カヤック

若狭三題・2006年の夏の3つの半島を巡る小さな海旅

Ⅰ 敦賀半島 敦賀~立石岬~三方五湖(水月湖)漕行距離約40km 海面がブリのボイルで沸き立った。大音響。小魚が逃げまどい、狂ったように大きな魚が追いかける。上空からは海鳥が小魚のお裾分けを狙って集まってくる。波飛沫がいっせいにあがり、大混乱だ。かつて八重山の海で浴びた猛烈なスコールを思い出した。エンジンのないシーカヤックは、彼らからは見えていない。突然起こったこの大自然のドラマに、退屈なパドリングが吹き飛んだ。若狭の海、立石岬付近での出来事。人を寄せ付けない断崖絶壁のリアス式の大自然の海。海は豊饒であり、大きな魚たちの群れが定置網にたくさん入るようだ。 Ⅱ 常神半島 三方五湖(水月湖)~常神岬~西小川 漕行距離約32km 潜り漁をしている小舟のエンジンが故障したらしい。遠くからどうも普通とちがう様子だったけど、仲間の船に連絡がついたらしく、大きな船が湾奥から全速力でやってきた。引っ張ってもらって帰って行った。もし連絡がつかなければ、シーカヤックが救助してあげられたかも・・・いつも漁師さんにはお世話になりっぱなしなので、たまには恩返しもいいなぁ。 Ⅲ 内外海半島 断崖絶壁にいくつも白糸の滝が落ちている。上陸してそのうちの一つの滝を浴びてみた。生ぬるい海水とちがって、山の水は冷たくて気持ちいい。反時計回りで内外海半島を回ってみたが、名勝蘇洞門までやってくると、観光船が毎日頻繁にやってきてたくさんの人が上陸するからだろう、人間の匂いがした。内外海半島は、東半分が静かでシーカヤックにはいい。

能登を想う5 外浦海岸2001

海から断崖となってそそり立つ山の端から突然、朝日をスポットライトのように浴びてまわりはシルエットの闇に包まれる。 一生懸命漕いでも、進んでいるのかわからないくらいのスピードしかでないのは、向かい風だけでなく潮の流れのせいだとばかり思っていたが、潮は動いてないよと小さな漁村の漁師が教えてくれた。潮があるところでは、危なくて海女は潜れないとも教えてくれた。カヤックが進まなかったのは、風のせいだったんだ。もうこれ以上漕げば腕がへし折れそうだったので、小さな漁港に逃げ込もうとしたら、なにやらボールのような頭が白波のたつ岩礁帯で浮かんだり消えたり。ひとつの浮き輪に二人の海女さんが変わりばんこにつかまりながら、ウニやアワビを採っていた。時化気味の能登の海では、海女さんが、9月いっぱいの漁期をすぐ目前にひかえて盛んに潜っていた。これらの海女さんたちは地元の人たちではなくて、輪島から遠征してその周辺の海の漁業権を買い取って潜っているのだそうだ。みんな元気で、中には70にもなる海女さんもいるらしい。挨拶をして言葉を交わした海女さんの声も、かなり年輩の方だった。  能登の外浦海岸には、素朴な小さな漁村が点在していた。上陸したいくつかの漁村は、人なつこい老若男女の人々との出会いがあった。私たちのカヤックを見つけると、お年寄りが変わりばんこに、以前日本一周の若者もこの港に二泊したと教えてくれた。また港の片隅に快く車を駐車させてくれた。これから漁に出ようとする腰の曲がったおじいさんは、自分の小舟を下ろした後、今度は私たちのカヤックのために船を海に下ろすための滑り板を「使え!」と持ってきてくれた。見たこともないカヤックに興味津々の子供たちは、浜に上がるとさっそく近づいてきて、ラダーを触って「これなに?」と質問してくる。そしていろいろな質問をして、いつまでも離れようとしない。心優しい漁師のおかみさんが、出発地点に置いてある私たちの車を回収するために、わざわざ車を出して乗せてくれた。途中、シートベルト義務違反で切符を切られてしまい、大変申し訳ないことをしてしまった・・・  1日目、富来町の増穂ヶ浦から輪島へ向けて出航したが、すぐに海士岬を越えることを断念した。今にも白波となって崩れそうな高いうねりと強い風にためらったのだ。こんな気持ちで進むのは危険だと冷静に判断した。追い風にまくし立てられたり、向かい風に悩まされたりと、海のコンディションはかなり厳しいものだった。しかし、久しぶりに海にでて、とても爽快な気分を味わった。 2日目は、門前町の黒島から出航した。猿山岬をかわしたあたりから波風ともに強くなり、必死で漕いでも時速4~5キロほどしかでなかった。刑部岬を這々の体でかわしたところの小さな漁港に逃げ込んだ。結局この日は、頑張ってさらに足を伸ばしたが、次の大沢町の漁港までだった。 3日目は昨日の続きから輪島をめざした。ほぼ同じ距離で2日目は5~6時間かかったのに、たった1時間半しかからなかった。海のコンディションでこんなにも違うとは。今回出来れば能登半島の外側をずっとたどりたかったが、3分の1にも満たない距離しか漕げなかった。能登には、うまいものもいっぱいあった。そして、能登の小さな漁村のたたずまいや輪島の古い町並み、能登の素朴な人情も、心を満たしてくれるような深い味わいを醸し出していた。(2001年9月22日~24日)

