BIKE

尾瀬・至仏山BCガイド2024-4-13

今日は先週の偵察の時よりも数倍条件の良いバックカントリー日和でした。目指す至仏山山頂は雲一つなく、しかも風もほとんどなくて快適です。 陽射しもそれほどではないのでストップ雪の心配もなさそうです。それでも少し春霞みの影響もあり横手山や白砂山稜線は目を凝らさないとわかりにくい感じでした。もちろん谷川岳の一ノ倉沢の大岩壁も巻機山も越後三山もはっきりわかりました。 浅草岳や守門岳は霞んでいました。一番気になったのは燧ヶ岳と会津駒ケ岳です。今年もおいでおいでと手招きしているようです。 正午ちょうどに山頂到着。戸倉を8時半にスタートしたので標準タイムのペースです。3日前の大雨でスノーブリッジが心配でしたが、ワル沢を落としました。 ムジナ沢もエスケープルートで考えていましたが、今日のこの恵まれた天気と時間を考えての判断です。 結果的には二つの沢は渡渉もなくなんとかスノーブリッジが残っていてスノーシューでも無事に通過できました。

野反湖三壁山BC偵察2024-4-12

赤城南面の千本桜が満開らしい。シークレットkuniのウラヤマも、ここ数日間は春爛漫な陽気でバックカントリー日和です。 雪解けの早さが心配なので、三壁山の偵察に行ってきました。厚い氷の上に3日前の大雨が溜まったからでしょうか、野反湖面がブルーに染まって綺麗でした。こんなのは今まで見たことないかな。 三壁山頂の山名標柱は三分の一くらい頭を出していました。稜線の雪庇はマイルドで、やはり3月の大雪による積雪だからだと合点です。 少し雲が出て遠くの山は霞んでいましたが、山頂からは苗場山や白砂山、一昨日沢の渡渉が出来ず目的が果たせなかった大倉山などが眺められました。 雪質は少しストップがかかりましたが、気持ちよく滑って下山できました。 今回は三壁山だけでしたが、三壁山からエビ山へと周遊するコースも楽しいです。

シークレットkuniBCガイド偵察2024-4-10

今シーズンは残雪が多めなので久しぶりに野反湖の秘峰大倉山のツアーが出来そうです。ところが昨日の大雨でスノーブリッジはもうどこにもなくて、しかも沢が増水気味で、結局叶いませんでした。 さらに上流のどこかにスノーブリッジを求めて偵察しましたがダメでした。 仕方なく八間山を茅ノ尾根ルートで登って滑ってきました。こちらのコースも雪の時期のBCは久しぶりです。 山頂は春爛漫で昼寝したら気持ち良さそうなくらいでした。白砂山を眺めながらゆっくりカップ麺ランチを楽しみました。 山頂からちょこっとフィルムクラストな斜面を滑って遊んでみました。茅ノ尾根の滑りは樹林の濃いところが多いですが楽しかったです。

偵察尾瀬・至仏山BC2024-4-5

もっとすっきりと晴れるかなと期待していましたが、残念ながらとうとう至仏山山頂付近の薄い雲は最後まで抜けませんでした。湿った風の影響です。 それでも気温はマイナスにはならなかったので、ザラメ雪が適度に緩んでいて小至仏山のトラバースも楽に通過できました。 今年の積雪の様子はというと、風の影響をあまり受けていないのでマイルドな積もり方です。見た目には多そうでもすでにハイマツが出始めているので実は少な目かもしれません。 山頂からの景色はいまいちでしたが、ムジナ沢から尾瀬ヶ原の様子が見下ろせました。 待っていても天気回復の見込みはなさそうなので、カップ麺を食べ終わったらすぐに下山です。ワル沢は濃いガスの中です。さらに雨が降ったのでしょう、大きな縦溝が出来ていました。ただいい感じにザラメが緩んでくれてとても滑りやすいザラメでした。 ガスの中の滑降は面白くないです。ワル沢は大きな沢ですが、ここだけガスが流れているようでした。 ムジナ沢はクリアだったのでこちらを落とした方が滑りは何倍も楽しかったかもです。 ガスが晴れたのはかなり標高を落としてからです。でも今日はまだ誰も滑っていないノートラックの大斜面を自由自在に滑って楽しみました。 ボトムに近付くにつれ古いシュプールの跡がいくつも集まってくるので、至仏山が人気の山であることがわかります。

偵察野反湖八間山BC2024-3-31

朝から気温急上昇。今日はグサグサのシャバ雪な一日でした。スタートからうろこが効きそうで、結局八間山山頂までシールいらず。うろこだけで快適に偵察が出来ました。 野反湖は3月に入ってからの積雪の増加を十分に感じさせてくれる雪景色でした。 例年だとイカ岩の肩直下は雪付きが悪くて石がゴロゴロと露出しているのでスキー滑降は厳しいコンディションです。でもどうやら今回は快適にターンが描けるくらい雪が積もってました。今日は登りのコースで滑って帰っても楽しそうです。 山頂山頂直下の大斜面から振り返ると、昨日滑ったシークレットkuniの山や谷が一望です。 八間山山頂の山名標柱は完全埋没でした。前回2月2日に来たときは半分しか埋まってなかったのを想い出しました。あと昨年も一昨年も埋まることはなかったです。山頂からは白砂山稜線や平標~仙ノ倉山方面の稜線が綺麗に眺められました。 お昼にはまだ少し早い時間でしたが、おにぎりとサンドイッチを食べてから下山。梢越しにダム方向の景色が開けている場所がありました。湖の厚い氷もこの陽気でどんどん融け始めているようです。 ところで、残雪が多いというと大雪の年だったみたいですが、今回は3月になってから降った雪がまだ融けずに残っているという感じでしょうか。

