2025

第4回チャツボミゴケ公園スノーシューハイキング2025-2-20

2月半ばになってからもまた大寒波が襲来。今シーズンのチャツボミゴケ公園はフカフカの新雪に恵まれています。気温はマイナスでも大の字になって空を眺めるのは気持ちいいです。上空でゴーゴーと鳴っている風の音が聴こえてきます。 深い雪を掻き分けて、温泉大滝までやってきました。湧き上がる湯気はまるで生き物のようです。滝の壁にはチャツボミゴケがびっしり成長しています。冬の季節だけ見ることのできる景色にいっぱい出逢えるのがスノーシューハイキングの魅力です。 温泉が湧く穴地獄は、深い雪の中にひっそりとありました。雪の中に埋もれてどこにあるのかわからない木道を外さないように、やっとたどり着いた時はゲストの皆さん大感動でした。 スノーシューハイキングは冬山ハイクやスノーシュー体験が初めてでも参加できます。大自然の雪山を歩くので、体力や必要な装備についてはお気軽にご相談ください。チャツボミゴケ公園スノーシューハイキングのお問い合わせ、お申し込みは中之条町観光協会です。小学生用のスノーシューも準備しているので、ファミリーでも参加できます。

Iguaçu/パスポート

パスポートは1971年結成当時、まだ西ドイツだった頃からのフージョングループ。日本ではあまり知られていないグループでしょう。学生時代に国際線の機内ミュージックで聴いていいなと思い、パスポートというバンド名が覚えやすかったのかいつまでも気になっていました。最近中古レコード屋さんでこのレコードを見つけて、格安値段だったので懐かしくなって手に入れてみました。当時大人気だったウエザーリポートを彷彿させる演奏です。1977年録音。アルバムタイトルのイグアスは、ジャケットのイラストからもわかるように南米アルゼンチン (80%)とブラジル(20%)の二国にまたがる世界最大の滝のことのようです。

