2025

シークレットkuniBC2025-3-2

低気圧の接近で午後から天気が下り坂になるという予報。今日も日中は春のような気温に上がるでしょうから、どんな悪雪が待ち受けているか楽しみです。これから3月のバックカントリーはいろんな雪質に出逢えることでしょう。森の自然観察をしながらのんびりハイクアップです。 3時間半歩くと素晴らしい景色が開ける平に出ました。浅間山から草津白根山、榛名山や野反湖の八間山や三壁山まで見渡せます。今日はちょうどここで正午となりゆっくりお昼休憩しました。 ここからの帰りは、メローなスロープをもう一本登り返してテレマークターンを楽しもうなんて話していたけれど、とんでもない悪雪のストップ雪でした。スローモーションのような滑りで苦労しますが、みんな楽しそうにはしゃぐ声が響き渡ってきました。どんな悪雪でも上手に滑りたいという前向きな気持ちがバックカントリーの醍醐味になることもあります。 太ももの筋肉が攣りそうになるくらい足にブレーキがかかるストップ雪ですが、バランス感覚に集中しながら滑らかにテレマークターンしようと皆さん悪戦苦闘です。 パウダースノーが楽しめる日はもちろん最高ですが、こんなバックカントリーガイドの日ももちろんあります。 午後2時下山。明日から寒の戻りがあり週末にかけて降雪予報が続きます。3月のパウダーはまだ楽しめるチャンスがありそうです。

第6回チャツボミゴケ公園スノーシューハイキング2025-3-1

3月最初のスノーシューガイドは、全国的に晴れの天気予報で日中10度以上まで暖かくなったようです。ゲストさんたちも心地よい春の陽ざしの中で快適にスノーシューを楽しまれていました。 ここ数日続いた暖かさで、ウサギたちの足跡は凹だったのが凸になっているのにはびっくりしました。その理由は、周りの雪が融けたからです。 池の氷も緩み始めているのがわかりました。色が変わっているところは表面の雪や氷が融けて水溜りになっています。たぶんまだ厚い氷が下にあると思われますが、もう怖くて近付けません。 またこの春の陽気の中でチャツボミゴケが温泉沢の流れの中ですくすくと成長している様子が感じられました。ラムサールに登録される前の厳冬の2月、深い雪の中でチャツボミゴケの生態調査に立ち会った経験があります。その時に温泉沢の流れの中のチャツボミゴケは2センチの成長を確認して驚いた時のことを思い出します。 ソリ遊びも毎回雪質が違うので上手に滑るにはなかなか奥の深い遊びです。季節の移ろいをいろいろなところで感じたり発見したりすることが出来た一日でした。

Magnificent Madness/ジョン・クレマー

セシルテイラーのフリージャズの次に聞くにはぴったりレコードです。一音一音が聞き逃せないくらい耳を集中しなければならないセシルの音楽とは対照的で、ジョンクレマーのサックスは、BGMで流しながら気分をゆったりすることが出来る音楽です。ハービーメイソンとエイブラボエリエルのリズム陣が素晴らしいグルーブ感を作っています。1980年録音。ジョンクレマーとの出逢いはクロスオーバーイレブン(当時高校生)でかかったアラベスクでした。このレコードは最近中古屋さんで手に入れたものですが、ジョンクレマーのサックスの音色やフレーズは飽きない魅力があります。