2011バイク&カヤックNAGASAKI4山口~長崎

7月21日 曇り時々霧雨 山口県下関市二見R191~JR下関駅R9~関門国道トンネル~R3福岡県JR門司港駅R199~洞海湾若戸渡船~二島r26~芦屋R495~福岡県宗像市道の駅むなかた全走行距離96km 台風通過の余波で、山陰地方はパッとしない天気。台風の影響をあまり受けなかった替わりに、台風一過の青空はおあずけ。ロードバイクのスリックタイヤでは、濡れた路面は危険なので、マウンテンバイクで走ることにする。レトロな山陰の景色も、下関市街に近付くにつれどんどん都会化していく。山陰本線の1両編成のディーゼルカーも気が付いたら2両編成の電車になって、通勤通学の人でいっぱいだ。ところで、当初は本州の端っこ下関をゴールにしようと思っていたけど、意外とあっけなく終わってしまいそうなので、いつしかもっと先の九州長崎に心変わりしていた。JR下関駅の東口でサポートカーの家内と合流、駅の観光案内所に行って地図をもらったり九州への行き方を聞いたりする。下関から九州へ行くには、車と自転車は別々のルートになる。高速道路の関門橋はもちろん関門国道トンネルも自動車専用道路なのである。徒歩と自転車と原付バイクは、関門国道トンネルの真下を通っている歩道を通行しなければならない。その入り口は関門橋の真下にそれぞれあって、自動車の入り口とはまったく違う場所にあるので、運転に不慣れな家内が道に迷わないよう念入りに打ち合わせをした。 九州へは中学の修学旅行で行ったことがあるけど、その時は新幹線であっという間に関門トンネルを通過しただけなので、今回初めて関門海峡を見た。さすがに狭い海峡は潮の流れが速く、おまけに大小様々な船舶がひっきりなしにすれ違っていく。こんなところカヤック通過するのはドキドキものだろうな。下関側国道トンネル入り口付近には、長州藩が欧米相手に戦争を仕掛けた砲台が展示してあり、激動の時代の名残を感じることが出来る。通行料金は徒歩だと無料。自転車原付バイクは20円。エレベーターで地下約50mへ。県境付近は海面下58mだそう。ちょっとハイテンション気味だったかな?エレベーターを下りるなり自転車に乗ってトンネル内を走り始めたら、即自転車から降りて歩いてくださいと放送されてしまった。スイマセン。注意書きの案内板をまったく見ていませんでした。 門司港フェリーターミナルでサポーターの家内と無事合流。近くの駐車場の木陰でお昼休憩した後、マウンテンバイクからロードバイクに乗り換える。そして、いよいよ九州の道をGO WEST。交通量の多い国道3号線をなるべく避けて、国道199号線を進んでいくと洞海湾を跨ぐ若戸大橋に出た。ところが自動車専用道路だった。他に洞海湾を渡る橋は無し。ちょっと戸惑ったが、かつて大阪の運河をカヤックで漕いだ時に、そういった場所には渡船が公共交通機関として利用されていることを思い出した。信号待ちのおじさんにダメもとで渡船のことを尋ねたら、なんとこの先に乗り場があるよと教えてくれる。一件落着、というより奇想天外な結果になり、自転車旅が面白くなった。人だけなら100円、自転車料金は別に50円で合計150円也。わずかな距離だけど、新たに橋を架けるのは建設費が莫大に違いないが、たとえそうであっても、昔ながらの渡船が残っているというのはなんかいい感じ。九州の大都市でもレトロな香りを嗅ぐことが出来た。 渡船の乗車マナーは、高校生のお手本に習う。乗らずにちゃんと押してました。渡船から下りて、ペダルをガンガン漕いで進むも、本日前半部分はマウンテンバイクだったので距離は伸びず。道の駅むなかたでフィニッシュ。お風呂は、ふれあいの館がすぐ近くに。 7月22日 曇り後晴れ 福岡県宗像市R495~R3福岡市R202~佐賀県唐津市~伊万里市~佐世保市~西海市r43~R202長崎市全走行距離212km 今日は九州の中心都市福岡市を通過しなければならないので、朝の早いうちがいいと思い夜明けと共に漕ぎ出す。しかし、博多駅近くの都心部ではちょうど朝の通勤ラッシュ時と重なってしまった。何が危険かというとバス。車道は歩行者や自転車通勤の人でごっちゃごっちゃなので車道を走らざるおえないのだけど、3車線の一番左側はバス優先レーンで、とにかくバスが多いのだ。間が悪いと、停留所ごとにバスの乗降で待たされ、はたまたバスの中途半端なスピードは、後ろからプレッシャーをかけられたり抜かされたり・・・自分のペースで走ることが出来るようになったのは、福岡市の郊外をさらに抜けて、国道202号線が唐津湾沿いを走るようになってから。サーファー達の車でほとんど埋まっていた二丈パーキングまで、ずっと朝食はお預けで走ってきた。 曇り空だったけど、ようやく晴れだしてくると、また台風前のあの夏のギラギラ太陽が照りつけるようになってきた。今までわりと涼しくて良かったものの、やっぱり天気がいい方が自転車旅にとってはいい。 焼き物で有名な町をガンガン漕いで、7月22日午後1時7分、とうとう長崎県に突入。しかし、長崎市はまだまだ。最短距離で行きたいところだけど、やっぱり海の景色を楽しみながら走りたいので、長崎半島は道の駅がある県道35号線で外海側に出て、国道202号線を進路にとることにした。 長崎県は、山と海と島の自然に恵まれ、不便なことを差し引いてもなんだかのんびりした時間が流れていて、富山県の時に感じた人が住みやすいところだと感じる。途中暑さにバテバテ、紺碧の海に飛び込みたい衝動に駆られたけど、日暮れまでに長崎市にゴールするにはとにかく休んでる時間がなかった。いよいよ長崎市街に入るところで、ルートが何がなんだかわからず迷って長い長いトンネルを抜け出た時の感動。夕方のラッシュアワーの中、人や車やチンチン電車の雑踏を掻き分け掻き分け、大浦天主堂近くの駐車場にゴールした。 島根県境港市から662km。群馬からは1862km。走行日数は14日間だから、1日平均走行距離は133km。とりあえず、今回の自転車旅はここまで。次はもうちょっと涼しくなってから、ここ長崎市から再開である。