シークレットkuniBC「ガラン谷一周」2000-2-26,27

ガラン沢は昔から魔の谷と呼ばれている。実際はそんなに難しい遡行技術が必要な谷でもなく、準備さえしっかりして臨めば怖れるほどでもない。ただ昔から遭難が多いので魔の谷などと呼ばれるのだろう。確かにガラン沢とそれにそそぎ込むいくつもの支沢は、あり地獄のように上州側の奥深い山に食い入るようにして刻まれていて、志賀高原のスキーヤーが油断すれば迷い込んでしまうような地形なのだ。ガラン沢の由来は、伽藍のような断崖絶壁がそそり立っているのでガラン谷と呼ばれ、この名が世間一般に知れ渡ってガラン沢になったらしい。六合村誌によると切畑川というのがもともとの川名だったようだ。今、切畑川の名前でガラン沢のことを話し出しても、誰にも通用しないだろう。そんなガラン沢を馬蹄形に取り巻く山々を、今回はスキーで走破した。 林道を八時少し前に歩き出す。スキーのトレースがかすかに残っている。先週の自分のだ。天気が悪くて、風雪の中だった。ミドノ沢源頭は、ガラン沢ほどではないがどうも地形が複雑で、地図と実際のギャップが大きいと感じていたので、無理しない程度のルート探査という目的だった。 馬止口からいよいよ鷹巣尾根に取り付く。赤石山方面へルートをとるのだから、鷹巣尾根をそのまま最後まで登ってしまえばいいのだが、今回は一つ石下部を右に大きくトラバースしてミドノ沢源頭部に出て、左側のオッタテ峠から派生する支尾根に取り付いて国境稜線上に出ることにした。鷹巣尾根ルートは、一つ石までかなりの急登なので重荷にはつらそうなこともあり、前から今回のルートを試してみたかったのだ。結果的には急登も少なく、樹林帯をのんびり歩けるいいコースだった。 途中で大休止をとったりしたので、国境稜線上のオッタテ峠を通過したのは12時を過ぎていた。縦走の場合、お昼を過ぎるとどの辺りまで行けるか気になってくる。2月初旬にダン沢の頭へ日帰り往復したときは、山頂から赤石山を眺めて結構簡単に行けそうだななんて見積もっていた。明日の天気の崩れを用心すれば、今日は行けるところまでがんばっておきたい。できれば赤石山を越えておきたい。 オッタテ峰を過ぎて、ダン沢の頭は湯ノ沢の源頭を巻くことにする。急斜面で、おまけにルンゼ状の沢をいくつか跨ぐので、ラッセルが厳しい。頂上直下には、巨大なセッピが発達していて気も抜けない。あまりにもつらいので、途中で先頭を代わってもらい、やっとの事でダン沢の頭を巻いて国境稜線上に這い上がった。時刻は2時を回ろうとしていた。 素直に稜線をたどった方が良かったかも知れない。途中で、我々に気づいて湯ノ沢を身軽に駆け下りていく熊みたいなカモシカに遭遇したが、私たちはかなりバテバテだった。 ダン沢の頭~赤石山間は今回最も楽しみにしていた区間だけど、天気が悪くて眺めもいまいちで、ラッセルの拷問に苦しみながら歩くことになってしまった。赤石山直下の登りまでは緩やかなアップダウンが続くので、ザラメ雪の季節ならウロコ付きのテレマークスキーがきっと快適だろう。ただし、結構地形が複雑で視界がないときに稜線上を忠実にたどるのは難しそうだ。湯の沢の頭を過ぎると、小規模だが二重山稜の地形みたいになっていた。仲間はこの辺りでテントを張って行動を終了し、のんびりしたかったようだ。 なんだかんだ苦労しながらも、4時15分に赤石山頂上にたどり着いた。もう10年近く前に、ここに春のドカ雪で2泊も停滞したことがあったが、今回そんなことは御免だからもっと先に進みたいと思う。シールを剥がしてこれから下りにかかるが、どこまで行けるだろうか。気分的には、大沼池まで行けると楽だなと思いながら4時35分に出発する。夕闇が迫り、視界も利かなくなってくる。急斜面なので草津峠への国境稜線がはっきりしないが、とにかく滑りやすそうなところを選んで下る。が、疲れた体に荷も重く、おまけに雪質もいまいちで苦労する。標高差で100メートルも下ったところに突然きれいに整地したテント場に出た。昨晩かなり多人数のパーティーがここで幕営したようだ。おあつらえ向きの幕営地に偶然出食わし、仲間と即刻ここにテントを張ろうと意見が一致した。 翌朝、天気はいまいちで視界は思ったより利かず、稜線伝いに鉢山方面へたどることをやめて大沼へ下ることにした。私はもう少し楽しい下りが期待できるかと楽しみにしていたが、樹林が濃くて散々な目にあった滑降だった。途中から小さな沢の中を滑って這々の体で大沼池に出た。大沼池はとてもいい雰囲気のところだった。 大沼池上に出て進路をどうするか悩んだ。このまま志賀山の右側を登って前山スキー場に出るのが一番納得のいくルートなのだが、果たしてこの深雪をラッセルする体力があるかどうか。蓮池方面への林道をたどった方がアップダウンもなく、体力的にも時間的にも何とかなるだろうということで、仲間との協議の末計画を大幅に変更することになった。しかしこの林道歩きも、そう簡単ではなかった。2時間近くかかってようやく車道に出た。12時だった。やはり厳冬期のガラン沢一周はそう簡単ではないということを思い知らされた。車道から蓮池までまたもやスキーを担いで歩かされた。やっと蓮池のバスターミナルにたどり着いたら、ちょうど良く熊ノ湯へのバスがあった。それに乗り込んで熊ノ湯まで行き、リフトを3本乗り継いで横手山山頂に立つことができた。 渋峠スキー場を滑って志賀草津道路を歩き、芳ヶ平へのいつもの快適な尾根を滑って2時45分に何とか芳ヶ平ヒュッテで休憩させてもらうことができた。夕方近い時間にもかかわらずスパゲティの昼食をいただいて疲れた体を癒すことができた。1時間ほどのんびりして、草津スキー場へ下る。ここからの下りが一番雪質も良く快適だった。5時、草津スキー場に着いた。車で出発地点の車を回収し、ガラン沢一周は完成した。

New Thing At Newport /ジョン・コルトレーン&アーチー・シェップ

1965年のニューポートジャズフェスティバルでのライブ音源。コルトレーンはA-1のみですが、過激といっていいフリージャズを解散直前の黄金カルテットで熱演しています。それと対比して、ボビーハッチャーソンのバイブラフォンを配したアーチーシェップのテナーは、なんとも余情的な味わいがあります。15の春に初めて聴いた1971年録音のシングス・ハヴ・ガット・トゥ・チェンジでシェップの洗礼を受けましたが、その時の衝撃のサウンドからすると、ここではとてもクールなテナーの肉声を聴くことが出来ます。ハッチャーソンの加わったカルテットの演奏は独特の浮遊感あるサウンドで、時々無性に聴きたくなります。