能登を想う4 能登島1周2007

2007年9月15~16日 能登島でカヤックを漕ぐのは4度目。初めて来たのは、1996年の11月。和倉温泉から1泊2日のキャンプで時計回りに1周した。その後、富山新港から能登島の野崎まで漕いだり、反時計回りで半周したりした。そして、今回久しぶりにまた能登島にやってきた。 この3連休は、実は秋田方面へ行く予定だった。しかし、どうも天候が良さそうでないので、急遽この能登島に予定変更することにした。能登島なら外海で海が荒れ始めてもその影響は小さいし、なにしろ能登島の海ではイルカに会えるらしい。今まで3度も訪れて全くそんなこと知らなくて、チャンスがあれば是非来たいと思っていた。 自宅を早朝4時に出て、9時過ぎに能登島大橋を渡る。車中今夜の宿をガイドブックで探し、携帯電話で予約成功。能登島は魚料理と自家米の御飯が最高だと、金沢駅前の床屋の兄さんが太鼓判を押していたので楽しみである。旅館がある能登島のえの目というところの漁港からカヤックを出すことにした。 10時半過ぎ、時計回りルートで漕ぎ出す。港を出てすぐの勝尾崎は、潮通しが良くて水が澄んでいる。あんまり暑いのでよっぽど海に飛び込もうかと思ったが、明日の天候悪化を考えると今日はなるべく漕ぎたかったので、先を急ぐことにした。ラッキーなことに小口瀬戸に入っても潮と風は味方してくれて、時速7kmくらいでガンガン漕げた。漕がなくても時速2~3km出ている箇所もあった。正午の合図が防災無線から鳴り、そのあとひょっこりひょうたん島のテーマが流れ始めた。なんだかウキウキしてくる。反時計回りで半周した前回は、雷鳴が轟き大変怖い思いをしたけれど、その時とは大違いである。 能登島大橋をくぐった頃から潮が止まり、風が前方向から吹いてくる感じになる。パドリングがだるくなるのを必死でこらえながら、次に見えるツインブリッジを目指す。GPSで距離を測ると6kmくらいあり、近くに見えるのに案外遠いなあと溜息が出る。どうやら出発時刻が遅すぎかもしれない。途中でゆっくり上陸休憩する時間的余裕は全然無かった。明るいうちに宿に着けるか心配にもなってきた。もうひたすら漕ぎ続けるしかない。ありがたいことに七尾北湾に入ると風が味方してくれるようになった。潮はどうも止まっているかゆっくり逆に動いている感じだが、背中から風が押してくれるのは助かる。 時間節約のため、最短距離で能登島水族館の沖合を漕いで多浦鼻を目指す。イルカに出会えるならこの辺りかななんて期待しながら、ひたすら漕ぐ。多浦鼻に近付く頃にはもう5時を回っていて、カヤックから携帯で今宵の宿に6時頃に着くと連絡を入れておく。全行程約37km、所要7時間。別に急ぎたくはなかったけれど、結果的には無上陸で一周してしまうこととなった。 翌朝、宿の女将からイルカ情報をキャッチ。どうやらある小さな入り江にイルカの家族は住み着いているらしい。道路から観察できるそうだ。でもカヤックからだと間近で見ることが出来る。今年ベビーが1頭増えて、5頭の家族だそうだ。ずっと一緒に泳ぎ回っていて、まったく仲が良い。汐吹きの風下にいると、イルカが呼吸している息はかなり生臭いのだ。

