2022年春から切明温泉手前の林道500mが通行止め(2025年5月23日地蔵峠にて)

「信州の秋山郷からこの地蔵峠を越えて上州の入山郷へ抜ける山道は俗にこれを牛道と称し、かつては越後から入山へ米を運搬するために牛を通したことのあるだけに、道幅も広く相当の往来もあったが、近年は碌々手入れもしないために熊笹の跳梁するところとなり、山慣れた人でなければ通過もなかなか容易ならぬ状態である。」(上信境の山々・中村謙著 地蔵峠越えより 昭和12年)

おそらく昭和10年頃には、かつて盛んに使われていた道もかなり寂れていたようである。この道がもっとも繁栄を極めたのはいつ頃なんだろう。激動の明治維新の時代、幕臣小栗上野之介の夫人が政府から逃れるため、この道を通って越後へ逃げたという歴史がある。当時は、この道を「謙信越え」とか「越後新道」などと呼んだようである。「当時ようやく牛の通る程度(馬には通れぬ)に開かれたばかりで、・・・」とあるので、秋山への道が賑やかだったのは、それ以後の明治初めから昭和の初め頃までの期間だったに違いない。こんな山道を米を運ぶ牛が歩いたらしい。もっと時代をさかのぼって、鈴木牧之の秋山紀行では、「野反道」と出てくる。それからさらに、これより20年前、佐久間象山が鉱物探査のためにこの道を歩いている。1828年のことだ。どうやら昔からこの道は細々とあった。秋田マタギが狩猟をしたり、入山の木地師が木を探したりするために歩かれたんだろう。

地蔵峠の古い道標

野反湖を7時半に出発。日本海側は荒れ模様の天気ということで、風が強く寒い。こんな天気でも、白砂山へ登る人は結構いるもんだ。すでに登山口に二台、そして私たちと相前後して出発するペアが二組。しかし、秋山へは私たち4名だけのようだった。登山口からちょっと自転車を押し上げると、ハンノキ沢まで自転車に乗って下ることができる。しかし、体がまだ鈍っていて自転車のバランスがうまくとれない。冷や冷やしながら下る。ハンノキ沢から地蔵峠までは、担ぎである。フレームの三角に頭をつっこんでゆっくり坂道を登る。今年は紅葉が良くないようだが、野反湖の紅葉はそれでも今が盛りのようで、霧のベールから浮き上がるように樺の白い幹と黄色い葉が山肌を彩っている。強い風が吹くと、木々の露が雨のように散り、体を濡らす。いつもならこのつらい上りは汗で濡れるはずだが、今日は背中がほんの少し汗ばむくらいだった。8時半頃、地蔵峠に着く。

地蔵峠は、かつて大慈峠と呼ばれたこともあるらしい。2024年10月13日

ここには小さな地蔵が安置されていて、言い伝えの記録がある。このお地蔵さんは、長野原の人が岩菅山へあげるためここまで背負いあげたのであるが、不思議なことにこの峠から先に進むと足が痛み出し、退くと即座に直るのでそのままここに置かれたという。背負いあげたとあるので、小さな地蔵といえども人力でここまで来たんだから大したもんである。穿った見方をすると背負ってきた人夫がもういやになってそんな話を作ったのかもしれないけれど、このお地蔵さんはこの場所がふさわしいと思う。かなり風化しているけど、赤い毛糸の上着や登山者のチョッキを着せてもらって、みんなから愛されているようだ。白砂に登るにしても秋山に抜けるにしても、なんだか御利益があるような気がするお地蔵さんだ。地蔵峠から北沢への道は、急な斜面を斜めに横切るように緩やかにつけられていて、つらい担ぎから解放される。この斜面は、残雪期の頃だと根曲がり竹も埋まりスキーでの滑降も結構楽しい。ただし帰りの登り返しはきつい。北沢は小さな沢。石伝いに渡って、ここで一休みする。最後に渡った家内は、石に足を滑らせ水の中にこける。この夏クワウンナイ川の沢登りでも滑床に足を滑らせてこけていたが、まったく危なっかしい。

北沢にて。2021年9月27日が最後に秋山郷へ抜けた日。

さてここからつづら折りのつらい登りだ。身の丈以上ある根曲り竹が繁茂し、地形がさっぱりわからないほどだ。春、つづら折りを登りあげたこのあたりは雪原になっていてとても気持ちよいところなんだけど、春を知らない人には決して想像できないだろう。以前ベースキャンプを張って、存分にスキーを楽しんことがある。大倉山の南斜面はスキー向きのなかなかいい斜面だし、私たちは趣向を凝らして千沢へ滑り込んでみたり、大倉山の北西斜面をイタドリ沢めがけて滑ったりした。ほとんど水も涸れている荒戸沢を過ぎると、大倉山の西斜面をへつるように付けられた道になる。昔から左京横手と呼ばれているところだ。今日はガスで見えないが、晴れていれば時々野反湖を振り返ることができる。また、轟々と深い谷間を流れる千沢の滝を垣間見ることもできる。これもこんなに風がうるさい今日のような日では、滝の音も聞こえてこない。今日の私たちは、のんびりと話しなどしながら歩くだけだ。時々倒木が行く手を遮る。牛はどうやって通すだろう?

