BIKE

3.11震災の記憶 2011 バイク&カヤック 三陸

10月6日 曇り沼田R120~日光R121~会津若松~米沢R13~山形~天童~尾花沢道の駅尾花沢で車中泊。温泉は尾花沢市内の徳良湖温泉花笠の湯。 10月7日 曇り尾花沢R13~新庄~雄勝~湯沢~横手R107~北上R28~花巻R283~遠野 花巻では宮沢賢治記念館を見学する。宮沢賢治が明治29年の明治三陸大津波の年に生まれ、昭和8年の昭和三陸大津波の年に亡くなったことの奇遇、生前評価されなかった宮沢賢治だけど、外国からの評価はかなり早い時期からあったこと、辻まことの父親辻潤が宮沢賢治の詩を絶賛した文献が見られたこと・・・などなど、様々な発見がありかなり楽しめた。ただ以前読んで面白かった奥成達著「宮沢賢治、ジャズに出会う」に関連する文献に出会えなかったのが残念。それから遠野は、高校生の頃、みちのく一人旅で訪れたことがあったけど、その時の印象とはだいぶんかけ離れた地方都市の賑やかさにびっくりした。温泉は、踊鹿温泉、名前がなんか遠野らしくていい。車中泊は道の駅遠野。 10月8日 晴れ遠野R283~釜石R45~宮古市 直接宮古市に行くのではなく、釜石から海岸沿いの国道45号線を北上して宮古市の会場であるリアスハーバー宮古へ。釜石からここまで沿岸部の津波の被害の大きさを目の当たりにする。そして会場であるヨットハーバーもまだまだ津波の傷跡だらけである。港には沈んでいるヨットもあるし、建物はすべて壁も屋根もズタズタに壊れたまま。開会式は12時半からなので、自転車で宮古市内をチョッと散歩。魚菜市場を覗く。おいしそうなお魚が安い!今日の夕食が楽しみである。参加者のなかには浄土ヶ浜までカヤックでツーリングしている人もいたが、いちおう明日イベントで被災箇所を中心とした湾内ツーリングがあるので、海に浮かぶ楽しみはとっておく。 ところで、リアスハーバー宮古は、市内の2つの高校のヨット部の本拠地である。彼らの艇庫があり、その練習場所でもある。この日も天気に恵まれたので白い大きな帆が湾内を走り回っていた。震災の日も高校生達は練習していたらしいが、避難して全員無事だったそうである。しかしながら、立派な艇庫だったらしき建物は無惨な姿のまま。今だに更衣室もトイレも使えない環境のなかでがんばっているようだ。今回のイベントでもトイレはもちろん仮設トイレだった。開会式後、軍手とゴミ袋をもらい、清掃活動。150人以上も仕事をすると、さすがにあっという間にゴミの山が出来てしまう。優に10メートル以上はある木の枝に引っ掛かったゴミも回収していた。ここでの清掃活動はすでにもうほとんど片付けられたあとのゴミ拾いだから簡単だったけど、この後三陸各地を自転車で見て回って、津波直後の瓦礫の山など想像を絶する有様だったと思う。 清掃活動の後、会場を車で30分ほど離れたキャンプ場と温泉施設のある湯ったり館に移して津波の勉強会。途中魚菜市場で夕食の買い出しをしていく。勉強会では、モンベルの辰野勇氏、日本野鳥の会宮古支部長の佐々木宏氏、東大名誉教授の月尾嘉男氏のお三方の講演。辰野氏は、企業としての震災復興への関わり方についての話とさすがちゃっかりと浮くっしょんという新開発商品のPR。佐々木氏は、震災後すぐに三陸被害をくまなく自分の足で見て回り5月には「東日本大震災」を自費出版したそうで、地元の方だから語れる生々しい津波被害の実態の話。月尾氏は、東大名誉教授らしくとても学問的。今回の被害の実態から震災復興に向けてあらゆる角度から提言。神社やお寺が高台に立てられていて今回の津波でもほとんど被害を受けていないのは、昔からこの三陸の津波の恐ろしさは何度も繰り返されているからだというお話や、また人間が築いたどんなに堅牢な建造物も、津波には簡単に破壊されてしまうけれども、何万年も前からあるだろう自然の姿は津波をかぶってもびくともしないというお話など。いろいろ考えさせられました。 温泉は湯ったり館。車中泊はチョッと離れた道の駅やまびこ館。 10月9日 晴れ 午前 宮古湾内ツーリング 午後 浄土ヶ浜往復 漕行距離 20.2km 今日も朝から大快晴、海は凪。いよいよである。午前9時、開会式後、三陸の海にとうとうカヤックで漕ぎ出した。先導するモーターボートに138艇のカヤックが後を追う。まずは震災で犠牲になられた方々に、宮古港の前に全員が集まって黙祷。そのあと宮古湾を時計回りでのんびり漕ぐ。 海上自衛隊の巡視船が私達のために歓迎放水を見せてくれる。 カヤックを漕ぎながら、海に向かって逆三角形に大きく広がっていく奥深い湾であるリアス海岸独特の地形を実感する。天然の良港として栄えるのはまったく理にかなっているが、津波が押し寄せた時はそれがまったく裏目に出てしまう。昨夜の津波の勉強会でも考えさせられたけれど、これからはもっともっと自然と上手に共生していく方法を考えて、またいつやって来るかわからない大津波に備えられる復興を実現して欲しいなと思う。シーカヤッカーも、今まであまり津波のことは現実の問題として意識せず海を漕いだり、海岸近くでキャンプをしたりしていたかもしれない。しかしこれからは、津波に対する危機管理を当然意識せずにはいられなくなったと思う。 ツーリング終了後、配られた復興弁当と秋刀魚のすり身がたっぷり入ったサンマ汁のお昼を食べて閉会式、解散。私達はこの際せっかくだから午後もカヤックツーリングにでることに。お昼になって風が強く吹き始め、海上には白波が立ち始めてたけれど、たぶん夕方にはまた凪の海になるだろうと予想して浄土ヶ浜へ向かう。 