2011 バイク&カヤックNAGASAKI 3 隠岐の島~山口

7月13日 晴れ 海穏やか 隠岐ノ島・島前・知夫里島・来居港~反時計回り~島津島キャンプ場全漕行距離12.6km 海岸線に沿ってGo westだけしか考えないで毎日自転車を漕いできたけど、今回できれば離島も訪れてみたいと考えていた。実は能登の輪島を通過した時に舳倉島に寄ってみたかったけれど、その時は自転車に集中したくて心の余裕がなかった。隠岐ノ島はちょうど切りがいいのと、サポートしてくれている家内のためにも、隠岐ノ島へ渡ってみることにした。 あわただしくキャンプ道具やカヤックなどの旅支度をして、9時30分発のフェリーくにがに乗り込む。観光シーズンになれば混雑するフェリーも、さすがに魚釣りをしに来た人や仕事関係の人くらいでガラガラ。気持ちいい海風が吹くデッキにでて、遠ざかる大山や島根半島の山並みを眺め、自転車旅の昨日までと違ってすっかりのんびり気分。しかし島に着いてから大きな仕事が待っている。カヤックの組み立てだ。午前11時半、島前知夫里島来居港に到着。木陰を見つけて大仕事にかかった。汗まみれになってやっと出航準備が完了したのが午後2時半。組み立て準備に、3時間もかかってしまった。 荷物満載の2人艇カヤックは、陸の上では重くてどうにも大変だけど、いったん海に浮かんでしまえば水を得た魚、心は広い海と空を自由気ままに漂い始める。さっさと時計回りで今日のキャンプ地を目指せばいいものを、わざわざ遠くなる反時計回りで知夫里島の反対側にある島津島キャンプ場に向かう。フェリーで見かけた釣り人らしい影をあちこちの磯で見かける。海は完全に凪で、これなら安心してフェリーに乗らずに本土から島渡りできそう。でも風向きを考えると向かい風かもしれない。赤壁は夕陽に輝いているのを見たいところだけど、キャンプの設営や食料の買い出しなどやることがあるので、さっさと通過。 日が暮れかかる頃、島津島キャンプ場の深い入り江に漕ぎ入る。隠岐ノ島は隠岐牛ブランドで知られているように、島のあちこちで牛が放牧されている。ちょうど牛の世話をしている人がいたので声をかけると、どうやらキャンプ場の管理を任されていた人だったようで、シャワーやトイレが使えるようにしてくれたので良かった。キャンプ場はまだ夏のシーズンに向けての準備がまだのようで、冬の間に打ち寄せられた漂流物のゴミが散乱していたけれど、私達にとっては静かで落ち着けて十分快適だった。 テント設営後、薄毛という気になる名前の村の中心集落まで歩いて、ビールや食材を仕入れに出かけた。途中、俳優の吉田栄作が夏だけ営業する喫茶店が、見晴らしのいい崖の上にあった。NHKの朝の連続テレビドラマ「だんだん」でこの隠岐にロケに来て、この地がとても気に入って出店したんだそうである。 7月14日 晴れ 海穏やか 島津島キャンプ場~浅島~神島~薄毛~島津島キャンプ場全漕行距離 約6km 朝一で近くの岩場に釣りに出かける。疑似餌なのにすぐに飛びついてくる魚は、ガシラ。カサゴと同じ魚のことだとはつい最近知った。隠岐では「ぼっか」と呼ぶらしい。とりあえず朝食の一品としてマース煮にしてもらう。ギラギラ太陽が容赦なく照りつける時間まで、高台で眺めのいいテラスでコーヒー飲んだり、ダラダラ朝食を作って食べたりして過ごしてから、カヤックでふらふら出かけた。 浅島や神島の周りをのんびり漕ぎながら、大きな鯛でも釣れないかなとカヤックから竿を時々出すものの、まったくあたりなし。昔シイラやスズキを釣った時のことを思い出しながら・・・・ここ数年、カヤックフィシッングはボーズ続き。研究する必要あり。昼は、日陰のある岩場のビーチでのんびり。時々シュノーケリングするが、海水は結構冷たくて長時間は無理。でも色とりどりな凄い数の魚が泳いでいて、いつまでも潜っていたいくらい。やっぱり、夏は海だ! 午後、薄毛の集落の外れにカヤックを着けて、お店でビールや氷や食料の買い物をしてからキャンプ場に戻る。そして近くの岩場にガシラ釣りに出かけたら、簡単に三匹ゲット。またまた夕食に一品添える。満月らしく、月光が一晩中小さな入り江のキャンプ地を照らしてくれていて、かすかな潮騒の音とともに、なんとも幻想的な雰囲気。蚊もまだ少なくて、デッキでのんびり。 7月15日 晴れ 海穏やか 島津島キャンプ場~赤壁~薄毛~キャンプ場 全漕行距離12km 以前テレビで隠岐牛のことをやってて、松阪牛クラスの超有名ブランドのグレードめざして奮闘している様子をドキュメントしていた。こんな雄大な大自然の草原に放牧されている牛なんて、アルプスの少女ハイジに匹敵である。そんなのどかに牛が放牧されている草原が、ズドンと切れ落ちて断崖になっていて、そこが赤壁である。 今日も容赦なく夏の太陽がギラギラ照りつける1日となった。切り立った断崖の赤壁は、入り組んだ湾の奥にあって、私達は静かにカヤックを漕いで近づいた。