能登を想う3 能登島シーカヤック2004

2004年11月20日  能登島は、すでにカヤックで一周したことがある。記録を調べてみると1996年の11月3~4日だから、もう8年以上前になる。そのときは、和倉温泉の有名旅館加賀屋の前の桟橋から出艇し、七尾北湾を横断して穴水漁港でテント泊しながら時計回りで能登島をまわった。雷雨どころか北風の影響もほとんど受けず、二日間とも快適なツーリングだったことを覚えている。そういえばその時は、三ヶ口瀬戸にはまだ「ツインブリッジのと」はなかった。当然、ひょこっり温泉「島の湯」もなかったから、帰りは和倉温泉の共同浴場で汗を流した。  10時半、向田という漁港から七尾北湾に漕ぎだす。筏釣りの人たちがのんびり糸を垂れている。正面に能登半島のなだらかな山並みが広がる。大きな湾奥に見える町並みが、きっと以前訪れた穴水だろう。この付近には小さな無人島がいくつも浮かんでいて、そのうちの一つの島に近付いてみる。鳥のさえずりが盛んに聞こえてくる。こういった場所は外敵がないので、おそらく海鳥や野鳥のコロニーだろう。海は澄んで綺麗なので、箱メガネで海中の生き物を観察してみる。風は西から東へ吹いていたので、時計回りの方が楽だと思ったけれど、今度は反時計回りで回ってみようと考え西に進路をとる。  家族旅行村WEランドというキャンプ場のある牧鼻を過ぎると、案の定向かい風が強くなってきた。GPSの速度は時速5~6kmしかでない。やや岸寄りにコース取りをする。夏の入道雲を思わせる雲が西の空を覆っていたが、これが雷雨の前兆だとは予想していなかった。とりあえずは遙かに見える吉ヶ浦鼻をかわして、「ツインブリッジのと」をひたすらめざしていた。能登島はリアス式の入り組んだ海岸線なため、波風がたてばいつでも湾奥に逃げ込める利点があるので安心だ。島の大きさも手頃だし、道路や集落も海岸線に沿ってある。初冬の日本海でカヤックツーリングするには最適なフィールドだ。吉ヶ浦鼻付近で行動食をとる。そして、いよいよ三ヶ口瀬戸に入る。潮はほとんど動いていないようで、向かい風の影響だけだった。橋桁の下でのんびり竿を出している釣り船があった。  七尾西湾に入るとやや横風に変わってきたが、スピードは出なかった。途中の海岸線で、波に削られてできた芸術的な崖があった。滑らかに削られた黄色い砂の地層から、いろいろな形の白い大きな岩がオブジェのように立体的に現れていたりするのだ。約一時間ほどで能登島大橋に漕ぎ着く。時刻は2時を過ぎていた。橋をくぐろうとした頃、雨がぽつぽつときた。ちょうどいいやと雨宿りする。結構な雨足になり、橋の下は絶好の避難場所だ。10分ほどして雨足が鈍ってきたので、もうじきやむだろうと判断して漕ぎ出す。ところが、今度はさらに雨足が強まり土砂降りだ。よく見たら雹も混じっていて、デッキの上をピンポンのようにはね回っているではないか。突然稲光があったかと思うと、大きな爆音!こりゃやばい、逃げなきゃ。  さっきまで漕いでいた七尾西湾の方に稲妻が落ちる。なんで突然こんな状況になるの?土砂降りの中、上陸地点を探す。無人の古い別荘のような建物の近くに雨をしのげるようなあずまやがあったので、急いで上陸する。服が濡れて急に寒くなる。防寒具や替えの服など持ってこなかったので、着替えることもできず震える。雷の音がやや遠くなってきたので、とにかくゴール地点のひょこっり温泉島の湯へ急ぐことにする。そこまで辿り着けば、いざとなればなりふり構わずすぐに温泉に飛び込めばいいのだ。  午後3時半、ひょっこり温泉島の湯の前のビーチに上陸する。いつしか雨は小降りになり雷は遠くへ過ぎ去っていた。最後に手痛い仕打ちを受けた。熱い風呂に入る前に、向田へタクシーで戻って車の回収をする。運ちゃんによると、石川県は雷が日本一だそうだ。えっ、日本一は雷と空っ風の群馬県じゃなかったの。冬の日本海は、雷にご用心である。でも、初冬の能登島はシーカヤックツーリングのフィールドとしてとても魅力的だと感じた。初冬の日本海を漕ぐシーカヤッカーにとって雷雨に逢うことは一度は受けなければならない洗礼の儀式なのかもしれない。

