2025

2004シークレットkuniBC「3月のガラン沢」

ガラン沢の山奥に人知れずコンコンと湧く温泉があるという。紅葉真っ盛りの10月、その噂を聞きつけて山岳会で訪れたことがあった。それから数年後、今度は沢登りではなくスキーで再訪してみた。誰が持ち込んだか知らないあのバスタブの即席温泉は、雪の中でも持ちこたえているでしょうか。 温泉が湧くところは、ガラン沢の支流湯ノ沢の奥。秋の紅葉の時期なら沢登りで日帰りルートです。湯ノ沢という地名が付けられているくらいだから、昔から里人には知られていたのでしょう。ただ湯ノ沢を遡行していくとさらにまた左岸からダン沢という支流が合流します。温泉が湧いている場所はそちらを少し遡行した右岸の藪っぽいザレ場だったと思いだします。 ダン沢の源頭の山はその名もずばりダン沢の頭です。ようやく標高2045mのダン沢の頭に到着。展望が抜群です。今夜はこの先の湯ノ沢の頭との間の稜線上でテントを張って一泊の予定です。大きな荷物は置いて、午後はお風呂セットだけをもって温泉スキーに出かけます。 ザラメ雪も春の陽ざしの暖かさでちょうどよく緩んでくれて、ダン沢を快適滑降です。 下るにしたがい残雪が切れて雪の量も少なくなってきます。スキーでたどり着けるか不安になってきましたが、覚えのある右岸の台地上の場所はすぐにわかりました。 ポリのバスタブもすぐに見つかりました。やはり厳しい気象条件に耐えられず半壊状態でした。それでも一人だけならまだ十分に入浴できました。 ガラン沢温泉はいい湯でしたが、テント場に帰るにはまた汗をかかなくてはです。

シークレットkuniBCガイド2025-2-10

今回のドカ雪で昨日のガイドは中止にさせてもらいましたが、今日は天気が微風・晴れマークで回復傾向なので縦走ツアーを計画しました。ところが10時を過ぎても峠付近の雲はスッキリ晴れず地吹雪模様です。そういえば、いつも目印にしている制限速度40㎞の道路標識はドカ雪に埋もれて見つかりませんでした。これほどの大雪はほんとうに久しぶりです。 雪崩斜面を通過しなければならないのですが、視界不良の中でもギリギリ安全ルートが確認できて一安心。シールを張ったまま通過しました。ちょっとドキドキの緊張の時間が長く続きました。風の避けられるところでようやく人心地付けた時は、出発してからあっという間に2時間も歩き通しだったことに気付いてびっくり。でも厳しい気象条件ほど景色は幻想的で美しく感じます。 今回は2217mの目指す山頂はあきらめて、いつもの尾根の途中からいよいよお楽しみの滑降です。一昨日同様本当に軽いパウダースノーです。 あまりにも抵抗がないのでどこまでも滑って行きたいところですが、至福の時間はあっという間です。 お昼を過ぎてもスッキリとした晴れ間は現れませんでしたが、標高を落とすごとに少しずつ気温も上がり厳しかった天候条件が和らいでいくのを感じました。 今日みたいな日のバックカントリーは、様々な場面で判断が難しかったりして、道迷いや雪崩など想定外なリスクが行く手にたくさん潜んでいます。 シークレットkuniのツリーランもようやくボトムまで最高のコンディションで楽しめました。 最後の渡渉では、さすがにスノーブリッジは完成されていませんでしたが、沢床は深い雪に覆われていました。いつもなら1時間早く下山できたかもですが、深い雪のラッセルで下山は少し遅くなって午後4時下山です。 天気にも翻弄された今回の縦走ツアーは、スプリットボーダーのゲストさんにとっては滑降モードや歩行モードのチェンジが多くて大変なので、なかなかの達成感だったことでしょう。

シークレットagatsumaBCガイド2025-2-8

とうとう夜半から降り出した雪は、これから2~3日降り続くという予報です。すでに前日までの古いトレースはすべて消えていました。今日みたいな吹雪の日だからこそ出逢える美しい景色が私たちを迎えてくれました。 標高2100m前後の稜線にハイクアップする頃ようやく体も少し火照り始めました。気温はゆうにマイナス10度以下でしょうから、いつもの手袋では指先がかじかみます。 いつでも撤退する気持ちで様子を見ながら深い雪を掻き分けて山頂目指します。予想を反して天気は悪くはならず、眼下に景色が広がるくらいに吹雪が弱まる時間に恵まれました。 往路をシールを貼ったまま戻るつもりでしたが、念のために斜面の様子をスキーでちょこっと確認します。BCツアーで期待に胸高まる一番ドキドキする時間です。 短い斜面のたった一本のダウンヒルでしたが、抵抗を感じないドライパウダーの浮遊感を存分に味わうことが出来ました。 登り返してもう一本短いですが素晴らしい雪質の斜面を滑って下山しました。翌日からのツアーはこの大雪のため開催が厳しそうな予感です。

