December 22, 2024

spirituals/デビッド・マレイ

1988年1月、日本のDIWレーベルからの作品。レコードの帯には、「マレイの原点、ゴスペル、スピリチュアルの世界に挑戦した魂の詩。」とあります。発売は1990年くらいなので、どんどんレコードの新譜が少なくなって、CDが主流になっていた時代です。そんな時代背景の中で、1曲目のアメイジンググレースの選曲に魅かれて発売と同時に新譜で買いました。この時代の日本はまさにバブル経済の真っ只中でした。悠雅彦氏のライナーノーツを読むと、逆にニューヨークのジャズ的状況は不景気でジャズメンにとっては厳しい時代だったようです。そういえば山手線内の土地でアメリカ全土が買えるとか、ゴッホのひまわりが53億円で落札されたニュースが話題になったりとか、バブル時代の日本はジャパンマネーの勢いが最高潮でした。今から思うと、そのおかげでこのような作品をいくつも送り出していてくれたのかもしれません。でもこの頃はもうデビッドマレイの演奏に何か物足りなさを感じていました。

シークレットkuniBC偵察2024-12-20

10日ぶりのシークレットkuniBCの偵察です。あれから一度冬型の天気でかなり積雪も増えていました。それでもまだ笹薮が少し気になるものの、ウロコスキーでのバックカントリー偵察では十分な積雪量です。というよりも、この時期としてはやはり今年は大雪の年かなと実感です。さらに明日からまた大雪予報があるので、これからどれだけ増えていくのか、まだまだ期待大です。 VHFテープの2025年問題というのが気になるので、最近昔の古いVHFのビデオテープを掘り起こしています。それらの中に山田峠の避難小屋で休憩していたり、吹雪の中を仲間と楽しそうに滑っていたりする様子が記録されていました。どうやらシークレットKUNIに初めてBCで訪れたのは、1990年の冬の頃かそれ以前のようです。 1991年の春、当時の草津国際スキー場のロープーウエイ山頂駅からツアー届を出して縦走ツアーをした記録もありました。私をスキーに連れてっては1987年公開だったので、1990年は空前のスキーブーム真っ只中の時代でした。 今だに手元に残っている古い2万5千図には、当時のコースと時間が簡単にメモ書きされているのが見つかります。池ノ塔山の尾根を11時40分頃滑って芳ヶ平ヒュッテの前を通過して草津温泉へ下山しました。もちろん当時の芳ヶ平ヒュッテは、前の小屋番さんの時代です。冬は不在だったかもしれません。 その年から翌年までツアーした山の記録もわかりました。1990/11/17草津白根山スキー、1990/12/24草津白根山山田峠スキー、1991/1/13野反湖スキー、1991/1/20野反湖スキー、1991/2/11赤城山スキー(黒岩林業尾根)、1991/2/17赤城山スキー(荒山高原)、1991/3/10上州武尊山スキー(家串尾根)、1991/3/17浅間山スキー、1991/3/24巻機山スキー、1991/4/27~29尾瀬燧岳スキー、1991/11/23~25立山スキー、1991/12/22~23野反湖スキーです。