December 2024

シークレットkuniBC偵察2025・年末パウダー

クリスマス寒波と年末寒波で渋峠の積雪は2m越えです。シークレットkuniうらやまもいい感じにパウダーが降り積もっていました。標高1400mくらいはまだ笹薮が目立ちますが、標高1800mまでハイクアップすればオッケーでした。 バックカントリーのささやかな楽しみの一つとして、クマ棚を探しながら歩くことがあります。今はどこかの穴で冬眠しているでしょうが、バックカントリーの森で彼らが生活している様子をリアルに感じることが出来るのが楽しいです。そして、雪面にはいろんな動物たちの足跡が付けられていました。気になったのは、大型の獣のラッセルの痕です。カモシカではなくてイノシシかもしれないようなのもありました。数年前イノシシ親子に出くわしたことがありますが、ちょっとハラハラしました。あと、オコジョよりも大型のテンかもしれないのもありました。 急斜面をやっとのことでシール登行して一息つきます。遠くに白砂山が眺められました。本当に良く目立つ山です。野反湖の積雪も1mになりました。正月過ぎに八間山へ初滑りを計画しようかなと思います。 午前中11時くらいまでは気温もまだ上がらずフカフカのパウダーでした。標高1800mのメインリッジ上部まで来るとちょうど正午になって雪も腐り始めます。あんまり気にしてもしょうがないのでゆっくりカップ麺ランチで休憩してからシールを剥がして滑りました。 今日の板はボレーのベクターBCを選びましたが、こんなにフカフカだとわかっていたらチャージャーBCを履いてくれば良かったです。 途中、メインリッジから外れてCコースへ滑り込んでみました。お正月寒波で笹薮が完全に埋もれることに期待大です。

