2011年4月6日

 ポン山のポンというアイヌ語の意味は小さい。利尻島は大きな利尻山そのものだが、2万5千の地形図を眺めると、広大な利尻山の裾野にポン山がなんと7つある。鴛泊にあるポン山(444m)、その隣の小ポン山(413m)、鬼脇ポン山(410m)、オタドマリポン山(164m)、メヌウショロポン山(155m)、仙法志ポン山(320m)、そして沓形にある神居ポン山(140m)だ。ポン山という名前でない針伏山(302m)も含めれば8つだ。

 鴛泊を朝スタートして、このポン山をすべてつなぎ、1日で利尻山を1周して戻って来れないだろうか。これが当初の計画だった。純白の利尻の写真を眺めていると、ちょうど森林限界あたりをルートにとれば距離的に短くなるので、シールを貼ったり剥がしたりする手間のないウロコスキーならば出来そうである。しかしながら今回、それは果たせなかった。鬼脇側の標高の低いポン山では、この時期すでに雪が少なすぎた。また、すべてのポン山を回ると、陽のある時間帯での行程には距離が長すぎた。今回はポン山にこだわらず、森林限界付近を効率的にルートどりして1周してみることにした。

 利尻富士温泉の駐車場を6時半頃スタート。昨夜の冷え込みで雪面が凍っていてウロコスキーでは歩きにくい。さて時計回りがいいか、反時計回りがいいか?ルートを詳細に検討したわけでなく、地図を眺めていて直感的に時計回りで行こうと決めていた。ポン山の麓に湧く甘露泉あたりからいよいよ1周ルートに舵を切り替える。標高300m前後にGPSと地図を頼りに進む。

 1周ルートの困難さは、途中いくつもある小さな尾根や沢を越えなければならないこと。なるべく容易な場所を考えながら進むのだが、地図と実際は違っていたりもする。また、1周だから曲線的なルート取りというのも意外と難しい。常に時計回りを意識して右に右にと進まないと、距離が自然と長くなってしまうのである。実はこの2つのルートファイン的解決が1周ツーリングの醍醐味ともいえる。さてどんな素晴らしい景色が待ちうけているだろうか、北稜下部の樹林帯を進みながらワクワクしてくる。

 小ポン山を越えるあたりにいくつも深い沢が待ち受けていた。この頃には雪も腐り始め、沢床からの登りもウロコスキーで快調にこなせる。ただ展望がなく深い森の中をひたすら進むという感じである。利尻に熊がいなくて良かった。熊の化石は発掘されているそうだが、いつの時代か絶滅してしまった。またキタキツネもいない。これはエキノコックスという風土病の原因になるが、いざとなれば利尻では生水が安心して飲める。砂防堰堤が目印になって、オチウシナイ川を確認する。時刻は午前9時56分。ということはいつの間にか豊漁沢川は過ぎていたようだ。しかしこのペースはちょっと遅いのではないか。休憩もそこそこに進み、アウトロマナイ川(午前11時8分)を快調に過ぎる。時々眼下の彼方に青い海が見える。

 今頃の季節の利尻では、風が1日中穏やかな日というのは珍しい。たとえ今風がなくても、午後から急に風が吹き出したりするのは当たり前のようである。しかしながら今進んでいる樹林帯は、風の影になっているようで平和である。宝仙沢川を12時33分通過。宝仙沢川の上流が万年雪のヤムナイ沢である。宝仙沢川を過ぎ、深い滝ノ沢を越えて、南陵の裾野に広がる雪の大地に立ったあたりから、向かい風が強くなってきた。これはいよいよ風との戦いである。穏やかであれば景色を思い切り楽しめるはずだけど、まっすぐ立っていることも出来ないくらいの強い風では前に進むことしか考えられない。少しでも風のよけられるところで地図を広げてルートを確認する。ここから進路を90度右に舵を切る。円周を小さくして距離を短くする作戦だ。

 南陵や仙法志稜の裾野に広がる利尻南面台地は、利尻スキー1周のハイライトだ。この辺りだけで遊ぶという手もある。ヤムナイ沢源頭の荒々しい景色を様々な角度から楽しみながら、自由にウロコスキーでルートをとって歩いたり滑ったりが楽しい。しかし今日は強風と時間との戦いである。

 遅れる家内を励ましながらひたすら前を進む。そろそろ進退を決めなければならないだろう。なんとか日没までにゴールできそうだと思ったが、残念ながらGPSの電池が切れかかっていて、予備の電池も持っていなかったのが迂闊だった。

大空沢の先のシサントマリ字界沢を過ぎた辺りで残念ながら沓形へ下山することにした。しかし結果的には、下山ルートをとるにしても標高0mの沓形まで距離は長く、GPSの電池の予備があれば1日で1周は十分可能だったと思う。腐れ雪が日が暮れるとともに気温が下がって固くなるおかげで、進むにしたがいスキーが滑るようになり楽になった。

 神居ポン山の近くまで来ると、スキーやワカンの跡が残っていて、これをたどると沓形の町の外れに難なく出ることが出来た。

急いでバスターミナルに駆けつけてみたが、鴛泊行きの最終バスは16時45分に出てしまっていた。Kさんの御親切に甘えて車で迎えに来てもらうこととなってしまった。バスターミナルの前の海はチョッと荒れていた。

2011年4月7日

 今日もまたKさんに昨日のゴール地点まで車で送って頂いてしまった。おかげ様で楽に昨日の続きを再開することが出来た。今日は、昨日よりもさらに天候が悪化し、標高800m付近より上はガスで利尻山が見えない。曇り空で相変わらず風も強そうで、肌寒い感じがする。雪が凍っていてウロコスキーでは大変そうなので、シールを装着した。

午前8時30分、Kさんに見送られスタート。家内が元気に先を歩いていく。神居ポン山付近から昨日のシュプールを外れ、沓形稜の避難小屋を目指していく。途中藪っぽいところもあったが、標高が高くなるにつれて樹間も広くなり歩きやすくなった。森林限界を抜け出て沓形稜の避難小屋を目指す。森林限界を抜け出ると、眼下に沓形の町並みと海の景色が広がった。

今日は、避難小屋の先にある906mの小ピークあたりまで登り上げ、そこから滑降も楽しみながらゴールを目指そうと考えていた。しかし昨日よりもさらに強い風が森林限界より上では吹いていた。上部はガスで、まっすぐ立っていられないほどの強風が吹き荒れる。標高630m付近でシールを剥がして滑降することにする。広い尾根を水平に移動するとき、ストックで漕がなくても風でグングン進んでいくのには驚いた。風向きが逆でなくて良かった! いくつもの尾根と谷を越えていくと、やがて見覚えのある消えかかったシュプールに出逢った。

 一昨日の長官山からの私達のものだ。あとはこれに沿ってのんびり行けばゴールである。風のよけられるところで昼飯にした。そして、午後1時半スタート地点の利尻富士温泉駐車場にゴールした。

今回の利尻スキー1周、会長さんやHさん、Kさんなど利尻の人は、今まで聞いたことないから初めてではないかと言われたが、実はそうではない。富山の岳人、佐伯邦夫氏が著作「スキーツーリングに乾杯!」で発表している。1周したのは1981年3月下旬だから、30年も前の記録である。

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