閑散とした浄土ヶ浜には一人のダイバーの方がいて、浄土ヶ浜の海底に沈んでいる瓦礫の清掃活動をされていた。地元の方で、一見美しい景色だけれど、海底にはまだまだたくさんの瓦礫が沈んでいるんですと話していた。たくさんの大きな重機やダンプで瓦礫処理をしている光景とはまったく対称的に、たった一人でひっそりと肌寒い海に潜っている姿にちょっと胸が熱くなった。 温泉は、岩泉のホテル龍仙洞愛山。車中泊は道の駅いわいずみ。明日からは自転車で三陸海岸を走って、復興している三陸の姿をこの目で見たい。 10月9日 晴れJR八戸駅R45~JR種市駅~岩手県道の駅久慈 走行距離66km 道の駅いわいずみから北山崎に寄り道して青森県洋野町のJR種市駅へ車移動。自転車初日は、JR種市駅からJR八戸駅まで輪行移動して、いよいよ八戸から三陸海岸を石巻まで自転車旅。八戸から種市までは家内も自転車を漕ぐ。種市からは家内に車でサポートしてもらって本日久慈まで。 北山崎は閑散とした雰囲気。津波の被害はまったく受けていなくても、三陸に観光客が激減したのでそのあおりを受けてしまっているのだ。今、三陸の観光産業は、以前の元通りの姿に復興する時をじっと耐え忍んでいるのだ。 家内も自転車にたまには乗りたいだろうから、JR種市駅に車をデポして、自転車を輪行にしてJR八戸線で八戸へ。ほんとうは久慈から輪行したかったけど、震災により種市~久慈間は不通のままだから仕方ない。JR八戸駅には、駅構内に図書館があるのがいい。震災関係の本を見たりした後、自転車で走り始めたら家内のMTBにアクシデント。自転車の組み立てでうっかりチョッとした間違いがあったようで、無理にペダルを漕いだためチェーンがねじれて壊れてしまった。駅近くの自転車屋を探して修理してもらうのに時間をロスしてしまった。そのため楽しみにしていた八食センターでのお昼も遅くなって午後2時半過ぎになってしまった。忙しくお昼を済ませて八戸の市街地を国道45号線で種市へ。沿岸部を走る県道1号線でウミネコ繁殖地で有名な蕪島や種差海岸を見たかったので、今回は残念。 ひたすら45号線を種市目指して漕ぐ。八戸市は内陸部なので津波被害の様子はわからなかったが、列車の車窓から見た住宅地の様子では、一般家庭の家の庭に仮設トイレが置いてあるのが目立ったのは、電気、ガス、上下水道などライフラインに大きな影響があったのかもしれない。道の駅はしかみを過ぎると、岩手県洋野町に突入。そして洋野町にあるJR種市駅で、家内は車のサポートにまわる。今度は独りで国道45号線を飛ばしてさらに南下。途中小さな川を通り過ぎるたびに橋の上から川を覗くと、サケの遡上する姿が見られた。もちろんほとんどの橋は津波にやられて補修中である。久慈の市街地に入る手前で完全に日没。夜道を走って道の駅久慈で本日Finish。温泉は山根温泉ぺっぴんの湯、車中泊は道の駅久慈。 東日本大震災市町村別被害状況 (社会データ図録東日本大震災被害状況資料より引用)青森県八戸市 死亡者1人 行方不明者1人    津波で広範囲で浸水、住宅約650棟が全半壊岩手県洋野町 死亡者0人 行方不明者0人   住宅20棟や多数の漁船、JR八戸線鉄橋が流失岩手県久慈市 死亡者2人 行方不明者2人 石油備蓄基地で屋外タンク4基破損、大規模火災も 10月10日 晴れ岩手県道の駅久慈r268~小袖~道の駅のだR45~普代r44~黒崎~平井賀~道の駅たのはたR45~小本~田老~宮古市リアスハーバー宮古走行距離126km 早朝道の駅久慈をスタート。さすがに朝晩は冷え込む時期なので、何を来て走るか悩む。だんだん日が昇って温かくなることを期待して、ちょっと風の冷たさを感じながら夜明けの小袖海岸を走る。道路のいたるところに津波の傷跡が残っていたり、道はほとんど補修中といったところ。今回はいつものロードバイクではなくて、34年前のブリジストンユーラシア。ツーリング用のタイヤなのでスピードは出ないけれど、悪路でも安心して走ることができるのがいい。小袖の集落で道を間違えて漁港の中に迷い込んでしまった。海から帰ってきた漁船が朝の水揚げをして活気が感じられた。来夏はきっと海女漁も元の通り復興して欲しいと願う。小袖からは山道の急な登りをひたすら漕いで国道45号線の道の駅のだを目指す。登校途中の小学生が元気に挨拶してくれる。 海岸部に出ると野田村に入る。津波で小石のように流されてあちこち砂に埋もれたテトラを、砂浜に大きな重機が入って掘り起こし回収していた。とても人間には出来ない作業である。この後いたるところでダンプやユンボなどの大型工事車両が瓦礫処理をしていたが、物資を運ぶトラックとともに大型車両は大変な活躍である。そんな大型車両が行き来する復旧して間もない道を、復興の邪魔にならないよう自転車で走らせてもらう。国道45号線に合流して少し久慈方面に戻って道の駅のだで朝食休憩。道の駅のだは、三陸鉄道北リアス線陸中野田駅の駅前にある。私が到着するさっきまで、駅には通学の高校生でごった返していたらしい。震災以前はこれほどの混雑ではなかっただろう。なぜなら震災によって陸中野田駅は、中間駅から始発駅になってしまったから、きっと広く周辺から久慈の高校へ通学するために集まってくるにちがいない。 野田から45号線を海岸沿いに走って普代村に入る。45号線はここから海岸段丘の内陸部になるので、沿岸部を走る県道44号線を走る。しかしすぐに通行止め。仕方なくとんでもなく急な登り坂の迂回路に回って黒崎で県道に戻って黒崎灯台へ。国民宿舎は営業しているようだけど、なんとも閑散とした雰囲気。昨日の北山崎もそうだったけど、観光客が激減して活気がないように感じられた。…