第3回チャツボミゴケ公園スノーシューハイキング2025-2-16

先日の大寒波からまだ一週間もたたないうちに春のような陽気に包まれた穏やかな一日でした。チャツボミゴケ公園では町の遭対協が冬山訓練を行っていましたが、今日は何かあったらすぐに救助に来てもらえるかもなので安心ガイドです。 賑やかに訓練しているエリアから少し森の奥に入り込むと、そこには幻想的な雪の風景が待ち受けています。ただ、フカフカの新雪も少し残っていましたが、さすがにこの暖かさで雪はかなり締まり始めていました。まだ2月ですが、2月も後半に入ると季節の進みを実感します。 雪の中のチャツボミゴケですが、写真では伝わらない見事なグリーン色で輝いていました。参加したゲストの皆さんも大満足です。ゆっくりお昼のカップ麺で体を温めながら、冬の穴地獄の風景を楽しみました。 締まった雪は、ソリ遊びや尻セードにとっては都合がいいです。静かな森の中に歓声が上がります。 穴地獄のチャツボミゴケは厳冬期でも活火山である草津白根山によって湧き出す温泉に育まれてたくましく生き続けています。チャツボミゴケ公園スノーシューハイキングのお問い合わせ、お申し込みは中之条町観光協会です。小学生用のスノーシューも準備しているので、ファミリーでも参加できます。

小笠原シーカヤック・母島一周1998

12月29日 東京・竹芝桟橋を午前10時30分に出航した小笠原丸は、一路父島へ向けて南下した。今回の旅の道づれには新たな仲間が加わり、母島一周は三人でやることになった。この新たに加わった仲間は、シーカヤック初心者だけど、二人だった父島一周の時より心強い。しかしどうなることやら。初めての海は、不安がいっぱいだ。 12月30日 午前10時半、予定より1時間早く父島に到着。これで船旅が終わったわけではない。12時30分母島行きの船に乗り換え14時30分にやっとのことで母島に上陸する。昨日午前4時半に自宅を出てから実に34時間もかかったのだ。文句なしに日本一遠い場所である。これだけの長い船旅に耐えられるかどうかが、まずは小笠原を旅するための大前提となる条件なのだ。民宿ママヤにお世話になる。 12月31日 1998年の大晦日、午前八時過ぎに元地の前浜から出航する。前夜のミーティングで、ママヤのご主人折田さんから島の海の様子についていろいろ教えていただいた結果、反時計回りで一周するのが良いということになった。難所は南崎と北端の乾崎だ。どちらも潮流がきつく波も立ちやすいそうだ。折田さんは、宿の若い者を昼頃見張りにやると、親切にも私たちのことを心配して下さり、恐縮する。午後一時までに乾崎をかわすことが出来なければ北港に上陸し、一周は断念するということにした。 父島の時と比べて海は穏やかだった。冬型の気圧配置がこれから強まるという天気予報で、本州の方では西風が強いようだったが、1000キロ離れた母島に影響がでるのは明日以降らしかった。なんと運の良かったことか。さて、昨日まではいくら大きな客船でもただの乗客だったが、今日は違う。大波がくれば木の葉のように翻弄される豆粒のような船といえども、船長なのである。身動きがとれない小さなデッキに縛り付けられるように座っていても、心は大空を飛ぶ鳥のように自由である。快調に南崎へ向かってパドリングする。しかし、南崎は案の定潮の流れが速く、波が立っていた。進行方向と逆に流れていて、なかなか前進できなかった。波も大きく、ただがむしゃらにパドリングした。初心者の乗るベルーガは船足が速く、一番に難所を突破した。続いてK1の私が抜け、最後に父島を一緒に1周した相棒の乗るボイジャー415が私たちに追いついた。三艇がもっと近くにいなければいけないと思うのだが、船体の性能に差がありすぎるので、速い船はついつい先へ行ってしまうのだ。 ところで、父島より母島の方が山が高い。父島最高峰の中央山が標高317メートルなのに対して、母島は乳房山が463メートル、堺ヶ岳が444メートル、石門山が405メートルとである。ところが面白いことに海岸線の景色に父島南海岸のような断崖絶壁の威圧感がない。もちろん南崎をかわすと、東港まで上陸できるところはなく、ずっと断崖が続くのだが、母島という名前通り父島に対して何となく優しいのだ。東崎をかわし、大崩湾にはいると波も穏やかになり、少し休憩する。大崩と呼ばれるだけあり、断崖の一部が崩落し、赤い地肌が剥き出しになっていて大自然の荒々しさを感じる。石門崎をかわし、左奥に東港の防波堤を見て、いよいよ北海岸に回り込む。潮は進行方向に流れていて、快調に進む。波が変なふうに立っているので、私は沖目にかわすが、初心者のベルーガはかまわず最短距離で突っ切っていく。 乾崎に近づくにつれて、うねりが大きくなる。しかしゆったりとしたうねりなので、恐怖感はない。折田さんからは、鬼岩との間を行けとアドバイスされていたので、川の瀬のような大きな返し波が立っていたが、迷わず突っ込むことにした。ここはやはり緊張した。 難所を越えた初心者と私の二人は、のんびり相棒を待った。ここを越えれば母島一周も難所はもうない。相棒の雄姿を記録しようとビデオカメラなど構えていたのだが、その彼を突然大波が襲った。不思議なもんだ。なぜこんな波が突然起こったのかわからない。しかし彼は、沈することもなかった。いつも思うが、ビデオやカメラを向けると、見せ場を作る男である。ここからはパドリングがつらくなる。今までの緊張感から解放されたためか、急に足がつりだした。身動きがほとんどとれない小さなデッキの中では、どうすることも出来ず苦しむしかなかった。足の痛みをだましだまし前進した。そのうち大きな背鰭が三つほど、五,六メートル前の海面からせり出した。驚いた私は思わず「サメだ!」と叫んでしまった。その声にびっくりしたのか背鰭はすぐに消えてしまった。しかし冷静に考えてみるとイルカかもしれない。するとまたもや背鰭が現れた。今度は相棒も確認した。しかしまたすぐに消えた。知床の観光船で一年アルバイトしたことがある相棒はイルカだと断言した。 四本岩には、クジラが現れたという。私たちが越えた直後だったようである。後で知ったことだが、蝙蝠谷展望台から見た者がいた。とすると、私たちのカヤックの下にクジラがいたということか。なんたる大自然の驚異!感動がわき上がってくるではないか。しかしこれは後でわかった話で、この時は、これでクジラでも出たら、最高だよな。」なんて話をしながら退屈を紛らわしていた・・・ 八時間無上陸で念願の一周を達成した。本当はもっとのんびり途中でキャンプなどしながら旅してみたいが、キャンプ禁止のこの小笠原ではかなわない夢である。それでも与えられた条件の中で、私たちは充実したシーカヤッキングを経験した。 1999年  1月1日 最大の目的を果たした私たちは、ふつうの観光客になった。元旦恒例の観光協会主催の行事に参加したり、釣りをしたりしてのんびり過ごした。 1月2日 狭い母島のこと。一周した私たちのことは、一夜にして島中に知れ渡ったようで、このカヌーレースでは優勝候補から「マイジャケのカヌラー」とライバル視されていたそうだ。中央の船だ! 1月3日とうとう母島ともお別れだ。とても素晴らしい旅だった。ママヤの飯はじつにうまかった。島のレモン酒やジャムもおいしかった。そしてママヤでお世話になった折田さんはじめスタッフのお姉さん方、そして同宿した旅行者との語らいが楽しかった。今度こそクジラをカヤックから間近で見てみたい。いつの日か・・・ さよなら。また来るよ。