能登を想う2 能登島シーカヤック一周1996

11月3日晴れ 11月の日本海だからよほど天気に恵まれないと快適なツアーはできないと覚悟していた。能登半島の内側の最奥になる七尾湾は、西高東低の季節風の影響を一番受けにくそうだと考えたので、能登島一周を計画した。いつもの相棒と二人で、和倉温泉の有名な老舗温泉旅館加賀屋さんの前から出艇する。七尾西湾を三ヶ口瀬戸に向けて漕ぎ進む。三ヶ口瀬戸は引き潮でカヤックを漕がなくてもゆっくり流された。五目釣りのボートがたくさん浮かんでいて、真似をしてカヤックから竿を出してみるが釣れなかった。相棒はカヤックの上から岸のテトラポットについている小さな牡蛎をいくつか採ってきた。まったく器用なもんだ。  三ヶ口瀬戸から先は七尾北湾を北上する。穴水には温泉マークが地図に載っていたので、今夜のキャンプ地に決めた。穴水港は天然の良港という感じだ。今も漁師にとって重要な役割を担っているのか知らないが、ボラの群れが湾内に入ってくるのを見張るボラ見櫓と呼ばれる珍しいものがあった。 11月4日晴れ 相棒は体の不調を訴えて今日の旅の続きをリタイヤ。カヤックをたたんで和倉温泉で落ち合うことになった。単独で午前7時出発。今日も天気良し、波穏やか、順風の3拍子揃ったご機嫌さんツアーだ。能登島の多浦鼻を目指して七尾北湾を一直線に漕ぎ進む。多浦鼻を午前10時に交わして、泊の小さな漁港に上陸する。何か食料を補給したかったが商店が見つからずあきらめて先を急ぐ。ここらあたりは広大な富山湾に面していて天候の影響を受けやすそうなところだが、今日はシーカヤック日和だ。野崎を過ぎて小口瀬戸に入ると向かい風になった。これは覚悟していたことだが、相棒とは和倉温泉で午後2時に待ち合わせようと約束していたのでのんびりはしていられない。ほとんどパドリングの手を休めず七尾南湾を突っ切り能登大橋をくぐって、約束の時間までに能登島一周を完了した。

