12月29日 東京・竹芝桟橋を午前10時30分に出航した小笠原丸は、一路父島へ向けて南下した。今回の旅の道づれには新たな仲間が加わり、母島一周は三人でやることになった。この新たに加わった仲間は、シーカヤック初心者だけど、二人だった父島一周の時より心強い。しかしどうなることやら。初めての海は、不安がいっぱいだ。 12月30日 午前10時半、予定より1時間早く父島に到着。これで船旅が終わったわけではない。12時30分母島行きの船に乗り換え14時30分にやっとのことで母島に上陸する。昨日午前4時半に自宅を出てから実に34時間もかかったのだ。文句なしに日本一遠い場所である。これだけの長い船旅に耐えられるかどうかが、まずは小笠原を旅するための大前提となる条件なのだ。民宿ママヤにお世話になる。 12月31日 1998年の大晦日、午前八時過ぎに元地の前浜から出航する。前夜のミーティングで、ママヤのご主人折田さんから島の海の様子についていろいろ教えていただいた結果、反時計回りで一周するのが良いということになった。難所は南崎と北端の乾崎だ。どちらも潮流がきつく波も立ちやすいそうだ。折田さんは、宿の若い者を昼頃見張りにやると、親切にも私たちのことを心配して下さり、恐縮する。午後一時までに乾崎をかわすことが出来なければ北港に上陸し、一周は断念するということにした。 父島の時と比べて海は穏やかだった。冬型の気圧配置がこれから強まるという天気予報で、本州の方では西風が強いようだったが、1000キロ離れた母島に影響がでるのは明日以降らしかった。なんと運の良かったことか。さて、昨日まではいくら大きな客船でもただの乗客だったが、今日は違う。大波がくれば木の葉のように翻弄される豆粒のような船といえども、船長なのである。身動きがとれない小さなデッキに縛り付けられるように座っていても、心は大空を飛ぶ鳥のように自由である。快調に南崎へ向かってパドリングする。しかし、南崎は案の定潮の流れが速く、波が立っていた。進行方向と逆に流れていて、なかなか前進できなかった。波も大きく、ただがむしゃらにパドリングした。初心者の乗るベルーガは船足が速く、一番に難所を突破した。続いてK1の私が抜け、最後に父島を一緒に1周した相棒の乗るボイジャー415が私たちに追いついた。三艇がもっと近くにいなければいけないと思うのだが、船体の性能に差がありすぎるので、速い船はついつい先へ行ってしまうのだ。 ところで、父島より母島の方が山が高い。父島最高峰の中央山が標高317メートルなのに対して、母島は乳房山が463メートル、堺ヶ岳が444メートル、石門山が405メートルとである。ところが面白いことに海岸線の景色に父島南海岸のような断崖絶壁の威圧感がない。もちろん南崎をかわすと、東港まで上陸できるところはなく、ずっと断崖が続くのだが、母島という名前通り父島に対して何となく優しいのだ。東崎をかわし、大崩湾にはいると波も穏やかになり、少し休憩する。大崩と呼ばれるだけあり、断崖の一部が崩落し、赤い地肌が剥き出しになっていて大自然の荒々しさを感じる。石門崎をかわし、左奥に東港の防波堤を見て、いよいよ北海岸に回り込む。潮は進行方向に流れていて、快調に進む。波が変なふうに立っているので、私は沖目にかわすが、初心者のベルーガはかまわず最短距離で突っ切っていく。 乾崎に近づくにつれて、うねりが大きくなる。しかしゆったりとしたうねりなので、恐怖感はない。折田さんからは、鬼岩との間を行けとアドバイスされていたので、川の瀬のような大きな返し波が立っていたが、迷わず突っ込むことにした。ここはやはり緊張した。 難所を越えた初心者と私の二人は、のんびり相棒を待った。ここを越えれば母島一周も難所はもうない。相棒の雄姿を記録しようとビデオカメラなど構えていたのだが、その彼を突然大波が襲った。不思議なもんだ。なぜこんな波が突然起こったのかわからない。しかし彼は、沈することもなかった。いつも思うが、ビデオやカメラを向けると、見せ場を作る男である。ここからはパドリングがつらくなる。今までの緊張感から解放されたためか、急に足がつりだした。身動きがほとんどとれない小さなデッキの中では、どうすることも出来ず苦しむしかなかった。足の痛みをだましだまし前進した。そのうち大きな背鰭が三つほど、五,六メートル前の海面からせり出した。驚いた私は思わず「サメだ!」と叫んでしまった。その声にびっくりしたのか背鰭はすぐに消えてしまった。しかし冷静に考えてみるとイルカかもしれない。するとまたもや背鰭が現れた。今度は相棒も確認した。しかしまたすぐに消えた。知床の観光船で一年アルバイトしたことがある相棒はイルカだと断言した。 四本岩には、クジラが現れたという。私たちが越えた直後だったようである。後で知ったことだが、蝙蝠谷展望台から見た者がいた。とすると、私たちのカヤックの下にクジラがいたということか。なんたる大自然の驚異!感動がわき上がってくるではないか。しかしこれは後でわかった話で、この時は、これでクジラでも出たら、最高だよな。」なんて話をしながら退屈を紛らわしていた・・・ 八時間無上陸で念願の一周を達成した。本当はもっとのんびり途中でキャンプなどしながら旅してみたいが、キャンプ禁止のこの小笠原ではかなわない夢である。それでも与えられた条件の中で、私たちは充実したシーカヤッキングを経験した。 1999年 1月1日 最大の目的を果たした私たちは、ふつうの観光客になった。元旦恒例の観光協会主催の行事に参加したり、釣りをしたりしてのんびり過ごした。 1月2日 狭い母島のこと。一周した私たちのことは、一夜にして島中に知れ渡ったようで、このカヌーレースでは優勝候補から「マイジャケのカヌラー」とライバル視されていたそうだ。中央の船だ! 1月3日とうとう母島ともお別れだ。とても素晴らしい旅だった。ママヤの飯はじつにうまかった。島のレモン酒やジャムもおいしかった。そしてママヤでお世話になった折田さんはじめスタッフのお姉さん方、そして同宿した旅行者との語らいが楽しかった。今度こそクジラをカヤックから間近で見てみたい。いつの日か・・・ さよなら。また来るよ。