アウトドアなジャズLP旅

chare in the sky/ミンガス・ダイナスティ

チャールズミンガスは、1979年1月5日に56歳で逝去。没後ミンガスゆかりのメンバーによるバンドが結成され、各地で演奏される中での7月9、10日に録音された追悼盤。ジョニミッチェルのミンガスも7月にリリースされて、一般的にはこちらの方がミンガス追悼盤としてはあまりにも有名過ぎます。当時リアルタイムでミンガスダイナスティは聴いていなくて、だいぶん後になってから中古版で購入したもの。ジョニミッチェルのミンガスは話題になったし、たしかすぐに国内版でも発売されてFMラジオで頻繁に流れたし、貸しレコード屋ですぐに借りることもできて、良く聴いたものです。ミンガスダイナスティの方も、豪華メンバーによる最高にご機嫌な演奏です。A-2アチャエアーインザスカイとB-1スイートサッカーダンス、B-2デモインのお洒落賭博師の3曲は、ジョニミッチェルの追悼盤にも収録されていて、ジョニとミンガス共作もしくはミッチェルの曲です。

‘Four’ & More: Recorded Live in Concert/マイルス・デイビス

次はなんとマイルスのライブ盤です。60年代のマイルスのレコードはけっこう聴き込んだ時期がありました。これは、1964年2月12日にニューヨークのフィルハーモニックホールのライブですが、とにかくどの曲もエキサイティングでかっこ良すぎです。マイルスのトランペットはもちろんですが、トニーウイリアムズのドラムを中心にリズムセクションがとにかくすごいです。またジョージコールマンのテナーも癖になる音色で悪くないです。そういえばジャズに夢中だった1970年代後半はマイルスが演奏活動から引退していた時期で、その当時のジャズ少年にとってマイルスはミステリアスなミュージシャンでした。復帰第1作はザマンウイズザホーンで大変な話題になりました。1981年10月に見事カムバックしたマイルスのライブが大阪でもありましたが、もちろんこの時のマイルスの初ライブには大興奮しました。コンサート会場が扇町公園だったのもよく覚えています。

“Live” At The Village Vanguard/ジョン・コルトレーン

おっと、5枚目はジャズの歴史的大名盤が来ちゃいました。1961年10月24日から11月5日まで、ビレッジバンガードに長期出演していたコルトレーンのライブ盤です。今ではかなりの未発表だったライブ演奏も完全CD化もされて、1961年のビレッジバンガードライブの全貌がわかっています。A-1は1961年11月3日録音。エリックドルフィーのバスクラとの共演が楽しめます。レジーワークマンのベースもすごいいいです。A-2とB-1は11月2日録音です。スタンダードを弾くマッコイタイナートリオの演奏のあとから入ってくるコルトレーンのソプラノの深い音色に酔いしれることが出来ます。B面は一転、最後まで聞き通すためには相当なエネルギーを消耗させられるコルトレーンの独演です。フリーへと突き進もうとするコルトレーンの生々しい姿が浮かび上がってくる圧巻の演奏です。この盤は中古ではなくて新品ですが、どこでいつ購入したのか覚えてないなぁ、

Warne out/ウォーン・マーシュ

レニートリスターノ派の高弟ウオーンマーシュの1976年録音のピアノレスのトリオ演奏です。発表されたのを聞いたのはNHKFMのジャズ番組の新譜紹介コーナーで、カセットテープにエアチェックしたものを愛聴していました。レコードで手に入れたのはずっと後になってからで、これは中古版です。ですからジャケットのカッコよさを知ったのもレコードと出逢ってからです。テナー一本でいい仕事ができる職人さん的なイメージのジャケットです。とはいうものの、B-1とB-3は多重録音していてテナー2本の演奏ですが。

solo live vol.1/デビッド・マレイ

このレコードを買ったことはよく覚えています。大阪阿倍野アポロビルの三木楽器の輸入盤特設コーナーで偶然見つけました。Solo live2もあったので、両方とも手に入れました。とにかくインディアナナビゲーションから出たデビュー盤にぞっこんだったので、当時の私にとってジャズサックスのアイドルでした。それほどのデビッドマレイですが、1984年2月から3月にかけてニューヨークジャズ旅をしたときにライブで聴くことは叶いませんでした。1年後日本に来てスケッチオブ東京という作品を残していますが、日本でもライブには恵まれませんでした。その代わりに1984年のニューヨークでは、ビレッジバンガードでファラオサンダース4のライブがあって2夜も楽しみました。あの有名なYou’ve Got To Have Freedomをステージの間近で聴けました。ほんとうに迫力の演奏でした。デビッドマレイはそんなファラオサンダースの下の新しい世代です。ソロでLP2枚分の作品を作ってしまう大胆さと斬新さは、ファラオサンダースとは明らかに違う次元にいる凄いジャズマンです。このLPが録音されたのは1980年5月30日ですが、ジャックデジョネットのスペシャルエディションの録音に参加したのは1979年3月ということで、ソロで演奏会をしても貫禄十分だったことでしょう。ところで、1曲目のBoth feet on the groundで始まりますが、演奏会も実際にこの曲から始まったのでしょうか。舞台の上を歩き回りながら吹いているマレイとお客さんの反応が生々しくわかる録音です。