能登を想う

能登半島・珠洲~輪島 2002,7/20~21 「あんとき、トビウオが1200も網に入ったけど、漁協に電話したら1匹いくらだと思う?」って、聞かれる。まさか海の仕事で命張ってるわけだから、1匹50円なんて答えるのは馬鹿にしてるみたいで失礼かなと思い、返答に窮する。がっしりした体つきからたぶん若い頃は海女だったにちがいない宿の手伝いのおばあさんは、「たった3円だよ!船の油代にもならんよ。」と声を荒げた。たしかに1匹3円じゃあ危険と裏腹の漁師さんの仕事は大変だなあと思う。でもいいときもまれにある。おばあさんは、こんなブリがなあと手をいっぱいに広げて、「ブリが何トンも網に入ったときはすごかったよ。」とうれしそうに話してくれる。「あん時は朝から夜の10時まで水揚げするのに大変だった。いくら稼いだと思う。1000万だよ。1日でなあ。」おばあさんとの海の話はつきなかった。 宿の夕食に出てきた刺身の中にハチメという魚があった。白身の魚で程良く脂がのっていてうまい。どこかで食ったことのある食感。今までもハチメという名前だけは知っていた。どんな魚かって聞いても、よくわからなかった。しかし今回やっと合点のいく答えに巡り会った。ハチメというのはメバルのことだった。 今回能登半島の先っちょよりちょっと富山湾側の小泊という漁港から、輪島まで漕破した。小泊から出発してすぐに、京都から来たカヤッカー2人組に陸から声をかけられる。輪島から漕破してきたらしい。なかなか元気な人たちで、以前能登から佐渡まで横断したりいろいろ冒険してるらしい。またどこかで再会できるといいなあ。昼になると風が強くなり、やや時化気味。にもかかわらず、能登の海女さんたちは漁に出ていた。港の網繕いの老漁師に、「結構風が強いぞ、無理せん方がええ。」と言われたけど、これで海に出なければシーカヤッカーの名がすたる。風に逆らい波しぶきを浴びながら、快調にパドリング。夏は海と一体になれることを実感。出航して良かった。海女さん達に「頑張って!」て励まされる。沖ですれ違った漁師が冷たい缶ジュースを差し入れてくれる。能登の海は、人情も細やかで最高! 能登・輪島~富来 2002,7/29~30 輪島と富来までの海岸線、特に猿山崎周辺はすばらしい。群馬のシーカヤッカーにとっての身近なゲレンデとしては、佐渡の外海府や粟島に匹敵すると思う。それでもアプローチに片道6時間かかってしまうが・・・。輪島から門前町の黒島までは、逆コースで昨年の秋に漕破済みだ。大沢の港の親切にしてくれたおばちゃん、元気かな。  うだるような暑さの輪島の港で、汗をだらだら流しながらへとへとになって出航準備。午後3時をそろそろまわるのに強烈な日差しはちっとも弱まらないけど、いったん海に出てしまえばこっちのもんさ。海風が涼しくて気持ちいい。今日の目的地までは大した距離でもないので、のんびり釣りをしながら進むことにしよう。これもシーカヤッキングの醍醐味だ。 すると運よくジグにつけたワームに大きな魚が喰らいつき、なかなかいいひきで久しぶりに楽しんだ。どうやらスズキかな。もちろんキャッチアンドストマックだ。上陸したキャンプ地の上大沢の港で、漁師さんから「セイゴか。ひっついてきたんか?」と声をかけられる。こちら45㎝のスズキだと今日の獲物に内心得意満面だったのに、漁師さんからのセイゴという言葉にちょっとショック!スズキはブリと同じで出世魚だから、45㎝くらいではまだセイゴなのか。知らなかった。漁師さんにセイゴと言われちょっと意気消沈したけど、それでも、シーヤッカー1人分の夕食にとっては食べきれない大きさ。  ところで、大沢の港はシーカヤッカーのためにあるようなキャンプ地だ。スロープのすぐ脇が小さなキャンプ場で、ちゃんと水洗トイレはもちろん自炊用の施設も整っている。セイゴをさばくのもとても便利だった。(注意;2002年7月当時の様子) パプリカとパセリとアンチョビのオリーブオイルをもってきたのは賢明だった。欲を言えば白ワインがほしかったなあ。さらにバターとニンニクも・・・スズキは白身の淡泊の魚だけど、適度に脂ものっていてデリシャスだった。冷えたビールはもちろん準備してきたので、とても豪勢な夕食になった。能登の漁師の皆さんはシーカヤッカーにとても親切だった。わざわざ近付いてきて、どこまで行くのか聞いたあと、「大変なら引っ張ってやろうか」なんて声をかけてもらったり、ウニ採りの最中なのに話をしてくれて「がんばれ」と励まされたり、何回来ても感じがいい。いい関係をつくっていきたいなあと思う。シーカヤッカーにとって出来ることは、海を汚さないことと、能登の人と自然のすばらしさを宣伝することくらいかな。そういえば門前町は総持寺がある町で、バスの運ちゃんの話では利家とまつブームでちょっとしたにぎわいだそうだ。おかサーファーならぬおかカヤッカーになって、利家とまつの縁の場所を訪ねてみるのも楽しそうだ。 夕飯後は何もすることがなく、ラジオのニュースを聞きながらいつの間にか寝てしまった。翌朝4時頃、漁船が次々と港を出ていく音に目覚めて起き出す。刺し網を揚げに行くのだろう。のんびりと朝の時間を過ごす。我がキャンプ地には野の花が咲いていた。そういえば荒々しい断崖にカンゾウのオレンジの花が点々とあった。コーヒーの次に朝飯の準備。昨日のスズキはまだ半分残っているので、貴重なたんぱく源の食材だ。  7時に上大沢のキャンプ地を出航。昨日の感触がよみがえり、早々に竿を出す。皆月湾を越えて猿山崎を過ぎるまでずっと粘ったが、2匹目のドジョウはいなかった。それにしてもこのあたりが今回のハイライトだ。ほとんど廃道化した遊歩道がますます人跡未踏の雰囲気を醸しだし、すばらしい。上陸できるような場所はほとんどないがいくつかビーチがあるので、そんな場所でキャンプもいいな。猿山崎を越えると断崖を落ちる小さな滝がいくつか。その一つは途中からシャワーのようにはじけていて、そこは小さな野鳥の楽園になっているようだ。カヤックで近づくと小鳥たちの激しいさえずりが、上陸をためらわせた。自然のシャワーを浴びてみたかったけど、小鳥たちのためにもちろん断念した。 11時前に猿山崎を越えて門前町の黒島に上陸。ここは北前船の角海家という船主が栄えた港らしい。北前船資料館があり、入場料300円。さらに足を伸ばして赤神の港へ。午前の部を終了。昼間は暑すぎて熱中症になるので、ここにカヤックをデポしてバスで輪島へ戻り車の回収をすることに。ついでなので回収してさらに赤神から先のゴール地である富来まで車をもっていき、バスで赤神に戻る。そうすればゴール後車の回収はしないですむから楽だ。ところが、富来から戻り赤神からのツアーを再開したのは、もうまもなく午後5時になろうという時間になってしまった。サンセットクルージングは計画していたけど、ナイトクルージングはアクシデントだ。出来れば避けたいなあ。でも、覚悟しなければならないだろう。赤神から、泣き砂の浜も関野鼻もヤセの断崖も、ちょっともったいないけどハイペースで素通り。玄徳岬から海士崎までの海岸線も、素朴でなかなか捨てがたい味がある。  海士崎を過ぎ、千浦の手前で日没。何隻ものイカ釣り船が、けたたましいエンジン音を夕闇に響かせて、富来の港から沖に出ていく。暗闇の中、漁船にぶつけられたくないのでストロボライトを使ったが、大変役に立った。やがて完全に暗闇の海を、さびしいネオンが目印の富来のビーチに向けて進む。ドキドキは漁船の接近以外なかったので、ちょっと残念。午後8時、無事ゴールした。