シークレットkuniBC偵察裏大高山2025-2-27

いよいよ2月終盤になって春の陽気で雪質はパウダースノーとはほど多いクラストに変化していました。雪庇が張り出したブロック雪崩や新雪表層雪崩を恐れていたトラバース区間も心配するほどではなかったです。 むしろ雪が締まってスピーディーに行動することができました。予定より早く4時間かからず大高山山頂にとうちゃこ。ちょっと休憩して裏大高山まで足を延ばすことも出来ました。 天狗平午前10時41分通過。天狗平は別名細野平とか御殿平とか呼ばれていますが、源義仲の落人伝説があります。家臣細野御殿の介が義仲の子を身籠った姫をこんな山奥まで連れ、逃げ延びてしばらくの間隠遁していたというものです。 午前11時14分、天狗平を過ぎて稜線に取りついて標高を上げると、オッタテ峰の向こうに横手山が目に入ってきました。 午前11時39分、大高山山頂直下。巨大な雪庇が崩れて小さい規模ですが全層雪崩の兆候が見られました。 裏大高山には午後12時35分とうちゃこ。苗場山は雲の隠れていましたが、白砂山や岩菅山連峰は眺めることができました。久しぶりに来ることができて大満足です。 大高山午後1時下山開始。パウダーの季節はいったんお休みです。クラストなコンデョションながらも変化に富む斜面の滑降もそれなりに楽しいです。 午後2時40分下山。今日のコースは、山頂を目指す昔からのいわゆる山スキーとかスキーー登山とかいうスタイルの大高山~裏大高山BCでした。 天狗平の伝説 鈴木広義著「ガラン谷史話」より 「水島の戦いで中枢の武将一千二百余を失った義仲の戦色は敗色濃かった。細野庄にあった重時の二子、三友之介、三子源次郎は、戦局に見切りをつけ信州さして落ちのびるのだった。これよりさき、信州へ家人に守られて、細野庄へ帰しておいた娘楓は義仲の側近に仕えていたが、義仲の子を身籠もっていた。義仲の軍が滅亡し、細野三友之介は弟源次郎と一旦は信濃の国小県の細野庄に帰るが、頼朝の義仲残党追討の先鋒が木曽谷に迫るとの声を聞いて一族郎党を連れて、道を下高井郡にとり、志賀の山へたどり山深くあまり人に知られぬ大沼池に着いた。山岳信仰の修験道修行のためかねてから知っていた道であり、その険阻から人の寄りつかぬところで屈強の場所として選んだ道であった。弟源次郎とその妻、三友之助と妻、娘楓、郎党七,八名。大沼池は青く澄んでいた。思えば変転めまぐるしいこの数年間であった。四月も半ばを過ぎていたが、まだ雪が深くこれからの険阻な道を思うと、娘の身を案じて、三友之助の胸は痛むのだった。大沼池でしばらく休養し天候を見定めて赤石山に道をとることにした。いかな頼朝の追討軍もここまでは追撃できないと三友之助には確信があった。別の一隊は、入山に着いているだろうと思われ、こころの中はこれに頼りたい気もあったが、連絡することはまずいことになるかもしれないと思い、誰にも知られぬよう入山の山中に入り込むことを考えていた。赤石山を通り越すと倒木と倒伏の笹に歩き続けるのは大変である。それに続いて急坂の連続である。雪の道の笹と倒木の苦しみを過ぎると、小高山への登りにかかってくる。小高山を登り下りしてようやく天狗平に着いた。少しも早く住居を作らなければならなかった。三友之助にとって幸運だったことは、ここは水に恵まれていたこと、狩りをするには獣が豊富だったことである。娘楓は、京の生活になれた美女だった。楓は、天狗平に着いてまもなく義仲の遺児を産み落とした。」

第5回チャツボミゴケ公園スノーシューハイキング2025-2-25

昨日までの大寒波な天気から一転、今日から4月初め並みの春のような陽気の日が続きます。午前11時を過ぎると陽射しが眩しいくらいに森の中を照らしてポカポカになってきました。上着を一枚脱いでも少し歩くと汗ばんできます。手袋も暑くて素手になりたくなるくらいでした。 でもゲストの皆さんは、のんびりと静かな雪原や森の中をスノーシューで歩ける体験にとても感激して楽しまれていました。 厳しい寒さの冬の間も、温泉で生息しているチャツボミゴケが特にすくすくと成長している場所があります。ここでは釧路湿原を流れる川が蛇行しているみたいになっている温泉沢の様子が観察できました。 そして雪が積もってないときはとても手が届かないヤドリギにも、今日はとても間近に感じながら観察できました。

シークレットagatsumaBC2025-2-24

朝の出発時の気温マイナス12度。2月に入っての2度目の大寒波も今日が最終日らしい。関東平野は冬晴れの天気ですが、関東北部の山沿いにあるシークレット吾妻は吹雪。もうちょっと天気がいいかなと期待してやってきましたが、思ったより厳しいコンデョションでした。 それまで雪崩斜面に注意しながらもなんとか一本、ディープパウダーを楽しむことが出来ましたが、2本目はお目当ての急斜度のツリーランです。お昼近くになってようやく地吹雪も弱まって視界が良くなってきました。 間違いなく今シーズン一番のパウダーでした。 この一本で今日は大満足です。

シークレットkuniBC偵察2025-2-23

シークレットkuniうらやまでも、2025シーズンはパウダーに恵まれたシーズンとなっています。 寒波の影響で標高1800m以上では地吹雪っぽくて山が見えませんでした。稜線は相当寒そうです。こんな日はボトムアップからの方が陽射しにも恵まれて楽しいです。2時間半のハイクアップを頑張りました。 どこを滑ろうかハイクアップしながら悩みました。今シーズンまだ滑っていないBコースかなと思ったのですが、お昼には帰る予定で偵察に来たのでCコースを滑って帰りました。 今年は大雪でスノーブリッジが出来上がって、楽ちんで渡渉出来ます。