奄美大島シーカヤッキング2004

今までカヤックでいろんな海を漕いできて、ウミヘビやダツ、でっかいクラゲやサケの死骸、飛び魚などなど、いろいろな生き物に遭遇した。中でもいちばん大きな生き物は、知床のヒグマと小笠原父島のイルカかなあ。父島はクジラで有名なところだから遭遇できるかもと思ったけど、叶わなかった。ところが今回、奄美の海で突然クジラに遭遇してしまった。宿のご主人であるリキさんからは、奄美の海には冬になるとクジラの目撃情報があるということを聞いていた。それを裏付けるかのように、その前日の新聞に徳之島でザトウクジラが目撃されたという記事が一面トップで報じられていた。なんとなく小さな期待感も無くはなかったのだけれど、ほんとうに遭遇するなんてこれっぽっちも思ってはいなかったのだ。奄美ではカケロマ島の徳浜沖が、クジラに出会える有力ポイントらしい。昨年2月、カヤックでカケロマ島一周をした時に徳浜沖を通り過ぎたけど、もちろん会えなかった。 今回の旅の最終日、海はカヤック日和だった。半日しかないけど、奄美本島とカケロマ島に挟まれた大島海峡から太平洋に飛び出してみようと、皆津崎をかわしてホノホシ海岸へ行ってみることにした。大島海峡から外海の太平洋へと漕ぎ出すと、海の色が一気にエメラルドグリーンからディープブルーに変わる。さすがに外海らしく、小さなうねりといえども岩壁にぶつかる波のパワーはすごい。緊張する。皆津崎をかわす前にちょっと上陸休憩した。このほんのわずかなタイミングが、クジラとの出会いを実現させてくれたのだが、誰が想像できただろうか。いよいよ皆津崎をかわす時がきた。その時大きく岬から離れて沖を漕いでいたら、きっと正面からクジラと遭遇していたにちがいない。しかし、私たちは岬に小舟がやっとすり抜けられるほどの小さな水路を見つけた。距離を少しでも短縮するために、この水路を抜けた。ちょうど抜け出るかどうかという時、前席を漕いでいた家内が素っ頓狂な叫び声をあげた。私も反射的に黒い大きな物体を見た。すぐにクジラが頭に浮かんだ。もしクジラだったら、しばらくしたらまた姿を現すかもしれない。緊張しながら前方の海面の様子に集中する。すると突然大きな物体が海面に現れ出た。まさしくクジラだ。背中だろう。すぐに尾ビレが出た。この尾ビレの形、昨日の新聞に出ていた徳之島のザトウクジラと同じだ!おっと、背中から潮を吹く!! クジラまでの距離、4~50mくらいだろうか。前席の家内にビデオで撮影するよう咄嗟に叫ぶが、家内からこれ以上近づかないようにというパニック気味な言葉がすぐにかえってきた。 この時、クジラに近付きたかったが、とうとう近付けなかった。家内が近付かないでと訴えたからではない。距離があっても、クジラの存在感がビンビン伝わってくるのだ。アウトドア雑誌の写真なんかで、カヤックのすぐそばでクジラが海面から飛び出しているようなシーンがあるが、あんなのよほどの勇気がなければできないことだと実感した。何度か私達の前にクジラは姿を現してくれた。しかし、前に進むことができず凍りついた私達の前からは、みるみるクジラは遠ざかって行った。クジラは1頭ではなかった。少なくとも2頭を確認した。太平洋の沖合へ消えていった。

Live at the Lighthouse/エルビン・ジョーンズ

エルビンのレコードはなんとってもメンバーのサックス奏者が誰かということが一番気になります。これは1972年録音の2枚組ライブ盤で、若き日のリーブマンとグロスマンがフロントでお互い火花を散らすように吹きまくっている姿をとらえた名盤です。数年前に偶然神保町の中古レコードショップで格安の値段で見つけて即買いでした。ほんとラッキーな出逢いで、ほんの少しタイミングがずれていれば他の人の手に渡っていたはずです。まず音質が素晴らしくて、ライブの雰囲気がプンプンに伝わってきます。1曲目ドナルドバード作曲のファンシーフリーは、まさに曲名通りの自由奔放なアドリブを二人のサックス奏者が応酬し合う、圧巻の演奏です。このA-1だけでもうお腹いっぱいです。余談ですが、この輸入盤レコードはオートチェンジャーカットでした。状態がすごくいいにもかかわらず格安値段だったのは、そのためだったのかな。