広島県・宮島~江田島シーカヤック2006

全漕航距離約23km 2006年9月16日~17日 台風が九州地方に接近中。明日には、上陸するらしい。それとは関係なく今日は秋雨前線の通過で、雨が降ったり止んだり。こんな気象状況で出航していいものだろうか。実は宮島で同窓会をするという計画があり、それではと宮島にはシーカヤックで渡って、厳島神社の大鳥居をくぐりそのまま瀬戸内海の小島へ漕ぎ出してみたいと考えた。ソロで漕ぐつもりだったけれど、幹事のTさんがカヤックに興味があり。2人艇のK2で一緒に漕ぐことにした。やる気さえあれば、初心者でも大丈夫。 同窓会当日、今回のカヤックパートナー、Tさんが広島空港で出迎えてくれる。地元のカヤックショップで海の情報を尋ねる。このショップ主催の2泊3日のツアーは、台風の影響で中止されたとのこと。宮島はベタベタ凪の宮島海峡の向かいに目と鼻の先。カヤックを組み立てた私たちの出航に合わせるかのように雨が止む。海峡には、牡蠣筏がいくつも浮かんでいる。初めての瀬戸内の海。カヤックで漕ぎ出す瞬間は感動である。 世界遺産の宮島・厳島神社と大鳥居。神の島だ。原生林に覆われ、海に注ぎ出す小さな沢は、無垢の透き通った流れ。もちろん、島を1周する道路などない。すぐ対岸の国道やJRや民家が密集する文明とは対照的だ。漁師が、20年前までは、スナメリが泳いでいたと教えてくれた。同窓会のみんなを順番に乗せて、7回くぐった。 翌朝、厳島神社に航海の安全を祈願する。そして、今宵の宿がある江田島に向けて漕ぎ出す。気象条件が良ければ宮島を反時計回りに廻るコースを漕ぐ計画だったが、台風がどんどん近づいている状況なので、最短ルートだ。 初心者Tさんは、調子よくパドリング。追い風にも助けられて、最大瞬間スピード10.5kmを記録。 途中2度、大型船の通過で海上待機。台風の雨による河川の氾濫で、海面は浮遊物だらけ。追い風は、まさに神風だったかもしれない。この海旅は、すべてミラクルだった。宮島から平均時速7キロで、ゴールの江田島にあるサンビーチ沖美の着く。午後台風の風向きはめまぐるしく変わり、やがて逆の向きに変わった。台風をやり過ごすために港に停泊できない大型船が次々と沖に浮かび始めた。 島から島へ渡る旅はシーカヤックの醍醐味でもある。いつかまた瀬戸内海の島々に訪れてみたいと思った。カヤックをたたみ、宿のレストランで嵐の前の不気味な静けさを漂わせる海を眺めながら、この海旅の成功をTさんと祝杯した。 翌日台風は通過したが、海は荒れていた。江田島の海軍兵学校は亡き叔父が終戦を迎えたところだそうで、見学をして帰路に着いた。

