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野反湖から秋山郷へ1999年秋

「信州の秋山郷からこの地蔵峠を越えて上州の入山郷へ抜ける山道は俗にこれを牛道と称し、かつては越後から入山へ米を運搬するために牛を通したことのあるだけに、道幅も広く相当の往来もあったが、近年は碌々手入れもしないために熊笹の跳梁するところとなり、山慣れた人でなければ通過もなかなか容易ならぬ状態である。」(上信境の山々・中村謙著 地蔵峠越えより 昭和12年) おそらく昭和10年頃には、かつて盛んに使われていた道もかなり寂れていたようである。この道がもっとも繁栄を極めたのはいつ頃なんだろう。激動の明治維新の時代、幕臣小栗上野之介の夫人が政府から逃れるため、この道を通って越後へ逃げたという歴史がある。当時は、この道を「謙信越え」とか「越後新道」などと呼んだようである。「当時ようやく牛の通る程度(馬には通れぬ)に開かれたばかりで、・・・」とあるので、秋山への道が賑やかだったのは、それ以後の明治初めから昭和の初め頃までの期間だったに違いない。こんな山道を米を運ぶ牛が歩いたらしい。もっと時代をさかのぼって、鈴木牧之の秋山紀行では、「野反道」と出てくる。それからさらに、これより20年前、佐久間象山が鉱物探査のためにこの道を歩いている。1828年のことだ。どうやら昔からこの道は細々とあった。秋田マタギが狩猟をしたり、入山の木地師が木を探したりするために歩かれたんだろう。 野反湖を7時半に出発。日本海側は荒れ模様の天気ということで、風が強く寒い。こんな天気でも、白砂山へ登る人は結構いるもんだ。すでに登山口に二台、そして私たちと相前後して出発するペアが二組。しかし、秋山へは私たち4名だけのようだった。登山口からちょっと自転車を押し上げると、ハンノキ沢まで自転車に乗って下ることができる。しかし、体がまだ鈍っていて自転車のバランスがうまくとれない。冷や冷やしながら下る。ハンノキ沢から地蔵峠までは、担ぎである。フレームの三角に頭をつっこんでゆっくり坂道を登る。今年は紅葉が良くないようだが、野反湖の紅葉はそれでも今が盛りのようで、霧のベールから浮き上がるように樺の白い幹と黄色い葉が山肌を彩っている。強い風が吹くと、木々の露が雨のように散り、体を濡らす。いつもならこのつらい上りは汗で濡れるはずだが、今日は背中がほんの少し汗ばむくらいだった。8時半頃、地蔵峠に着く。 ここには小さな地蔵が安置されていて、言い伝えの記録がある。このお地蔵さんは、長野原の人が岩菅山へあげるためここまで背負いあげたのであるが、不思議なことにこの峠から先に進むと足が痛み出し、退くと即座に直るのでそのままここに置かれたという。背負いあげたとあるので、小さな地蔵といえども人力でここまで来たんだから大したもんである。穿った見方をすると背負ってきた人夫がもういやになってそんな話を作ったのかもしれないけれど、このお地蔵さんはこの場所がふさわしいと思う。かなり風化しているけど、赤い毛糸の上着や登山者のチョッキを着せてもらって、みんなから愛されているようだ。白砂に登るにしても秋山に抜けるにしても、なんだか御利益があるような気がするお地蔵さんだ。地蔵峠から北沢への道は、急な斜面を斜めに横切るように緩やかにつけられていて、つらい担ぎから解放される。この斜面は、残雪期の頃だと根曲がり竹も埋まりスキーでの滑降も結構楽しい。ただし帰りの登り返しはきつい。北沢は小さな沢。石伝いに渡って、ここで一休みする。最後に渡った家内は、石に足を滑らせ水の中にこける。この夏クワウンナイ川の沢登りでも滑床に足を滑らせてこけていたが、まったく危なっかしい。 さてここからつづら折りのつらい登りだ。身の丈以上ある根曲り竹が繁茂し、地形がさっぱりわからないほどだ。春、つづら折りを登りあげたこのあたりは雪原になっていてとても気持ちよいところなんだけど、春を知らない人には決して想像できないだろう。以前ベースキャンプを張って、存分にスキーを楽しんことがある。大倉山の南斜面はスキー向きのなかなかいい斜面だし、私たちは趣向を凝らして千沢へ滑り込んでみたり、大倉山の北西斜面をイタドリ沢めがけて滑ったりした。ほとんど水も涸れている荒戸沢を過ぎると、大倉山の西斜面をへつるように付けられた道になる。昔から左京横手と呼ばれているところだ。