July 2024

野反湖お散歩花ガイド2024-7-30

朝久しぶりに綺麗な虹を見ました。草津白根山は厚い雲に覆われていました。山は雨に違いないです。今日は団体ツアーの野反湖半日ガイドです。天気が心配です。 現地に早めに到着。思った通り野反湖の奥の方が天気が悪いです。テンバのお花畑のヤナギランが今一番の見頃なので、こちらをガイドする予定でしたが急遽変更。天気がいい手前の野反峠から湖畔ルートをガイドしました。 ノゾリキスゲが咲き乱れていた2週間前の風景とは一変、すっかり花の種類が入れ替わっていました。今はノリウツギの清楚な白い花が見頃です。 湖畔に降りるとヤナギランの花も楽しめました。それにしても下界は今日も灼熱の蒸し暑さでしょうが、野反湖畔は気持ち良い涼風が最高です。 のんびりとお花を愛でながら湖畔から周回コースを歩いて、再び野反峠に戻ってきました。ちょうどお昼なので、湖が一望できるベンチでお弁当です。 お弁当を食べた後、まだ咲いているということでコマクサを見にまた少し歩きました。行きがてらウメバチソウやヤマハハコ、ホツツジなども咲き始めていました。 花好きな今日のゲストさんたちは、たくさんの花に出逢えて笑顔いっぱいでした。 今日は雨が心配でしたが、結果的には天然クーラーの北風が気持ちいい絶好のお散歩ガイド日和でした。