The quintet(ライブインUSA)/V.S.O.P

邦題はライブインUSAです。バークレーのグリークシアターとサンディエゴのシビックセンターでの2ヵ所における1977年7月のライブ盤です。この1週間後、日本でも田園コロシアムで熱狂的なライブが繰り広げられてレコードになっています。当時リアルタイムでは、こちらの日本でのライブ盤のほうがダントツで良く聴いていました。FMでライブ放送したような記憶がありますが、どうだったかな。2枚組LPのライブインUSAは当時高校生だったから、とてもお小遣いで購入できる余裕はなかったので、最近になって中古レコード屋さんで大人買いしたものです。演奏は素晴らしいの一言で、今聴いても感動ものです。

シークレットkuniBC偵察2025-2-15

今日はまだ2月の半ばですが、すっかり春らしい陽射しを感じる一日でした。昨日の偵察は途中までで時間切れだったので、今日はさらに奥のエリアの様子を確認してきました。久しぶりの大雪でBCツアーのコンデョションはとてもいい感じでした。 昨日は10mくらい先の木の根元から突然ウサギが飛び出して逃げていく姿に遭いました。今日は小鳥たちがなにかおしゃべりをしている声が盛んに聴こえてきました。ひょっとしたら見慣れない人間が昨日に続いて今日もまたやって来たぞとか話してるのかもしれません。 4時間ひたすらハイクアップして標高2100mまで頑張りました。歩いて登っただけ滑りを楽しむのがバックカントリースキーです。昨日は上りのトレースを追いながら滑りましたが、今日は単独ですがちょっとアドベンチャーなコースどりで滑りを楽しみます。 ダマシ平からアバレンボウ平、そしてAコースへとコースアレンジしてみました。身体に対する太陽の角度を時々確認しながらダマシの森で迷わないように滑るのがドキドキでした。 昨日よりも気温が上がって雪が腐っているところもありましたが、なんとか楽しく滑ることが出来ました。 最後の渡渉で、先日のガイドでは気付かなかったスノーブリッジを使って、スキーで簡単に渡ることが出来ました。