今日はガスで見えないが、晴れていれば時々野反湖を振り返ることができる。また、轟々と深い谷間を流れる千沢の滝を垣間見ることもできる。これもこんなに風がうるさい今日のような日では、滝の音も聞こえてこない。今日の私たちは、のんびりと話しなどしながら歩くだけだ。時々倒木が行く手を遮る。牛はどうやって通すだろう? イタドリ沢も何気なく通過してしまい、あとは西大倉山への登りだけだ。このあたりも春ならば雪原になっていて、テント張って2~3日のんびりしたいなと思うようなところである。しかし、今は根曲り竹が繁茂し、とてもそんなところだなんて想像もできない。西大倉山からは、待望の大倉坂のダウンヒルだ。大倉坂はダイグラと読む。曲折が多く、現在の地図では百八十曲りと書かれているが、古い文献寄れば百九十三曲りあると書かれている。タイトターンが好きなマウンテンバイカーにとっては、最高の道だ。おもしろいことにここからは、ブナを中心とした広葉樹の森になるが、あれだけ繁茂していた根曲り竹が少ない。ふかふかの落ち葉に敷き詰められたブナ林の中を、心まかせに自転車で下るこの楽しさは、なんと表現したらいいんだろう。九十九曲り目にツキガネ段という名所があるそうだ。撞鐘によく似た石があるというのだが、昔はここから渋沢へ下るルートがあったそうだ。 12時、奥州平と呼ばれる渋沢出合いに降りる。奥州平とはよく言ったもので、おそらくこのあたりで活躍した秋田マタギが由縁の名前だろう。鬱蒼としたブナなどの巨木の森で、森の臭いがぷんぷんする。昔入山の人が使っていた小屋が朽ちた姿でまだ残っている。屋根はしっかりしているので、泊ろうと思えば泊れるが、私にはその勇気はない。渋沢にかかる立派な吊り橋を渡ると、渋沢ダムがある。珍しくダムで何か作業をしている人が数人いた。風が強くあまりにも寒いので、避難小屋に入ることにする。 このバラックもかなり古くなっていて、隙間風がビュンビュン吹き、寒い。そんな小屋だが、シーズンにはかなりの釣り人が利用しているようだ。ノートには、釣り人の様々な想いが書き綴られていて、結構おもしろい。私もつまらないことを書き込んで、12時45分出発することにする。さてここからは、水平歩道を行く。渋沢ダムができる前はもちろん無かったので、右岸に道が付けられていた。しかし今はもう無いと思う。その痕跡を訪ねてみたいと思うが、ちょっとそれだけの気力はない。昔の文献からその様子を伺い知るしかないだろう。 「(奥州平の)営林署の小屋からは、ほとんど眺望のない、尾根がらみの道を、あるいは小尾根に登ったり、あるいは小沢に降りたりして四キロばかり進むと佐武流川のほとりに出る。これより約一キロ半登った三角点の1,631メートルの尾根上に1里地蔵とて高さ二尺ほどの石地蔵尊がある。ここまで達すると、まもなくして九十九曲りと呼ばるる急峻な坂道の下りにかかる。檜俣川を飛び石伝いに渡り、対岸に林道を求めてブナや川胡桃の林を穿行するうちに、いつしかエラ寝平とてエラの木の多い平に出て、まもなく佐武流山からの林道に合する。ここからドロ平を経て深沢の上流を渡れば和山はもう間近である。」 また、鈴木牧之の秋山紀行には、秋田マタギがこの奥州平から魚野川をさかのぼって、燕滝から小ゼン沢をさかのぼり草津へイワナや獣の肉、毛皮などを売りに行ったことが書いてある。まったく秋田マタギというのは凄い山の生活技術をもっていたんだなと感心する。またそのころ主に猟師や木地師を生業にしていたらしい入山の人の生活や方言なども紹介されているのが興味深い。 水平歩道は、昔の苦労などまったく感じさせないほどに、快適である。ただ魚野川の断崖の中腹に付けられているので、時々眼下に魚野川が切れ落ちていて、怖い。小さな沢を跨ぐとき、イワナが五~六匹走った。仲間と騒ぐ。どうやら今年の紅葉はここでも今ひとつだが、それでも見とれるほどのいい景色だ。二つ目のトンネルはやっぱり通行禁止だった。入り口に鍵がかかっていて、山越えの道がある。初めて来たときはまだ通れたのにな。どうも崩壊の危険があるようだ。ここを過ぎれば、また快適な道が続く。短いトンネルを二つくぐって少し進むと、ようやく水平歩道も終わり、魚野川に向かっての急斜面をつづら折りに下る。ここもなかなか手強いが、結構乗車できる。マウンテンバイカーにとっては、最後のハイライトだ。つづら折りを下りきり、高橋吊り橋を渡ると車も通れる林道に出る。切明までもうすぐだ。魚野川水平歩道はきわめて快適。