亜熱帯の島々の海を、気ままにシーカヤックで旅したお話 Ⅴ

V. 西表島・白浜~鳩間島~バラス島~西表島・上原 小笠原の南海上に台風が発生し、どうやら進路をこちらに向けたようだ。カヤックによる島渡りの旅も、今日までかな。粗末な丸太船で、新天地の島を目指した古代の人たちだって、良い日和を待って琉球列島の島から島を渡り歩いた。今度はいつになるかわからないけれど、またいつの日か小さな旅の続きをしようと思う。 翌日は休養日。朝もゆっくりで、外離島を一周して内離島に面したビーチで午後をのんびり過ごす。せっかく南の島に来たんだから、こんな贅沢な日が一日くらいあってもいいだろう。相棒が宿でクーラーボックスと氷を準備してもらい、そこに十分な量のビールを仕入れてきた。太陽が燦々と降り注ぐ美しい無人のビーチで、ゴクゴク缶ビールを飲み干した。そして熱いラーメンと焼きめしを、ズルズルワシワシと食った。その後は、遠浅の海に仰向けで顔だけ出して浸かり、昼寝。相棒の姿が見えないので、どこに行ったのかなと心配していたら、ずっと向こうのなかなかいい木陰で昼寝をしていた。ところで、こんなにも楽園なところだけれど、悲惨な歴史の傷跡がどこに残っているんだろうか。この外離島にはかつて炭坑があった。明治になって、島の西側にたくさんの炭坑が開発されるようになったのだけれど、本土から遠く離れ、マラリアのあるこの地では、そう簡単に労働力を集められなかった。強制労働をさせるためにたくさんの人が連れてこられたり、騙されてやって来たりして、非人間的な扱いをされた。劣悪な労働から逃れるために、多くの脱走が繰り返され、ほとんどが命を失ったそうだ。そうでなくてもマラリアで多くの人が亡くなった。西表島の炭坑史の本を読んで、あまりにも悲惨な出来事が、ジャングルや美しいビーチに埋没されているということを知ったが、こんなにも美しい景色からはとても想像できなかった。 宿にもどって、夕食の準備が出来るまで部屋でウダウダしていたら、女将さんがいいマグロ釣れたから見に来いと呼びに来た。見てびっくり。このマグロは、西表の沖合40キロにある、直径9mの気象観測用の海洋ブイで釣れたんだそうだ。この海洋ブイのまわりには、大型の回遊魚がいっぱい群れているんだそうだ。これを釣った漁師さんは、はじめ擬似餌でやっていたけれどまったくあたりがなく、他の漁船からイカをもらって餌にしたら一発できたらしい。釣り上げるまでに三回休憩を入れたそうだ。豪快な釣りだったんだろうな。 とうぜん夜は、新鮮なお刺身のお裾分けをごちそうになったサ。その夜の天気予報で、どうやら心配していた台風の進路が悪い方になったことを知らせた。旅の理想としては、出発した石垣島へカヤックで戻りたかった。しかし二日後には台風の影響が出始めるらしく、今回のカヤックによる旅は明日で終わらせなければならなくなった。 の朝、宿の前の漁港の斜路から出発の準備をしていたら、地元のカヤックツアーのガイドNさんがやって来た。1泊2日のツアーを計画していたが、台風の接近で日帰りツアーに変更したそうだ。そのツアーを楽しみにしていた小学生の男の子が、ちょっとかわいそうだった。「西表島でシーカヤッキングがこれからも出来るように事故を起こさないでほしい。」とNさんに言われるまでもなく、地元のガイドが予定を変更するのだから私たちも今日で行動を終了するというのは大いに納得した。台風がやってくるなんて気配はまったく感じられない素晴らしい青空の下、鳩間島に向けて出発。1日休養したおかげで、快適なパドリングだ。海峡を横断する前に、無人のビーチで休憩。相棒は鳩真島に1泊したかったらしいが、明後日では船がでなくなる可能性があるのであきらめてもらう。携帯電話で、上原のきよみ荘という宿に予約をいれておいた。いよいよ海峡横断だ。さっき、Nさんから「あそこはサメがよくでるから気をつけろ。カヤックよりもデカイ奴もいるらしいぞ。」と脅かされていた。私たちは臆病者で、ドキドキしながら進むことになった。潮は逆潮だった。思ったより進まなかったが、快調にパドリングを続ける。気がつくと潮に流されて目標地点がいつのまにか大きく右の方に変わっていてびっくり。今までで、一番潮の流れがきついと感じた。ようやく鳩間島に近付いてきたとき、なにやらお祭りの笛や太鼓の音が潮風に乗って聞こえてきた。大きく波立っている港の入り口を突破すると、港のずっと奥の森の中から楽しそうな祭囃子が聞こえてくる。私たちは、なんていい日に鳩間島を訪れたんだろう。豊年祭の真っ最中だった。鳩間島はの印象を一言であらわすとしたら、素朴な島だった。 沖縄そばの屋台もでていて、見学した後腹ごしらえをした。鳩間島の雰囲気は、なかなか。島には宿が3軒あるらしく、台風が来ていなければ泊まりたかった。後ろ髪を引かれながら素朴な島鳩間島に別れを告げ、西表島との間にあるバラス島を目指して出発した。バラス島には30分で着いた。ちょうど観光船が来ていて、私たちの出現にびっくりしていた。相棒がサメのことを観光船の船長に聞いた。「今はイルカがいるから、サメはいないよ。」と言われて、ホッとする。そういえば、なんだか知床岬のヒグマみたいだ。「エゾシカがいるときはヒグマはいねえ。」と漁師に言われたっけ。観光船が去った後、しみじみとした気分になった。いよいよ、最後のパドリングだ。西表島の上原港で、今回のシーカヤッキングの旅は終わった。石垣島を漕ぎだして8日目の朝、石垣島に戻り安宿に滞在して台風の動向に翻弄される。帰りの飛行機が飛ぶかどうかを心配しながら、レンタカーで観光したり図書館や宿で八重山関係の本を濫読。結局台風は、台湾方面へ進路を取り、石垣島には大した被害もなく通り過ぎた。 西表の漁師は、私たちが出航するとき、「水は持ったか。」と聞いた。そして、「水さえたっぷり持ってれば、大丈夫さ。」と言って、笑顔で送り出してくれた。柳田国男によると、さらに漁師は米の籾を布袋に入れて必ず携行する風習があったという。嵐にあって無人島に漂流しても、そこで稲を育てて生き延びるための知恵だったようだ。南の海は、なんだか大らかだ。すべてを呑み込み、受け入れる。北の海とはまったく違う漁師の気質や風習、伝統、知恵があると感じた。