2005GW銀山平~平ヶ岳カヤック&スキー後半

名前通りのだだっ広い山頂をうろこテレマークスキーで歩き回る。 奥利根源流の国境稜線や水長沢の源流、大白沢山へと続く国境稜線の様子を目に焼き付ける。 奥利根源流の雄大な風景を独り占め。かと思っていたら、尾瀬ヶ原ルートから山スキーの男女グループが近付いてきた。 正午ジャストに山頂から下山する。 下山は登り以上にスピーディーだ。池ノ岳の無木立の大斜面に大きなテレマークの円弧を描き、いくつもの小ピークも難なく乗り越えていく。 1695m峰まで1時間。ここからは細尾根に鬱蒼と茂る黒木がうるさくなり、一部かつぐところも出てくるが、いよいよ問題の沢の滑降にはいる。 源頭の急斜面はいたるところにクラックが入っていて、いつブロックや全層雪崩が起こるかわからない。何度も横滑りやキックターンを繰り返しながら、暑さなのか緊張感からなのか汗が噴き出してくる。 沢の滑降は見た目よりもずっと距離があり、1時間でようやく登山ルートの取り付き地点に戻った。 ベースキャンプまで1時間歩き、ようやく大休止。キャンプを撤収して、カヤックを2時間休みなしで漕ぎ、どうにか日暮れすれすれに出発地に辿りついた。 いつ割れるかわからなそうな不安定な氷の上に着岸して、完全に上陸してようやくひと心地がつけた。

2005GW銀山平~平ヶ岳カヤック&スキー前半

2005年5月4~5日 GW前半は北ア薬師岳へ。後半も天気に恵まれたので、カヤック&スキーで平ヶ岳へ。平ヶ岳はいつも鳩待峠から尾瀬ヶ原を横断して白沢山から県境稜線ルートばかり。 今回のコースは直前に突然インスピレーションがわいてチャレンジ。必要だと思う装備を車に詰め込んで、とりあえず関越道小出インターから奥只見の銀山湖までやって来た。 氷塊の浮かぶ北極海の海をカヤックで渡りながら、氷河を滑る旅なんて、なんて大きな冒険だろう。ちょっと創造力を働かしてみたら、そんな果てしない大きな夢のかけらほどだけど、小さな小さな冒険が実現した。今までにも何度も訪れていた山上の巨大ダム湖だ。 いきなり漕ぐことはできないのだ!海の上以外のシーカヤックは、陸の上の魚みたいなものだというのは先入観である。スキー道具やらキャンプ道具やらで、本体の重量もあわせて60kg以上あろうかというのに、氷のような堅い雪の上ならそりになるのだ。こうして湖までカヤックを引っ張っていく・・・ 湖にカヤックを浮かべ漕ぎ出す。ちょっと日本離れしているこの景色。雪山をバックにして氷塊が漂い、行ったことも見たこともない北極海のフィヨルドの海はこんな景色じゃないかと、勝手に想像してしまう。時速7kmで快調に湖の最奥部のベースキャンプを目指す。もう探検家気分なのだ。 大小の沢が入り組んだフィヨルドのような地形。地図だけでは、初めての人ならどこか違う入り江に迷い込んでしまうかもしれない。もちろん自分自身は通い慣れたフィールドだから迷うべくもないけど、今までと違うこの白い景色の中で漕いでいると、未知の海を探検しているかのような夢を見たくなる。 2時間ほどでベースキャンプ地に上陸。湖岸はどこも雪原だった。水位が変化しなければ問題ないけれど、雪解けの多い時期なのでちょっと不安になる。増水しても逃げ場がある場所にテントを張る。 残念なことにエアマットを忘れた。落ちている針葉樹の枯れ枝などをマット代わりにしたが、冷気は防ぎようもなくて一晩中寒くて眠れなかった。翌朝、テントにもカヤックにも霜がびっしり付いていた。 5時にウロコ板スキーで歩き出す。平ヶ岳登山ルートの核心部は、取り付きの細尾根である。最初に取り付いた尾根は見事にはずれ、2時間弱のタイムロス。1本沢をはさんだ向かいの尾根をルートにとる。こちらが狙いのルートだった。 細い尾根をウロコ板やツボでグングン高度を上げる。やがてまわりを一望できるようなってくると、デブリやクラックがいたるところにある右の沢が、帰りの下山ルートとして使えそうなことがわかり一安心。かなりの時間短縮ができる。 なんとか稜線に辿りつくことができ一安心だ。稜線に上がると、そこからは上り下りの緩やかな尾根歩き。クロカンテレマークのスキーヤーにとって、もっとも得意とするところだ。 登っては滑りを繰り返し、いくつもの小ピークを越えていく。歩きなら、とても日帰り登山は無理だろう。目指す平ヶ岳は遙か彼方だ。静かな黒木の森の中を軽快に飛ばしながら、清々しい春風を感じる。 右に左にと遙か彼方に見覚えのある白い山々が眺められる。休憩など朝の5時からほとんど無しで、歩きっぱなしである。しかし、いくらでも歩ける気分だ。目指す平ヶ岳も、やがて眼前に大きく横たわるかのように現れた。 ようやく平ヶ岳が近くに感じられる距離となってきた。ほとんど樹木のない真っ白い大斜面に取り付いて、ウロコをきかせてひたすら登っていく。 平ヶ岳の前衛峰である池ノ岳(2090m)に立ったとき、平ヶ岳の山の大きさに圧倒される。山頂を踏まなくても、この景色を眺めるだけで十分だと思う。 でも、まだ正午まで小一時間あるので、行ってみることにした。 ベースキャンプから6時間45分。登山ルートの取り付き地点から3時間45分、ついに平ヶ岳山頂に立つ。不安と苦闘から解放されて至福のひとときだ。 だだっ広い山頂を歩き回る。カヤックで渡った銀山湖も眺められた。 続く