シークレットkuniBCオッタテ峰1880m

群馬県境稜線トレイルの野反湖からカモシカ平を過ぎて大高山に向かう途中に1965mの小ピークがあります。ここにオッタテ峰という古い道標があるのですが、どうしてここがオッタテ峰という名前になったのかずっと疑問でしたが、その間違いの原因ではないかという手掛かりになる証拠が最近見つかりました。 2000年2月にダン沢の頭から赤石山へ縦走するスキーツアーの時に撮影されていた登山口の案内板の地図です。ここにはオッタテ峰が二つあります。しかも1880mピークにあるべきオッタテ峰の位置がダン沢の頭のところにあり、さらにオッタテ峰ではなくオッタテの峰となっています。この案内板は大高山登山口の馬止にありますが、2025年現在は老朽化で何が書いてあるかわからなくなっているので貴重な証拠写真です。 ところで、昭和48年12月20日発行の六合村誌という正式な文献をスキャンした写真を紹介します。六合村誌によるとオッタテ峰は小高山とダン沢の頭との間にある標高1880mの小ピークのことを指していることがしっかりと書かれています。オッタテ峰の位置がわかる写真も付いています。 本来オッタテ峰である山名がオッタテの峰になり、まったく違う場所の1965m峰がオッタテ峰となってしまったのは、どうしてなんでしょうか。案内板の地図を作った関係者の単なる間違いなんじゃないかなと推察しているのですが、いかがなもんでしょうか。    

シークレットkuniBC裏大高山2010-3-22

大高山は群馬県境稜線トレイルの野反湖と赤石山との間にある標高2079mの知られざる秘峰です。全国的に知られていないので名山とは言い難くて、あえて上信国境の秘峰と紹介したいと思います。東西から立派な登山道が山頂まで通じていますが、実はこの山頂から派生する支尾根に大高山よりも標高の高い小ピークが存在します。登山道がないので積雪期にスキーで往復30分くらいで行って来れる場所です。名前がないので地図でさがさないとわからない場所ですが、魚野川源流をはさんで上信越の山々の素晴らしい展望が得られるところです。もう何度と訪れていますが、名前がないと実感がわかないので、勝手に裏大高山と呼んでいます。2010年3月以来久しく訪れていないので、再訪しておきたい場所です。 2010年3月22日 大高山へスキーツアー。昨年の晩秋、縦走して以来だ。大高山山頂で一休みしたら裏大高山まで足を伸ばしてみた。ウロコテレマークで軽快に小さなアップダウンをチョコっと滑ったり歩いたり。裏大高山頂からは、奥志賀の山々が魚野川の深い谷間を挟んで絶景である。じつは、裏大高山なんて名前は山名総覧に載ってません。なぜなら、勝手に付けた山名だから。これだけ景色が良いのに、山名がないのはイカンでしょ。 まずド迫力で目の前に聳える山は烏帽子岳2230mです。魚野川大渓谷に落ち込む断崖絶壁を真正面に見据えることが出来ます。 その左隣りに続く岩菅山連峰の最高峰2341mの裏岩菅山です。裏大高山から眺める裏岩菅山です。 烏帽子岳から今度は右に目をやると、奥の方に平べったい山容の存在感ある山が目につきます。これが苗場山2145mです。裏大高山からの苗場山は実にいい姿で眺められるのではないでしょうか。 さらに右に目を移すと純白に化粧してひと際目立っている白砂山2139メートルがわかります。さすが白砂山は、群馬長野新潟の3県境の山であり、まさに上信越の盟主の山として貫禄があります。 その白砂山と苗場山との間に目立ちませんが佐武流山2191mがわかります。佐武流山は白砂山稜線から眺めるのが最も迫力がありますが、ここからは信越国境稜線上の山々の中に埋もれてしまいそうです。 裏大高山で裏の景色を堪能し、大高山で表の景色を堪能した後、午後もすっかりまわったせいで、お彼岸らしいお日様でしっかり重くなった新雪を蹴散らしダウンヒル。 7月に開催される志賀野反山岳マラソンでは、1日でとんでもない人数のアスリートが大高山を通過するでしょうが、裏大高山の存在なんて誰も知らないし、興味を持たれることもないでしょう・・・

The Cecil Taylor Unit /セシル・テイラー

セシルテイラーのことは、たぶん油井正一のアスペクトインジャズで初めて聴いて興味をもったのだと思います。高校生の頃ですが、どこかの輸入レコード店でこのレコードを見つけて思わず買っちゃいました。購入当時、これはきっとセシルの最新の新譜だったでしょう。最初に針を落として流れてきた音の驚きは、60年代のレコードで聴いたセシルのイメージと違って、現代的な美しいサウンドに驚いたのを憶えています。ただ1曲が長くて曲の構造も複雑そうで、レコードの片面を最後まで聞き通すには集中力が必要です。サイドメンはジミー・ライオンズ、ラフェ・マリク、ラムゼイ・アミーン、シローン、ロナルド・シャノン・ジャクソンで、1978年の作品です。