ぐんま県境稜線トレイルCエリア探査2024-7-18

ようやく天気が安定しそうな晴れマークの予報になったので、待ってましたとばかりにCエリアを縦走してきました。朝のうちは高曇りながら雨上がりで空気がとても澄んでいて、猟師の沢の頭では絶景を楽しみました。富士山もはっきりとわかりました。 白砂山までは右に左に思わずうっとりと眺めたくなる素敵な山々が次々と現れます。八十三山、鳥甲山、佐武流山、苗場山、浅間山、榛名山、赤城山・・・ 白砂山山頂からは振り返ると横手山の右端に槍ヶ岳もくっきり。お花もニッコウキスゲやタテヤマウツボグサ、ハクサンフウロ、コメツツジなどが綺麗に咲いていました。 白砂山で休んでいると太陽がギラギラと顔を出し始めました。なんとなくこの時に梅雨明けの予感がしました。下山後関東甲信地方の梅雨明けが発表されたのを知りました。 Dエリアを歩いた時も感じましたが、今年は笹の伸びがおとなしい感じで草藪が気になりません。さすがに南面の日当たりのいいところはイタドリなどが胸くらいまで繁茂している箇所もありますが、総じて大したことないです。(個人的見解です。)C-34の標識がある新潟県最南端でいつものように携帯で順調に歩いていることを報告。 白砂山から上の間山までの稜線でもいろんな花が登山者の目を楽しませてくれました。今回見頃だったのは、コキンレイカとキンコウカ、コバギボウシ、ホソバコゴメグサ、ミヤマコウゾリナの花々でした。 赤沢山から忠次郎山への登りで、今日は熱中症に気を付けなきゃと水分補給をこまめに摂ることを心がけます。ムジナ平の水場で冷水を補給するのが楽しみです。 清津川源流を挟んで白砂山三国境から佐武流山へと続く稜線や鳥神山が眺められます。雪渓がまだ少し残っているのがわかりました。蒸し暑さで雪が恋しくなります。 右側には白砂川源流域全体が大迫力で俯瞰できます。そしてムジナ平から笹平、三坂峠へと続く緑の森の稜線が続いていくのがわかります。 今回もアキアカネの大群が登山者の親衛隊のように護衛してくれたので、鬱陶しい虫はほとんど近寄ってくることはなく快適に歩かせてもらいました。 忠次郎山から上の倉山、大黒の頭へと最後のきつい上り下りを頑張れば、あとは三坂峠まで下りベースの歩きです。ムジナ平避難小屋には予定通りの12時正午きっかりに到着しました。 笹清水では清らかな湧水が潤沢に流れていました。周りではミヤマカラマツの白い花が清楚に咲いていました。 ブナの実の成りは今年はどうなのでしょう。三坂峠までの稜線トレイルで見かけたブナの様子では、ブナの実をつけている木では豊富に感じました。落ちていた実の固い殻をこじ開けて中身を見たら、しっかりとした実が詰まっているように思えました。

第2回ノゾリチャツお散歩ツアー2024-7-13

海の日三連休の初日は、天気予報が良いほうに外れて行楽日和に恵まれました。満開の見頃なノゾリキスゲのうわさを聞き付けた観光客の車が朝からたくさん野反湖へ上がっていきます。いつもより1.5倍の時間をかけてようやく天空の花の楽園と湖、野反湖へ。 お散歩するコースはいつもの半分の時間で一番お花が楽しめるコースをガイドです。皆さん、大感激。 お昼は野の屋さんでお蕎麦ランチ。午後はチャツボミゴケ公園へ。こちらもチャツボミゴケやラムサールの貴重な大自然を体感出来ました。ノリウツギやクロヅル、オカトラノオの白い花が夏の日を浴びて眩しすぎるグリーンに鮮やかに映えていました。 さらに足元に目を凝らせば、シラタマノキとアカモノの実も熟し始めていました。ノリウツギやクロヅル、オカトラノオの白い花が夏の日を浴びて眩しすぎるグリーンに鮮やかに映えていました。 穴地獄を周った後、モネの池へ。 オタマジャクシはクロサンショウウオのようですね。 渋滞に巻き込まれてどうなるか心配しましたが、行程通りガイド出来てほっとしました。ゲストの皆様、お疲れ様&大変ありがとうございました。

偵察野反湖トレッキングガイドノゾリキスゲ満開2024

雨上がりの午後遅い時間、明日のガイドの下見のために野反湖にやってきましたが、これほどまで見事な咲きっぷりだとは想定外でした。 誰もが思わず歓声を上げてしまうでしょう。 富士見峠から正一小屋、丸山から湖畔へ下りました。 そして池平からイカ岩駐車場に上がって富士見峠まで。このコースはノゾリキスゲ鑑賞のゴールデンコースです。 その後反対側のキャンプ場に周って、テン場のお花畑へ向かうと、次の花が満開に向けて準備し始めていました。

