亜熱帯の島々の海を、気ままにシーカヤックで旅したお話 Ⅳ
与那国島舞台の「老人と海」という映画がいい。カジキマグロを獲るために、サバニ(小舟)でひたすら漁に出る頑固なオジイ。オジイに寄り添い、陰でしっかりと不漁のオジイをささえるオバア。リアリスティックなカメラワークが、南海の孤島の大自然と向き合ってたくましく生きる人々の姿を、淡々と重々しく映し出していた。 40キロ沖にある直径9mの気象ブイのまわりには、こんなのがいっぱい泳いでいるんだって! IV. 大原漁港~西表島南岸~パイミ崎~白浜 無人の西表島南海岸を時計回りに進む。 マングローブの種がプカプカ流れてくる仲間川の河口にあるため、泥水で濁っている大原漁港をようやく抜け出て、島を時計回りに進むコースをとる。天気は回復し、南国らしい明るい太陽と青空は、雷の不安を少し和らげてくれる。昨日一日休養をとったので、パドリングは軽い。左に黒島や新城島を眺めながら、順調に進んだ。南風見崎をかわすと波照間島も見えた。新城島や黒島、波照間島へ次回は渡ってみたいなと思う。波照間島は天気が良くなければ無理だろうが、亜熱帯の大海原を漕ぎ進むのはドキドキするにちがいない。豊原という集落が過ぎれば、これから西海岸の船浮というところまで無人の海岸線を漕ぐことになる。30キロ近くあるだろう。とにかく雷が落ちないことを祈るのみだ。途中でキャンプする覚悟はできていたが、できれば白浜までたどり着きたい。南風見田浜の沖合をのんびり漕ぎ進む。カヤックが進むほどに、小さなカヤックのデッキのまわりいっぱいに広がる海の色が、変幻自在に輝く。小さな波頭に光が反射し、ブルーとグリーンがやわらかくて深い色合いと模様を創り出す。底を覗き込むと、様々な形や色の珊瑚とそれに群れる色とりどりの熱帯魚が滑らかに過ぎていく。このような楽しいパドリングがしばらく続いた。南風見田浜はウミガメの産卵地だそうで、その保護のためキャンプ禁止だ。しかし沖合から眺めると数組のテントやタープがあった。西表には、無人の浜に住み着いたりする人間が多くいるらしい。10年も住んで、そこで人知れず亡くなった人とか、本土で半年働いて、半年ここでのんびり生活する人とか、様々のようだ。考えてみれば、水と食料さえあれば暮らせるのだから、何もしたくない人にとってここは楽園である。2時間ほど漕いで、南風見田浜を過ぎたあたりで休憩のため上陸する。リーフの際では大きな波が立っていた。ジャングルが覆い被さるような小さなビーチにカヤックを上げると、すぐに海に飛び込んだ。茹で上がった身体には、たまらなく気持ちいい。そして、ジャングルの木陰に入り体を休める。 ここにもウミガメの産卵の痕跡らしきものが。 まだまだ先は長い。さらに海岸沿いに進み、鹿川湾を横断してパイミ崎をかわすまでは安心できない。リーフの際にできる大きな波をかわして、またパドリングの旅を続ける。はるか後方の大きな雲の塊が気になるなあと思っていたら、鹿川湾の沖を過ぎるあたりで突然のスコール。茹だった身体を冷ましてくれる。気持ちいいが、眼鏡の雨粒が鬱陶しい。地図を見ると、右手の湾の真ん中あたりに岩礁があるらしく、良いダイビングスポットなのかフィッシングスポットなのか、船が浮かんでいる。沖合にも数隻の釣り船が小さく見える。湾の奥深くにビーチが見える。ここは水も流れていて、キャンプするには絶好の場所らしい。通り過ぎてしまうのはちょっと残念な気もしないではない。しかし、後で西表炭坑史などを読むと、多くの脱走労働者がこういったところで亡くなっているらしい。湾を横断しきると、落水崎がある。落水崎は名前そのもので、ジャングルから湧き出てきた水が、崖を滝のように流れ落ちていた。滝に打たれたら、さぞ気持ち良さそう。 スコールを浴びながら・・・ ついにはるか後方で雷が鳴り出した。上空は青空だったが、後ろから雷雲が迫ってきているように感じる。左後方の波照間島の上には、どす黒く雷雲が覆っていた。前方の海面が一瞬光り、稲光だとわかる。三回に一回は大きな雷鳴が恐怖心をあおる。一度だけまわりの海面をさざ波たてるほどの爆音がしたときはびっくりした。いつの間にかパドリングの手に力が入る。ずっと先のウビラ石をかわしても、パイミ崎はさらにまた同じくらいの距離を漕がなければならない。この先はずっと岩礁帯の海岸だ。うねりが大きて、海岸には波が白く砕け散っていて、とてもカヤックを着ける気にはならない。雷から逃れるために上陸できるような場所は、パイミ崎の先のビーチまで行かなくてはならないようだ。相棒は遅れがちだ。紫に近いブルーの妖しい海の色は、不気味にどこまでも続くかのように感じられた。水平線の彼方の積乱雲の真っ直中にカヤックが迷い込んだら、そこは雨風の吹き荒れるホワイトアウトのような世界なんだそうだ。とにかく漕いで漕いで漕いだ。二時間ほどで無事パイミ崎をかわすことができた。 パイミ崎のビーチは今までとは別世界の楽園だった。 相棒は感慨深くパイミ崎を眺めていた。以前反時計回りで西表島の南海岸を回ろうとして、この岬がどうしてもかわせなかったらしい。パイミ崎の向こう側は穏やかなリーフの海が広がり、いつの間にか青空と明るい太陽が戻っていた。西表島は、400m前後の山が大海原に突然聳えているような島だから、いつも山に雲がかかっている。島のこちら側と反対側では、天気もかなり違うようだ。私たちが来た方向のずっと向こうの空にはどす黒い雲があったが、雷の音もまったく聞こえなくなり、もう安全地帯のようだった。明るい南国の太陽の光が、青い海と白い砂に燦々と降り注ぐ。広々としたビーチの背後にはジャングルが鬱蒼としているだけ。誰もいない無人のビーチは、なんと健康的なんだろうか。これぞ南の島のパラダイスかもしれない。カヤックをビーチに着け、さっそく海に潜る。人なつこいクマノミが、今までの苦労を十分に労ってくれた。ここから民宿のある白浜までは、まだまだかなりの距離があった。崎山湾、網取湾の沖を横切り、サバ崎をかわして、内離島と西表島の間を通って白浜の集落が見えるところまで漕ぎ続けたとき、六時半を回っていた。今日もこんなに遅い時間まで漕いでしまった。カヤックから携帯で金城旅館に電話したら、夕食も準備して泊めてくれた。いい一日だった。 外離島に沈む夕日を白浜から眺めるのんびりしたひととき。 この夜の相棒は、なぜかハイな気分のようだった・・・。今回の旅の核心部を、無事通過できた安堵感からかな。