登山は無理だろう。目指す平ヶ岳は遙か彼方だ。静かな黒木の森の中を軽快に飛ばしながら、清々しい春風を感じる。 右に左にと遙か彼方に見覚えのある白い山々が眺められる。休憩など朝の5時からほとんど無しで、歩きっぱなしである。しかし、いくらでも歩ける気分だ。目指す平ヶ岳も、やがて眼前に大きく横たわるかのように現れた。 ようやく平ヶ岳が近くに感じられる距離となってきた。ほとんど樹木のない真っ白い大斜面に取り付いて、ウロコをきかせてひたすら登っていく。 平ヶ岳の前衛峰である池ノ岳(2090m)に立ったとき、平ヶ岳の山の大きさに圧倒される。山頂を踏まなくても、この景色を眺めるだけで十分だと思う。 でも、まだ正午まで小一時間あるので、行ってみることにした。 ベースキャンプから6時間45分。登山ルートの取り付き地点から3時間45分、ついに平ヶ岳山頂に立つ。不安と苦闘から解放されて至福のひとときだ。 だだっ広い山頂を歩き回る。カヤックで渡った銀山湖も眺められた。 続く

冬の慶良間諸島カヤック旅2

4日目(2004-12-28)  天気予報では、沖縄近海に低気圧が発生するという。そしてこれが、太平洋南岸を北上するらしい。冬、関東平野に大雪を降らせる原因になる気象条件だ。昨夜の散歩では、奇妙なほど星空と満月が綺麗だった。とても天気予報を信じる気にはなれなかった。ところが夜半を過ぎ、突然台風並の風がきっちりと吹き、大粒の雨がバラバラと落ち始めた。  午前中、宿のご主人のご厚意で、座間味島を案内してもらった。カヤックから見るのとは違う海を知ることができた。また、南海の島特有の自然や歴史、住んでいる人たちの様子など、大変興味深いお話も伺う。宿の食堂に、3冊それぞれが立派で分厚い装丁の座間味村史が置かれていた。午後は、自転車を借りて海洋博物館へ出かけた。特攻隊で若き命を幸運にも落とさないですんだという館主の、慶良間諸島の歴史についての語りはとても熱い。この慶良間諸島が、琉球王朝と朝鮮半島や中国との貿易などの外交上の要衝だったらしい。優れた航海術や外洋を航海する船舶技術などがあった。そして何より興味深かったのが、琉球王朝の平和的な外交姿勢や日の丸についての考え方等々。  午後、時々小雨が降る中をいざ出航! 阿真ビーチの入り江から沖合にでると、とたんに風が強くなる。雨は降ったりやんだりだ。それでも海はあたたかいところが、沖縄だ!カヤックからシュノーケルをつけて珊瑚礁の海に飛び込む。この辺りの海の魚たちは、人間になれているのか寄ってくる。魚肉ソーゼージを小さくちぎって海中にバラまくと、たくさんの魚たちが集まってくる。昨日の座間味島東端のダイビングスポットの海では集まってこなかったのに・・・  いよいよ最後の夜になってしまった。明日は東京でも雪になる可能性が高いという。午後の高速船は欠航になってしまった。悪天候を吹き飛ばして、それなりに充実した一日だったが、夕食時になって「明日はどうなるんだろう。」と、ちょっと心配になってしまう。宿のご主人によれば、フェリーは大丈夫でしょうということなので、あまり悩まないことにする。 5日目(2004-12-9)  最終日になってしまった。実は少なからず天気が良くなることを期待していた。しかし、強風が吹き荒れ、沖合の岩礁に打ち寄せる波は、怒り狂っている。キッパリとあきらめがつくというものだ。臨時の防災無線が阿真集落に響き渡る。どうやら高速船はすべて運休。フェリーも時間変更して、午後2時30分発。とりあえず本島に戻れるようで一安心。でも、東京に降雪があったようなので、まだまだ心配の種はあるのだが。  さぁ、撤収だぁ。時折パラパラと雨粒が落ちてきたりしながらも、流れゆく雲に晴れ間が広がりはじめ、まさに撤収日和である。水洗いをして干すと短時間で乾いていく・・・  撤収作業にたっぷり3時間もかけてしまった。宿のご主人のご厚意で、荷物を宅急便屋さんまで車で運んでもらう。そして、4日間お世話になった「ペンションはまゆう」さんとお別れだ。相変わらず風は吹き荒れていたが、太陽が燦々と輝きはじめると、さすがに南国の温かさを感じる。フェリーの時間までやることがなく、ブラブラしながら南の海のカヤックやシュノーケリングの心地よさの余韻に浸った・・・