絶海の孤島 小笠原を漕ぐ1998年

1998年1月1日 カヤックの相棒と小笠原諸島父島へやってきたのは、1997年12月30日。到着した日に、観光バスで父島の海岸の様子を下見した。もちろん小笠原は初めてで、この時期にシーカヤックで島を1周したという話もあまり聞かないので、事前の下見での観察眼しか当てになるものはないのだ。一番気になっていたのは兄島瀬戸だった。下見の時間帯は潮があまり動いていないので穏やかだった。島のほとんどの海岸線は道路から隔絶した断崖絶壁だから、下見といっても一部だけしかできない。出たとこ勝負になるだろう。これまでの経験が大いに試されそうだ。下見なんて気休めかもしれない。ただ島の大きさをなんとなく体で感じることができた。おそらく無寄港で漕ぐことになるだろうから時間的な目安をつけることはできた。一日で一周は可能だ。私たちは、反時計回りがいいということで、意見が一致した。 大晦日の日の夜、前浜では賑やかにカウントダウンパーティーが催された。島の人たちの雰囲気が感じられそうな気がしたので、相棒を誘って出かけた。盛大にコンサートが行われ、屋台ではラム酒のカクテルや年越しそばなどが振る舞われた。観光客よりも地元の人たちの方が楽しんでいるといった様子が観察できておもしろかった。 元旦の朝、前浜を出航。二見港から外海に出るにしたがいうねりが大きくなってくる。しかし今まで体験したことがないようなうねりだ。うねりとうねりの間隔が非常に大きい。ゆっくりと波の底からカヤックは持ち上げられていく。そして波の最高点まで運ばれると、またゆっくりと波の底へ落ちていく。野羊山をかわす頃には、風も脅かす。父島の気象観測所の予報では、午前中に風向きが反対に変わるということなので、私たちは迷わず進むことにした。私たちを追い越していくホエールウオッチングやダイビングなんかの観光船が、盛んにエールを送ってくれる。それに応えたいのは山々なんだが、パドルの手を離すことができなかった。  難関はジョンビーチと南島との瀬戸だ。岩礁帯なので、ものすごい波が立っている。ここを越えれば、おそらく静かな海が待っている。しかし越えられるかどうか。うねりの高さは3メートルはある。まさに川下りでの5級の瀬だ!どうする。風は私たちをどんどん押していく。とりあえず一番安全そうなルートにねらいは定めるが、なかなか決心できない。迷っているうちに荒れ狂う瀬へ吸い込まれるように流される。相棒はすぐ隣に漂っているが、うねりのリズムが違えばお互いが見えない。一旦つっこもうと合図を送ったのであるが、迷いをもったまま進むことほど危険なことはないとふと我に返った。「やっぱりもどろう!」と相棒の後方から声を張り上げた。向かい風に逆らって、ブタ海岸に逃げ込む。ブタ海岸には、サーフィンに良さそうな波が寄せていて、サーファーたちがボードに腹這いになって漂っている。ブタ海岸は風の陰になっていたので、奥の片隅には上陸できる所があった。とりあえず様子を見ることにしたが、今日はここまでかなとちょっと寂しい気持ちになった。しかし相棒はもう絶対つっこむ気持ちになっていたので肩すかしを食らったと言う。朝の相棒の様子からは想像もつかない強気な言葉にびっくり。ひょっとしたら今日はまだチャンスがあるかもしれない。  浜でしばらくのんびりした後、タコの木の疎林をかき分け饅頭岬に登り上がって海の様子を見た。風の向きが変わった。相変わらず岬の北側の海岸にはものすごい波が打ち寄せてくる。しかしそのパワーは先ほどよりも弱まってきていることが感じられる。ジョンビーチの辺りの岩礁帯に砕け散る波頭も何となく先ほどよりも小さくなってきている。相棒に確かめてみたら、「じゃ、行くか。」ということになる。  ボードに腹這いに寝そべって、波に漂うサーファーの横をすり抜け、湾の中からまたうねりの大きい海に出ていく。今度はどんなことがあって通り抜けるぞという気持ちがわき上がってくる。迷いは禁物だ。岩礁帯には波が炸裂している。しかし、やはりさっきよりも状況はずっと良い。私たちが通るべきルートがはっきりわかる。うねりのために見え隠れする相棒となんとかルート確認をして、岩礁帯を突っ切った。全力で漕いだ。  南崎をかわすと途端に海の様子は一変した。あれほど荒れていた海が、打って変わって穏やかな海になった。そして断崖絶壁の海岸は知床の断崖よりも迫力があると思った。断崖は剥き出しの荒々しい地形である。亜熱帯の島だからジャングルのような森に覆われていてもいいのかなと思うのだが、激しいスコールは根付こうとする一粒の種子も洗い流してしまうのだろうか。  ここまできたらもう後には引けない。太平洋に浮かぶ絶海の孤島の海を漕いでいく。天之浦に入り込んでみたかったが、先を急がなければならない。少し波がブレークしている巽崎をかわして、西海岸に廻ると追い風だ。調子よくパドリングして、初寝浦まで順調に進む。この辺りの海岸でキャンプを張り、釣りやシュノーケリングをしてのんびり旅をしてみたいものだ。しかし、小笠原はキャンプ禁止である。今日はなんとしても1周して宿に帰らなければならない。  いよいよ兄島瀬戸に入り込む。海の様子が変わる。うねりがなくなり、海面が妙になめらかになる。流れている。どうやら私たちは潮の流れに乗っている。大河のような太く大きな流れだ。少し不気味だが、何もしなくても私たちをどんどん運んでくれる。しかし、問題は瀬戸の出口だ。一昨日のウエザーステーションからの様子だと、大きな三角波が立っているはずだ。釣浜や宮之浦を過ぎていくと、遠くに返し波が見えた。まさに川下りという感じだ。川の瀬のように漕いで突っ込めば、抜けられると確信した。相棒と行くぞという合図をかわして、激しい瀬の中へ漕ぎ進む。大きな返し波を一回頭からかぶった。  東海岸に回り込むと、向かい風になった。もうその頃には疲労がたまってきたのか、進みが遅くなってしまった。ここまでの進み具合を考えると、ゴールまでの距離はわずかだが、漕いでも漕いでも進まないという感じである。相棒はさらに私からどんどん遅れていく。後ろを振り返ってもうねりのせいで相棒の姿がすぐに見つからなくなるので、時々相棒を待ちながら進んだ。  二見港に入港すると、やっと一息つけた。1周することができたという感動が湧いてくる。もう夕方である。ホエールウオッチングやダイビングの船が次々と帰港してくる。私たちも前浜へ上陸した。すぐにビールを買ってきて、海岸に腰を下ろして乾杯した。次は母島かなと冗談を言い合いながら、ビールのうまさに感動した。