BIKE&KAYAK 琵琶湖

2011年 11月2日 晴れ 信州の山奥の廃村にかつてあった棚田を復活させるために、築100年以上の古民家に移住する泥兎氏(かつては雪兎氏だったが・・・)を訪ねた。苦労するも泥兎氏自慢の開墾した田や畑、小道や水道などを案内してもらう。そして長い夜は、久しぶりの再会で楽しいおしゃべりは尽きない。囲炉裏で焼いたごちそうの五平餅は、なんとこの秋に初収穫した棚田の新米だ。さらにお風呂も、わざわざ薪で沸かしてもらったお湯という贅沢さ。 翌朝も天気は素晴らしく晴れて、鹿島槍から白馬三山までの稜線がスッキリと眺められた。気分がいいので、朝食後、泥兎氏夫妻が自家焙煎のコーヒーとアップルパイがお勧めだという、大町市のカフェまでサイクリング。 自家製アップルパイはボリューム満点で、二人で1つをいただいた。古いスキーを使ったインテリアは、春の雪倉岳や朝日岳の楽しかったスキーツアーが想い出される。お世話になった泥兎夫妻とお別れして、午後は初冬の雪倉岳を眺めにチョコっとツーリング。 紅葉に彩られた秋の山も過ぎ、純白になる厳しい冬を前に何も身にまとわずスッキリとした山容の雪倉岳が、ひっそりと静かに眺められた。温泉は、富山県朝日さざ波温泉、車中泊は北陸道SA有磯海。 11月3日 晴れ 滋賀県彦根市r2~長浜市r331~道の駅湖北みずとりステーションr44~木之本R8~塩津R303~大浦r557~海津r54~今津r333~高島市道の駅しんあさひ風車村 翌朝、北陸東海縦貫道を経由して名神高速道彦根インターまで移動。午後12時半に多景島や竹生島への観光船が発着する彦根港をロードバイクでスタート。なんとなく反時計回りだ。休日の琵琶湖の道は、サイクリングを楽しむ人がほんとうに多い。道も平坦で走りやすく、景色もいいし、キャンプ場や公衆トイレのある施設が適度にあって、ツーリング環境は申し分ないと感じた。 琵琶湖の水面を身近に感じながら走っていて、一番強く感じたことは水に恵まれた豊かな土地だということ。琵琶湖に注ぐ無数の河川や湧き水と肥沃な水田が、歴史と文化を育んだことは当然だろう。そして、琵琶湖に生息する水鳥の多いことにも驚いた。車通りの多い道端からでも、大小様々な水鳥が群れている姿が観察出来た。 11月3日文化の日は、各場所で様々なイベントを通り過ぎる。長浜市は、大河ドラマ「江」ゆかりの地。秀吉の居城だった長浜城、合戦跡の賤ヶ岳など快調に通過、ところが塩津で県道512号線の奥琵琶湖パークウエイの入り口を見落とした。おかげで楽はしたけど、琵琶湖岸をパーフェクトに1周出来なくなってしまい、ちょっと心残り。 その後は、注意深くナビゲーションして、午後3時半ぴったし、高島市の道の駅しんあさひ風車村を今日のゴールにする。本日の走行距離約70km。移動平均速約22km。本日の温泉は高島市朽木のてんくう、車中泊は道の駅くつき本陣。 