第4回シークレットkuniパウダーガイド野反湖エビ山2024-2-3

節分の日、野反湖の外輪山の一つであるエビ山をBCガイドしてきました。今日も気温低めで富士見峠は北風が冷たかったですが、お昼頃から陽光あたたかくなり季節の移ろいを感じ取ることが出来ました。 富士見峠にやっとこさ到着。野反湖を眼下に昨日偵察した八間山をバックにして弁天山方面の尾根を進みます。 十二山を巻いて押し出し尾根をエビ平へ滑り込みました。雪は固いところと薄くパウダーが積もっているところがあって、樹林の濃いところは避けながら滑りやすいところを選びます。モナカ雪までの悪雪にはなってなかったので、全体的に滑りは快適でした。 エビ平からいつもの登行ルートでエビ山頂を目指します。笹薮が完全に埋まっていませんが、しっかりと雪のベースは出来上がっているのでルートファインディングで困ることはなく効率的に歩けました。 今回のエビ山の登行コースは斜度が急なのでゲストさんにはスキーアイゼンを準備してもらっていたのが良かったです。特に山頂直下で役立ちました。 広々としたエビ山山頂から草津白根山や横手山の眺めが素晴らしいです。 山頂からシールを貼ったままエビの見晴らし台のエビ山北峰へ移動。エビの見晴らし台からダイレクトに湖面へと続く尾根から途中左に巻いて、中間部の広々としたツリーランの斜面がお勧めの滑降コースです。 エビの見晴らし台でゆっくり休憩をして、いよいよ湖面に向かって滑降開始。 といっても樹林を縫う迷路のようなコースです。快適な斜面を拾いながら少しでもパウダーの積もっているところを滑って楽しみました。 最後は凍結した湖面へ滑り込みました。八間山をバックにシーハイル!久しぶりの野反湖BCガイド最高! 現在積雪で野反湖までの国道405号は冬季閉鎖中です。

偵察シークレットkuniパウダーガイド2024-2-2野反湖八間山

2月になってようやく野反湖BCの偵察に訪れることが出来ました。でもタイミング悪くて、パウダースキーはほとんど楽しめませんでした。といっても、パウダーがないのはどこへ行ってもだいたい同じかな。 そのかわり雪が凍って固いので、ラッセルはほぼ無くて歩くのが楽ちんです。 富士見峠からイカ岩尾根ルートで八間山山頂まで1時間足らずでシール登行できました。 放射冷却もあって朝の歩き出しの気温はマイナス7度くらいでした。お昼近くになってもそんなに気温は上がらず寒い一日でした。ただ風がほとんど気にならなかったのが良かったです。 山頂付近まで登ってくると、東西南北様々な方角の山々が素晴らしい眺めです。 積雪の目安になる八間山山頂の山名標柱は3分の2くらいまで埋まっていました。例年なら全部埋まっているものです。少雪ということでしょう。 帰りは西尾根を滑って湖面に降り立ちました。 無雪期は登山道がないので訪れることはできないこのルートは、野反湖全体を見下ろせて絶景です。悪雪なので滑りは最悪でした。 無事に湖面へ滑り込みます。今週は冷え込みが厳しくなったので、不安なく湖面の氷の上を歩けました。