その時、突然静寂を破ってトビウオの群れがスーッと海面を走ったかと思うと、巨大魚がトビウオの行く手をさえぎるかのように海面に垂直にジャンプした。たぶんシイラだろう。1m近いサイズだった。しかし、その後またさっきと変わらない静寂。メタルジグのルアーを持ってくれば良かったと、後悔。 切り立った断崖のおかげで、断崖直下の小さなビーチには日陰があって、今日もそこでお昼休憩。ビーチにはいろいろな漂着物が転がっていて、それらを観察するのがなかなか面白い。ハングル文字や中国語の漂着物が半分を占めていた。シュノーケリングすると、40cm級の石鯛と鯛(黒鯛か真鯛か判別できなかった。)が泳いでいたのにはびっくり。 7月16日 晴れ 海穏やか 隠岐知夫里島・島津島キャンプ場~中ノ島・菱浦全漕行距離17km 南の海をゆっくり北上している台風が、どうやら数日後に本州を直撃する危険が出てきたと、ラジオの天気予報で警戒を呼びかけているので、早々に撤収を決める。隠岐の島々をゆっくり時間をかけて漕ぎ回るのは、またいつの日かということで、居心地の良かったキャンプ地を後にする。隣の中ノ島にある菱浦港を午後3時半に出航するフェリーに間に合うように、今日は知夫里島から中ノ島へ島渡りだ。カキの養殖棚やマグロの稚魚の生け簀が所々点在している、波穏やかな知夫里島の湾奥から漕ぎ出でて、知夫里島の南端の島陰をぐるっと回り込んで内海に入り、中ノ島にある菱浦港を目指す。菱浦港の前には隠岐牛を食べさせてくれるお店があるので、お昼に間に合うように家内を元気づける。 やっぱり今日も容赦なくギラギラの夏の太陽が照りつけ、パドルを漕ぐ手になかなか力が入らないけど、知夫里島と中ノ島の内海の入り口になる狭い海峡は、いつまでもカヤックでのんびり浮かんでいるわけにはいかない。大型船や高速船の進路を阻む位置にいるのだから、速やかに横断しなければ・・・ 前席の家内はまったく本気で漕ぐ気がなくて、こちらはとにかくひたすらがんばって、午前中のうちに菱浦港に辿り着いた。今度はカヤックの分解、荷物の梱包など大仕事が待っている。隠岐牛のお店には牛丼2つの予約を入れて、また大汗をかきながら、時々フェリーターミナルの冷房で涼んで、なんとか予約した午後1時半ギリギリに終了。最後に楽しみにしていた、赤壁の断崖の上の大草原で放牧されていたであろう隠岐牛の牛丼を頂いて、隠岐ノ島から離れた。隠岐ノ島では毎日キャンプ場の水シャワーで十分爽やかに過ごしたけど、本土に戻って久しぶりのお風呂。七類港のフェリーターミナルにあるメテオプラザのお風呂は、なんと200円で石けん・シャンプー付きとは、旅人にとっても有り難い。 7月17日 晴れ 鳥取県境港市R431~R2美保関灯台~R431松江市~出雲大社R29日御碕~R9道の駅キララ多伎全走行距離111km せめて本州の端っこの下関までは漕ぎたいと、今日からまた自転車旅を再開。境港から境水道大橋を渡ればわずかな距離で鳥取県から島根県に突入。まずは島根半島の東端、美保関灯台へ。3連休の中日とあって、途中たくさんの釣り師が竿を並べていた。スズキやキスや鯛、ぶり、アジなど、このあたりの海はとにかく魚種も多いし魅力的なところだ。灯台の駐車場で姫路から一晩中走ってきたというサイクリストに声をかけられる。これから兵庫県の湯村温泉へ向かって走り去っていったが、かなり年配にもかかわらず元気いっぱいで、こちらも元気づけられたような気持ちになる。さて、朝食をとって島根半島を西へ縦断する。旅の公約通り、はじめは島根半島の海岸線を走っていこうかと考えていたけど、どうやら海岸沿いの道は継ぎ接ぎのように複雑に入り組んでいて困難そうだったので、中海と宍道湖に沿ってまっすぐわかりやすく出雲大社まで伸びている国道431号線を走ることにした。島根半島の海岸線はいつかシーカヤック旅の楽しみにとって置けばいいだろう。ところで、この島根半島にも原発がある。震災以降島根原発を取り巻く環境もおそらく今までとは大きく違ってきていることだろう。国道沿いにアトムと名の付いたお店を見かけて、今まで通り過ぎてきたいくつかの原発や火力発電所のことを思い出す。 中海北岸に沿って快調に飛ばしていくとやがて中海が切れ松江の市街地にはいる。松江城ではイベントがあるようで交通規制されていたけど、自転車なら一方通行など気にしないので気が楽である。松江市からは宍道湖の北岸に沿って走る。シジミで有名でなだけあって、白の下着パンツいっちょで虫取り網とバケツをもってシジミ採りしているおじさんがいた。平坦な道なのでグングン距離を稼いで、お昼には早いので出雲大社を通過して日御碕まで走る。島根半島の西の端、日御碕灯台に立つ。この眼下の海底には、神話が創られた時代の、謎に満ちた古代の海底遺跡が眠っているのだそうだ。島根県、知れば知るほど恐るべきところである。…