冬の慶良間諸島カヤック旅1

1日目(2004-12₋25)  クリスマスの朝、羽田を飛び立ち那覇へ。季節風の影響だろう、富士や南アルプスがまるで白波立つ海洋に浮かぶ島々のようだ。慶良間の海ではそんなことがないように祈るばかりだ。  予定より15分遅れで那覇空港に無事着陸。空港からタクシーでホテルへ。タクシーの運転手さんの名前は、島袋さん。まぎれもなくここは沖縄だぁ。荷物を預けてさっそく国際通りへ出かける。スナック菓子やら泡盛やらガラス製品やら、原色が色とりどりの商品をところ狭しに並べたお土産屋さんが、えんえん軒を列ねている。陽射しも眩しくて、いかにも南国って感じ。 2日目(2004-12-26)  泊港を9時出航の高速船で座間味島へ。外海は結構うねりがある。でも慶良間諸島の内海に入るとさすがに島影になるので穏やかだ。富士山の雲海のような白波でなくてホッとする。  宿でさっそく先に送っておいたファルトのカヤックを組み立てる。1月の奄美以来の組み立てなので、手順がわからない。ああでもないこうでもないと、たっぷり1時間45分もかかってしまった。  ラフティー丼とソーミンチャンプルーの昼飯の後、さっそくケラマブルーの海に浮かぶ。 3日目(2004-12-27)  天気は下り坂だ。南国の燦々と降り注ぐ太陽が恋しい。でも、たくさんの島々で囲まれる座間味の海はベタ凪だ。外海もそれほどでもなさそう。カヤックで海に出られるだけでも良しとするか。ただし、天気予報では沖縄地方に波浪注意報が出ていたので、無理はしないことにしよう。宿で朝食をとった後、あわただしく出発の準備を終え、午前9時に美しい白砂の阿真ビーチから出艇する。  カヤックから海をのぞき込むと、珊瑚の回りを色とりどりの魚たちが泳いでいて、目を楽しませてくれる。このエメラルドグリーンの透明な海は、燦々と降り注ぐ太陽の輝きがあればさらに魅惑的だろうが今の私たちには十分過ぎるほどに素晴らしい。やや追い風に乗り、時速7km以上のスピードにのって阿嘉島に進路をとる。右に阿嘉島のニシハマビーチを見ながら、とりあえず慶留間島との間に架かけられている阿嘉大橋をくぐってみよう。  「マリリンに逢いたい」という映画があったらしい。シロという犬が座間味島とこのニシハマビーチの間の海を泳ぎ渡ったという実話に基ずいているらしい。座間味港と阿真ビーチの間の道路沿いに、マリリンの銅像があった。他にも琉球王朝時代の大陸との交易の中継点としての海洋文化など歴史も興味深い。  阿嘉島にオリオンビールを仕入れるために上陸。サクバル奇岩群の向こうに見える外海は、それほど風の影響もなさそうでうねりも大きくない。フェザークラフトのk2なら恐れるほどでもないが、初めての海で無理は禁物である。サクバル奇岩群付近から慶留間島の外側を一周して見たい衝動がわき起こったが、往路を引き返すことにする。向かい潮なのか往路の時速七キロはとても出ず、時速五キロで安室島を目指す。安室島の突端にある外白崎に上陸する。ここは座間味島との狭い海峡をつくっていて、干潮時にだけ現れる。大きな船舶は水深が浅く航行不可能である。沖縄ならではのソーキとカツオ味のカップ麺で昼飯にする。今日のような天気の日は、南国といえども温かい食べ物はありがたい。  昼食後、この外白崎から古座間味ビーチに向かってカヤックを漕ぐ。このビーチも白砂が美しくとても魅力的だ。