荒砥沢からイタドリ沢、西大倉山付近までは2025年現在最も藪がひどくて通行が困難らしい(2019年9月27日)

イタドリ沢も何気なく通過してしまい、あとは西大倉山への登りだけだ。このあたりも春ならば雪原になっていて、テント張って2~3日のんびりしたいなと思うようなところである。しかし、今は根曲り竹が繁茂し、とてもそんなところだなんて想像もできない。西大倉山からは、待望の大倉坂のダウンヒルだ。大倉坂はダイグラと読む。曲折が多く、現在の地図では百八十曲りと書かれているが、古い文献寄れば百九十三曲りあると書かれている。タイトターンが好きなマウンテンバイカーにとっては、最高の道だ。おもしろいことにここからは、ブナを中心とした広葉樹の森になるが、あれだけ繁茂していた根曲り竹が少ない。ふかふかの落ち葉に敷き詰められたブナ林の中を、心まかせに自転車で下るこの楽しさは、なんと表現したらいいんだろう。九十九曲り目にツキガネ段という名所があるそうだ。撞鐘によく似た石があるというのだが、昔はここから渋沢へ下るルートがあったそうだ。

百八十曲がりのブナ(2019年9月27日)

12時、奥州平と呼ばれる渋沢出合いに降りる。奥州平とはよく言ったもので、おそらくこのあたりで活躍した秋田マタギが由縁の名前だろう。鬱蒼としたブナなどの巨木の森で、森の臭いがぷんぷんする。昔入山の人が使っていた小屋が朽ちた姿でまだ残っている。屋根はしっかりしているので、泊ろうと思えば泊れるが、私にはその勇気はない。渋沢にかかる立派な吊り橋を渡ると、渋沢ダムがある。珍しくダムで何か作業をしている人が数人いた。風が強くあまりにも寒いので、避難小屋に入ることにする。

今は新しく設置された避難小屋になっている(2019年9月27日)

このバラックもかなり古くなっていて、隙間風がビュンビュン吹き、寒い。そんな小屋だが、シーズンにはかなりの釣り人が利用しているようだ。ノートには、釣り人の様々な想いが書き綴られていて、結構おもしろい。私もつまらないことを書き込んで、12時45分出発することにする。さてここからは、水平歩道を行く。渋沢ダムができる前はもちろん無かったので、右岸に道が付けられていた。しかし今はもう無いと思う。その痕跡を訪ねてみたいと思うが、ちょっとそれだけの気力はない。昔の文献からその様子を伺い知るしかないだろう。

「(奥州平の)営林署の小屋からは、ほとんど眺望のない、尾根がらみの道を、あるいは小尾根に登ったり、あるいは小沢に降りたりして四キロばかり進むと佐武流川のほとりに出る。これより約一キロ半登った三角点の1,631メートルの尾根上に1里地蔵とて高さ二尺ほどの石地蔵尊がある。ここまで達すると、まもなくして九十九曲りと呼ばるる急峻な坂道の下りにかかる。檜俣川を飛び石伝いに渡り、対岸に林道を求めてブナや川胡桃の林を穿行するうちに、いつしかエラ寝平とてエラの木の多い平に出て、まもなく佐武流山からの林道に合する。ここからドロ平を経て深沢の上流を渡れば和山はもう間近である。」

渋沢ダムの堰堤から魚野川下流を見下ろす(2019年9月27日)

また、鈴木牧之の秋山紀行には、秋田マタギがこの奥州平から魚野川をさかのぼって、燕滝から小ゼン沢をさかのぼり草津へイワナや獣の肉、毛皮などを売りに行ったことが書いてある。まったく秋田マタギというのは凄い山の生活技術をもっていたんだなと感心する。またそのころ主に猟師や木地師を生業にしていたらしい入山の人の生活や方言なども紹介されているのが興味深い。

2024年10月13日

水平歩道は、昔の苦労などまったく感じさせないほどに、快適である。ただ魚野川の断崖の中腹に付けられているので、時々眼下に魚野川が切れ落ちていて、怖い。小さな沢を跨ぐとき、イワナが五~六匹走った。仲間と騒ぐ。どうやら今年の紅葉はここでも今ひとつだが、それでも見とれるほどのいい景色だ。二つ目のトンネルはやっぱり通行禁止だった。入り口に鍵がかかっていて、山越えの道がある。初めて来たときはまだ通れたのにな。どうも崩壊の危険があるようだ。ここを過ぎれば、また快適な道が続く。短いトンネルを二つくぐって少し進むと、ようやく水平歩道も終わり、魚野川に向かっての急斜面をつづら折りに下る。ここもなかなか手強いが、結構乗車できる。マウンテンバイカーにとっては、最後のハイライトだ。つづら折りを下りきり、高橋吊り橋を渡ると車も通れる林道に出る。切明までもうすぐだ。魚野川水平歩道はきわめて快適。

水平歩道から急坂を下って林道に出る前の最後のつり橋(2019年9月27日)

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