2011 バイク&カヤックNAGASAKI 2 福井~鳥取

7月9日 晴れ 石川県金沢市内灘R8~徳光PAr25~小松R20~加賀市R305~福井県三国町サンセットビーチ~越前町厨全走行距離127km 日焼け止めクリームは性に合わなくて敬遠がちだったけれど、こう毎日ギラギラ太陽にさらされると使わなければとんでもないことになる。こまめに日焼け止めクリームを塗って自転車漕ぐのが習慣になってしまった。今日こそ石川県から福井県に突入だ。氷見から羽咋に抜けてしまえば石川県も2日で通過できたかもしれないが、今回はなるべく海岸線沿いにこだわっているので、能登半島を回ったのだけれど、石川県の海岸線の長いこと。結局4日越しとなってしまった。 福井市の道の駅みくにで、あまりの暑さに今日も冷房にあたりながらお昼休憩。まだまだギラギラ太陽が弱まる気配すら感じられない午後3時、越前海岸に向け走り出す。今まで海水浴している人は見なかったけれど、土曜日の今日からちらほらと海水浴場が賑わい始めたようだ。自転車を乗り捨ててサイクルウエアのまま海に飛び込みたい衝動に駆られながら、海岸沿いの道をガンガン飛ばす。交通量が少なければトンネルが涼しくて気持ちいい。越前海岸は、所々に温泉があるのでどこでFinishにするか迷ったが、結局厨(と書いてくりやと読む)までとした。温泉は露天風呂漁火。日本海に沈む夕陽が綺麗だった。 7月10日 晴れ 越前町厨R305~河野海岸道路~R8~敦賀市R27~小浜市~京都府舞鶴市R178~宮津市天橋立全走行距離154km  早朝の国道305号線は、日が当たらず景色も良くて気持ちいい。河野海岸道路は無料になっていて、ガンガン飛ばせる。敦賀市に入って夏のギラギラ太陽がまた容赦なく照りつけてきた。道に迷ってなぜだか敦賀火力発電所の前の道に出てしまった。原発騒ぎで火力発電所が大忙しといった様子がなんとなく伝わってくる。発電所前の埠頭には大きな貨物船が横付けになっていて、きっと大量の原料が運び入れているんだろう。とにかく敦賀火力発電所施設の大きさに圧倒される。敦賀市から小浜市へ抜け、道の駅シーサイド高浜でお昼。午後、京都府に突入。 東舞鶴港には海上自衛隊の大きな埠頭があって、今日はちょうど日曜だったので一般解放されていた。ダークグレーの自衛隊艦が国道沿いから垣間見えたけれど、威圧的な迫力がある。豊岡市で道路地図の東海・北陸編が切れてしまので、家内に新しい道路地図を見つけて購入してもらう。そして、今やノスタルジックな響きの日本三景、天橋立でFinish。温泉は駅前の宮津温泉ピント湯。ピント湯という響きもノスタルジック! 7月11日 晴れ 京都府宮津市天橋立R178~伊根町~経ヶ岬~兵庫県豊岡市r3~城崎温泉r11~豊岡市竹野町切浜全走行距離117km 安定した夏空が続く毎日。カヤックで海に浮かびたいと思いながらついつい自転車ジャージに着替えてしまうのがもどかしい。朝起きるとふくらはぎがウズウズしてきて、やっぱりペダルが漕ぎたくなってしまう。以前カヤック旅で良い思い出がある隠岐ノ島行きのフェリーが出る境港までを、自転車旅第1ステージのゴールに決めて走ることにする。 天橋立の砂州の砂利道をかまわずロードで走っていると、朝日が射し込んできた。いちおう股のぞきで朝日を眺める。その後国道に出て朝日を真正面に浴びてガンガン走る。伊根町の道の駅で朝食。そして伊根の舟屋を自転車で見学。ちょうど通勤や登校の時間で、京都弁で交わす挨拶が何ともいい。街中は、実に静かでのどかな時間が流れていた。 丹後半島の海岸沿いを走る国道178号線もまた、実に静かでのどかな道だった。ジリジリと容赦なく照りつける真夏の太陽が、青い空とそれよりもっと青い海や、山の緑と白い岩の崖のコントラストをいっそう際立たせ、なかなかの眺めだった。しかし、経ヶ岬付近で突然パンク。夢心地な時間が一転して汗ダラダラのパンク修理。 午後京都府から兵庫県に突入。由良川に沿って城崎温泉へ。そしてJR城崎駅の冷房にあたって休憩。駅前には足湯や飲泉ができる温泉もあって、さすが日本の名湯である。まだ時間的に余裕があったので、さらに県道11号線で再び日本海をめざす。切浜というところでフィニッシュ。温泉はもちろん城崎温泉へ。6つの外湯があって、2時間100円という駐車場がそばにある庭園の湯にドボンした。 7月12日 晴れ一時雨 兵庫県豊岡市竹野町切浜R11~香住R178~鳥取県鳥取市R9~米子市R431~境港全走行距離170km 今日も朝日を拝みながらスタート。アップダウンの激しい海岸沿いの県道を走る。でも通行量が少ないので超快適。高速道路とかバイパスとか新しくできた道が併走している場合、ほとんどの車両はそちら側を走るので、いわゆる旧道は通行量が少なくてとても静かなのだ。ただ寂しすぎて、突然鹿や狸にあったりするのには驚かされる。.やっぱり自転車旅にとって一番危険なのは、トラックやダンプなどの大型車両に追い抜かれる時にバランスを崩しやすいことではないかな。あと、気を抜いてはいけないのは、スーパーやコンビニ、小さな路地から出てくる車。急いでいると近付いてくる自転車には気付かないドライバーがたまにいるのだ。だから昼間でもハンドルにピカピカ光るライトは必需品だと思う。たまに対向車線の車のお兄さんがライト点け忘れだよとパッシングしてくれたりするけど・・・ 鉄道写真の名所として知られた余部鉄橋の下をくぐる。今はもうその役目を終え、コンクリート橋に付け替えられていた。レトロな赤い鉄橋だったから絵になったんで、なるほどこれでは何か味気なくて絵にはならないなぁ。 浜坂市の外れの道の駅で朝食。昨夜のサザエの刺身の残りの肝が入った餅入りにゅうめん。食材を無駄にしません。浜坂市からいよいよ鳥取県に突入。鳥取市にはいる頃から何となく雲行きが怪しくなってきて、鳥取砂丘が見える展望台まで来ると雨が降ってきた。しかし雨は一時的で、また今日もギラギラ太陽が容赦なく照りつけてきた。鳥取市から境港までほとんどアップダウンのない平らな道が続く。走りやすいけど、単調すぎて面白みは少ない。ただ右に海岸線、左には大山が眺められるようになってきて、景色を楽しみながらガンガン飛ばした。 途中のコンビニで食べたアイスの美味いこと。米子市には午後3時前に到着。この辺では一番大きなスーパーであるイオンの冷房にあたって涼む。そして国道431号線を北上して境港でフィニッシュ。境港に到着するやいなや夕立がきて、絶妙なタイミングで濡れネズミを免れた。夕立が去った後、水木しげるロードをのんびり観光。風呂はチョッと戻って皆生温泉のOUランド。安くていい湯でベリーグッド。群馬と長野の県境からここまで漕いだ距離は、1163km。自宅から漕いだ距離は、約1200km。10日間なので、1日平均120kmのペースだった。