利尻山をスキーでぐるっと一周chapter1

2012年4月14日 Chapter 1 距離約10.2km鴛泊登山口(標高200m)AM6:00~アフトマナイ川(標高322m)AM9:45 前夜ポン山さんからメールがあり、「登山口までの道路が除雪されたそうでどうしますか?」ということで、海抜30mの私達が泊まっている宿からスキーを履いてスタートではなく、海抜200mの登山口に午前6時集合ということに急遽予定変更した。装備はなるべく軽量化を心がけて、雪山三種の神器は持たない。昨年の反省で必要なし。今日は天気も安定していそうなので、目出帽とか替えの手袋とかも、置いていく。水分補給は、2人で2.5Lの水筒は重いので半分くらい入れたのと、500mlのオレンジジュース1本ずつ。食料は、自分たちで用意したハム入りサンドイッチと差し入れのおにぎり3個、バナナ2本、行動食のチョコなど。装備はデジタル一眼レフカメラに、GPSと予備の電池、ツェルト、ヘッドランプ、緊急修理キット。特にヘッドランプは必携である。そしてスキーシール。いつもより背中が軽く、楽ちんそうである。前夜の雪解け水がそのまま凍ったツルツルの道を冷や冷やしながら登山口へ向かう。 午前6時に着くと、ポン山さんがすでにいつでも出発できる準備で私達を待っていた。ザラメの雪がまだしっかり凍っているので、シールを貼ってポン山の裏側の標高350m付近まで歩くことにする。午前6時5分登山口をスタート。風もなく静寂の森の中を、スキーやスノーシューやモービルだらけのトレースに沿ってしばらく歩く。途中で朝日が黒木の森に眩しく差し込んできて、朝宿でも日の出を見たので、今日は2回清々しさが味わえて得た気分。甘露泉水付近からトレースを左に外れて、ポン山の裏側の標高350m前後の雪原を目指していく。 ポン山裏側の標高350m付近の雪原に出ると、視界が開けて朝日に輝く秀麗な利尻山が目に飛び込んできて、気持ちよい冷気の中で身体も少し汗ばんで温かくなってきたのもあって、とっても気持ちいい。しかし、いよいよこれから、この威圧するかのような迫力で私達を見下ろしている利尻山を、ぐるっと1周してこなければ今日が終われないんだと思うと、チョッピリ不安でドキドキである。 この雪原でシールを剥がして、ここからウロコテレマークスキーの機動力の本領発揮である。2万5千の地形図の読図に慣れていても、やはり自分のイメージと実際の地形は違っていることが多い。さらに今は積雪期なので、思ったより良かったりもするけど、悪い場合ももちろんあったりするので、気は抜けない。これから横断する初っぱなのいくつかの沢は、思ったより深くて急な印象が残っていたが、実際は今年は積雪が多いせいか斜面がゆるく感じられた。また時計回りに進むので、斜滑降する斜面がちょうど朝日で緩み出していて、急斜面でもアイスバーンでないのが良かった。北稜の東側の長官山に突き上げる沢がちょうど正面に眺められた。北稜からこの沢方向に大きなスキー向きの斜面が広がっているのがわかる。ところでポン山さんはこの日のためにトレーニングをされてこられてもいるし、十分1周できると思うのだが、やはり本人は心なしか緊張していて、ちょっと無理してぴったり私の後を付いてきてくれているような感じがする。家内は、ハードなスキーツアーにはもう慣れっこなので、まったくマイペースで一番後ろからやって来る感じ。 姫沼の上部の雪原に立つと、振り返るとペシ岬がまだこんなに近く。けっこう歩いた気がするのに。ナビゲーションはGPSに大きく頼っているのだけど、最終的に効率的な進路を決めるのはやはり人間の判断力である。時計回りに1周なので、つねに右へ右へを意識しないと、知らない間に高度を落として海岸部へ無意味な下降をしてしまうし、大きな沢を横断するときは、対岸のどの辺りを登りルートにするか目安を付けないと、無駄な労力と時間を消費することになる。この沢の左右の尾根もスキー向きの斜面が広がっていて、昨年ポン山さんと滑ったところだ。豊漁沢川も条件が良ければ山頂から滑降できるようで、テレマークスキーではハードかもしれないが挑戦できると思う。そうすると海まで滑ることが可能なので、標高差721mのダウンヒルも夢ではない。 いよいよ豊漁沢川の横断にさしかかる。オチウシナイ川は山頂直下が急で複雑なルンゼになっていて、こんなところをエクストリームスキーヤーは滑るらしい。今日なんか良いコンディションかもしれない。しかし上から下はたぶん見えないだろうから、一人でやるのはかなり危険なことにちがいない。ところで利尻島には羆もキツネも鹿もウサギもいないが、シマリスは見ることが出来る。先頭を歩いていると突然シマリスが木の根本の穴から驚いて飛び出してきた。大きな声でみんなに教えると、すぐに近くの木の根本の穴に隠れてしまったが、また突然飛び出してきてしばらく私達を楽しませてくれる。雪の季節は、足跡しか見たことがなかったので貴重な遭遇。やはりふだん人が入らない森の奥深くだったので、シマリスの方もびっくりしたのかも知れない。 日がまだ高くないこの時間までは、斜面がアイスバーン気味なのでスキーがよく走る。今のうちに距離をできるだけ稼ぎたいが、チョコチョコっと写真撮影がてら止まるものの、ほぼ休憩無しだったので、アフトロマナイ川まで頑張って、そこで大きな休憩を入れることにする。 さて、私達が使用しているスキー板、カルフガイドは非常に万能である。カルフというスキーメーカーは昨シーズンで無くなったらしいので、もうこの板は手に入らなくなるのが残念。だから家内も私も予備の板を実はストックしてある。私が今使っているのは長さ185cm。板のスペックは107,78,98で、これならとても快適なテレマークターンが出来る。ただし滑降専用ではないのでベントは柔らかくてへなへな。アイスバーンやハードパックスノーは苦手である。サラサラの新雪は逆に気持ちいい。そして、スキー板の滑走面に魚のウロコのように刻みが入っていて、ちょっとした斜度ならシールを貼らなくても登ることが出来る。ザラメ雪などほぼシール登行に劣らない性能を発揮することもあるくらいである。このスキー板にプラブーツとツアービンディングを組み合わせれば、ほぼどんな雪山でもカバー出来る。そんなウロコテレマークスキーで歩きながら高度を上げ、適当なところで今度は斜めになるべく長く滑っていくという繰り返し。無数の谷を越え、尾根を越えて行く。アフトロマナイ川にも、ちょっと上流の地点だが昨年とほぼ同じ場所に出た。1周のトレースは、やはり標高350m前後のラインが効率的なよう。 Chapter 2へ

play bach special Vol.2/ジャック・ルーシェトリオ

FMラジオでバドパウエル特集をやっていて、その中でバドオンバッハを初めて聴いて、バッハだろうがクラシックだろうがなんでも自分流に自由にかっこいい演奏をするバドが大好きなピアニストになりました。出逢いは有名なクレオパトラの夢ではなくこっちでした。その後ジャックルーシェのプレイバッハを知りましたが、このレコードはG線上のアリアが入っているので思わず中古でしたが手に入れました。でもあんまり聴くことなくて、今回久しぶりにA面B面聴き通しました。バドパウエルとはまったく違った上品なスイング感で、とても心地よい演奏です。