11月4日 晴れ 道の駅湖北みずとりステーション付近~奥琵琶湖~竹生島~海津大崎 昨日、自転車でカットしてしまった奥琵琶湖パークラインからの心残りの風景を確かめるべく、今日はカヤックツーリングだ。道の駅みずどりステーションでフェザークラフトのK1を組み立てていると、すぐ隣にある環境省施設の職員の方から、ちょうど飛来している雁に刺激を与えないようこの付近から出艇しないでくださいと声をかけられる。あの「大造じいさんと雁」の雁である。ということはシベリアからの冬の渡り鳥にちがいない。たしか雁のリーダー残雪はそうとう頭が良くて仲間思いだった。。職員の方の話ぶりから雁はそうとう大事にされている水鳥のよう。組み上がったカヤックはもちろん車の屋根に載せて移動。近くの片山トンネルの入り口付近から出艇した。 天気予報では全国的に快晴のはずだったけど、琵琶湖はやはり盆地の中の大きな湖という特殊な地形のためか、湖面は朝から濃い霧でいつになっても晴れる気配無し。カヤックから賤ヶ岳を仰ぎ見てみたいと思ってたけど視界無し。でも幻想的な雰囲気でよかったかも。 奥琵琶湖パークラインのつづら尾展望台がある小さな半島の岸にカヤックを着けて、早めのお昼にする。この半島の先端から竹生島までは2kmしかなく、島渡りするのに一番距離が短い。今日は風も弱くほとんど凪ぎ状態なので、島を回って海津大崎まで漕ぐことにする。 ここまで漁をしている漁船1隻と、ブラックバスを狙ってるモーターボートの釣り船2隻とすれ違っただけ。のんびり竹生島に近付いてカヤックからお寺や神社を眺めていたら、突然島影から観光船が港に入ってきたのにびっくり。ちょっと焦った。 海津大崎までのんびり漕いで、大崎観音の近くの浜でカヤックツーリング終了。サポートの家内にピックアップしてもらい、高島町朽木のてんくう温泉へ。車中泊は、道の駅くつき本陣。 11月5日 曇り後雨 高島市道の駅しんあさひ風車村r333~萩の浜R161~道の駅琵琶湖大橋米プラザ~大津港r18~r102~石山r559~近江八幡市r25~彦根市 一昨日のゴール地点である道の駅しんあさひ風車村からスタート。今日もやっぱりどんよりとした朝で、湖の景色はぼやけていたけど、白ひげ神社の鳥居あたりで雲間から朝日が射しだした。 国道161号線は交通量が多くチョッと走りにくいけど、ほとんど平坦な道なのでなんと快適なことか。朝の6時半頃出発して、途中琵琶湖大橋のたもとの道の駅に寄り道休憩して、9時頃琵琶湖の南端の瀬田の唐橋を通過、今度は琵琶湖東岸を北上。通称さざなみ街道といわれる県道559号線は、まさに自転車にとって快適な道。だんだん空が怪しくなってぽつりぽつり降ってきそうな気配のする中、1周のゴールである一昨日のスタート地点、彦根市の彦根港を目指す。 ちょうどお昼の12時きっかりに到着。一昨日は12時半にここをスタートしているので、琵琶湖は1日で1周できるちょうどいいコースだと実感。いつか時計回りでまた走りに来たいところだ。 本日、温泉無し、車中泊無し。