seven steps to heaven/マイルス・デイビス

ベイズンストリートブルースという洒落た曲から始まって思わずマイルスの世界に引き込まれてしまう名盤です。偶然にも前レコードのインヨーロッパでのライブ直前に録音されたもので、当時のマイルスの好調ぶりが伝わってきます。トラック6曲のうち3曲はロサンゼルス録音でピアノがビクターフェルドマンですが、とてもいいです。そして残り3曲はニューヨーク録音で、この時に新しいマイルスクインテットのリズムセクション、ハービー、ロン、トニーが正式に決まったようです。以前ロンカーターの自伝本を読んだ時に、このあたりのことも興味深いことがいろいろ書かれていたことを思い出します。

第2回チャツボミゴケ公園スノーシューハイキング2025-2-4

今年最強の寒波がこれから1週間近く襲来するという日のスノーシューハイキングでした。すでに各地から大雪による交通障害のニュースがいくつも聞こえて来て不安になります。でも関東北部の山沿いだけ大雪予報は軽くて、集合場所のJR長野原草津口駅は全く雪無し。都会からいらっしゃるゲストの皆さんにとっては、安心ですね。ところが、標高600m弱の長野原草津口駅から600m近く標高を上げて、山奥へと分け入ったチャツボミゴケ公園までやってくると、そこは白銀の世界です・・・ 今日のチャツボミゴケ公園の午前11時の気温は、陽射しがあってもマイナスです。ただ風が弱いので、この冷たい空気が頬に気持ちいいです。温泉大滝ではモクモクと湯気が湧き上がって、こんな日だけ特別に見せてくれる迫力の光景で私たちを歓迎してくれました。 滝の壁にはまた大きく成長したチャツボミゴケの姿が確認できました。温泉の中で悠々と息づいて来たチャツボミゴケですから、冬でもたくましく生きていることを観察できます。 深い雪を掻き分けてようやくたどり着いた穴地獄では、雪が舞い始めました。じっと静かにたたずんでいると、チャツボミゴケの群生の形や温泉の暖気で削られた雪の造形がアートのように見えてきます。まるでファンタジックな異空間に迷い込んだような錯覚を感じることが出来るでしょう。 帰りはヤドリギの木に寄り道してみました。オレンジやイエローの前回観察した時よりもさらに実が熟してたわわになっていました。 チャツボミゴケ公園スノーシューハイキングのお問い合わせ、お申し込みは中之条町観光協会です。小学生用のスノーシューも準備しているので、ファミリーでも参加できます。

in Europe/マイルス・デイビス

梅田の阪急東通り商店街の奥の方に輸入盤専門店が2軒少し離れてあったかな。ネットもなく、スイングジャーナルのディスクレビューやレコード店の広告記事くらいの情報しか頼りにならず、輸入盤専門店には新しいジャズレコードを求めてよく通ったものです。60年代のマイルスのレコードはあまりにも名盤過ぎて、ジャズ喫茶でもかかることはなくて自分で購入して聴くのが一番手っ取り早かったかも。でもどれから買おうかずいぶん悩んだと思います。6枚目のフォーアンドモアより1年前の1963年フランスアンチーブジャズフェスティバルでのライブですが、メンバーはジョージコールマンのサックスでフォーアンドモアのクインテットと同じです。このライブの演奏の方がやっぱり新クインテット結成間もないので新鮮な感じがします。60年代マイルスは、純粋にジャズを楽しんでいた10代後半の青春時代を思い出します。

Just Before After Hours/ヒラリー

1979年の作品。当時女流サックス奏者のリーダーアルバムは珍しかったので、スイングジャーナルの新譜レビューを読んだ記憶があります。だいぶん後になってから安価な中古盤で見つけたので、どんな演奏が聴けるのか興味がわいて入手してみました。プロデューサーはジャズクルセイダーズのトロンボーン奏者だったウエインヘンダーソンで、ドラムはハービーメイソン。このクレジットにもそそられますが、実際の演奏はその当時流行っていたクロスオーバー路線です。

80° Below ’82/エアー

偶然にもマテリアルのメモリーサービスにも参加しているヘンリースレッギルがメンバーに入っているエアーのレコードが来ました。こちら1982年録音のレコードだから、メモリーサービスの翌年の演奏です。エアーは、ロフトジャズのグループとしてずっと気になっていたので、中古盤で見つけたら値段が合えば即買いです。エアーとかアートアンサンブルオブシカゴのようなフリージャズのグループの音楽が、なぜかときどき無性に聴きたくなります。