芳ヶ平ネイチャーラーニング研修会2024-7-9

遠くの山が見渡せるくらいの高曇りの天気だったので、蒸し暑さも和らいで逆に研修会にはもってこいの一日でした。渋峠の塔の池では孵化したばかりのモリアオガエルのオタマが泳いでいるのを確認しました。今年は雨が少ない年のようで、芳ヶ平湿原までの登山道は水溜りやぬかるみが無く久しぶりに歩きやすく下れました。希少な花にも巡り合えてラッキーでもありました。 今回の研修のメインテーマは、5月23日に行われた獣害防止ネット設置作業の現地視察とニホンジカ対策の現状と課題についてです。他にも新しい木道整備の取り組みのことや笹刈整備の植生への影響などについて学びました。 今年の芳ヶ平湿原のワタスゲは数が少なそうでしたが、大きく成長した綿毛が風に揺られて綺麗でした。代わりにツルコケモモの花がこんなに咲いているのを見たことが無いくらいでした。ニッコウキスゲが満開の野営場でお弁当を食べて、いよいよオムスビ山登山道を下って大平湿原へ。 設置作業をした5月23日から1か月以上たつと、様子はガラリ変わっていました。ヤマドリゼンマイの草原の藪漕ぎでやっとこさ現地へ。 やはり新しいニホンジカの足跡はありました。獣害防止ネットの効果は歴然で、柵内の水芭蕉は被害に遭うことなく無事でしたが、柵外の水芭蕉は今年もほぼ全滅のようでした。 でも芳ヶ平湿地群のニホンジカの生態調査では、まだ生息数は多くないようです。手遅れにならないうちにニホンジカ対策の先進地の成果を生かした試みをこれから進めていくようです。芳ヶ平ネイチャーラーニングでも探求素材として取り入れていけたらいいなと考えています。 偶然ですが、5月23日の設置作業の記事が上毛新聞に出ていました。