夏のハイシーズンの頃はかなり賑わうそうだが、今日はポツンと二人の人影を見るのみだ。真珠養殖場のある阿護の浦を過ぎて、島の東側の岬付近には数隻のダイビング船が停泊している。私たちもカヤックで乗り付け海に潜ってみることにする。  海の中を覗くと、色とりどりの熱帯の魚たちが眺められた。オニヒトデも二匹発見。珊瑚の海を食い尽くそうとする悪者だ。駆除したいが、南の海がド素人の私たちは無力だ。おっと、突然ウミヘビ発見。攻撃的な種類だと襲われるかもしれないので、用心に越したことはない。さっさと退散。 2に続く

大阪運河ツアー道頓堀∼南港2007-12-2

 2年前に初めて大阪の運河を漕いだ。桜宮公園からスタートして、大阪城を眺めながら堂島川を下った。中之島付近の巨大ビル群を運河の真下から仰ぎ見たのは、知床の断崖を彷彿とさせた。USJや天保山、海遊館を素通りし、南港にかかる港大橋の下をくぐった。そして尻無川を遡って中之島でゴールした。大阪の街を水面から眺めたことは、学生時代まで慣れ親しんだ街の懐かしさもあって、強く心に残る思い出の一つになった。  今回は京セラドーム(大阪ドーム)からスタートして、まずは道頓堀川を往復する。そして木津川を下り、南港を大きく回って北港ヨットハーバーまで漕ぐというもの。途中道頓堀はもちろん、木津川沿いで大都市のどんな裏の顔が眺められるのか大変楽しみである。また南港には野鳥公園があり、それをカヤックで海から訪ねてみるというのもおもしろそうだ。  午前9時、鮮やかに黄色く染まった銀杏の木の下で、赤と青の2艇のカヤックが組み立てられた。運河に浮かぶと、川面を吹く風は冷たい。なんといってもやはり師走である。それに久しぶりに水の上に浮かんだこともあってか、フラフラとバランスが悪い。大阪湾でもし波風が強かったらと思うと、ちょっと心配になる。しかし漕ぎ始めるとほどなくカヤックが体の一部のようになるのを感じた。橋のトンネルをくぐる。橋の上からえさを投げている人がいるらしく、これがまた知床の海鳥を思い出すくらいたくさんのカモメが集まっている。最近これほど元気なカモメの姿はどこの海を漕いでも見かけなかったので、こんな大都会の光景が奇妙だ。  先を漕ぐQ太郎氏に追いつくと、正面に道頓堀水門があった。第一の閘門がすでに開きはじめていた。閘門は、水位の異なる水面をもつ河川や運河、水路を船が通航できるようにする施設で、事前に許可を届けておかねばならない。すべてQタロウ氏が手配してくれていて感謝である。これはスエズ運河じゃないけど、まさに本格的な運河の航行である。  第一の閘門を進むと第2の閘門があり、それが開かれるには第一の閘門を閉めなければならなかった。第一と第二の閘門の壁にいったん閉じこめられた後、第二の閘門が徐々に開かれた。道頓堀川の方が20センチくらい水位が高く、水が流れ込んでくる。ちっぽけなカヤックでも、一人前の船長みたいな気分だ。いよいよ道頓堀川を漕ぎ進む。  道頓堀界隈をいくら歩き回ったことがあっても、カヤックから眺めた道頓堀の雰囲気は味わえない。街の喧噪とは別世界。ビルの裏側の谷間にある静かな空間をのんびりと漂うようにして進む。橋を歩く人たちのほとんどはカヤックに気がつかないけど、中には珍しそうにこちらを見ている人もいる。道頓堀は現在再開発中である。どうやら今までの異臭漂うドブ川から、水辺に遊歩道のある観光スポットに生まれ変わろうとしていた。  心斎橋と言えばヤマハや三木楽器に輸入盤のレコードを探しに来たものだ。他に名前は忘れたけれど珍しい輸入盤を見つけることが出来る小さなレコード店もあった。通りから少し離れたところに確か島之内教会というのがあって、なぜかここでアバンギャルドなジャズコンサートにやってきたことがある。  河川工事でこれ以上進めないところから引き返す。