2011 バイク&カヤックRISHIRI中編函館~宗谷岬

9月2日 雨 函館観光 朝9時、北海道上陸。小雨がぱらついていて、北海道にもいよいよ台風の影響がでてきた。午前中はどうも自転車に乗る気になれず、函館の朝市を覗いてみたりする。、お昼は今回の旅で初めての外食。500円のワンコイン丼。280円の牛丼となかなかのいい勝負である。午後はさらに雨脚が強くなり、結局1日休養日となる。温泉は戸井ウオーターパークふれいあい遊湯館。道の駅なとわ・えさんにて車中泊。 9月3日 雨 函館市土方・啄木記念館R278~R5~R338大沼公園駅~R5八雲 走行距離 76.9km 北海道にはまだ台風12号の影響は小さく、朝起きると雨も上がり何とか走れそう。函館市街に戻りいよいよ北海道を宗谷岬に向けてペダルを漕ぐ。日本海に沿って国道228号線を走りたいところだったけど、安全そうな札幌あたりで台風をやり過ごしたいと考え、最短の国道5号線を走ることにした。土曜日の朝だからだろうか、車通りも少なく快適である。 大沼トンネルを抜けたところで道道338号線を走り、大沼公園駅で朝食休憩。また国道5号線に戻って、太平洋側の噴火湾までダウンヒル。 八雲に近づくにつれ天気が怪しくなってきた。ついに雨が降ってきて、ちょうどスーパーマーケットがあったので雨宿りに跳びこむ。しかしどんどん雨脚が強くなり今日はここまで。もっと走りたかったけど、ずぶぬれになりながら自転車漕ぐ意味無し。物足らない・・・ 温泉は黒松内温泉ぶなの森。露天風呂のロケーションがなかなかいい感じ。車中泊は道の駅黒松内。 9月4日 雨後晴れ 八雲町R277~雲石峠~熊石町R229~瀬棚町~島牧村道の駅よってけ島牧 走行距離 128km 台風12号は自転車並みの遅すぎるスピードで各地に大きな被害をもたらした。群馬の我が家がある地域でも、なんと3日間も県道が通行止めになるほどの大雨だったらしい。知らぬが仏であった。自転車に乗ってる場合じゃなかった。しかし北海道ではまだそれほどでもなく、午後になるにつれて天気が良くなる予報だったので、小雨になったのを見計らって自転車に乗ることにした。ただ国道5号線沿いに走るのは水たまりが道路わきにたくさん残っていて危険なので、峠越えをして日本海側の熊石町と結んでいる国道277号線を走ることにした。こんなことなら初めから忠実に日本海側の国道278号線を選んでおけば良かった。 峠の標高がそのまま実際のヒルクライムの標高差。しかも、ひょっとして太平洋と日本海を縦断する道路として、日本で最短距離かも・・・だとしたらこの国道277号線は、マニアックな道として有名なのかも知れない。実際、自転車で走ってみても、車通りは滅多になく、勾配も無理なく峠まで続いてるので楽しい。いやはや先ほどのぼやきはどこへやら、この道を偶然走ることが出来てラッキー。 最初、峠からのガスの中の下りは濡れた衣服が冷やされて寒いのを我慢しなければならなかったけど、下るにしたがいガスが晴れると、急に暖かくなって最高に気持ちいいダウンヒル。マリンブルーの日本海にそのまま飛びこみたくなった。奥尻島が浮かぶ海岸沿いの道を快走。道の駅てっくいランド大成からは羆出没注意の看板がいくつもある峠越えの山道になる。そして奥尻島行きのフェリー乗り場のある瀬棚町でまた海岸沿いの道になる。 いよいよ国道229号線は、標高1519.9mの狩場山が日本海からどっしりとそそり立つところの海岸沿いを走るようになって、荒々しい岩肌が剥き出し、冬の日本海の風波のすさまじさが目に浮かぶ。そのためだろうか、トンネルも多くなる。天気も何となく怪しくなってきて、海の色も、いつのまにか飛び込みたくなるようなマリンブルーとはほど遠い、不気味なドス黒さ。沢の土砂が海に流れ出て、いまだに濁りも残っている。寿都まで走れば150km超距離が稼げたけれど、道の駅よってけ島牧で今日はFinish。 温泉は、宮内温泉(ぐうない温泉と読むので注意)が臨時休業していて、千走温泉へ。源泉かけ流しのひなびた温泉でベリーグッド。車中泊は道の駅よってけ島牧。狩場山は、いつかぜひスキーで登って滑ってみたい山である。 9月5日 雨 沈滞 奈良や和歌山の山間部にとんでもない被害をもたらした台風12号が日本海に抜け、いよいよ北海道にも風波の影響が出てきたので、今日は安全な場所に避難である。ここ島牧村は危険なので、札幌方面へ移動することにする。この雨の中でも勇敢にカッパを着て走っているサイクリストを見かける。家内に軟弱サイクリストとなじられるけど、もっともである。札幌のアウトドアショップを2つ梯子してお買い物。今夜が台風勢力の峠なので、最も安全なところと考えたのが、小樽のフェリーターミナルの駐車場。正解であった。道南の山間部は、翌日いたるところで道路通行止めになっていた。温泉は、小樽温泉オスパ。 9月6日 雨 沈滞 今日もまだ台風の余波で雨がやまない。午前中は小樽市立図書館で読書。北海道立図書館が江別市にあって、ここには北方資料室というのがあるらしいのでいつか訪ねてみたい。午後は、余市のニッカ余市蒸留所を見学。 台風の大雨の影響で、ここ余市蒸留所の敷地内が浸水。見学コースが大幅減になってしまったけど、ちゃっかりウイスキーの試飲はできて大満足。また来る楽しみができた。 温泉は、余市市内にある鶴亀温泉。源泉かけ流しでグッド。車中泊は道の駅スペースアップルよいち。明日からはやっと普通に自転車に乗れるかな? 9月7日 曇り後雨 島牧村道の駅よってけ!島牧R229~寿都町~岩内町~泊村~神恵内村~積丹町余別…