2011 バイク&カヤックNAGASAKI 1 群馬~福井

7月3日 曇り後雨 7月になって、草津から志賀高原へと越える峠道を走ってみた。1976年製のBSユーラシアスポルティフ。リヤ4段、フロント2段の8段変速Wレバー。クロモリフレームは乗り味がしなやかに感じる。思いがけないところにまだ雪渓が残っていたり、湿原でワタスゲの綿毛が可憐に風に揺れているのに出会えた。 天気が良ければ群馬の山々が一望できるのだが、あいにくの梅雨空。それでも2172mの高みまで簡単に漕いで来れるから、お気に入りの峠道である。今日はこれで引き返して、明日からチョッと長い旅に出てみたい・・・ 7月4日 曇り後雨 群馬・長野県境・渋峠R292~飯山市~新潟県上越市 走行距離約90km 昨日漕いで来た芳ヶ平を望む展望台から、いよいよ日本海沿岸の南下ルート目指してスタート!家内が運転するサポートカーには、旅の荷物が満載。毎日自転車を漕いで進む距離間隔ってどんなもんなのか興味がある。中学生の頃、キャンピング用の自転車の片倉シルク号に憧れたことを思い出す。でも今回は道の駅で車中泊しながら、地産地消の美味しいものを見つけて力を蓄え、効能ある温泉に浸かって汗を流し、ローカルなその土地の歴史、風土、人間などに触れて、軽快なロードレーサーでガンガン進むつもり。しかし、最初から距離が伸ばせず。志賀高原を下りきったところで、雨がぱらついてきた。その後、ロードレーサーのスリックタイヤではツルツル路面のスリップに冷や冷やしながら、何とかキリのいい上越市立水族館で初日の自転車旅はfinish。チョッと遠いけど、柵口温泉で汗を流し能生の道の駅で車中泊。 7月5日 雨後晴れ 新潟県上越市R8~富山県魚津市r2~富山市r1~新湊市R415~氷見市R160 全走行距離167km 夜半大雨。おかげで少しは涼しく寝ることが出来たが、車中泊は蒸し暑くて大変である。早朝、怪しい空模様だが思い切って自転車に乗る。道の駅能生直前でゲリラ豪雨になり、運良くずぶぬれにならずに済んだ。しばらくサポートカーで雨宿りしていると天気も良くなり再び出発。みるみる天気が良くなってくるので、この空の様子だといよいよかな?なんて思っていたら、まさに梅雨末期の梅雨明け間近ということを後で知る。向かい風、ギラギラの夏の太陽の下、砺波平野や富山平野をガンガン走る。北アルプスから流れ下るいくつもの川を渡りながら、それらの自然の恩恵に恵まれた富山県は、なるほど住み心地日本一だなと実感。湧水が豊富なのと、りっぱな家がたくさん目に付くのが印象的。 新湊市で知り合いから携帯に電話が入り、サツマイモたくさん出来たからもらいに来てと有り難い話があったけど、旅の空の下では無理な話でとても残念。七尾まで走れたらと思っていたけど、暑さと向かい風にバテて氷見市でフィニッシュ。この日だけで腕も膝も顔面も真っ黒日焼け。氷見市の岩井戸温泉は、ダイナミックな露天風呂オンリーの温泉だけど、源泉かけ流しでグッド。そして、初日からお肌ヒリヒリ。 7月6日 晴れ 富山県氷見市R160~石川県七尾市R249~能登島~能登町狼煙崎~木ノ浦 全走行距離150km その土地土地の雰囲気というのがある。氷見市民は元気である。夜遅くまで、そして朝早くから、ウオーキングやジョギング好きの人が多いような・・・特に女性の楽しそうな話し声が賑やか。さすが氷見ブリのブランドで知られている町である。こちらもそんな氷見の活気に刺激を受けて自転車でGo! どうやら今日も暑い1日になりそう。能登の道路は狭いけれど、追い抜いていくトラックがわりと好意的な感じなので走りやすい。遠回りになるけど、能登島にかかる二つの橋を自転車で走ったら気持ちよさそうなのでちょっと寄り道。ボラ待ち櫓や軍艦島など内能登の観光名所にも寄り道。夕方、能登半島の先端の狼煙崎に。以前来た時とは様変わりして、日本3大パワースポットとして有名らしいのにびっくり。そして、もう少し頑張って木ノ浦海岸まで。ここは以前営業していた国民宿舎が変わり果てて廃業していた。温泉は珠洲ビーチホテルのお風呂へ。温泉じゃなくても十分快適。 7月7日 晴れ後雨 石川県珠洲市木ノ浦R249~輪島 全走行距離42km 能登空港が開港し、北陸新幹線の開業も目前に控えて、以前訪れた時の能登の印象とはずいぶんギャップを感じることが多かった。午後から雷雨の予報だったので、輪島でFinish。温泉は、わざわざ門前町のじんのびの湯へ。 7月8日 曇り後晴れ 石川県輪島市r38~上大沢町r266~皆月海岸~猿山娑婆捨峠~門前町R249~富来町~羽咋市R159~内灘r8 全走行距離146km 早朝、輪島の町の中を自転車で散歩してみる。ぎっしりと詰まった古い町並みは、生活の臭いがプンプン。輪島の朝一はずいぶん観光化されているかも知れないけど、そこかしこの家の軒下などに魚を売り歩くリアカーがあったり、荷物満載のリアカーを自転車で引いて商売に出かけるたくましそうな女性達とすれ違ったりすると、郊外に大きなスーパーがいくつも出来たりしても、輪島の町には昔からの生活もしっかり息づいていると感じられた。以前能登半島をカヤックで漕いで回った時、沖で潜っている海女さん達と海上で言葉を交わしたことや、海が時化てきて小さな漁港に避難した時、親切にしてくれた港のおばさんのことが懐かしい。 県道266号線の迫力ある断崖の道には強い風がもろに吹き当たる。向かい風はきついけれど、その分涼しくて気持ち良い。ゾウゾウ鼻の展望台からの眺めは素晴らしかった。そして七ッ島もちゃんと七つ数えられた。男女滝の急坂は、たまらず自転車から降りて滝を見物しながら歩く。県道をこのまま進んで国道249号線に出れば門前町まで早いけれど、皆月湾に寄り道することにする。以前カヤックで外浦海岸を漕いだ時に素通りしてしまって、皆月湾がチョッと気になっていた。 いつものように家内が先回りして、朝食を作って待っていてくれた。皆月湾には小さな漁村の家並みがあったが、うら寂しい感じがした。通りがかりのおじいさんに道を聞いて、猿山岬からの細い道を通って門前町へ出ることにした。なかなかわかりにくい道だったけれど、おじいさんが詳しく教えてくれたので何とか大きな道迷いをせずに抜けることが出来た。 時化で漁に出られず港で海藻干しをしている老夫婦と言葉を交わす。猿山岬は3月~4月に雪割草が咲いて一番いいよと話していた。娑婆捨峠は寂れたところだったけれど、きっとその頃だけは賑わうのかも知れない。 門前町で国道249号線に入り、金沢向けてガンガン飛ばす頃になると、夏のギラギラ太陽が容赦なく照りつけてきた。道の駅とぎ海街道の建物の冷房にあたって暑さから一時避難。自分の感覚では一昨日が梅雨明けにふさわしく感じたけど、どうやら今日が梅雨明け宣言だったらしい。午後も暑さに負けそうになりながらもガンガン漕ぐ。志賀町の志賀原発の前を通過。何となく緊迫した雰囲気を感じるのは気のせいでしょうか。原発施設のパトロールカー1台とすれ違う。羽咋で道を間違えてタイムロスしながらも、日が暮れた頃、金沢市の内灘に達してFinish。温泉は風と砂の館。安くてベリーグッド。 7月9日 晴れ 石川県金沢市内灘r8~徳光PAr25~小松r20~加賀市R305~福井県三国町サンセットビーチ~越前町厨…