シークレットkuniBC偵察2025-2-14

昨日は強風が吹き荒れて山は地吹雪でとてもツアーできるコンデョションではなかったでしょう。今日は風がだいぶんおさまって、ハイクアップではかえって冷たい風が気持ちいいくらいでした。さすがに休憩するとすぐに凍える寒さでしたが。何より空の青さが目に沁みました。そしてオオシラビソやトウヒ、コメツガの森の中を歩いたり滑ったりするのも心地よかったです。 4時間ひたすらシール登行でハイクアップして、登った分だけ滑りを楽しみました。午後12時45分、標高2070mの森の中でカップ麺とサンドイッチのランチ。そして、自分たちの登りのトレースを追うようにツリーランのダウンヒルです。もしこのトレースがなければ、方向を見失いきっとどこかへ迷い込んでしまうことでしょう。 でも途中から少しトレースから外れてちょっと気になるコースを偵察もしてみました。先日の大雪ですっかり笹薮も雪の下に埋まっていい感じでした。また来週も寒波が襲来して大雪予報とのこと。 標高を下げると日当たりのいい斜面の雪は腐れ気味になってきましたが、それほど悪くはならず最後まで気持ちよく滑れました。 BCは歩いて登った分だけ滑ることができるというのが基本だと考えますが、そんなシンプルなコースのシークレットkuniBC偵察でした。

2004シークレットkuniBC「2月の大高山縦走」

軽快な細板革靴のテレマークスタイルで上信国境稜線の大高山から野反湖へ縦走した時の記録です。2月下旬でだいぶん日も伸びて来てましたが、午前8時の歩き出しでは陽があるうちにゴールインできるかちょっと心配。林道は最近除雪が入ったようです。仕方なくシートラです。でも軽い板とビンディングなのでラッキー。 雪は良くしまっていてラッセルもなくハイクアップも快適です。いつものバレンタイン尾根ルートで天狗平へ。 ところが天気が良くて雪が腐り始めるとペースダウン。スキー板のソールに貼ったシールに雪がくっついて下駄になって歩きにくいこと。同行の二人は大丈夫だったので、これは自分だけ道具の手入れが悪かったようです。シールワックスを2度塗るもあまり効果なく、大高山頂直下の登りではバテバテでした。 小さな雪庇が発達している大高山山頂2079mに午後1時到着。ゆっくりお昼休憩をとり、予定より少し遅れ気味ながら野反湖へ向けて出発です。 大高山山頂付近はオオシラビソやコメツガなどの黒木の森におおわれています。カモシカ平までは雪質も良く快適なダウンヒルが楽しめました。また小さなアップダウンでは全員ウロコ板なのでスピーディーに行動できました。 黒木の森を抜けと無木立のカモシカ平の雪原が広がります。今回の縦走ツアーのハイライトです。思い思いのスプールを描いて鞍部に滑り降りました。振り返って三人三様のシュプールを批評し合うのも楽しいものです。 カモシカ平午後1時半通過。シール登行で高沢山へ登り返し。ここは頑張りどころのけっこう辛いハイクアップです。 午後2時半高沢山通過。ここから野反湖までシールを剥がしてダウンヒルです。エビ山までの雪質はパウダーで楽しめました。ところがエビ山から雪質は一転モナカ雪に。悪雪に苦労しながらの滑降となりました。 野反湖畔に降り立った頃はもう夕暮れ近い時間になっていて、急激に気温が下がって雪質が悪くなったようです。湖畔から峠への登り返しでは、凍った雪の表面にはウロコも利きにくくてシール登行に切り替えます。もうこれであとは下りだけという峠に立った時は、午後4時半近くでした。 車がデポしてあるゴール地まで、まだまだ細尾根の下りが待っています。途中同行の一人が革靴のソールが剝がれるというトラブルがありましたが、ガムテープを巻いて応急処置。 ついに日が暮れて闇夜となりましたが午後6時半無事到着です。