再び道頓堀水門の閘門を開けてもらい通過する。水門通過は、何度通っても一人前の船長になった気分になり気持ちいい。カヤックから水門をコントロールしている職員に感謝の挨拶をする。こんなちっぽけな2艘のカヤックのためでも、大きな船と同等に扱ってくれることがうれしくなってくる。  そしていよいよ木津川を下って大阪湾へ漕ぎ出す。いつのまにやら天気は下り坂だった。川下からの向かい風が強く、パドルを握る手に力が入る。  木津川を漕ぎ下ると、大阪の様々な表情を見ることが出来る。下町の雰囲気たっぷりの街並みや倉庫、工場、古い造船所などが次から次へと現れ過ぎていく。川沿いにびっしりと粗末なバラックが建ち並んでいるところがあったが、水もガスも電気もないけれどしたたかに生きる人たちの存在感に圧倒されもした。工場に通勤したりする人たちのために、いくつも市営の渡し船があった。なぜ橋ではいけないのか。大型船舶が河川を往来するためにはよほど大きな橋を架けなければならず、それなら渡し船の方が経済的だからというのが理由である。カヤックから渡し船に乗り降りする人たちの様子を眺めながら、人々の暮らしの一端に触れられたような気がした。中山製鋼所を過ぎ、新木津川大橋の真下に上陸地点を見つけて昼食休憩にした。  風が冷たくて早々に出艇。木津川の河口に出ると向かい風がいっそう強くなる。コンテナ埠頭に大きな貨物船が停泊していてそれがちょうど風除けになり、そこで遅れているQタロウ氏を待つ。  これからさらに沖に漕ぎ出ていくのであるが、波風が少々不安になる。向かい風に遅れがちなQタロウ氏はというと、全く不安な様子はなく前進あるのみ。南港内港を過ぎいよいよフェリー埠頭の沖合にさしかかると、白波が立つかなりシビアな状況になっていた。行くか戻るか大きな決断をしなければならないと思った。しかしQタロウ氏は平然と前進あるのみだった。さすがである。これくらいでじたばたしてはいけないのだ。  向かい風と不規則なうねりに翻弄されて、パドリングは一寸の失敗も許されなかった。まわりには大きな波が砕け散る岸壁しかないから、沈したら一人でセルフレスキューするしかないだろう。Qタロウ氏と並んで漕ぐなんて余裕はなく、前進あるのみ。岸壁に停泊している大型貨物船の船員が心配そうに私たちを見ていた。ひきつりながらも笑顔で会釈する。  ここで一旦Qタロウ氏を待ち、GPSを確認。この先に大きな凹の埠頭があるので、とにかくそこへ緊急避難することにする。  どうにか凹の埠頭に漕ぎ着くことが出来た。遅れているQタロウ氏も無事漕ぎ着きホッとひと安心。陽はすでに斜めに傾いていて、今回の計画では北港のヨットハーバーまで漕ぐことになっていたが、このコンディションではあきらめることにした。ただしここで上陸できればの話しだ。凹の埠頭の奥に漕いでいくと、波は収まってきた。そして何やら南国ムードいっぱいのきらびやかな建物が並んでいた。家族連れやカップル、若者達がたくさん歩いている。いったいここはどういうところだ?なんだか漂流者のような気持ちになりながら、カヤックで上陸できるところを見つける。  高い岸壁に小さな階段がつけられているところがあったが、沖合から押し寄せるうねりが岸壁にぶつかりとてもカヤックから下りることは出来ない。Qタロウ氏が何度か試みるもあきらめる。仕方なく岸壁につながれている浮桟橋に上陸することにした。まずQタロウ氏が器用にカヤックから這い上がる。わたしはQタロウ氏のカヤックをサポートする。次にわたしが這い上がり、最後に2人で2艇のカヤックを浮桟橋に引きずり上げた。ホッとした。  ここはATC(アジア太平洋トレードセンター)だった。交通至便で綺麗なトイレ、コンビニやレストランなどがあり、終わってみればゴール地点としてはとても好都合な場所であった。