3.11震災の記憶 2011 バイク&カヤック 三陸

10月6日 曇り沼田R120~日光R121~会津若松~米沢R13~山形~天童~尾花沢道の駅尾花沢で車中泊。温泉は尾花沢市内の徳良湖温泉花笠の湯。 10月7日 曇り尾花沢R13~新庄~雄勝~湯沢~横手R107~北上R28~花巻R283~遠野 花巻では宮沢賢治記念館を見学する。宮沢賢治が明治29年の明治三陸大津波の年に生まれ、昭和8年の昭和三陸大津波の年に亡くなったことの奇遇、生前評価されなかった宮沢賢治だけど、外国からの評価はかなり早い時期からあったこと、辻まことの父親辻潤が宮沢賢治の詩を絶賛した文献が見られたこと・・・などなど、様々な発見がありかなり楽しめた。ただ以前読んで面白かった奥成達著「宮沢賢治、ジャズに出会う」に関連する文献に出会えなかったのが残念。それから遠野は、高校生の頃、みちのく一人旅で訪れたことがあったけど、その時の印象とはだいぶんかけ離れた地方都市の賑やかさにびっくりした。温泉は、踊鹿温泉、名前がなんか遠野らしくていい。車中泊は道の駅遠野。 10月8日 晴れ遠野R283~釜石R45~宮古市 直接宮古市に行くのではなく、釜石から海岸沿いの国道45号線を北上して宮古市の会場であるリアスハーバー宮古へ。釜石からここまで沿岸部の津波の被害の大きさを目の当たりにする。そして会場であるヨットハーバーもまだまだ津波の傷跡だらけである。港には沈んでいるヨットもあるし、建物はすべて壁も屋根もズタズタに壊れたまま。開会式は12時半からなので、自転車で宮古市内をチョッと散歩。魚菜市場を覗く。おいしそうなお魚が安い!今日の夕食が楽しみである。参加者のなかには浄土ヶ浜までカヤックでツーリングしている人もいたが、いちおう明日イベントで被災箇所を中心とした湾内ツーリングがあるので、海に浮かぶ楽しみはとっておく。 ところで、リアスハーバー宮古は、市内の2つの高校のヨット部の本拠地である。彼らの艇庫があり、その練習場所でもある。この日も天気に恵まれたので白い大きな帆が湾内を走り回っていた。震災の日も高校生達は練習していたらしいが、避難して全員無事だったそうである。しかしながら、立派な艇庫だったらしき建物は無惨な姿のまま。今だに更衣室もトイレも使えない環境のなかでがんばっているようだ。今回のイベントでもトイレはもちろん仮設トイレだった。開会式後、軍手とゴミ袋をもらい、清掃活動。150人以上も仕事をすると、さすがにあっという間にゴミの山が出来てしまう。優に10メートル以上はある木の枝に引っ掛かったゴミも回収していた。ここでの清掃活動はすでにもうほとんど片付けられたあとのゴミ拾いだから簡単だったけど、この後三陸各地を自転車で見て回って、津波直後の瓦礫の山など想像を絶する有様だったと思う。 清掃活動の後、会場を車で30分ほど離れたキャンプ場と温泉施設のある湯ったり館に移して津波の勉強会。途中魚菜市場で夕食の買い出しをしていく。勉強会では、モンベルの辰野勇氏、日本野鳥の会宮古支部長の佐々木宏氏、東大名誉教授の月尾嘉男氏のお三方の講演。辰野氏は、企業としての震災復興への関わり方についての話とさすがちゃっかりと浮くっしょんという新開発商品のPR。佐々木氏は、震災後すぐに三陸被害をくまなく自分の足で見て回り5月には「東日本大震災」を自費出版したそうで、地元の方だから語れる生々しい津波被害の実態の話。月尾氏は、東大名誉教授らしくとても学問的。今回の被害の実態から震災復興に向けてあらゆる角度から提言。神社やお寺が高台に立てられていて今回の津波でもほとんど被害を受けていないのは、昔からこの三陸の津波の恐ろしさは何度も繰り返されているからだというお話や、また人間が築いたどんなに堅牢な建造物も、津波には簡単に破壊されてしまうけれども、何万年も前からあるだろう自然の姿は津波をかぶってもびくともしないというお話など。いろいろ考えさせられました。 温泉は湯ったり館。車中泊はチョッと離れた道の駅やまびこ館。 10月9日 晴れ 午前 宮古湾内ツーリング 午後 浄土ヶ浜往復 漕行距離 20.2km 今日も朝から大快晴、海は凪。いよいよである。午前9時、開会式後、三陸の海にとうとうカヤックで漕ぎ出した。先導するモーターボートに138艇のカヤックが後を追う。まずは震災で犠牲になられた方々に、宮古港の前に全員が集まって黙祷。そのあと宮古湾を時計回りでのんびり漕ぐ。 海上自衛隊の巡視船が私達のために歓迎放水を見せてくれる。 カヤックを漕ぎながら、海に向かって逆三角形に大きく広がっていく奥深い湾であるリアス海岸独特の地形を実感する。天然の良港として栄えるのはまったく理にかなっているが、津波が押し寄せた時はそれがまったく裏目に出てしまう。昨夜の津波の勉強会でも考えさせられたけれど、これからはもっともっと自然と上手に共生していく方法を考えて、またいつやって来るかわからない大津波に備えられる復興を実現して欲しいなと思う。シーカヤッカーも、今まであまり津波のことは現実の問題として意識せず海を漕いだり、海岸近くでキャンプをしたりしていたかもしれない。しかしこれからは、津波に対する危機管理を当然意識せずにはいられなくなったと思う。 ツーリング終了後、配られた復興弁当と秋刀魚のすり身がたっぷり入ったサンマ汁のお昼を食べて閉会式、解散。私達はこの際せっかくだから午後もカヤックツーリングにでることに。お昼になって風が強く吹き始め、海上には白波が立ち始めてたけれど、たぶん夕方にはまた凪の海になるだろうと予想して浄土ヶ浜へ向かう。 