覚書:小暮理太郎著山の想い出によると、東京から見える山として白砂山や佐武流山、忠次郎山、大黒山などが紹介されています。小暮理太郎氏自身も4月初め頃の残雪期に、セバトノ頭あたりに立って苗場山を眺めたことを述懐しているのが興味深いです。ところでここには上ノ倉山という名前はまったく出ていなくて、東沢山という山名となっています。はじめはなぜかわかりませんでしたが、地図を広げてみると清津川本流から東沢という支流が上ノ倉山から流れ出ているのを見つけすぐに合点が行きました。また違う古い山の本で四ッ峰と見たのをうろ覚えですが記憶にあります。上の倉山を中心として、四つのピークから付けられた名前だとすると合点が行きます。一つは、上の倉山の西に本峰よりも少し標高の高い無名の小ピークです。あと大黒の頭と大黒山があります。
2006年4月1日
厚い雪に埋もれた林道を、朝8時過ぎに歩き出します。素晴らしい自然林のスロープが広がります。前日までに降り積もった深い新雪に、快適滑降の期待が胸高まります。
4月の日差しは予想外に強烈で汗が噴き出ました。大きく広がったボウル状大斜面の入り口から、左側の国境稜線を目指します。この辺り、風向きや日当たりなどの条件が悪いのか、雪崩れやクラックでズタズタになっています。遠目ではスキー向きの快適斜面に見えましたが、とても滑れる斜面ではありませんでした。
12時過ぎ、国境稜線を少しはずれた1850m小ピークのセバトノ頭付近を通過です。さらにここから、上ノ倉山を目指してウロコ板でスピーディーに国境稜線を辿ります。
大黒ノ頭直下の急斜面はツボ足で登りました。高度が上がるにつれて、足下に白砂源流のパノラマが広がります。夏、白砂源流を遡ってスルスの岩洞に泊まり、小さな沢を這い上がって上越国境稜線に立ったのは、もう10年も前になるでしょうか。
約7時間かかって、上越国境・大黒の頭山頂に立ちました。上の倉山までもう少しでしたが、今日はもう時間切れです。奥深い山域に足を踏み入れられたことだけで気分は最高でした。
清津川の深い谷を隔てて、先週滑った苗場山の屹立とした姿が、春霞の中にぼんやりと浮かんでいます。午後3時半の下山。
太陽は西の山々に大きく傾いていて、日の陰ったところから、雪面は急速に氷化し始めています。渾身の力を込めてクラスト斜面にテレマークターンの円弧を描きます。
完全に日が陰った5時過ぎ、最後のお楽しみにしていた大斜面は、最悪のブレイカブルクラストでした。もはやテレマークターンは通用しなくなり、斜滑降とキックターンの繰り返しで怪我をしないように降りました。最後の林道は直滑降で飛ばせたのは不幸中の幸いでした。