冬の慶良間諸島カヤック旅2

4日目(2004-12-28)  天気予報では、沖縄近海に低気圧が発生するという。そしてこれが、太平洋南岸を北上するらしい。冬、関東平野に大雪を降らせる原因になる気象条件だ。昨夜の散歩では、奇妙なほど星空と満月が綺麗だった。とても天気予報を信じる気にはなれなかった。ところが夜半を過ぎ、突然台風並の風がきっちりと吹き、大粒の雨がバラバラと落ち始めた。  午前中、宿のご主人のご厚意で、座間味島を案内してもらった。カヤックから見るのとは違う海を知ることができた。また、南海の島特有の自然や歴史、住んでいる人たちの様子など、大変興味深いお話も伺う。宿の食堂に、3冊それぞれが立派で分厚い装丁の座間味村史が置かれていた。午後は、自転車を借りて海洋博物館へ出かけた。特攻隊で若き命を幸運にも落とさないですんだという館主の、慶良間諸島の歴史についての語りはとても熱い。この慶良間諸島が、琉球王朝と朝鮮半島や中国との貿易などの外交上の要衝だったらしい。優れた航海術や外洋を航海する船舶技術などがあった。そして何より興味深かったのが、琉球王朝の平和的な外交姿勢や日の丸についての考え方等々。  午後、時々小雨が降る中をいざ出航! 阿真ビーチの入り江から沖合にでると、とたんに風が強くなる。雨は降ったりやんだりだ。それでも海はあたたかいところが、沖縄だ!カヤックからシュノーケルをつけて珊瑚礁の海に飛び込む。この辺りの海の魚たちは、人間になれているのか寄ってくる。魚肉ソーゼージを小さくちぎって海中にバラまくと、たくさんの魚たちが集まってくる。昨日の座間味島東端のダイビングスポットの海では集まってこなかったのに・・・  いよいよ最後の夜になってしまった。明日は東京でも雪になる可能性が高いという。午後の高速船は欠航になってしまった。悪天候を吹き飛ばして、それなりに充実した一日だったが、夕食時になって「明日はどうなるんだろう。」と、ちょっと心配になってしまう。宿のご主人によれば、フェリーは大丈夫でしょうということなので、あまり悩まないことにする。 5日目(2004-12-29)  最終日になってしまった。実は少なからず天気が良くなることを期待していた。しかし、強風が吹き荒れ、沖合の岩礁に打ち寄せる波は、怒り狂っている。キッパリとあきらめがつくというものだ。臨時の防災無線が阿真集落に響き渡る。どうやら高速船はすべて運休。フェリーも時間変更して、午後2時30分発。とりあえず本島に戻れるようで一安心。でも、東京に降雪があったようなので、まだまだ心配の種はあるのだが。  さぁ、撤収だぁ。時折パラパラと雨粒が落ちてきたりしながらも、流れゆく雲に晴れ間が広がりはじめ、まさに撤収日和である。水洗いをして干すと短時間で乾いていく・・・  撤収作業にたっぷり3時間もかけてしまった。宿のご主人のご厚意で、荷物を宅急便屋さんまで車で運んでもらう。そして、4日間お世話になった「ペンションはまゆう」さんとお別れだ。相変わらず風は吹き荒れていたが、太陽が燦々と輝きはじめると、さすがに南国の温かさを感じる。フェリーの時間までやることがなく、ブラブラしながら南の海のカヤックやシュノーケリングの心地よさの余韻に浸った・・・