III.

西表島南東部・仲間川

大原港に着いたのは六時半過ぎ。斜路は干潮で使えず、仕方なく港の片隅にカヤックを引き上げる場所を見つけ、最後の力を振り絞って上陸。南の島の日没は遅いのでまだ明るいが、さすがにもう港は閑散としていた。相棒は、歩き疲れ?か元気がない。宿を見つけなければ。こんなに遅い時間では、夕食のサービスなど、とても望めるはずはないだろう。とにかく冷房と冷たいビールがあれば、どんな宿でも良かった。二軒目の民宿南風見荘からいい返事が返ってきた。30分後に港まで迎えに来てもらう。聞けば、近くに九時半までやっているスーパーがありラッキー。とりあえずシャワーを浴びたら人心地ついた。南風見荘は居心地がいいので、二晩お世話になることになった。

仲間川のマングローブ。魚の観察。

西表島は、マラリアに汚染されていたため、なかなか人が住めなかったらしい。人々は、竹富島や小浜島などまわりの島に住みながら、西表島に田畑を開いて農作業のために通ったのだ。開拓のために強制移住させられた人もいたようだ。いや、夢や希望をもって、定住した人もいたかもしれない。大原は、古見や祖納のように古くからの集落のようで、ここは、新城(アラグスク)島や黒島から移住した人が多いと、宿の人が話していた。いずれにしろ、人頭税という重い税金に苦しみ、人々の生活は大変だった。笹森儀助の南島探検には、当時の圧政に苦しむ人たちのことが記されている。
明治になって島の西側にたくさんの炭坑が開発されるようになった。強制労働をさせるためにたくさんの人が連れてこられたり、騙されてやって来たりしたそうだ。西表島の炭坑史の本を読むと、あまりにも悲惨な出来事がジャングルに埋没されているということを知った。美しい海に囲まれ、燦々と頭上から太陽が照りつける大自然のこの島から、そんなことは微塵も感じられない。そういえば、釧路川をツーリングしたときも、釧路の開拓の歴史を知り、北の大地ののどかで雄大な風景からは想像などできず、同じような気持ちになったものだ。

由布島の水牛車。よく働くねえ。

島の東側に由布島がある。今では、かなり有名な観光地だ。島は植物園で、西表島から浅いリーフの海を水牛車で往来する。翌日、民宿で車を借りて半日観光したのだが、途中イリオモテヤマネコの保護や研究をしている野生生物保護センターやサキシマスオウの木を見学して、ここまでやって来た。南国情緒あふれた風情に、たくさんの観光客で賑わっていた。本土からのたくさんの若者が、今では島の手伝いをしているらしい。しかしこの島が成功したのはそんなに昔の話ではない。「楽園を作った男・沖縄由布島に生きて」を読むと、入植者たちの大変な苦労の歴史が伝わってくる。昨日はこの由布島を右に見て、必死でカヤックを進めていた。カヤックで島渡りをしている私たちは、順番待ちをしてまで由布島へ渡るのももどかしいので、水牛車に乗る観光客の様子などをしばらく眺めていた。相棒は、島のおばさんから「ここで暮らすのは楽しいよ。いつでもおいで。」なんて誘われていた。島はおおらかで、歴史も人もすべて呑み込むのだ。

突然のスコールだろうが気にしないサ・・・(仲間川を流れにまかせて)

午後は、仲間川を遡ってみることにした。今日も雷が遠くで鳴り出しているが、大海原ではないので気にしない。マングローブの生い茂る岸辺に避難すればいい。潮がどんどん引いていく。そんなこと、なんにも考えていなかった。はじめは川の流れだと思っていたのだが、それはどうやら錯覚だったのだ。川の水深が低くなっていくのだから・・・。1キロほど遡ったところで、相棒が帰れなくなるぞなんて言い出した。観光船があれほどけたたましく往来していたのに、そういえば午後になって店じまいをしていた。確かにこの水深ではもうエンジン付きは無理だろう。すぐに我々も引き返すことにした。ひょっとしてカヤックなら大したことなかったかもしれないが、昨日の今日である。もう水牛のようにカヤックを引っぱって歩く苦労は御免だから・・・シーカヤッカーは、潮の満ち引きをいつも頭に入れておかなければならない。

翌日は快晴。いよいよ今回の旅の核心部を往く。

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