2011 バイク&カヤックRISHIRI前編中之条~竜飛

8月28日 晴れ時々曇り 中之条r53~大道峠~たくみの里R17~三国トンネル~JR石打駅~魚沼市小出R290~道の駅とちお 走行距離167km 三国トンネルを越えて新潟県に入ると、まだまだ残暑が厳しいと実感。群馬北部はぐずついた日が続いて、湿気が多いものの涼しい毎日だったので、もう夏も終わりかななんてチョッと寂しさを感じていたものの、いざこの蒸し暑さに直面すると前回の自転車旅が思い出されて、やっぱりうんざりである。しかし今回は北に向かって走るので、だんだん涼しくなっていくに違いないと勝手な希望を持つことにする。久しぶりの自転車旅で、車通りの少ない県道の田舎道を気持ちよく走る。県道から国道17号線に入って三国トンネルを抜けると、いよいよ新潟県に突入。 ここからは一部上りもあるが湯沢まで長い下り。苗場スキー場では、バイクの大規模なイベントが行われていた。どうりで今日の国道17号線はイージーライダーに出てくるような改造バイクが多いわけだ。途中三俣付近のトンネルで突然ハンドルバーに装着していたGPSが落下するアクシデント。追い抜いていく車に踏まれなくて、かすり傷程度で済んでほんと良かった。トンネル内の路面の凸凹がひどすぎて、プラスチックのジョイント部分が欠けたらしい。GPSは高価なので、アクセサリー部品を無闇に信用してはいけないという今後のための教訓になった。 R17号線は関越高速道が昔から併走しているので、道の駅というものがない。お昼休憩するのにいいところはないかなと考えたら、そうだ!JR石打駅が頭に浮かんだ。駅内の畳敷の待合室は、時々風が通り抜けて気持ちいい。やっぱり上越新幹線が併走しているからだろうか、旅行者はもちろん地元の人の利用すらなく、おかげ様でずっと私達だけでのんびりさせてもらった。 小出から旧入広瀬村方面への道に入る。途中玉川酒造の酒蔵ゆきくら館に寄って玉風味の特別本醸造2本購入。酒造の人は盛んに吟醸を勧めてくるが、冷蔵庫で保存できるわけでもないので醸造酒でなければ困るのだ。渋川という交差点で左折。まっすぐ進めば只見へ抜けて福島県に突入できるのだけど、7月下旬の新潟福島豪雨でR252は只見線共々今だに不通だった。そして、道の駅とちおで本日Finish。温泉は少し戻って寿和温泉ひめさゆりへ行ったが、やはりここも新潟福島豪雨の被害が大きかったのだろうか閉館していた。なので、守門温泉SLランドへ。車中泊は、道の駅いりひろせ。道の駅とちおのあぶらあげ300円が美味かった! 8月29日 晴れ 新潟県長岡市道の駅とちおR290~萩掘r331~東三条R403~新津R460~新発田R7~岩船港R345~勝木R7~山形県温海立岩海底温泉 走行距離173km 道の駅とちおを朝6時頃Start。やたらブヨが多く、自転車で走っていても吸い付こうとするのもいて、やはり昨夜は道の駅いりひろせで車中泊したのが正解。ブヨから逃れるように、田舎道の国道を飛ばす。東三条あたりからギラギラ太陽が肌を刺し蒸し暑くなってくる。昨日はススキの穂が残照に輝いているのを見て、秋の気配を感じたところだけどまだまだ暑い夏である。途中のセブンイレブンの駐車場で家内のサポートを受けて朝食。そして新津、新発田と平坦で景色も単調な国道をひたすら走る。広い阿賀野川の河川敷は、1ヶ月たった今でも洪水で流された残骸の片付け作業が行われていて、テレビで見たゲリラ豪雨の被害の甚大さを思い起こさせる。 灼熱の国道7号線を離れ、ようやく海沿いの岩船の港まで来ると、木陰に入れば風が涼しい。ムムム、やっぱり暑い夏は過ぎ去ろうとしているに違いないのだ。 今までの退屈な国道7号線の走りから一変、海岸沿いを走る国道345号線は景色が良くて楽しい。海上に浮かぶ粟島や笹川流れの変化に富んだ地形を眺めながら、ガンガン飛ばして一気に山形県へ突入。 山形県に入るとすぐに鼠ヶ関。昔から重要な関所があったことを偲ばせる地名であるが、県境に大きな川があるとか、長いトンネルがあるとか地形的にはっきりした境を感じさせるものもなく、うっかり通り過ぎてしまうところだった。 今日は温海温泉の先の立岩海底温泉でFinish。源泉かけ流しの熱い湯がベリーグッド。 8月30日 晴れ 山形県温海立岩海底温泉R7~由良峠r336~R112加茂~酒田市~道の駅鳥海~秋田県にかほ市道の駅象潟~羽後本荘~秋田市r56~潟上氏道の駅てんのう 走行距離172km 目覚ましのコーヒーを飲んで6時前にStart。