シークレットkuniBCガイド・エビ山(恵比山)

恵比山 1744メートル 恵比山はエビ山とも書くが、昔の本「上越の山」では、ユビ山である。「積雪期は、春は野反第一の優秀なゲレンデというユビ山の東斜面も、12月の積雪には長い茅や大きいつ つじは十分に覆われていず、残念ながら快適ではないが、1月、2月、3月は実に優秀な粉雪に恵まれる。4 月、5月ともなれば、雪はザラメと化してスキーは面白いほど廻ってくれる。」 さらに、「ユビは、1800メートルを少しかけるくらいの尾根で、全く茅とつつじに覆われ、湖畔に長く突き出てユビ沢 と西豚沢とを分けている。刈り払いは、高澤の付近までついているが熊笹類の繁茂激しく、ちょっとわかりず らい。」とある。しかしながら、どうゆう経緯でユビがエビになったのか・・・ 恵比山の頂上は、広場といった感じで、展望もいい。恵比山はかつてもっとも親しんだ山。なだらかな山だからスキーにもってこいだ。    

Love Devotion Surrender/サンタナ・マクラフリン

高校時代のクラスメイトにサンタナ好きのギター少年がいて、お互いの好きな音楽について語り合った思い出があります。1981年のライブアンダーザスカイでサンタナが大阪万博のステージでハービーハンコックのバンドと一緒に演奏しました。その時に初めてサンタナを生で聴きました。そういえば記憶違いでなければ、ハービーハンコックの器材が電気系統のトラブルで長時間復旧せず待たされたっけ。このレコードはギター好きの弟が購入して家にあったものです。ずいぶん後になってから何気なくレコードプレイヤーに載せて聴いてみたら、いきなりコルトレーンの至上の愛が始まってのけぞりました。1973年発表。マイルスのバンドで世界的に名を馳せたマクラフリンとの共演に、この時ようやくサンタナが何者なのか知りました。

Salt Peanuts /スーパーサックス

スーパーサックスの第2作で1974年録音。だいぶん後になって中古で買ったもので、リアルタイムでは縁のないグループでした。チャーリーパーカーの音楽自体も、図書館でCDを借りて聴くようになるまで出逢いがほぼ無くてあまり聴いてこなかったです。ただ、直接聴かなくてもほとんどのジャズがチャーリーパーカーのビバップとのつながりあるので、例えば渡辺貞夫のレコードからチャーリーパーカーを勝手に理解しているような気にもなっていました。クリントイーストウッドの伝記映画バードをTV放送で観た時は、今までのチャーリーパーカーのバラバラな知識が一つにつながって、目からうろこでした。ジャケットはなんかダサい感じですが、音楽は超お洒落です。

シークレットkuniBC偵察2024-12-21

今年は寒い冬ということで野反湖の湖面も例年よりも早く結氷しているのではないのかと期待して訪れてみました。一番最後に昨年の12月26日の様子を載せてありますが、結氷の具合は少し早いのかもしれません。ただそれほど大きな違いは感じられなくて、人間の想いとはかけ離れているところで働いている気候という大自然の偉大な力に畏敬の念を覚えます。 これからクリスマス寒波がやってくるということで、嵐の前の静けさを感じさせる平和で穏やかな時間が流れていました。 丸山から湖面までスキーで滑って何とか降りることが出来ました。六合村に移り住んだのが1989年4月からで、冬の野反湖へスキーで遊びに来ていたのはそれ以前からです。スキー仲間とクリスマス会を企画してよく正一小屋に泊まって楽しく過ごしたものです。丸山から湖面に降りるスロープはとてもいいスキーゲレンデになります。私たちは正一ゲレンデと名前を付けて何度も登り返して滑りました。小屋の脇に大きな雪庇が出来ますが、ここに穴を掘って一晩ビバークしたこともありました。小屋の天井にある大きな梁には毎年青大将の大きな抜け殻がぶら下がっていました。小さなだるまストーブを囲んでよく食べよく笑いました。 野反湖の景色は岳樺の森がいつのまにか大きく育って少し変わってきているようです。でもやっぱり当時と変わったなぁという大きな違いはわからず、昔のままのようです。地域の人たちの手で野反湖の自然は今も大切に守られています。