trane`s reign/ジョン・コルトレーン

次は何だろう?と2枚目を引き抜いたらまたもやコルトレーンでした。シーツオブサウンドが絶好調なスタンダードコルトレーンの見事な演奏が楽しめました。リズムセクションはレッドガーランド、ポールチェンバース、アートテイラー達です。スタンダード曲中心のワンホーンカルテットものとしては1曲の演奏時間が長いのは、饒舌なコルトレーンらしいですね。ところで、このLPはセッティン・ザ・ペースとしてすでにリリースされていたものを1970年にトレーンズレインとしてタイトル名を変えて再発売したことを今回初めて知りました。ジャケットが変わるのはよくありますが、タイトル名まで変わるのはめずらしいと思います。慌て者は絶対買ってしまいますね。今日は朝から最高な青空の天気に恵まれていました。こんな日に出かけられないときは、棚から一枚のジャズレコードが慰めてくれます。

知床シーカヤッキング1998

シリ・エトクへ(大地の果てるところ) I. 旅のはじまり 知床半島の西の玄関口であるウトロを朝早く出発した。プユニ岬からカムイワッカの滝まで、厳しい気象条件に晒された荒々しい断崖の海岸が続く。海の色は一言では表現できないブルー。小笠原でも佐渡でも豊後海峡でもない、知床のブルーとしか言いようがない。とても冷たくて泳ぐ気なんて起こらないが、北の海流にのってやって来るこの青い海こそ、知床のすべての生き物を育む母だ。 カモメなどの海鳥のけたましい鳴き声が、断崖に囲まれた入り江に響き渡る。そう、ここは海鳥の楽園。気をつけなければならない。頭上を飛び交うカモメからいつ爆弾(くそ)が落ちてくるかわからないのだ。私たちは、おそるおそる断崖に彫り込まれた洞窟にカヤックごと入り込む。入り口はカヤックがやっと通れるくらいだが、中は6メートルあまりのカヤックが方向転換できるくらい広い。ちょっとした探検気分を楽しんだ。 II. 野生 カムイワッカの滝を過ぎると、背後に濃密な森を従えた玉石の海岸線に変わる。なんと野生の臭いがすることか。二度ヒグマが現れた。最初の親子連れは、子供を先に逃がせて悠然と母熊も森に消えた。次の熊は、はじめは音もなく近づくカヤックに気づかないで海岸の草を食べていた。やがて気が付くと、しばらく私たちの様子をうかがうようにしながら、やっぱり悠然と森に消えた。濃密な森に覆われたこの大地は、知床のすべての生き物を守る父だ。 III.番屋 知床にはいくつもの番屋がある。夏から秋にかけてカラフトマスや鮭を捕ったり、ウニや昆布を採ったりするために、漁場の近くで漁師が生活するためにあるのだ。私たちは、6年前に世話になったアウンモイの番屋を訪ねた。船頭さんたちは、私たちのことを良く憶えていてくれて、また快く迎えてくれた。アウンモイの番屋は他の番屋とちょっと違う。断崖絶壁にえぐられた小さな入り江にへばりつくようにあるのだが、正面に切り立った小島があり荒海から入り江を守っている。それはまさに天然の要塞である。ひょっとしたら気付かないで通り過ぎてしまうカヤッカーも多いだろう。漁師は、7月になると漁場に網を張るために、ここへやって来る。8月のはじめの今頃は、カラフトマスが少しやってくる程度でまだのんびりしているが、鮭の捕れる頃になるともっとたくさんの漁師がここにやってきて、大忙しになる。11月頃になると海の荒れ方も今よりもっと凄いから、漁師の仕事は死と隣り合わせといっても言い過ぎではないと思う。そういえば前回の時はカラフトマスが初めて捕れたお祝いの日で、チャンチャン焼きをごちそうになった。今回も漁師達の家族が遊びに来ていて、夜の豪華な宴会に交ぜてもらった。チャンチャン焼きはもちろん、たこ、うに、ヒラメ,鹿・・・ Ⅳ 岬 二日目の昼、私たちは岬に上陸した。岬には私たち三人以外誰もいなかった。知床岬らしい強い風が、台地の草原をなびかせていた。シリ・エトクとはアイヌ語で、大地の果てるところと言う意味がある。とうとう、また、こんなところまでやって来てしまった。岬の沖には強い潮のぶつかり合いがあった。岬は、潮と風が渦を巻くように交わり、まるで心臓が全身に血液を送り出すかのように、海の力の源泉となる。多くの岬を訪れたが、知床岬が放つエネルギーは格別である。三人はそれぞれの想いを抱いて、しばらく静かに岬の時間を過ごした。 Ⅴ 文吉湾の愉快な仲間達 漁師はカモメのことをゴメと呼ぶ。断崖絶壁に無数の巣があるが、文吉湾では沖の防波堤に巣があった。陸から行けないので、狐にやられることはないけれど、気をつけないといたずら好きのカヤッカーにちょっかいかけられるよ。今夜は岬近くの文吉湾にキャンプだ。番屋のおじさんに断りを入れると、「ついこないだまで、よく熊が遊びに来てたべよ。」と、私たちをビビらせる。青ざめる私たち。「でも今は鹿がよく来てるから、熊はこの辺にはいねえべ。」と安心させてくれる。でも怖いなあ。食料は、テントから出しておこう。私たちがのんびりしてると、ピーター達もやってきた。ピーターと辻ちゃんは、昨日カムイワッカの滝の近くの入り江で友達になったカヤッカーだ。焚き火の煙が沖から見えたので行ってみたら、朝漁師がくれたんだと言って、ウニやらマスやらの炭火焼きをごちそうしてくれた。昨晩は一緒にアウンモイの番屋に泊まり、昼間は別行動。彼らは少し戻って、カシュニの滝でカヤックごと滝の水を頭からかぶってきたそうだ。ピーターはジャズドラマー。港からがらくたのバケツを拾ってきて、スイングする。今夜も夜空にタイコとウクレレとリコーダーの音が鳴り響いた。 忘れちゃならない愉快な仲間、番屋の犬、チャッピー! 寂しくなるから行かないでくれと、私たちを名残惜しく見送ってくれた。 Ⅵ オキッチウシ川 私たちは予定を変更して、ウトロに戻ることにした。またまた図々しくもアウンモイの番屋を訪ねよう。途中オキッチウシの沢が流れ込む入り江に上陸した。今までで一番天気も良く波も穏やかな一日となり、私たちは心ゆくまで知床の夏を楽しんだ。この素晴らしい大自然を、いつまでも守っていきたいな。 Ⅶ 漁師体験   漁師のやまちゃんは、朝起きたら船頭さんのご機嫌を伺うようにしてコーヒー代わりにまずビールだ。でも船に乗ったら、人が変わる。海の男は、かっこいい!一日おいて番屋を訪れたら、お客さんである漁師の家族達も帰ってしまい、何となく寂しい雰囲気だ。まだ網をあげる時期ではないので、朝と夕方に網を見回るくらいで昼間の小屋はのんびりとした時間が流れていた。そして、またまた歓待してくれる。最後の日の朝、船頭さんは私たちを船に乗っけてくれた。カラフトマスや鮭を捕る定置網の様子を見に行くのと、スロープの補修のための砂利を採りに行くためだ。海は少し時化ていて、私たちはしっかと船縁にしがみつく。ところが、海の男は、本当にかっこいい。私たちみたいなシーカヤッカーなんて到底足もとにも及ばない。どんなに船が揺れても、しぶきがかかっても、平然と煙草を吸っている。漁師さん達の生活は、私たちなんかにはたぶん想像もつかないような厳しい北の海の自然の脅威にさらされていることを、ほんの少し実体験させてもらった。 Ⅷ またいつの日か・・・ 最後の日、海は時化気味だったがこれ以上アウンモイの漁師さんに甘えるわけにもいかないので、ウトロに向けて旅立った。観光船は欠航のようだ。昨日とは違い、上陸できるところもなく、ひたすら漕いだ。夕方ウトロに着いたときは、くたくただった。でもすぐに心配してくれているアウンモイの漁師さん達に相棒が無事到着を連絡した。