ぐんま県境稜線トレイルDエリア探査2024-7-6

ノゾリキスゲが満開の見頃な野反湖から歩きだします。昨夕からの激しい雨も朝方にはすっかり止んで穏やかな朝です。 歩き始めると、草藪の露がすぐに足元をびしょ濡れにさせてくれました。まだそれほどまで伸びていなくてスパッツだけで大丈夫かなというのは甘い考えでした。たまらずレインパンツを履きます。宮次郎清水は枯れていました。ホソバミゾホウズキの花を楽しみにしていましたが、どうだっけ?これから咲くのだったかな。通い慣れた道を歩くのは、なじみの花に逢えるかどうかも楽しみの一つです。 ふだんは珍しくない小さな花も、雨に濡れた姿はどれもびっくりするような美しさを見せてくれることを発見しました。 でも三壁山を超える前にもうこんなに下半身はびしょ濡れになっちゃいました。登山靴の中にも浸水が始まる感じがしてきました。 Dエリアは意外とその良さが知られていません。ところどころ展望が開けるピークや草原などもありますが、シラビソやコメツガなどの針葉樹の深い森の中を歩く区間が多いのが地味なイメージなんでしょうか。苔生した森の小道ではゴゼンタチバナの花が咲き乱れているところは、なかなかのいい雰囲気でした。 大高山を超えると、天狗平とも細野平とも、もしくはミドノ平とも呼ばれている湿原が眼下に現れ、これから目指すDエリアの深い稜線の山々も現れます。 五三郎小屋の水場にも寄ってみました。荒れ果てた小屋ですが、しぶとく立ち続けています。内部の地面にはヒカリゴケがなんとなく薄気味悪さを醸し出しています。もう30年くらい前の厳冬期の2月に、この中にテントを張って泊まった思い出があります。 オッタテ峠からオッタテ峰、ダン沢の頭と過ぎると、赤石山がやっと近く感じます。ここはガラン沢を左に大きく俯瞰できるDエリアのもっともディープな区間です。両側が根曲がり竹に覆われているところは、クマの気配を常に警戒しながら歩かなければなりません。 赤石山への登りでは振り返ると魚野川源流のはるか向こうに苗場山や白砂山稜線が眺められました。 仙人池には大きく成長した水芭蕉が出迎えてくれました。ここまで来ればもう赤石山はすぐそこです。赤石山からは極端に人の気配が感じられるようになり、これまでの張りつめた緊張感が和らいでいくように感じました。

偵察レイクカヤック奥利根湖奈良沢2024-7-5

梅雨明け?って勘違いするようなカラッとした猛暑。こんな日は奥利根湖でレイクカヤッキング。 今日の目的地は奈良沢バックウオーター。追い風だったので風を感じずちょっと蒸し暑さを感じながらのパドリング。岸沿いの木陰の中が涼しい。 お昼のお弁当も木陰でゆっくり味わいました。今年は空梅雨とまではいかないですが、渇水かなと思うような雨の少ない梅雨なのに、湖の貯水率は100%近いコンディションです。 帰りは向かい風が涼しくてとても心地よかったです。知床の海を漕ぐために琵琶湖のファルトピアさんで作ってもらったレットマンパシフィックは、奥利根湖でも快適なパドリングでした。

志賀高原・四十八池トレッキングガイド探査2024-7-4

ワタスゲが見頃な四十八池を巡るコースを歩いてきました。7月1日に志賀山で山開きも行われたそうで、いよいよ夏山シーズンが本格的に始まる志賀高原です。今週末にはトレイルレースも開催されるとのことで、登山道上にコース板などがすでに設置されているところもありました。 ワタスゲの他にもヒオウギアヤメやハクサンチドリ、ヒメシャクナゲなどの花が綺麗に咲いていました。 帰りに渋峠に寄りがてら塔の池のモリアオガエルの様子を見てきました。まだ鳴き声が聴こえてきました。水芭蕉の葉の中に卵も産み付けられていました。 来週は研修会でガイドさんたちと芳ヶ平湿地群を歩くのが楽しみです。芳ヶ平湿原のワタスゲは今年はどうでしょう?