旅の3日目、ペダルを漕ぐ足がますます軽やかに感じられてきた。日が昇るにつれて刻々と表情を変える朝の海とともに走るのは、気分爽快である。カシミールの5000mの不毛の峠だろうが、キリマンジャロがそびえるサバンナの大地だろうと、どこへでも、どこまでも、漕いでいけそうである。 ところが・・・由良からさらに県道50号線で加茂へと続く海沿いのファンタスティックな庄内夕陽街道を楽しむつもりだったが、土砂崩れの復旧工事で通行止め。これまた新潟福島豪雨の仕業か?自転車だったら担いで通れるかと思って途中まで行ってみたが、なんと道路警備の人が立っていて厳重に進入を断られた。気分を変えて、かなりの回り道になってしまうけど一旦国道7号線に戻って由良峠まで走り、県道336号線から国道112号線に入って加茂に向かうことにする。快調に走っていよいよ加茂の手前の峠のトンネルで、今回の初めてのパンク!前回の長崎旅の時と同様、リアである。どうやらタイヤの方に原因があるかも。とりあえず使い古しのスペアチューブと交換する。そんなこんなで、家内が朝食を作って待っていてくれる秋田山形県境に近い道の駅鳥海には、かなり遅くなって9時到着。 国道7号線は、山形県吹浦からは立派なバイパスができているが、もちろん海沿いの旧道を走る。山形秋田県境もうっかりしていて知らない間に通り過ぎてしまい、気が付いたら秋田県を走っていた。6月初旬に吹浦から象潟までカヤックで漕いだ海を左に見ながら道の駅象潟へ。ここでサポートの家内と待ち合わせて、名物の岩ガキを食べる。300円、350円、400円、450円、500円と大きさによって50円ごとに値段が上がるキッチリさ。50円の差はどんなものなのか?素人じゃとても見分けられないので、300円のを注文。デリシャス。そして、最近のノンアルコールビールの味の良さにも感心する。 陽が高くなり、国道7号が内陸部を走るようになると、灼熱に苦しめられる。次の道の駅西目でアイスクリームを食べて、その次の道の駅岩城で昼食休憩。秋田県は観光に力を入れているからだろうか、道の駅が充実していて快適である。 大河雄物川を渡って、夕方渋滞が始まっている秋田市街地を通り抜け、男鹿半島へ向かう県道56号線に入る。今日は朝のアクシデントのおかげで夕陽を見ながらペダルを漕ぐことになってしまったが、これまた気分爽快である。まだまだ走って行けそう?だったけど、男鹿半島の付け根、潟上市道の駅てんのうでFinish。温泉は、道の駅にあるてんのう温泉400円はグッド。小笠原付近にある台風12号の進路が気になる・・・ 8月31日 晴れ後曇り一時雨 秋田県潟上氏道の駅てんのうR101~男鹿市r55~入道崎~R101八竜R7~能代R101~青森県深浦町大間越 走行距離150km ぐずついてパッとしない関東地方とは裏腹に、ここまで3日間、天気に恵まれてきた。が、しかし今日あたりから東北地方北部も雲行きが怪しくなってきた。どんよりとした曇り空の朝、男鹿半島の入道崎を目指してペダルを漕ぐ。さっそく全然怖そうでないユーモラスななまはげがお出迎えである。男鹿市から国道101号線を離れ、県道55号線に入る。次第にダイナミックな海岸を縫うようになり、今までの単調な秋田の海岸線とは異なって、男鹿半島はまさに大海に突き出た山脈の如きである。江戸時代の偉大な旅行作家であり民俗学者の祖と云われる菅江真澄も、きっとこの男鹿半島の自然に圧倒されながらの旅だったにちがいない。 戸賀の水族館で朝食休憩。今日の海は凪で透明度も高いようで、グラスボート屋さんは、こんなに良い日なのにお客さんがいなくて気の毒である。戸賀から男鹿半島の先端入道崎へ。相変わらず演歌がけたたましい音量で流れている。カヤックで海からこの岬に上陸したのは何年前の夏だったっけ? 北緯40度線が横切る入道崎に立って、北極点の方向を眺め、地球のでかさを感じた。男鹿半島を廻り、今度は平らな八郎潟の干拓地に作られた単調な道を走る頃になって、雨がぽつぽつと来た。本降りにならないことを願いつつ能代の町までやって来ると、また晴れ間が出てきて一安心。 道の駅みねはまで昼食休憩。しかしまたまたいつ降ってくるかも知れないような怪しい空模様で、なんとか青森県に突入してJR大間越の駅まで。温泉は秋田県に戻って八森いさりび温泉ハタハタ館。 9月1日 晴れ 青森県深浦町大間越R101~鰺ヶ沢r12~車力~R339小泊~竜飛崎…