初冬の静かな野反湖の風景2023-11-18,19

湖面のエメラルドの帯が幻想的です。新雪が薄く積もった池ノ峠展望台まで登ってみました。ここからの浅間山は、まるで富士山のように秀麗で威厳があります。 北風が吹き抜ける湖面に目を凝らせば、白兎が飛び交う時化の海と化していました。 小さな動物たちがすでに動き出しているようです。人間の足跡に驚いて慌てて立ち去ったのかもしれません。 稜線の高い山は厚い雲の中に隠れていました。グリーンシーズンのトレッキングの幕はこれでどうやら下りたようです。 この季節の針葉樹とダケカンバの森の美しさは格別です。新緑の頃ももちろんいいですが、落葉したダケカンバのクリーム色の幹が際立つのは今のような気がします。 日曜日の午後、中之条町のつむじで地元ロータリークラブ主催のジャズコンサートがありました。ジャズのライブは久しぶりです。しかも若い時から名前は知っているベーシストがリーダーということで、どんな素敵な演奏を聴かせてくれるか、この日が来るのをとても楽しみにしていました。 ピアノ、ベース、ドラムスのトリオの演奏は、演目はほぼベーシストの魅力的なオリジナルばかりで素晴らしかったです。その中で一曲アランフェスのテーマを弓で弾いてくれました。ド迫力のバーチュオーゾの音には思わず酔いしれちゃいました。白髪のバーチュオーゾと若いメンバーたちのエネルギッシュな演奏は、あっという間の楽しい時間でした。 中之条町でご機嫌なジャズが楽しめた昼下がりの午後でした。感謝。