spirituals/デビッド・マレイ

1988年1月、日本のDIWレーベルからの作品。レコードの帯には、「マレイの原点、ゴスペル、スピリチュアルの世界に挑戦した魂の詩。」とあります。発売は1990年くらいなので、どんどんレコードの新譜が少なくなって、CDが主流になっていた時代です。そんな時代背景の中で、1曲目のアメイジンググレースの選曲に魅かれて発売と同時に新譜で買いました。この時代の日本はまさにバブル経済の真っ只中でした。悠雅彦氏のライナーノーツを読むと、逆にニューヨークのジャズ的状況は不景気でジャズメンにとっては厳しい時代だったようです。そういえば山手線内の土地でアメリカ全土が買えるとか、ゴッホのひまわりが53億円で落札されたニュースが話題になったりとか、バブル時代の日本はジャパンマネーの勢いが最高潮でした。今から思うと、そのおかげでこのような作品をいくつも送り出していてくれたのかもしれません。でもこの頃はもうデビッドマレイの演奏に何か物足りなさを感じていました。

シークレットkuniBC偵察2024-12-20

10日ぶりのシークレットkuniBCの偵察です。あれから一度冬型の天気でかなり積雪も増えていました。それでもまだ笹薮が少し気になるものの、ウロコスキーでのバックカントリー偵察では十分な積雪量です。というよりも、この時期としてはやはり今年は大雪の年かなと実感です。さらに明日からまた大雪予報があるので、これからどれだけ増えていくのか、まだまだ期待大です。 VHFテープの2025年問題というのが気になるので、最近昔の古いVHFのビデオテープを掘り起こしています。それらの中に山田峠の避難小屋で休憩していたり、吹雪の中を仲間と楽しそうに滑っていたりする様子が記録されていました。どうやらシークレットKUNIに初めてBCで訪れたのは、1990年の冬の頃かそれ以前のようです。 1991年の春、当時の草津国際スキー場のロープーウエイ山頂駅からツアー届を出して縦走ツアーをした記録もありました。私をスキーに連れてっては1987年公開だったので、1990年は空前のスキーブーム真っ只中の時代でした。 今だに手元に残っている古い2万5千図には、当時のコースと時間が簡単にメモ書きされているのが見つかります。池ノ塔山の尾根を11時40分頃滑って芳ヶ平ヒュッテの前を通過して草津温泉へ下山しました。もちろん当時の芳ヶ平ヒュッテは、前の小屋番さんの時代です。冬は不在だったかもしれません。 その年から翌年までツアーした山の記録もわかりました。1990/11/17草津白根山スキー、1990/12/24草津白根山山田峠スキー、1991/1/13野反湖スキー、1991/1/20野反湖スキー、1991/2/11赤城山スキー(黒岩林業尾根)、1991/2/17赤城山スキー(荒山高原)、1991/3/10上州武尊山スキー(家串尾根)、1991/3/17浅間山スキー、1991/3/24巻機山スキー、1991/4/27~29尾瀬燧岳スキー、1991/11/23~25立山スキー、1991/12/22~23野反湖スキーです。

chare in the sky/ミンガス・ダイナスティ

チャールズミンガスは、1979年1月5日に56歳で逝去。没後ミンガスゆかりのメンバーによるバンドが結成され、各地で演奏される中での7月9、10日に録音された追悼盤。ジョニミッチェルのミンガスも7月にリリースされて、一般的にはこちらの方がミンガス追悼盤としてはあまりにも有名過ぎます。当時リアルタイムでミンガスダイナスティは聴いていなくて、だいぶん後になってから中古版で購入したもの。ジョニミッチェルのミンガスは話題になったし、たしかすぐに国内版でも発売されてFMラジオで頻繁に流れたし、貸しレコード屋ですぐに借りることもできて、良く聴いたものです。ミンガスダイナスティの方も、豪華メンバーによる最高にご機嫌な演奏です。A-2アチャエアーインザスカイとB-1スイートサッカーダンス、B-2デモインのお洒落賭博師の3曲は、ジョニミッチェルの追悼盤にも収録されていて、ジョニとミンガス共作もしくはミッチェルの曲です。