高間山の思い出話

今は林道で楽に高間峠までやって来れる。峠からさらに山頂まで整備された登山道があって15分くらいで山頂に立てることだろう。高間山というと、30年くらい前の林道吾嬬山線が建設中の頃の話が思い出される。高間山は、六合村と長野原町と吾妻町の3町村境界にある1341.7mの小さな山だが、この辺りでは1番標高が高く、1度登ってみたかった。 高間集落あたりから高間山への登山道があるらしいので、探しに来たことがあった。今ではもう藪の中からも昔の開拓農家の残骸は見つからなくなってしまったが、その時はまだいくつかあった。最終人家の倉庫の中で花インゲンの皮むきをしていたおじいさんに聞いてみることにした。ちょっと耳が遠くて説明するのに手間取ったが、話が理解できると親切に教えてくれた。高間山への登山道はこの下の左へ行く道だそうだ。な~んだそうだったのか。ついでに王城山への道もあるか聞いてみたら、さらに水平に行けばあるという。やっぱ土地の古老は何でも知ってる!丁寧に礼を言って出発しようとしたら、おじいさんはわざわざ道まで出てきて、さらに人なつこく同じことを説明してくれ、人情の深さに感激。しかし行かねばならない。何度も丁寧に礼を言って、出発した。 北風が汗ばんだ身体に気持ちよく、どんどん進んで行く登山道入り口らしきものはいつまでたってもない。林道がこのまま行くと長野原町の貝瀬へ下っていってしまうだろうという地点でストップ。登山道らしき獣道やら仕事道を探し回るが、どれも違う。おじいさんこれはどういうこと!そういえば、途中で畑仕事をしていた別のおじいさんがいたっけ。ようし、その人に聞いてみよう。てけてけ来た道を戻る。収穫の終わった花インゲン畑で、なにやら仕事中のおじいさんがいた。大きな声で「高間山の登山道はどこですか。」と聞いてみた。おじいさんは怪訝な顔をしている。どうも意味が通じないのかと思い、わかりやすくゆっくり、「高間山に登りたいのですが、高間山の登山道の入り口はどこですかあ。」と聞く。するとおじいさんはなんと「ここが高間山だ。ここら一帯すべて高間山と言うんだ。」と答えた。なかなかこちらの意味が通じないようなのでしつこく聞き返すと、最後にこの辺り一帯の山はすべて高間山と言うんだと煙に巻かれてしまった。 まだあきらめるわけにはいかないので、「じゃあ、登山道の入り口はどこですか。」と切り返してみた。すると、「登山道の入り口はこのずっと下の広池というところだ。みんなそこから登るんだ。」と、またもやあっと驚く言葉が返ってきた。なるほど国道292号線沿いの広池集落から山腹のここまで心細い村道が上がってきているのだが、考えようによってはその通りだ。珍名答に思わず納得しそうになって唸ってしまった。 最後の粘りでもう一度丁寧に聞いてみた。「高間山の山頂へ行く登山道なんですが、どこですか。」と。そしたらなんと「それはない!」という答えが返ってきた。高間山山頂へ行くには、ちゃんとした登山道はなく、沢か尾根を適当に登って行くしかないとのこと。「昔はあったが、そんな道はもうなくて、知ってるのは年寄りくれえだ。わしも年寄りだけど、もっと年寄りだ。」 そんな高間山頂には、その後雪の時期に気の合う相棒と初めて立った。