閑散とした浄土ヶ浜には一人のダイバーの方がいて、浄土ヶ浜の海底に沈んでいる瓦礫の清掃活動をされていた。地元の方で、一見美しい景色だけれど、海底にはまだまだたくさんの瓦礫が沈んでいるんですと話していた。たくさんの大きな重機やダンプで瓦礫処理をしている光景とはまったく対称的に、たった一人でひっそりと肌寒い海に潜っている姿にちょっと胸が熱くなった。 温泉は、岩泉のホテル龍仙洞愛山。車中泊は道の駅いわいずみ。明日からは自転車で三陸海岸を走って、復興している三陸の姿をこの目で見たい。 10月9日 晴れJR八戸駅R45~JR種市駅~岩手県道の駅久慈 走行距離66km 道の駅いわいずみから北山崎に寄り道して青森県洋野町のJR種市駅へ車移動。自転車初日は、JR種市駅からJR八戸駅まで輪行移動して、いよいよ八戸から三陸海岸を石巻まで自転車旅。八戸から種市までは家内も自転車を漕ぐ。種市からは家内に車でサポートしてもらって本日久慈まで。 北山崎は閑散とした雰囲気。津波の被害はまったく受けていなくても、三陸に観光客が激減したのでそのあおりを受けてしまっているのだ。今、三陸の観光産業は、以前の元通りの姿に復興する時をじっと耐え忍んでいるのだ。 家内も自転車にたまには乗りたいだろうから、JR種市駅に車をデポして、自転車を輪行にしてJR八戸線で八戸へ。ほんとうは久慈から輪行したかったけど、震災により種市~久慈間は不通のままだから仕方ない。JR八戸駅には、駅構内に図書館があるのがいい。震災関係の本を見たりした後、自転車で走り始めたら家内のMTBにアクシデント。自転車の組み立てでうっかりチョッとした間違いがあったようで、無理にペダルを漕いだためチェーンがねじれて壊れてしまった。駅近くの自転車屋を探して修理してもらうのに時間をロスしてしまった。そのため楽しみにしていた八食センターでのお昼も遅くなって午後2時半過ぎになってしまった。忙しくお昼を済ませて八戸の市街地を国道45号線で種市へ。沿岸部を走る県道1号線でウミネコ繁殖地で有名な蕪島や種差海岸を見たかったので、今回は残念。 ひたすら45号線を種市目指して漕ぐ。八戸市は内陸部なので津波被害の様子はわからなかったが、列車の車窓から見た住宅地の様子では、一般家庭の家の庭に仮設トイレが置いてあるのが目立ったのは、電気、ガス、上下水道などライフラインに大きな影響があったのかもしれない。道の駅はしかみを過ぎると、岩手県洋野町に突入。そして洋野町にあるJR種市駅で、家内は車のサポートにまわる。今度は独りで国道45号線を飛ばしてさらに南下。途中小さな川を通り過ぎるたびに橋の上から川を覗くと、サケの遡上する姿が見られた。もちろんほとんどの橋は津波にやられて補修中である。久慈の市街地に入る手前で完全に日没。夜道を走って道の駅久慈で本日Finish。温泉は山根温泉ぺっぴんの湯、車中泊は道の駅久慈。 東日本大震災市町村別被害状況 (社会データ図録東日本大震災被害状況資料より引用)青森県八戸市 死亡者1人 行方不明者1人    津波で広範囲で浸水、住宅約650棟が全半壊岩手県洋野町 死亡者0人 行方不明者0人   住宅20棟や多数の漁船、JR八戸線鉄橋が流失岩手県久慈市 死亡者2人 行方不明者2人 石油備蓄基地で屋外タンク4基破損、大規模火災も 10月10日 晴れ岩手県道の駅久慈r268~小袖~道の駅のだR45~普代r44~黒崎~平井賀~道の駅たのはたR45~小本~田老~宮古市リアスハーバー宮古走行距離126km 早朝道の駅久慈をスタート。さすがに朝晩は冷え込む時期なので、何を来て走るか悩む。だんだん日が昇って温かくなることを期待して、ちょっと風の冷たさを感じながら夜明けの小袖海岸を走る。道路のいたるところに津波の傷跡が残っていたり、道はほとんど補修中といったところ。今回はいつものロードバイクではなくて、34年前のブリジストンユーラシア。ツーリング用のタイヤなのでスピードは出ないけれど、悪路でも安心して走ることができるのがいい。小袖の集落で道を間違えて漁港の中に迷い込んでしまった。海から帰ってきた漁船が朝の水揚げをして活気が感じられた。来夏はきっと海女漁も元の通り復興して欲しいと願う。小袖からは山道の急な登りをひたすら漕いで国道45号線の道の駅のだを目指す。登校途中の小学生が元気に挨拶してくれる。 海岸部に出ると野田村に入る。津波で小石のように流されてあちこち砂に埋もれたテトラを、砂浜に大きな重機が入って掘り起こし回収していた。とても人間には出来ない作業である。この後いたるところでダンプやユンボなどの大型工事車両が瓦礫処理をしていたが、物資を運ぶトラックとともに大型車両は大変な活躍である。そんな大型車両が行き来する復旧して間もない道を、復興の邪魔にならないよう自転車で走らせてもらう。国道45号線に合流して少し久慈方面に戻って道の駅のだで朝食休憩。道の駅のだは、三陸鉄道北リアス線陸中野田駅の駅前にある。私が到着するさっきまで、駅には通学の高校生でごった返していたらしい。震災以前はこれほどの混雑ではなかっただろう。なぜなら震災によって陸中野田駅は、中間駅から始発駅になってしまったから、きっと広く周辺から久慈の高校へ通学するために集まってくるにちがいない。 野田から45号線を海岸沿いに走って普代村に入る。45号線はここから海岸段丘の内陸部になるので、沿岸部を走る県道44号線を走る。しかしすぐに通行止め。仕方なくとんでもなく急な登り坂の迂回路に回って黒崎で県道に戻って黒崎灯台へ。国民宿舎は営業しているようだけど、なんとも閑散とした雰囲気。昨日の北山崎もそうだったけど、観光客が激減して活気がないように感じられた。…