海旅の余韻に浸りながらのんびりとカヤックを分解して片付けをする。夕日が綺麗だ。いい旅を終えた満足感でいっぱいになる。カヤックは近くのコンビニから宅急便で自宅に送り身軽になる。そして、ATCの中にある韓国料理屋さんでQタロウ氏と無事に旅を終えることができたので祝杯をあげる。お腹いっぱいになってお店から出ると、すっかり陽が沈み、たくさんのクリスマスのイルミネーションが点灯していた。  暗闇の海を眺めながら、うねりの彼方に霞んで見えた六甲山の山並みに向かってまた旅の続きがしたいと思った。後日Qタロウ氏から次の海旅のプランがメールで伝えられた。Qタロウ氏から、六甲の山並みを見ながら神戸へと旅を続けましょうというものだった。Qタロウ氏に感謝。次の旅への期待に胸がふくらむ。

大阪運河ツアー堂島川~南港~尻無川2005-11-19

澄み切った秋空にそびえ立つ巨大ビルは、波や風に削られた断崖の迫力に匹敵する。カヤックにのんびり浮かびながら眺める一つ一つのビルも、車や人の騒音に満ちた大通りから見えるビルの表情とは違う。現代テクノロジーの粋を集めたビルは、手つかずの自然が残された知床とは対極の美なのかもしれない。 堂島川沿いには、江戸時代からの豪商の名前のついたビルや倉庫などが立ち並ぶ。右に大阪フェスティバルホールのビルが現れた時、高校大学時代のジャズコンサートに夢中だった頃のことがよみがえる。 堂島川は大阪湾に近付くにつれて川幅を大きくする。高層ビルは姿を無くし、かわって倉庫や工場、市場など港らしい景色になる。空気は澄み切っていて、やがて六甲の山並みも眺められる。USJの前を素通りし、天保山大橋をくぐって海遊館を目指す。USJと海遊館を結ぶ連絡船の乗客が手を振ってくれるので、振り返す。 そろそろお昼近い時間で、どこか上陸したいなと思うが適当なところがない。これは知床の海岸線よりもハードかもしれない。やっと陸に上がれば、ヒグマではなくガードマンがやってきて、「トイレだけですよ。」と注意される。海遊館の隣はこれまた大阪水上警察署で、まったく落ち着いていられないのだ。 いよいよ大阪港に出ると、巨大な船が頻繁に行き交っている。澪つくしのマークがある建物は、大阪税関である。国際都市の玄関港という雰囲気である。こんな小さな船でうろついていていいのかと、ちょっと緊張である。 観光船サンタマリア号とすれ違う。コロンブスのサンタマリア号を実物の2倍のスケールで復元したものだそうだ。本物はこの二分の一の大きさだとすると、案外小さくて親近感が湧く。こんなもので大西洋を横断して新大陸を発見したんだから、大した人である。 やっと上陸できるところを見つけ、昼食にする。六合村に電話してみたら、強烈に寒くて、外は雪が舞っているらしい。こちらは居眠りしてしまいそうなくらい日差しがあたたかくて気持ちいい。 この時期日が暮れるのが早いので、そうのんびりはできない。1時間ほどの休憩で、尻無川を道頓堀方面向けて遡る。どうやら干潮らしく、運河は川になっていた。手を休めると下流に流されてしまうので、のんびり漕いでいくわけにはいかない。潮を計算に入れて計画を立てると、快適なツアーになるんだなあと実感する。 尻無川防潮水門の手前に、大阪市営の渡し船があった。観光ではなく、生活の足として、橋を建設するより割安だからと運営されているらしい。橋の代わりだから、もちろん乗船料は無料。大阪市には行政改革の嵐が吹き荒れているようだけど、こんなサービスは将来どうなるんだろうか。 出発地の桜ノ宮まで戻ると日が暮れそうだったので、中之島のバラ園に着岸してゴールとする。自然ではなく人工物の中を漕ぐ大阪運河ツアーは、かなり面白い。きっと運河は、ゴミだらけで悪臭が漂っているのではないかと懸念していたけれど、そんなこと無かった。この続編はぜひ計画する価値がある。