中之条町・嵩山トレッキングガイド2025-5-5

山と高原地図浅間山の2025年度版から吾妻の山のコース紹介が新しく加わり、この嵩山ももちろん掲載されています。毎年5月5日の子供の日に嵩山祭りが盛大に開催されているということで、どんな様子か楽しみにしてやってきました。駐車場は大変混雑するということで、お隣の中之条ガーデンズからE-MTBでのどかな山里の新緑を楽しみながら正面に聳える嵩山へ。 嵩山登山口になる道の駅嵩山に近付くと、親都神社の祭典が始まっているようで、道の駅内にはいろいろなキッチンカーも立ち並び、これからいよいよたくさんの来場者で賑やかに盛り上がり始めた雰囲気が伝わってきました。観光協会の方も忙しく動かれていました。 今回は東登山道からスタート。チゴユリやジュウニヒトエの花が道脇にたくさん咲いていて和ませてくれます。途中から大天狗に行かず胎内岩コースに入りました。ここにも鎖場が待ち受けています。 そしてここを通過できるかどうか試されます。もし通過できない人は潔くあきらめて回り道コースを歩きましょう。ほどなく小天狗へと続く山頂部の稜線に上がると、あちらこちらでファミリーやグループ登山者の賑やかな話し声が聴こえてきます。まずは烏帽子岩と五郎岩コースへ。 新緑が始まったばかりの森の小道は、ヤマツツジやミツバツツジがちょうど見頃で目を楽しませてくれます。こちらのコースは登山者は誰も来なくて静かだったので、五郎岩でゆっくりとお昼休憩にしました。 昼食後、五郎岩から仰ぎ見た大天狗へ登りました。さすがにこちらは次から次へとたくさんの登山者が登るので、小さな山頂は順番待ちもあります。今日の子供の日は小さな子供たちもファミリー登山で登りに来ていて、キャッキャキャッキャと本当に賑やかで楽しそうでした。 大天狗の後、中天狗を周って小天狗へ。最後の見納めに小天狗から吾妻の景色を見渡します。まだ白い山並みの白砂山から上の倉山にかけての群馬県境稜線の山々は、上杉氏が支配する越後の国との境です。 左に目をやると吾妻谷の景色が広がります。さらに奥には浅間山があり、その向こう側は真田氏の居城、上田城のある信濃の国です。 道の駅嵩山には、無料で観覧できる忍者資料館がありました。吾妻には他にも忍者が活躍した山城のある里山がいくつもありますが、これらの山に登って戦国時代の忍者が見た山頂からの景色に思いを馳せてみるのも楽しいです。 トレッキングコース探査・嵩山2024-5-21 – 山雨海風のウラヤマな日々2