利尻島自転車1周反時計回り

2011年4月8日 利尻島滞在5日目は、マウンテンバイクで反時計回りに1周。ほぼ海岸沿いに約60km。のんびり気ままに寄り道しながら走った。第1の目的はポンモシリ島でアザラシ君を発見すること。出発してさっそくに観察したけど、岩場で寝そべってたりすると保護色でわかりずらいらしい。一生懸命目を凝らして探しても結局見つからなかった。第2の目的は、利尻町立博物館の見学。この時期は閉館しているらしいが、Kさんが連絡してくれて私達のために開けて待っててくれるということだ。ちょうど島の反対側の仙法志まで飛ばす。 沓形と仙法志の間は、海岸線ギリギリに道が走っている。海岸に打ち寄せる大波に漁師が腰まで入ってコンブ拾いをしていた。素人の私達から見ると、かなり命がけの仕事である。江戸時代あたりの地図にはこの辺りだけ道が描かれていなかった。船を付けるような入り江に乏しく、利尻では一番自然条件が厳しくて最後まで人が住みにくいところだったのかも知れない。 11時頃、仙法志にある利尻町立博物館に到着。自転車漕いで体が汗ばんでいたので、汗が冷えて震えがくる。すると博物館の係の人が親切にも石油ストーブを持ってきてくれる。ストーブにかじりつきながら、書棚にあるおもしろそうな本をいろいろ閲覧させてもらった。 利尻島にはセイコマートが3軒ある。鴛泊、沓形、鬼脇とちょうどよい間隔にあって便利である。鬼脇のセイコマートでカップ麺とおにぎりのお昼にする。風が冷たいので建物の風裏の日向に逃げ込む。食べたらすぐ出発。ここから向かい風が強くなってきてペダルを漕ぐ足が辛くなってくる。 利尻山は利尻島だから、360度様々な角度から眺められる。登ったり滑ったりするのも楽しいけれど、眺めるのもまた楽しい。絵を描く人にとっては、尾根と谷が複雑に織りなして迫ってくる山のボリューム感がたまらないのでは。スキーで間近にダイナミックな雄姿を眺めるのも良かったけれども、自転車でチョッと遠目に眺めるのも、これまた全然飽きないのだ。 豊漁沢川源頭斜面は、3日前にスキーで遊んだ斜面。源頭斜面はちょうど風裏で穏やかだったが、今日は強い南風が稜線越えて吹き下ろしているようだ。快適だったザラメ斜面も、きっとカチカチのアイスバーンだろう。海岸沿いの道路でも、鴛泊に近づくにつれますます向かい風が強くなる。 鴛泊戻ってきたのは午後4時前。後半の向かい風のペダリングでヘトヘトになった。計画では、今日礼文島に渡って、明日以降、北端のスコトン岬から南端の知床までスキー縦走することになっていた。しかし、この時期ではもうスキーは使えなさそうである。せめてまだ白く輝いている礼文岳にスキー登山とも考えたが、あと1日利尻島にのんびり滞在することにして、礼文島のスキーはまたいつか次の機会にチャレンジすることにした。 明日は夕方のフェリーで利尻島を後にすることにした。宿に戻って残照に輝く利尻山を眺めながら冷えきった体をゆっくりあたためた。

フカフカ落ち葉のシングルトラック2023

夏は緑の深い藪の中だったところも、12月になると落ち葉が降り積もって快適なシングルトラックになります。乾燥して硬い地面の上に柔らかい落ち葉が適度に積もっていれば、自然に優しく接することもできるので、MTBにとって1年のうちで最も適した季節ともいえます。 ダウンヒルを一本楽しんで舗装路をヒルクライムで戻ります。その道すがら小さな熊棚の痕を見つけました。落ちている枝の葉を観察するとミズキでした。干からびた小さな黒い実もたくさん残っていたので、これくらいでクマさんのお腹の足しになったのかちょっと心配になりました。 それにしてもこんな道路わきでクマさんが木登りしていたのでしょうから、知らないで素通りした車もあったことでしょうね。

古道と山の神

モルゲンロート色に輝く草津白根・本白根山。廃止された清水沢コースと火山灰で焼けた森林の純白の斜面についつい目がいきます。活火山でなければスキー場オープンで滑走可能だったかも。 今日の野反湖です。野反湖の積雪状況を偵察してきました。パウダーサーチは嘘つきませんね。ひょっとして?なんて思いましたが、スキーを背負って行かなくて良かったです。 江戸時代の頃から信州秋山郷との往来があった歴史ある古道をたどってみましたが、年々廃れてしまってどうしようもない状態でした。 山の神の石碑は今回も無残な状態でした。昨年秋も同じでしたが、熊の仕業かな。おそらくだれも歩く人はいないので、元のように戻しておきます。 森林伐採で新しい作業道が網の目のようにつくられていましたが、古道はどうなっていくのでしょうか?

フカフカ落葉の里山ライド2023-11-22

天狗様が祀られた岩尾根の突端に向かいました。今日も風がなく穏やかな小春日和に恵まれました。ポカポカと暖かい陽射しが気持ちいいです。 谷川連峰から白砂山、さらに大高山、赤石山、横手山、草津白根山、四阿山、そして浅間山とぐるり県境稜線の山々が絶景です。 横手山の渋峠スキー場はオープンできそうなくらい真っ白に輝いていました。 さらに浅間山も見事に白化粧していました。 森の木々の葉っぱはすべて枯れ落ちてフカフカです。陽ざしを浴びた枯葉の香ばしい匂いに満ちていました。 ハンドルとペダルから大地の鼓動を感じながら、全身に冬の日の気持ちいい風を浴びて、落ち葉のフカフカライドを満喫しました。