シークレットkuniBCガイド2025-4-28

24日のガイドから4日ぶりの芳ヶ平湿地群展望台です。暖かい晴れの日が続いているので雪融けもかなり進んでいますが、それでもまだなんとか雪渓をつないでツアーが出来そうです。 いろいろなパターンで今日のコースをいくつかイメージすることができました。でもかなり雪面は荒れてきているようで、気持ちよくターンできるかちょっと不安です。スピードの出し過ぎは禁物です。 渋峠スキー場の賑わいの音を背中に感じて、池の塔山2217mの山頂へシール登行で軽くハイクアップ。今のところ遠くの山も良く見えるので午前中は心配ないですが、天気予報だと午後遅く寒気が入って北海道は雪になる予報。ということは、この辺りも雨ではなく雪になりそうです。 午前中に2本、楽しく滑りました。お昼ご飯を食べて3本目のコースを前にして、冷たい風が吹き始めました。どうやら天気の変わり目です。 早めに切り上げて渋峠ホテルで休んでいたら、外は雪が舞い始めていました。 今日はベテランのゲレンデスキーヤーの方を初めてのバックカントリーにガイドさせていただきました。

白砂山BC偵察2020-4-11

いつの間にか5年前になってしまった2020年4月11日の白砂山BCです。大きな雪庇が発達しない年だったので、雪庇の崩壊やブロック雪崩などで稜線の雪はズタズタにならず綺麗なものです。 この時は中尾根の頭の左肩にアプローチできる通称タカンボウ尾根をルートにできました。登山道ルートのシラビソ尾根往復よりも快適にトレースできます。ただしタカンボウ尾根はハンノキ沢のスノーブリッジが頼りです。昨日の地蔵山までの偵察では、今年はもう時期が遅くてアプローチに使えませんでした。 正午過ぎ白砂山山頂到着。約4時間のコースタイムでした。白砂川の源頭斜面も綺麗な雪付きです。どこまでも滑って行きたい衝動にかられますが、3ターンで踏みとどまって下山。 群馬県側を上手にトラバースしながら堂岩山と中尾根の頭の鞍部を目指します。 こういう上り下りがあってエッジングも必要なトラバースルートこそ、ウロコ板の真骨頂です。 タカンボウ尾根も少し起伏のある尾根なので、こういった場面でもウロコ板は大活躍です。 2020年はスノーブリッジが最後の一つで残っていました。2025年の今年は、4月半ばになって暖かい日が続いたのであっという間に雪が融けてスノーブリッジも消えてしまったようです。 大雪の今年こそ、このようなスノーブリッジに期待していたのですが・・・

シークレットkuniBC縦走ガイド2025-4-24

今年の冬季閉鎖解除されたばかりの志賀草津道路は、まだまだ残雪がたくさんありました。自転車利用で渋峠までアプローチして、厳冬期にツアーするいつものルートの逆移動で楽しく縦走することができました。 渋峠ホテルのウラヤマ、池ノ塔山からは北アルプスの山並みが一望でした。振り返れば岩菅連峰や苗場山、白砂山連峰までもこれまた一望です。 国道を横断する場所は高い雪の壁の場所が多いので要注意箇所です。上手く通過する場所を選定するのがコツです。また、これから日毎雪解けが進むので、雪が繋がらなくなります。ツアーが快適にできるのはGW前半までの短い期間でしょう。 お昼近くになってくると、気温がかなり上がってきて夏の暑さを感じました。日陰が恋しくなります。 雪の回廊で記念写真を撮ったりしている観光客はまばらでした。今日が平日だからというだけでなく、雪崩で通行できない箇所があって草津温泉ゲートの開通式が延期になったままだからでしょう。雪の回廊を上から覗きながら、すぐ下の好スロープを滑ります。 坊主山でゆっくりお昼休憩をとりました。残雪がまだら模様に美しいモザイクを作って、まさしく自然のアートです。 そして、お楽しみの最後の大斜面です。

シークレットkuniBCガイド2025-4-20

初夏のような陽気が続いて山里では桜の花が咲き始めています。雪融けもどんどん進んでいて、一昨日の下見から比べると雪がどんどん少なくなっているのがわかりました。今日は三壁山からエビ山へとつなぐバックカントリーならではのコースを楽しみました。でもこの雪融けの早さを目の前にすると、スノーブリッジが目当てのルートはそろそろ心配になってきます。 壁のような急坂が3回あるから三壁山ですが、これがなかなかきつい登りです。スキーアイゼンを付けたほうが楽に登れたかもです。でも高度を上げるごとに、眼下に素晴らしい野反湖の山々の景色が広がっていきます。 薄曇りの天気がちょうど良かったです。遠くの山々の景色も苗場山や白砂山などが眺められて十分楽しめました。 腰を下ろしてゆっくりと三壁山頂でお昼の時間をとりました。23日の道路開通を前にキャンプ場の方で忙しく駐車場の除雪作業をしている音も聞こえていましたが、お昼休みに入ったようで静かになっていました。今日のような春スキーは風が気持ち良くて最高です。 三壁山からはエビ山との間の沢に向かってスキー向きの尾根を滑り下りました。すでにスノーブリッジの崩壊は進んでいて、沢に近付くほど賑やかな沢音が大きくなってきました。 ここからは慎重なルーファイが必要です。そんな時、今まで見たことが無かった幻想的な小さな池を発見しました。もちろん地図にも載っていないしびっくりです。 きわどいルートでスノーブリッジのある沢床に滑り降りて、今度はエビ山目指して登り返します。根上がりのコメツガの古木が目につく森は、ずっと手つかずの自然である証でしょうか。ほとんど人の入らない原生林には霊気が感じられます。 午後1時半、予定通りエビの見晴らし台とうちゃこ。一昨日に偵察した時よりもやはり雪融けが進んでいることを実感します。 午後を周ってからさらに雪が緩んでスキーの滑りが鈍くなりましたが、それでも湖面に向かって気持ちよくシュプールを描いて滑りを楽しみました。 八間山をバックに湖畔でシーハイル!

尾瀬・至仏山BC偵察2025-4-17

明日18日午前10時からいよいよ戸倉から鳩待峠まで冬季道路閉鎖解除になります。津奈木橋近くまで来ると笠品川にはまだスノーブリッジがかろうじて残っていますが、今冬の大雪を物語っています。 鳩待峠では明日の開通を前に急ピッチで除雪作業をしていました。邪魔にならないように裏から至仏山の登山コースに周りましたが、至仏山がでっかく眺められる場所がありました。 前回12日に歩いた時はまだなかった新しい赤布がコース上にわかりやすく付けられていました。気温が今日も高いので、ウロコでも十分に歩けます。 小山沢田代付近でシールを剥がしてウロコにチェンジ。 小至仏山のトラバース入り口付近で植生保護の看板も設置されていました。雪が少ない年はこの辺りでもうハイマツや蛇紋岩の地肌が顔を出していますが、今春はまだまだ大丈夫そうです。 トラバースルートから外れて小至仏山の山頂に久しぶりに立ち寄ってみました。 午後12時半至仏山山頂。ムジナ沢を偵察する予定でしたが、ワル沢に変更。少し風が強いのでお昼ご飯は風の弱いところまで滑って食べることにしました。 前回のガイドからまた新たに山頂付近では積雪があったようで、ノートラックの大斜面を楽しめましたが、引っかかる雪質でちょっと手こずります。でも気分は最高で、お昼ご飯も忘れてどこまでも滑ってしまいました。 ワル沢の大斜面を見上げながらゆっくりお昼休憩をして帰路につきました。 明日から鳩待峠や至仏山は、大勢の登山者やスキーヤーで賑わうことでしょう。

尾瀬・至仏山BCガイド2025-4-12

サクラが咲いて春爛漫な季節になり、すっかりザラメ雪が楽しいバックカントリーシーズンです。ただし何日か前には落雷事故のニュースがあったり、昨日も家の近くで突然雷鳴が聴こえてきたりで、春の天候判断にも注意が必要です。土曜日の今日は素晴らしいバックカントリー日和になりました。そして鳩待峠までやって来てびっくり。久しぶりの大雪だった今冬を実感した残雪量でした。 もう9時を過ぎていましたが、これからのんびりハイクアップして、12時半くらいに至仏山山頂に到着する予定です。気温もかなり上がっていて、雪も緩んでいます。ゲストさんはもちろんシール登行ですが、私はウロコで全然大丈夫そうなのでシールは貼らずにハイクです。 途中賑やかなグループを追い越して、オヤマ沢田代を過ぎると左の景色が開けて谷川連峰の山々が迫力です。ただ今回は残念ながら、春霞で白砂山の奥の方の山々は見通せませんでした。 小至仏山のトラバースも安定した雪質で不安感はなく、それでも念のためにスキーアイゼンを付けてもらって歩きました。ここからの尾瀬ヶ原の絶景は思わず息をのむ美しさです。 小至仏のトラバースを終えて、3度目の最後の休憩です。昨年の4月13日のここからの景色を想い出すと、やはり今春の残雪の多さを実感です。昨年はハイマツや岩塊がたくさん顔を出していて、かなり右下をトラバースしました。今回は稜線上をきっちりとトレースできます。 午後12時20分、至仏山山頂到着。山頂は日も暖かくて風も穏やかで、のんびり休憩することが出来ました。すでに登頂しているグループものんびりまどろんでいます。また既にムジナ沢を滑ったグループが登り返してきます。今日はたくさんのバックカントリースキーヤーたちが楽しんでいるようです。 いよいよダウンヒルです。ワル沢にはすでに何本ものシュプールが刻まれていましたが、まだまだ周りにはノートラックの面ツル斜面がたくさん残されていました。そして雪質に恵まれて、気持ちよくワル沢の大斜面に自由自在なシュプールを描くことが出来ました。 滑り降りたボトムの川上川は、まだまだ雪の中に埋もれていました。いつもなら渡渉地点を少し探さなければならないのですが、今年はそんな苦労はまったくなしです。一番楽なルートで鳩待峠に登り返すことが出来ました。 鳩待峠着午後1時45分。戸倉ゴール午後2時20分でした。

シークレットkuniBC偵察2025-4-8

ダート道をチャリでアプローチ。林道奥から登山道をしばらくシートラして小一時間、ようやく雪の上をシール登行。ここのところ晴天が続き、昨日より気温も上がる今日はザラメがいい感じ滑りやすいことを期待して偵察連ちゃんです。 急斜面が続く尾根をハイクアップすると、やがて昨日滑った八間山が向こう側に現れました。気持ちよくザラメ斜面を滑った感覚が思い出されます。 反対側には迫力のガラン沢渓谷の奥に横手山です。一つ石へと続く細尾根の最後の急登を前に、スキーアイゼンを装着しました。一つ石直下は雪庇が出来るので、今日みたいな日はスキーアイゼンがあるときっと安心です。 帰りに滑って降りようと予定していた一つ石ボウルですが、大きなクラックが入ってズタズタに切れていました。さらに山頂直下も。 強引に這い上がることも出来そうでしたが、滑降モードにチェンジしてウロコで雪の繋がっているところをうまくルーファイして一つ石山頂へ。午前10時25分通過です。 一つ石ボウルを滑るのはやめて奥の斜面へ。裏天狗と勝手に名付けているコースを滑って帰ることにしました。 一本滑ってウロコで登り返している途中で新しい熊の足跡を発見。子熊かな?先にこちらの気配に気付いて逃げた感じです。ところが裏天狗を滑っている途中でまたもやクマの足跡。今度は大きい。クマさんの縄張りに侵入しているのはこちらですから、逢わないように気を付けなければです。 一つ石ボウル下部を午前11時11分通過。なぎ倒されてぶった切りにされたダケカンバの悲惨な残骸がデブリに半分埋まっていました。大きな雪崩が起こった痕跡です。 気が付いたらザラメシーズン真っ只中です。